第十八話
『キムジェ』が起こした大爆発によって生じた黒煙は、逃走を続けるシンフン級魚雷艇からも望見できた。
「針路0‐0‐0。機関そのまま」
勝利を確信したチャ上尉は喜色満面で告げた。目標が撃沈されたことはほぼ確実だろう。南韓艦艇との交戦で死傷者は出したが、自分を含むほとんどの乗員は無傷だし、被害の程度は南韓哨戒艇の方がはるかに大きいはずだ。そして今、追尾してきていた南韓哨戒艇ははるか遠くに引き離されているし、レーダーによれば付近に艦影はない。このまま北進し、自国領海に逃げ込めば、生還は確実である。
シンフン級魚雷艇は艇体を傾け、白波を蹴立てつつ回頭した。
『リンクス』(オオヤマネコ)は、かつてイギリスのウェストランド社が開発したヘリコプターである。
きわめて汎用性に富み、かつ運動性に優れた小型ヘリコプターとして設計され、軍用としては軽輸送、偵察などに適した機体となった。イギリス陸軍はこれを大量発注し、一部はTOW対戦車ミサイルを搭載する攻撃ヘリとして採用した。イギリス海軍とフランス海軍……開発には、フランスのアエロスパシアルも噛んでいる……は対潜ヘリコプターとして採用し、主に艦載ヘリコプターとして運用した。
ウェストランドではリンクスの輸出を目論んで盛んに売り込みを図ったが、なぜか売れたのは海軍型ばかりとなった。陸軍型が売れたのは、カタール国家警察だけで、その運用期間も短いものであった。その代わりと言ってはなんだが、素晴らしい売れ行きを示したのが対潜、哨戒、救難などに使われる海軍用リンクスで、英仏海軍のみならず、ドイツ、オランダ、デンマーク、ノルウェー、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国、アルジェリア、ナイジェリア、南アフリカなどのアフリカ諸国、パキスタン、マレーシア、タイなどのアジア諸国、さらにはブラジルなど、多くの西側および親西側国家の海軍……一部の国家では対潜ヘリコプターも空軍で運用するので空軍も……に採用された。用途は主に駆逐艦やフリゲートに搭載される艦載ヘリコプターであり、サイズの関係でSH‐3シーキングやそのライセンス生産版であるウェストランド・シーキングが搭載できない艦艇によって使用された。同世代の同級機であるカマンSH‐2F、アグスタ・ベル212ASWと並ぶ、艦載小型対潜ヘリコプター御三家のひとつである。
韓国海軍は、それまで使用していたフランス製のアルエートⅢの代替として、このリンクス対潜ヘリを採用し、九十年代から運用している。運用実績が良好だったようで、その後も改良型のスーパーリンクス、さらには発展型のAW159ワイルドキャットが導入されている。
高度三百メートルで西海を東進中のリンクスは、韓国海軍が二番目に導入したリンクス……スーパーリンクスMk99Aであった。世宗大王級イージス駆逐艦『栗谷李珥』から、数分前に慌ただしく飛び立った機体である。武装は、K745青鮫324mm対潜短魚雷一本と、イギリス製のシースクア短射程対艦ミサイル一発。
すでに、同機には逃走する北韓小艦艇に対する攻撃命令が下されていた。リンクスが、機首下のレードームに搭載されているシースプレイ3レーダーを作動させ、目標の探知に掛かる。
目標はすぐに見つかった。北方に向け五十ノット近い高速で移動中の小艇。
シースクアの誘導方式はセミアクティブレーダーホーミングである。したがって、発射母機は命中まで目標に対しレーダー波を浴びせ続けなければならない。射程が短いこともあり、通常ならば危険極まりないが、シースクアの攻撃対象として想定されているのは、艦対空ミサイルなどの高度な個艦防空システムを持たない小艦艇なので問題はない。
すでに目標は最大射程内に入っていたが、メーカーが推奨する『有効射程』は十五キロメートル……約八海里である。リンクスは機首を目標に向けると、巡航速度のまま距離を詰め始めた。
シンフン級魚雷艇には、RWR(レーダー警報受信機)など付いていない。したがって、韓国海軍リンクスからレーダー照射を受けていることに気付かなかった。
だが、航海用レーダーは高速で接近するヘリコプターと思われる目標を探知していた。西側……外洋の方向から近付く回転翼機。まず確実に、軍用ヘリコプターだろう。
運が良ければ、南韓のヘリコプターが装備している兵器は対潜魚雷だけで、こちらを攻撃する手段を持っていないかもしれない。だが、戦場で幸運を当てにするのは、愚かなことである。チャ上尉は、手すきの乗組員に対し、徹底した対空捜索を命じた。残っている前部一番銃塔には、もちろん兵員が配置され、いつでも対空戦闘が可能な状態にある。一人の中士が、この作戦のために特別に貸与された9K38イグラ携帯式地対空ミサイルのランチャーを担いで、後部デッキに立った。
目標との距離が、八海里を切った。
シースプレイ3レーダーが、目標追尾モードに切り替えられる。細く絞られたペンシル・ビームが目標に浴びせられ、固定された。これで、目標が動いても自機が移動しても、自動的に修正が行われて目標にペンシル・ビームが照射され続けることになる。
リンクスから、シースクアが投下された。すぐにブースターに点火し、一瞬後部から盛大に白煙を噴き出した弾体が、オレンジ色の炎の尾を引きながら飛翔を開始する。ブースターは約二秒で燃焼を終了し、炎の尾は見えなくなった。以降は巡航用ロケットエンジンが推進力を供給することになる。レーダー波に導かれ、シースクアは目標に向けて洋上を突っ走った。
見張り員の一人が接近してくるシースクアを目視し、警告の叫びを上げる。
シースクアは対艦ミサイルとしては小型である。直径はわずかに二十五センチ。全長も、二メートル半と小柄である。したがって、視認性は悪く、見張り員に発見された時には、すでにあと千メートルほどの位置に迫っていた。
14.5ミリ/ガトリング機関銃に取りついていた水兵が、急いで銃口をシースクアに向けて発砲を開始する。だが、亜音速で飛来する小さな目標に、いくら発射速度が速いからとはいえ目視照準で機関銃弾を命中させることなど、よほどの僥倖に恵まれない限り無理な話である。発射された百発を超える14.5×114mm弾は空しく青空に吸い込まれてゆき、シースクアはシンフン級魚雷艇のほぼ船体中央部に命中した。
シースクアの弾頭は、その小柄な弾体に合わせて六十二ポンド(約二十八キログラム)と控えめである。だが、小艇を破壊するには、充分すぎるほどの威力だ。
シンフン級は、文字通り真っ二つに裂けた。船体前部は、そのまま海に叩き込まれるようにしてすぐさま海面下に消える。後部は横倒しになり、激しく炎上しながらしばらく洋上を漂っていたが、やがてひっくり返って船底を見せると、そのまま沈んで行った。
のちに韓国海軍と海洋警察庁が該当海域の捜索を行ったが、発見できたのはわずかな漂流物と死体の断片だけであり、乗員は全員が死亡したものと判定された。
「いやーなニュースが入ってきたよ」
コックピットから戻ってきたジョーが、AHOの子ロボ分隊の面々の顔を見渡しながら言う。
CIAのダミー会社が所有するビジネスジェット機、ガルフストリームG650の機内である。眼下には、広大な北太平洋が広がっている。
「はっと! まさか、パイロットがお亡くなりになったのでは?」
シオはとりあえずボケた。
「どなたか操縦のできる方はいらっしゃいませんかぁ~」
ベルがすぐに乗っかる。
「なんて事だ。もう助からないゾ」
亞唯が、続ける。
「ジョージ・ケネディ呼んでくればワンチャンありやな」
雛菊が、笑う。
「で、どのようなニュースですの?」
スカディだけが乗らずに、冷静な口調でジョーに問う。
ジョーが、つい一時間ほど前に黄海で発生した韓国海軍と北朝鮮海軍の衝突事件の概要を説明する。
「偶発的とは思えないな。北朝鮮魚雷艇が囮としてNLLに突っ込んで、釣り出された韓国海軍コルベットが対艦ミサイルを喰らった、という図式だね」
亞唯が、言う。ジョーがうなずいた。
「CIAもそう見ているよ。まず確実に、最高指導者にして朝鮮人民軍最高司令官の命令で行われた作戦だろうね。韓国に対するメッセージだよ。一刻も早く、ミョン・チョルスを返せ、とね」
「完全に、韓国によって拉致されたと信じ込んでいるようですわね」
スカディが、ため息交じりに言った。
「人的被害はどの程度なのでありますか?」
シオは訊いた。軍艦ならまた建造すればいいが、人の命はそうはいかない。
「まだ救助作業が続いているからはっきりしないけど、確実なのは哨戒艇の死傷者が数名出ていることだね。撃沈されたポハン級の乗員が百名近いから、楽観的に見てもその半数は死傷しているだろうね。北朝鮮魚雷艇も、たぶん生存者は居ないだろうね。南北合わせて。死者五十名以上は確実だね。下手をすれば、三桁の可能性もある」
ジョーが答える。
「北朝鮮魚雷艇に生存者がいても、韓国人に放置されそうやな」
雛菊が、ぼそっと言った。
「韓国政府の反応はいかがですかぁ~」
ベルが、訊く。
「今のところ、茫然自失といったとこだね。マスコミは大騒ぎしてるけど、国民は冷静だ。というか、北の攻撃は慣れてるからね。感覚が麻痺してるんだと思うよ。軍の方は即応体制に入ったけど、これもポーズだね。報復するつもりは無いよ」
「このあたりは、いつも通りですわね」
ジョーの説明に、スカディがうなずく。
「とにかく、早いとこミョン・チョルスを北に返してやらないと、大変なことになりかねないよ」
ジョーが、続けた。
「どこから発射したかは判らないけど、最新鋭の対艦ミサイルを使ってまで武力による脅しを掛けてきたんだ。たぶん、あと数日待って韓国側が何もリアクションを起こさなければ、第二弾を仕掛けて来るだろうね。国境線での砲撃か、特殊工作員の越境攻撃か、潜水艦による襲撃か、航空機による奇襲攻撃か。いずれにしても、今回の攻撃よりも規模は大きくなるはずだ。最悪の場合、韓国軍が報復攻撃に出て、なし崩し的に朝鮮戦争再開、なんてことになりかねない」
「そこまでは行かんやろ」
雛菊が、突っ込み気味に言う。
「実はCIAでも金正恩のパーソナリティに関して詳しくは掴んでいないんだよね。それなりに現実主義者ではあるんだけど、北朝鮮をどう導いていくのかビジョンが見えていないと言うか」
「本人も迷っているのではないでしょうかぁ~」
ジョーの言葉に、ベルがそう述べる。
「かも知れないね。ともかく、金正恩の出方に関しては計算できない、というのが現実だよ。暴走させないためにも、ミョン・チョルスを救出しないと」
「とは言え、今のあたいたちには、大人しく座っている事しかできそうにありませんが!」
シオはそう指摘した。
「……まあ、そうだね」
ジョーが、うなだれ気味に応じる。
ガルフストリームG650が、カリフォルニア州にあるビール空軍基地……州都サクラメント市の北方六十キロメートルほどのところに位置する……に到着したのは、明け方のことであった。ちなみに、同基地の名称はビール(Beale)という姓を持つ人物に由来しており、アルコール飲料とは無関係である。
『ハンビ・オライオン』阻止作戦……一応、『グレイパロット』(ヨウムの意)という作戦名が付与されていたが……の準備は着々と進んでいた。すでに、合衆国空軍第27特殊作戦群第9特殊作戦飛行隊に所属するMC‐130JコマンドーⅡが、ニューメキシコ州キャノン空軍基地から飛来し、駐機場で翼を休めていたし、基地内には『ゼロ・ハリバートン』の技術者も待機していた。AI‐10たちは、充電を済ませるとさっそく空軍、海軍、海兵隊そしてCIAの代表者からなる打ち合わせに呼ばれ、そこで作戦概要に関するブリーフィングを受けた。
すでに、『ハンビ・オライオン』は合衆国海軍のヴァージニア級原子力潜水艦『ミシシッピ』の追尾を受けていた。今夜ビール空軍基地を飛び立ったMC‐130JからAI‐10六体が『ハンビ・オライオン』に潜入し、『エイコーン(どんぐり)』というコードネームを与えられた保護対象者……軍関係者には、ミョン・チョルスの正体を伏せている……を確保する。夜が明けてから、待機していた艦隊から海兵隊を乗せたMV‐22BオスプレイとUH‐1Yヴェノムが発進し、『ハンビ・オライオン』に降着、これを制圧し、『エイコーン』を救出する。
「ワスプ級強襲揚陸艦とアーレイ・バーク級駆逐艦二隻。ちょっと、やり過ぎな気がしますが」
作戦について意見を求められたスカディが、戦力組織表に記されている参加艦艇の部分を見て、遠慮がちに感想を述べる。
「西海岸で空いていた艦が『ボクサー』とその随伴艦しかいなかったんだ。わざわざ他の艦をサンディエゴから呼び寄せるのもカネが掛かるしね」
出席していた海軍の大佐が、言う。
「戦闘にならないことを期待しているが、楽観はできない。君たちが潜入してから、艦隊による接触まで、直接的な支援は不可能になる。充分に気を付けてくれたまえ。幸い、諸君らは経験豊富と聞いている」
CIAの担当者が、ジョーを除くAI‐10五体を見回しながら言った。
「となると、充分に武装していく必要があるね」
亞唯が、ずけずけと言った。
「もちろん、考慮する」
「C4をたっぷりと用意して欲しいですぅ~」
期待に眼を輝かせながら、ベルが申し出る。
「いいだろう」
隣に座っている海兵隊の中佐と視線を交わしながら、CIAの担当者がうなずいた。
打ち合わせが終わると、AI‐10たちは『ゼロ・ハリバートン』の準備に入った。金属棒が突き出ている銀色のアタッシェケースのような本体……俗称は、アルミニウム製のケース類で有名な企業にちなんでいる……を背負って、ハーネスの長さを調節する。その状態で、逆側に取り付けられたシュラウド・リング付きプロペラを低速回転させ、異常がないか確かめる。すでにAHOの子ロボ分隊の面々は、『実戦使用』したことがあるので、操作方法は熟知している。ジョーは初めてだったが、他のAI‐10たちのアドバイスを受けて、すぐに操作のコツを呑み込んだ。ヘアドライヤーと玩具の光線銃を掛け合わせたような外観のYAGレーザー発振器の使い方も、教えてもらう。これを目標に照射すれば、金属棒の先端にあるシーカーヘッドがレーザー反射を拾い上げて、自動的に照射地点に導いてくれる仕組みである。YAGレーザーは不可視の近赤外線レーザーなので、人間が使う場合は赤外線ビューワーで光束を確認しなければならないが、AI‐10なら赤外線モードを使えるので、ビューワーは必要ない。
『ゼロ・ハリバートン』の訓練が終わると、AI‐10たちは、CIAが入手した『ハンビ・オライオン』の各種図面と、MQ‐9が撮影した写真を使って、実際の潜入手順の打ち合わせに入った。
「特に警戒厳重というわけではないと思うよ! 近くに船影がある状況ならともかく、洋上で乗り込まれるとは想定していないはずだからね」
写真を指し示しながら、ジョーが言う。
「いっそのこと、あたいたちだけで『ハンビ・オライオン』を制圧するのはいかがでしょうか?」
シオは半ば冗談でそう提案した。
「不可能ではありませんわね。しかし、それだとまず確実に銃撃戦になりますし、死体がごろごろ転がることになりますわね」
スカディが、指摘する。
「仕方あらへん。朝まで待ってたら不測の事態が発生するかもしれんし」
雛菊が、乗り気で言う。
「じゃあ、強襲作戦に切り替えて打ち合わせをやり直すか」
亞唯が、いったん脇に置いた図面を再びテーブルの真ん中に広げる。
「では、わたくしのC4の出番なのですねぇ~。腕が鳴りますですぅ~」
ベルが、嬉しそうに身を乗り出す。
「やめてよ! 後始末をしなきゃならないのはCIAなんだから! ミョン・チョルスを救出して、事情聴取の上速やかにピョンヤンに引き渡す! イム・ソヒョンとその側近を捕まえて事件の全貌を明らかにする! 『ハンビ・オライオン』の乗員は充分に脅して口止めし、何も見なかったことにして予定通りロサンゼルス港に入港させる! マスコミにも韓国政府にも何も気づかれずに作戦遂行しなきゃダメだよ! 乗員に死傷者が続出なんてことになったら、隠蔽できないよ!」
ジョーが、慌てて割って入った。
第十八話をお届けします。




