第十六話
魚雷艇。その名の通り、魚雷を主兵装とするFAC(高速攻撃艇)の一種である。
魚雷艇の登場は当然『魚雷』の発明以降になるが、それ以前にも類似の『水雷艇』と呼称される艦種が存在した。だがこれは外装水雷(先端に爆雷を装着し、敵艦に押し付けて爆破する棒状の兵器)を装備したいわば『特攻兵器』に近いものや、曳航機雷、浮流機雷などを搭載した機雷敷設艦(艇)に近いものであり、海軍艦艇の中でその戦力としての存在は薄く、補助戦力的な立場の目立たないものであった。
これが、魚雷……自走できる水雷……の登場で一変する。水雷艇の時代でも、幸運に恵まれれば小艇でも大型艦を撃沈できることは証明されていたが、その『カミカゼ』的……もちろん当時はそんな用語は存在しなかったが……な運用や敵が引っ掛かってくれるのを待つ、という受動的な運用ゆえに大きな戦果を挙げることは稀であった。だが、魚雷という遠距離から積極攻勢が可能な兵器を搭載し、魚雷艇に生まれ変わった水雷艇は、水上戦力としての存在意義を飛躍的に高めることになる。
当初登場した魚雷艇は、魚雷落射機……魚雷を舷側に投げ出すための装置……を備えていたが、それはすぐにより正確な発射が可能なチューブ状の筒に魚雷を収めた魚雷発射管に取って代わられた。
初期の魚雷は射程も短く、雷速も遅く、また機械的故障も多い代物だったが、弾頭威力だけは現代の対潜用短魚雷と同等の力を持っていた。それらも徐々に改良され、弾頭威力も向上した結果、命中さえすれば巡洋艦ならば当たり所によれば一発で、戦艦でも数発当てれば撃沈できるほどの能力を持つようになる。
この新型兵器に、予算不足に悩む中小国海軍は飛びつくことになる。戦艦一隻の建造費で、複数の魚雷艇戦隊を保有することができるのだ。いかなる大艦隊であっても、迂闊に敵国沿岸に近づけば、魚雷の集中射を受けて大損害を受けて逃げ帰るしかない。もはや海防戦艦(沿岸防衛専用の戦艦)など時代遅れ、と多くの国の海軍が考えることになる。
このような事態に慌てたのが、当時世界最強であった英国海軍である。多額の予算を費やして建造した排水量一万トンを超える戦艦が、魚雷艇などという漁船に毛が生えたような小艇によって撃沈されたのではたまったものではない。魚雷艇から戦艦や巡洋艦を守る『フネ』が必要である、という発想が生まれ、研究が行われるようになるのは必然であった。
こうして、新たな艦種が誕生することになる。艦隊の護衛という任務上、外洋航行能力は必須なので、排水量は魚雷艇よりもはるかに大きくなる。高速の魚雷艇を追いかけまわすから、こちらも速度を重視し、充分な馬力を有する。敵は機動性のある小艇なので、備砲は威力が低いが発射速度に勝る小口径のものを複数装備。さらに敵の大型艦に備えて魚雷発射管も装備する。
イギリス海軍は、この新艦種にTorpedo boat destroyer(魚雷艇破壊者)というそのものずばりの名称を与えた。これはいささか長すぎたので、のちにこの艦種は単に『デストロイヤー』と呼ばれるようになる。これが、現代においても世界中の主要海軍国で運用を続けられ、空母や巡洋艦を持たない海軍においては主力艦として活躍している『駆逐艦』の歴史の始まりである。
この新艦種『駆逐艦』は、やがて各国海軍において大量採用されることになる。魚雷艇に対抗するだけではなく、かつてのフリゲート(近代のフリゲートではなく、帆船時代のフリゲートである)のように、多用途に使えるフネであると評価されたのだ。
さらに魚雷艇にとって残念なことに、駆逐艦には魚雷を使用した対艦攻撃任務も与えられることになる。やがて駆逐艦は、魚雷艇では行えない外洋での魚雷攻撃だけではなく、沿岸域での魚雷攻撃も担当するようになる。……魚雷艇の縄張りを、侵し始めたのだ。
平時には、味方の駆逐艦によって仕事を奪われ、戦時には敵の駆逐艦によって追い散らされる……。魚雷艇が花形であった時代は短かく、結局は水雷艇時代と変わりない補助戦力の地位に甘んじることになる。
その後、技術の発達により誘導魚雷が開発されると、魚雷艇は再び脚光を浴びることになる。かつての魚雷艇は、高速を武器に敵艦に肉薄し、搭載する魚雷を発射するという良く言えば勇ましい、悪く言えば博打的な攻撃方法を取らざるを得なかったが、有線誘導魚雷を使用すれば、島陰に身を隠したまま接近してくる敵艦に対し魚雷攻撃を行う、といったより柔軟な戦術を選択できるようになったのである。
これにより、一部の中小国海軍において魚雷艇の地位は再び向上する。ライバルとして対艦ミサイルを搭載したミサイル艇が現れたが、初期のミサイルは性能が低く、魚雷艇を完全に駆逐するには至らなかった。
だが、より高性能な対艦ミサイルの登場により、魚雷艇はまたもや活躍の場を失いつつある。多くの海軍で、魚雷艇は早期退役に追い込まれて姿を消しているし、生き残っている魚雷艇も、魚雷を対艦ミサイルに換装されてミサイル艇に生まれ変わったり、魚雷発射管を減らして対艦ミサイルを搭載するハイブリッドタイプに改造されたりして任務を続けているのが現状だ。だが、海軍予算が潤沢ではない国家では、依然として旧来の魚雷艇が現役である。その任務は対艦攻撃ではなく、ほとんどが沿岸哨戒や洋上警察行動ではあるが、軍務であることには変わりない。
そして今、黄海南道の康翎郡沖合いを航行中のシンフン級魚雷艇は、まさしく昔ながらの魚雷艇の遺伝子を持つ生き残りの一隻であった。全長は二十三メートルほど。操舵室の左右に、一基ずつ533ミリ魚雷発射管が装備されており、中には中国製Yu‐4対艦長魚雷のコピーが収まっている。副武装は、元々は艇体前部と後部に備えられた14.5ミリ連装機関銃だったが、これは北朝鮮オリジナルの14.5ミリガトリング式機関銃に換装されている。ディーゼルエンジン二基搭載で、最大速度は五十ノットを叩き出すことが可能だ。
艇長であるチャ上尉(大尉と中尉のあいだの階級)は、操舵室の前に立ち、双眼鏡で前方を観察していた。天候は快晴。視程は極めて良好である。
四十ノットで南下する魚雷艇の前方には、南側が言うところの『NLL』(北方限界線)があった。実質的に、黄海……朝鮮名 西海の北朝鮮と韓国の海上境界線となっているラインである。北朝鮮では、公式にはNLLの南側に『海上軍事境界線』を設定し、その北側にある韓国領の島々……延坪島、大青島、白翎島などへの安全航路を除き、北朝鮮が実効支配すべき海域と宣言しているが、実際には韓国側との衝突を回避するために通常はNLL以南への侵入は自粛している。
だが、チャ上尉がヨンホ島にある基地で受けた命令は、このNLLを単独で突破せよ、というものであった。深く南下し、南韓の艦艇を外洋におびき出せ。ただし、海上軍事境界線を越えてはならない。戦闘も極力回避し、自衛のためやむを得ぬ場合以外は発砲してはならない。また、その際にも南韓の民間船舶や民間人に被害が及ばぬように努めること。
つまりは、囮任務である。
この危険極まりない任務を、チャ上尉は嬉々として受け入れた。模範的な朝鮮人民海軍であるチャは、南韓の連中に一矢報いる機会を長年待ちわびていたのだ。
韓国海軍 浦項級コルベット『金堤』は、泰安半島の北西沖を北上していた。
ポハン級は、1980年代半ばから建造が開始された沿岸哨戒用コルベットである。二十四隻という多数が建造され、長年韓国の沿岸を守ってきた。特筆すべきはその重武装ぶりである。建造時期により差異があり、また後日換装/追加された装備も多いが、後期型である『キムジェ』の場合は、満載排水量千二百二十トンの船体に、76ミリ自動砲二門、40ミリ連装機関砲二基、ハープーン対艦ミサイル連装発射筒二基、Mk32三連装対潜短魚雷発射管二基、ミストラル近接防空ミサイル、対潜爆雷投下軌条二基、近接戦闘用の12.7ミリ重機関銃と7.62ミリ汎用機関銃を備えている。これは、一回り大きな小型フリゲート……満載排水量千七百トン程度か……に相応しい量の艦載兵装と言える。
北朝鮮の小艇と正面から撃ち合って負けないだけの火力が必要、という運用上の要求は理解できるが、この重武装のおかげでポハン級はかなり『窮屈』な設計になってしまったのは否めない。このような設計は、復元性の低下、居住性の悪化、ダメージコントロールへの悪影響などを及ぼすので、最近の軍艦設計では『悪手』とされているのだが、韓国海軍当局はとにかく『兵装を詰め込む』のが好きらしく、最新鋭駆逐艦でも諸外国の艦にくらべVLSのセル数が多いなど、『重武装』の傾向がある。まあ、軍艦の兵装など、その国を取り巻く政治・軍事環境や海軍ドクトリン、さらには経済・予算状態や国民性、潜水艦を含む他の艦艇の装備や洋上航空戦力との兼ね合いなどによって左右されるものであるから、他国の一般人が口を出す事柄ではない、と言ってしまえばそれまでであるが。
そのポハン級であるが、初期に建造された艦は、すでに退役している。状態のいい艦は、外国にそのまま供与され、すでにペルー、ベトナム、フィリピン、エジプト、コロンビアにて再就役している。『キムジェ』は90年代建造の艦なので、まだ現役に留まっているが、数年後には新型の大邱級フリゲートに取って代わられる形で退役することになるだろう。
艦長のオ中佐は、ブリッジで液晶ディスプレイの態勢図を見つめていた。NLL目指して突っ込んでくる敵小艇との距離は、約六十キロメートル。すでにチャムスリ型哨戒艇二隻が迎撃に向かっているが、同哨戒艇の武装は40ミリ機関砲一門、20ミリガトリング機関砲(シーバルカン)二門だけである。北朝鮮艦艇相手だと、先制攻撃するのが政治的に難しいので、先手を取られた場合撃ち負けてしまうおそれがある。
「水測、警戒を厳に」
艦内電話を取り上げたオ中佐は、水測員に念入りな対潜警戒を命じた。『キムジェ』はハルソナー(船底ソナー)として、レイセオンのDE‐1167(AN/SQS‐58)を備えている。フリゲート・コルベット用の標準的対潜ソナーDE‐1600シリーズのひとつで、原型はオリバー・ハザード・ペリー級フリゲートなどに搭載されているAN/SQS‐56であり、同種のものが西側各国海軍にも採用されている。DE‐1167は中周波ゆえに遠距離探知はできないが、近距離の精密探知能力は優れている。ただし、今は高速航行中なので、その性能は極端に低下していたが。
オ中佐の脳裏に浮かんでいたのは、『天安』の悲劇であった。2010年に、ここから百四十キロほど離れた位置にある白翎島の沖合いを航行中だった同じポハン級コルベット『天安』が、突然爆発を起こして沈没し、四十六名が死亡するという惨事となった。
事故説や朝鮮戦争時の機雷説も唱えられたが、韓国国防部はこれを『北朝鮮潜水艦による奇襲攻撃』と断定している。
小艇でNLLを超えても、すぐに韓国海軍によって撃退されるから政治的にも戦術的にも意味はない。小艇は囮で、これによって韓国海軍艦艇をおびき寄せ、天安沈没事件の再来を狙っているのではないか、とオ中佐は危惧していた。近年、韓国海軍はその対潜能力を質量ともに向上させてはいるものの、いまだ北朝鮮の潜水艦戦能力は脅威である。
北方限界線を越えたところで、チャ上尉はレーダーの作動を命じた。
シンフン級魚雷艇が装備しているのは、北朝鮮小艇御用達の古野電機の民生用レーダーではなく、旧ソ連製の古いザルニツァ・レーダーである。
「レーダー発振探知。Sバンド。捜索モードです」
『キムジェ』のブリッジで、電測員が報告する。
延坪島の西でNLLを超えた北朝鮮小艇は、なおも南下していた。チャムスリ型二艇は、無理に北朝鮮艇の進路を塞ごうとせずに、その東側に位置し、ヨンピョン島を守るような態勢に入っている。交戦を避けつつ、東から圧力を掛け、南方から接近しつつある『キムジェ』と連携し、北朝鮮艇を西へ追い出そうという作戦である。
「目視報告が入りました。目標をシンフン級魚雷艇と識別」
通信をモニターしていた副長のキム少佐が、そう報告した。
オ中佐は、表情には出さなかったが安堵した。対艦ミサイル搭載艇を相手にすることを、内心恐れていたのだ。北朝鮮が生産しているKN‐1(中国製シルクワール・ミサイルのコピー)は高性能ではないが、CIWSを搭載していない『キムジェ』にとってはかなりの脅威となる。
ザルニツァ・レーダーが捉えたデータが、音声無線……データリンクなどというハイテクは、朝鮮人民海軍には無い……で司令部に伝達される。
南方に、千トン級の艦あり。……囮としての『戦果』は、これで充分だろう。
チャ上尉は安堵した。とにかく、任務は果たした。
まともな軍人であれば、ここで急回頭を命じ、自国領海……主張している領海ではなく、実効支配している領海まで……急ぎ逃げ出すところだろう。だが、残念なことにチャ上尉は『まとも』ではなかった。いや、朝鮮人民軍軍人としては、『まとも』なのかも知れない。とにかく彼は、南朝鮮への憎しみに凝り固まった人物だったのだ。宿敵を目の前にして逃げ帰る、などという選択肢は、最初からなかった。
「目標、東の敵艦、右側。より本艇に近い方だ。銃塔一番、二番。照準せよ。機関最大。針路そのまま」
チャ上尉は矢継ぎ早に命じた。艇体前部と後部のガトリング銃塔がくいっと回り、銃口が左舷に指向される。
「撃ち方始め!」
チャの命令で、14.5ミリガトリング機関銃が唸りを上げ始めた。凄まじい数の銃弾が、距離を置いて並走するチャムスリ型哨戒艇に注ぎ込まれた。一番銃塔の銃弾は艇前部の四十ミリ機関砲塔を叩き潰し、二番銃塔の銃弾は上構後部の上に置かれていたシーバルカン銃塔を引き裂いた。
すぐさま、後部甲板のシーバルカンと、甲板上のK‐6重機関銃から応射が来る。二十ミリ機関砲弾数発が、シンフン級魚雷艇に命中したが、ガトリング銃塔は射撃を続けて、チャムスリ型の露天戦闘指揮所とその下の操舵室、さらに後部シーバルカン銃塔を破壊した。黒煙を吐きながら、チャムスリ型が徐々に速度を落としてゆく。僚艇が、かばうかのように横に並んで、四十ミリと二十ミリを撃ち始めた。
「針路2‐7‐0。回避機動開始!」
チャ上尉はすかさず命じた。シンフン級魚雷艇が、機敏に回頭し、遁走に掛かる。後部二番銃塔が発砲し、二隻目のチャムスリ型の船体に穴を開ける。だが、お返しに四十ミリ砲弾の直撃を喰らい、沈黙した。
「負傷者救護を急げ! このまま逃げるぞ!」
チャは興奮のあまり甲高くなった声で命じた。さすがに撃沈は無理だったが、南朝鮮の哨戒艇を撃破したのだ。宿願は果たした。あとは、艇長の無茶に付き合わせてしまった部下たちを、基地に連れ帰らねばならない。
チャムスリ型哨戒艇の主機は、ディーゼルエンジン二基。これで、最大三十四ノットを出す。対するシンフン級魚雷艇は、同じくディーゼルエンジン二基ながら、カタログデータ上では五十ノットを叩き出す。老朽化によりさすがに五十ノットは無理だったが、シンフン級は徐々に追うチャムスリ型を引き離して行った。後ろから四十ミリ機関砲が放たれるが、レーダー照準ではなく目視照準なので、回避機動を行うシンフン級に命中弾を与えることができない。
外れた砲弾が上げる小さな水柱を縫うように、シンフン級は遁走を続けた。
第十六話をお届けします。




