第十三話
アカガシ林の下生えとなっているササをかき分けて進むこと五分。AI‐10一行はハンビ建設密陽複合施設を囲っている高さ三メートルほどの外周金網フェンスにたどり着いた。
シオはヤブツバキの茂みを押し分けるようにして、フェンスの内側を覗いた。
敷地内の大半は、すでに闇に包まれていた。遠くに見える正門付近と、その近くに集まっている管理用の建物群あたりは煌々と白っぽい照明で照らされているが、他の部分では建物の窓から幾許かの明りが漏れていたり、街灯のような屋外照明が点灯したりしている程度である。
「なんか、あそこだけ妙に明るいな」
亞唯が、右手奥の方を指差した。七百メートルほど離れた位置にぽつんと建っている鉄筋コンクリート造りらしい角ばった建物の周囲が、やけに明るく照明されている。遠いので詳細は判らないが、闇の中で目立っている。
「CIAの調査だと、研修施設のひとつだね。怪しいことは怪しいけど……」
目を凝らしながら、ジョーがつぶやく。
「そんなん、近付いてみれば判るやろ」
ワイヤーカッターを取り出した雛菊が、身振りで切ってもいいか、とスカディに問う。
「周囲は異状無さそうね。いいわ、切ってちょうだい」
スカディが、許可を出した。雛菊が、すぐにぱちんぱちんと金網を切り出す。CIAの事前調査で、フェンスにはセンサーの類は付いていないし、電流も流されていないことは判っている。
ベルのサポートを受けながら、雛菊が大きなL字を描くように金網を切ってゆく。
「こんなもんでええやろ」
満足した雛菊が、ワイヤーカッターを仕舞った。ベルが、金網フェンスの切れ目が入った部分を手前に引き上げる。
「異常なしだ、リーダー」
亞唯の確認を待ってから、スカディがフェンスをくぐって敷地内に入った。シオも、MPi‐KMを抱えて続く。
最後にくぐったベルが、金網を元に戻した。透明なビニールテープで三か所ほどを補修して、遠目には異常がないようにごまかす。ジョーが、すぐそばのフェンスの柱に透明な特殊塗料を塗りつけた。近寄って肉眼で見ても樹液か何かが張り付いているとしか見えないが、数時間は赤外線を放射するので、暗視モードのAI‐10には明瞭に視認することができる。
一同は前進を開始した。とりあえず、七百メートル前方の怪しい建物を目指す。
すぐに行き当たったのは、土がむき出しになっている細道であった。フェンスの内側、三十メートルほど離れた処に、敷地の外周に沿うようにして延々と伸びている。
「四輪駆動車のタイヤっぽいな。外周巡回路兼構内連絡路、ってとこか」
轍を調べた亞唯が、言う。
「お、何か来そうやで」
雛菊が、左方を指差す。
明るい光が、かなりの速度で水平に移動している。まず間違いなく、自動車のヘッドライトだろう。
「外周道路を走ってるな。すぐにこっちに来るぞ」
その必要がないのに小手をかざして移動する光の方を眺めながら、亞唯が言った。
「警備員の車両巡回のようね。ちょうどいいですわ。少しお話をうかがいましょう。うまい具合に、隠れ場所もありますし」
スカディが、近くにあるアカメガシワの茂みを指し示した。敷地内とは言え、この辺りは建設重機や建機ロボットのテストなどに使われているらしく、あちこちに自然のままと思われる立木や茂みが残されているし、底に雨水が溜まっている浅い縦穴や土砂の小山も散在しているので、隠れ場所には困らない。
「おおっ! お待ちかねのごう……もとい、尋問タイムなのでありますね! ですが、どうやって車を止めるのでありますか?」
シオは首を傾げた。もちろん銃撃するわけにはいかない。急に前に飛び出したりすれば、もちろん止まってもらえるだろうが、すぐに無線で応援を呼ばれてしまってこれもうまく行かない。かと言って、道の真ん中に置き石をすると言った地味な手段では気付かれずに素通りされてしまうだろう。
「ボクにいい考えがあるよ。みんな、先に隠れていてよ」
ジョーが言って、スマホを取り出した。あとの五体がそそくさとアカメガシワの茂みに隠れるあいだに、ジョーがスマホをライトモードにして、道端に放置する。これなら、近付けば明瞭に視認できるし、一見誰かがスマホを落したように見えるから、過度に警戒させることもないだろう。
「ジョーきゅん、頭いいのであります!」
皆と合流して隠れたジョーを、シオは誉めそやした。
「亞唯、援護に徹して。雛菊とジョーは、降車した者を拘束。シオとベルは、わたくしと一緒に車内の者を制圧。人員は、多くても三人でしょう。発砲の必要が生じた場合も、PBのみに留めること。それと、全員眼出し帽着用」
スカディが、戦術を指示する。
シオは眼出し帽をかぶると、PBをすぐに抜けるように準備してから、MPi‐KMを抱えた。小さな自動拳銃よりも、突撃銃の方が威圧効果は高い。車内の敵を制圧するには、こちらの方が効果的だろう。
ヘッドライトが近付いて来た。走って来たのは、小型のSUV、ヒュンダイ・ツーソンだった。乗っているのは、二名だけのようだ。
側面にハンビ・セキュリティのロゴマークを描いたツーソンが、路肩の光っているスマホに気付いたらしく、減速した。三メートルほど手前で、ゆっくりと停車する。
数秒の間をおいて、右側……助手席側のドアが開いた。グレイのハンビ・セキュリティの制服を着た警備員が一人、あまり警戒の色を見せずに降りてくる。手にLEDライト、腰に無線機と警棒をぶら下げているだけで、銃器は持っていない一般の警備員のようだ。相棒はハンドルに手を掛けたまま、エンジンの掛かっている車内に留まっている。
降りた警備員が、LEDライトを点灯して落ちているスマホに歩み寄った。周囲をライトで探ってから腰をかがめ、スマホを拾い上げる。
『GO!』
スカディが無線で告げながら、PB片手に茂みを飛び出す。シオとベルも続いた。
制圧はあっという間に終わった。何丁もの突撃銃と消音拳銃を突き付けられたのでは、警棒しか持たない警備員では抵抗のすべはない。
シオとベルは、ツーソンの運転席から警備員を引きずり出した。警棒と無線機を取り上げ、結束バンドで両手首を縛る。そのあいだに、スカディがツーソンのエンジンを切り、ヘッドライトも消灯した。雛菊とジョーも、もう一人の警備員を拘束する。亞唯が、アカメガシワの茂みからゆるゆると出てきた。威嚇するように、肩から吊ったRPKの銃口を、二人の警備員に交互に向ける。
「さて。それでは尋問を開始しましょう。共和国の客人はどこにいるのですか?」
PBの銃口を跪かせた警備員の側頭部に向けながら、スカディが朝鮮語で尋問を開始する。
「お、お前ら何者だ?」
うろたえた表情で警備員が訊く。
「こちらの質問に答えなさい」
スカディが、PBの銃口を警備員の側頭部にぐっと押し付ける。
「特務上士、待ちたまえ」
スマホを回収したジョーが、穏やかな口調でスカディをたしなめた。『特務上士』は、特務曹長に相当する北朝鮮軍の階級である。以前は同じ名称の階級が韓国軍にもあったが、今は改称されているので、これを聞けばこちらの所属が北朝鮮だということが判るだろう。案の定、二人の警備員がびくりとする。
「質問に答えて欲しい。特別なゲストがこの施設にいるはずだ。どこにいるのかな?」
親密ささえ覚える口調で、ジョーが二人の警備員に訊いた。
「特別なゲストって……」
「あれ、のことかな」
二人の警備員が、顔を見合わせる。
「あんたらの言っているゲストと関係あるのかどうかは判らないが、一週間ほど前から特殊警備の連中が何人も入ってきた」
ややあって、警備員のひとりが説明を始めた。
「E区にあるハンビ・リテールがよく使っている研修施設の警備をやっている。おれたちは上司からそこには立ち入るなと厳命された。あんたらの探しているゲストは、そこに居るのかもしれない」
「あそこにある、明りが点いている建物だね?」
ジョーが指をさす。
「ああ。あそこだ」
警備員が、うなずいた。
『嘘は言っていないようですわね』
スカディが、無線で全員に告げる。
ジョーがさらに尋問を続けた。AI‐10たちが北朝鮮のロボットだと信じ込まされた警備員二人は、素直に答えてゆく。ここは国家の重要機密を管理する施設でもなく、北韓の工作員が破壊工作を試みたくなるような施設でもない。警備員たちの警戒対象となっているのは、ライバル会社の産業スパイか地元の窃盗グループがせいぜいである。北韓の武装ロボットを相手にするだけの覚悟はなかったし、それに見合っただけの給料も貰っていないのだ。
『訊きたいことはだいたい訊けたね。特殊警備員は約二十名。ほとんどがK2突撃銃で武装。二交代制であの研修施設に詰めている。交代は朝の八時と夜の八時。つまり、今は夜勤組が警備しているわけだ。人数は約十名。周辺に、普通の警備員はいない。防犯センサーの類は、屋内と外扉にあるけど、特殊警備の要請で今は切ってある』
ジョーが、警備員たちから聞き取った例の建物の警備状況を整理する。
「もうひとつ、確認しておきたいことがありますわ。ハンビ・ホールディングスのイム・ソヒョン部長のことは、ご存知ですわね?」
スカディが、鋭い口調で警備員の一人に訊く。
「知ってる。何度も来てるから」
「今ここに居るかしら?」
「たぶん居ないと思う。来るなら事前に通達があるはずだし、しばらく……少なくとも、今週に入ってからは見ていないよ」
警備員が答えた。相棒も、盛んにうなずいて同意する。
『どうやら、イム・ソヒョンは別行動のようね』
スカディが、無線で言った。
『イム部長の所在は今はどうでもいいのであります! それよりも、さっさと強襲するのであります! 十人くらいなら、たとえ突撃銃で武装していてもあたいたちの敵ではないのであります!』
シオは無線でそう主張した。
『賛成だね。ぐずぐずしていると、こいつらの仲間が何か勘付くかもしれない』
亞唯が、跪く二人の警備員をRPKの銃口で指し示しながら言う。
『それがいいわね。では、彼らを『始末』して、例の研修施設へ向かいましょう』
スカディが、決断する。
うまい具合に、すぐ近くに掘ったばかりらしく雨水が溜まっていない浅い穴があった。AI‐10たちは、警備員二人にその穴の中に入るように命じ、一人は足首も結束バンドで拘束してから口にダクトテープを張った。もう一人には、自動注射器でケタミンを注射してから、手首の結束バンドを切ってやる。
これなら、ケタミン注射を無駄遣いすることもないし、拘束されたままの二人が誰にも発見されないまま長時間放置される、といった事態も避けられる。
『始末』を終えた一同は、足早に研修施設へと向かった。三百メートルほど離れた地点で一旦停止し、砂利の山に隠れながら状況を観察する。
「怪しすぎだな。正面入り口の前に立哨が一人。建物の外周を巡回しているペアが一組。ペアがK2装備。立哨はK2なし。おそらく、窓から外を見張っている奴もいるな」
一番光学関連が強化されている亞唯が、そう報告する。
「強襲するとなると、銃撃戦は避けられないわね。まあ、撃ち合いになっても負けることは無いでしょうが、なるべく死傷者は出したくないのだけれど……」
スカディが、考え込みながら言う。
「爆薬を使った囮作戦はいかがでしょうかぁ~。近くで爆発が起これば、特殊警備員さんたちの注意も逸れると思いますですぅ~」
ベルが、いそいそと提案する。
「はっと! シオは思いついたのであります! 警備員が乗って来たヒュンダイ車を使って接近するというのはどうでしょうか!」
「お、シオ吉冴えてるで。ここで元々警備やっとる連中なら、近付いても怪しまれんで」
雛菊が、シオのアイデアに乗り気になる。
短い打ち合わせの結果、シオとベルの出したアイデアはかなりの修正を加えられたものの、採用されることとなった。
亞唯と雛菊が、急いで引き返してヒョンデ・ツーソンを取りに行く。そのあいだに、スカディ、ジョー、シオ、ベルの四体は、研修施設の右手……樹木が多く、身を隠し易い……からゆっくりと接近していった。
『これ以上は無理ね。亞唯、雛菊。作戦開始』
研修施設まで五十メートルほどの位置から、スカディが無線を送る。これ以上近付くと、建物の外周に設置されている照明に照らされるので、まず確実に見つかってしまう。
ほどなく、エンジン音が聞こえてきた。眩いヘッドライトを煌めかせながら、ヒョンデ・ツーソンが研修施設に通じる小道を低速で走ってくる。
すぐに、特殊警備員たちが反応した。巡回中だった二人は、肩に掛けていたK2を手にし、銃口を下に向けたまま駆け寄って来た。正面入り口の一人は、無線を手に取ってどこかと連絡を取り始める。
『行きましょう』
見張りの注意が逸れたことを見て取ったスカディが、前進を命ずる。四体は、なるべく樹木の陰に隠れながら、足早に研修施設に近付いた。最後の十五メートルは、遮蔽物がまったく無かったので、ダッシュで突っ切って、建物外壁に張り付く。
侵入口として予定していた窓は、やはりロックが掛かっていた。中は簡素な長テーブルと椅子が並べられた広い部屋で、おそらく研修室のひとつなのだろう。もちろん無人で、照明も消されている。
ベルがごく少量のセムテックスを窓のロック部分に張り付け、信管を押し込み、上から畳んだタオルを押し付け、ダクトテープで固定した。……わずかでも、爆発音を押さえようという工夫である。ガラスを切って入る方が静かに侵入できるが、あえて『爆破』を選んだのは、別にベルの趣味ではなく、敵の注意を引くためである。
『亞唯、そちらはどう?』
ベルの爆破準備を横目で見ながら、スカディが無線で訊いた。
『今車を停めた。いつでもいいぞ』
『こちらもOKですぅ』
無線を傍受していたベルが、準備完了を告げる。
『では、五秒後に。4、3、2、1、開始』
スカディのカウントダウンと同時に、ベルが信管に通電した。ぼん、というくぐもった爆発音……いや、せいぜい破裂音程度か……とともに、窓ガラスが派手に割れ、ロック機構が破壊される。素早くジョーが窓を引き開け、PBを構えたスカディが研修室に踊り込む。シオも急いで続いた。
第十三話をお届けします。




