第四話
AI‐10。それまで建機ロボや自立作業ロボ、民間警備ロボ、さらには自衛隊制式の警備支援ロボなどいわゆる『硬質ロボ』ばかりを手がけてきたアサカ電子が、初めて製作、販売に踏み切ったペットタイプの家事ロボットである。
三頭身のユニークな体型。知性を感じさせない顔面部の造作。愛玩ロボット以外では世界初となる、ユーザーにより調節可能なランダム失敗機能(いわゆるどじっ子機能)の標準搭載。そして、AHOとも読める型式名から、すぐに『アホの子ロボ』と呼ばれるようになったAI‐10は、その高機能振りにも関わらず比較的安価だったこともあり、初年度で七万台を売り上げるベストセラーとなった。
「徴用されたロボットに対し被服の供与、貸与は原則的にいたしません。徴用時の服装は自由であり、なしでも問題ありません。なお、徴用中の被服の汚損などに対して補償は一切ございません、か……」
「裸は恥ずかしいのであります!」
マニュアルを小声で読み続ける聡史に、シオが注文をつける。
「俺もお前を裸で送り出すつもりはないよ。一応、女の子だしな。しかし……」
聡史は脳内でシオのワードローブを検めた。その太ましい体型から、パンツだけは成人女性用のSサイズがちょうどいいAI‐10だったが、その他の衣服は子供服であっても大きさが合わない。一応、人気機種なので専用の服が中小のメーカーにより売り出されており、通信販売で容易に手に入れることができるが、着せ替えは聡史の趣味ではないので、手元にあるシオの服は数も種類もきわめて乏しかった。
「水色のワンピースがいいのです! あれはシオのお気に入りなのです!」
「一張羅じゃないか。たぶん、汚れるぞ」
「汚れたらお洗濯すればいいのです!」
「……でも、ミニワンピースじゃ作業用には不向きだなぁ」
腕を組んだ聡史は思案した。
「そういえば」
ふと思い出した聡史は、シオの服が納めてある衣装ケースをかき回した。奥から、ビニール袋に包まれたままの服を引っ張り出す。
「買ったけど、まだ着せてなかったんだ」
ビニールを破り、中身を取り出して広げる。
黒のスパッツ。もちろん、AI‐10専用のサイズである。
「これなら、激しく動いてもパンツが見えないのです!」
シオが、喜ぶ。
「じゃ、服装はこれで決まりだな」
「マスター、充電完了したのであります!」
シオが元気よく宣言し、コンセントからプラグを引き抜いた。
聡史は壁掛け時計に眼をやった。午後一時半を少しばかりまわったところだ。
「よし、そろそろ時間だな。着替えようか」
「はいなのであります、マスター!」
シオが、着ていたピンクのワンピースをするりと脱いだ。続いて、水玉パンツに手を掛け、下ろし始める。
「おいおい。パンツまで脱がなくていいだろう」
「マスター! あたいはこれから日本を防衛しに行くのです! 言わば勝負の時なのです! ここは勝負パンツを穿いてゆくべきなのです!」
シオが力説した。
「……たぶんいいこと言った、とか思ってるんだろうが、全裸で片手に脱ぎたてパンツ握り締めた状態で言われても、説得力ゼロだぞ」
聡史は軽くため息をついた。
「いいだろ。好きなパンツ穿いてけ」
「ありがとうなのであります!」
膝立ちになったシオが、衣装ケースに頭と腕を突っ込んだ。白と緑色の縞パンを引っ張り出し、素早く身につける。
「やっぱり、勝負パンツは縞パンに限るのです!」
水色のミニワンピースと黒いスパッツを着込んだシオが、動き易さを確かめるかのようにくるくると歩き回った。
「これで準備はばっちりなのであります!」
「わかったから、少し落ち着け」
「はいなのであります」
聡史にたしなめられ、シオが大人しく正座する。
「いいかシオ。自衛隊で何をやらされるかは知らないが、決して無理はするなよ。俺は、おまえが無事に元気で帰ってきてくれれば、それでいいんだから」
「合点承知であります! 日本を守ることはマスターを守ることでもあります! 元気で日本を防衛し、無事に帰って来るのであります!」
「……俺の話、理解してるか?」
「もちろんであります! 無事に元気で帰って来ることを、あたいはマスターにお約束するのであります!」
右拳を力強く突き上げ、シオが宣言する。
「よし。着替えは終わったし充電もしたし、バックアップも取ったし……あと、忘れてることはないかな?」
聡史は、マニュアルをぺらぺらとめくった。
「おやつは幾らまでなら持って行っていいのでありますか?」
「いや、遠足じゃないから」
シオのボケに、聡史は定石どおりの突っ込みを入れた。
「バナナはおやつに入りますか?」
「だから、遠足じゃないって」
重ねてのボケに、さらに突っ込みを入れる。……ユーザーの設定によっては、適切なタイミングでボケてくれる機能があることも、AI‐10の売りのひとつである。所詮メモリーに蓄えられた定番のボケであり、笑えるような高度なものは期待できないが、ささやかながら癒しや和みの効果はある。
二時十分きっかりに、聡史はシオを連れてアパートを出た。
指定された表通りまで出て、シオと並んで歩道に立つ。
ここ数年で、民生用ロボットは爆発的と言ってもいいほど普及していたが、工事現場や建築現場を除けば、屋外で見かけるロボットは少なかった。AI制御のロボットの場合、限られた空間……屋内や作業場であれば、そこの詳細な3Dマップをいったん作成してしまえば、あとは光学センサーやIR(赤外)センサー、あるいは超音波センサーを併用して安全に移動や作業を行うことが可能だ。しかし3Dマップ未製作の街路を通常のセンサーだけを頼りに歩行ないし車輪移動するのは、かなり高性能のロボットであっても難事である。街路の様相は刻々と変化するからだ。動き回る歩行者の動きを予測し、ぶつからないように適切な処理を行うのには、膨大な計算量を必要とする。
二時二十分に一分ほど遅れて、聡史とシオの前に一台のマイクロバスが停車した。車体後部に、大手レンタカー会社の名前とロゴが入っている。
前部昇降扉が開き、陸上自衛隊の緑色の制服を着たいかつい顔立ちの青年が、体操選手を思わせる弾むような足取りで、颯爽と降りてくる。
「高村聡史さんですね。島本三曹と申します。ロボットをお迎えにあがりました」
「ご苦労さまです」
「こちらが、シオさんですね。高村さん、ここにサインをいただけますか」
三曹が、顔に似合わぬ丁寧な物腰で聡史にクリップボードとボールペンを差し出す。
「これが、受領証となります。大切に保管してください。では、シオさんをお預かりします」
聡史に一枚の紙を渡した三曹が、一礼してからやや腰を屈め、シオの肩に手を置いた。
「あの、ひとつ質問が」
「なんでしょうか?」
「いつになったら、シオを返してもらえるんでしょうか?」
「確たることは、わたしには申し上げられません。事態の推移によって変わってきますから」
生真面目な表情で、三曹が答えた。
「申し訳ありません。まだ何ヶ所か、廻るところがありますので、これで失礼します。シオさん、バスに乗ってください」
「合点承知です! ではマスター、行って来るのであります」
シオが元気よく言って、バスのステップにひょいと飛び乗った。一度だけ振り返って笑顔を見せてから、車内に消える。
そのあとから乗り込んだ三曹が、昇降扉を閉めた。
わずかな排ガス臭を残して、マイクロバスが走り出す。その姿は、あっという間に表通りの車の流れの中に埋没してしまった。
三曹に数字の描かれた小さなカードを渡され、着席するように促されたシオは、空いている席を探してマイクロバスの後部へと歩いていった。車内には、何体ものロボットが座っていた。家事ロボット、介護ロボット、自立作業用ロボットなど、種類もメーカーも多彩だ。と、シオは一番後ろの座席に、自分と同じAI‐10型が座っているのに気付いた。
そのAI‐10から、赤外線通信でデータが届いた。
『AI‐10‐003B‐00386。パーソナルネーム・ベル』
すかさず、シオもデータを送り返した。
『AI‐10‐003B‐00412。パーソナルネーム・シオ』
「同一ロットのうえシリアルも近いとは、姉妹も同然なのであります」
独り言をつぶやきながら、シオはベルと名乗ったロボットに近付いた。
同じAI‐10だから、ベルの顔も体型も、シオにそっくりである。髪はシオと異なり、毛先が内向きになった薄茶色のショートボブだ。シルバーフレームの小さな眼鏡を掛けている。服装は、白いロングワンピース。
「隣に失礼するのです!」
シオは礼儀正しく一礼してから、ベルの隣に座った。
「歓迎いたしますですぅ~」
ベルが、間延びしたしゃべり方で応じる。
「AI‐10は、我々だけのようですね!」
「そうですぅ~。お仲間に会えて、嬉しいのですぅ~」
「ベルちゃん、しゃべり方がゆっくりなのです」
「マスターが癒しを求めていたせいで、こんなしゃべり方が身に付いてしまったのですぅ~」
「なるほど、癒し系眼鏡っ子なのですね、ベルちゃんは!」
「シオちゃんは、何系なのですかぁ~」
「わからないのであります!」
そこで、二体の会話はいったん途切れた。所詮はコンピューター同士の対話である。解析不可能なテーマが生じれば、そこでリセットするしかない。
「ベルちゃんとは、女の子らしい可愛い名前ですね!」
内蔵外部記憶装置内データベースを検索し、そのような結論を得たシオは、そう発言した。
「ありがとうございますぅ~。でも、元ネタはお酒の名前なのですぅ~」
「お酒ですか」
シオは再び内蔵外部記憶装置内データベースを検索した。だが、ベルという名のアルコール飲料は、シオのデータベースにはなかった。少なくとも、日本のお酒ではないと推測したシオは、続けてこう尋ねた。
「外国のお酒なのですか?」
「そうですぅ~。スコッチの銘柄なのですぅ~。マスターがスコッチ好きなので、そう名付けられたのですぅ~。シオちゃんの名前の由来は、なんでしょうかぁ~。海に関係があるのでしょうかぁ~」
「いいえ! 調味料の塩から来ているのです」
「マスターが、塩味がお好きとかぁ~」
「違います! たまたまあたいが届いた時に、マスターが塩ラーメンを食べていたから、こう名付けられたのです! しかも、税込み九十八円のカップラーメンだったそうです!」
「ということは、もしその時にシオちゃんのマスターが味噌ラーメンを食べていたら、ミソちゃんになっていたかもしれないのですねぇ~」
「そうです! ミソちゃんならまだ許せますが、トンコツちゃんは嫌なのであります!」
会話の流れと、シオの喋り方から『笑いどころ』を判断したベルが、大きく口を開けた笑顔になる。
「シオちゃんは、とっても面白いのですぅ~」
第四話をお届けします。いよいよコーちゃん、もとい、ベルちゃん登場です。
あまりにアクセス数が少ないので、戦記ジャンルに引っ越そうかと悩んでおります。ミリタリー要素が強いから、強引に解釈すればありかと。
※自立作業用ロボの『自立』は、『自律』の間違いではありません。self-containedタイプ(外部の制御機構やセンサー類の支援なしで単独作業できるロボット)の意味です。