第八話
AHOの子ロボ分隊……今回はジョーを含む……の中華人民共和国からの脱出は滞りなく進んだ。ティエが運転する五菱宏光プラスで上海港まで走り、ジョーがあらかじめ手配してあったバハマ船籍の貨物船に夜陰に乗じて乗り込む。ふらふらしている雛菊は、足手まといにならぬようにシオとベルが頭部と足首を持って運んだ。人間ならば頸椎が大変なことになるが、ロボットなので平気である。
朝になって出港した貨物船内で、AI‐10たちはじっと待機した。沖縄近海に達したところで、合衆国海兵隊のUH‐1N輸送ヘリコプターが飛来し、AHOの子たち全員と装備を回収していく。
かくして、CIA主導のミョン・チョルス救出作戦は失敗に終わった。
「横田への連絡便が出るのは二時間ほど後だそうだ。みんなはここで待っていてよ。ボクは上司に報告を入れてくる」
嘉手納に着くと、ジョーはそう言ってAHOの子ロボ分隊メンバーを残し、基地内のどこか……おそらくは、通信室だろう……に姿を消した。
しばらくして戻って来たジョーは、深刻そうな表情を浮かべていた。
「なんや。作戦失敗でこってり絞られたんかいな」
借りてきた車椅子に乗った雛菊……ほとんど意味はないが、『応急処置』として、おでこの射入口に大きな絆創膏を貼ってある……が、からかい気味に言う。
「いや。絞られなかったよ。元々難しい作戦だったからね。むしろ、脱出に成功したことで褒められたくらいだよ」
深刻そうな表情を消さぬまま、ジョーが答える。
「CIAとしては、まだミョン・チョルスの救出を諦めていないようだ。だけど、今現在彼がどこにいるのかは判っていない。居場所が判明すれば、再救出作戦を行う意向のようだけど、はたして見つけることができるかな?」
「そうですねぇ~。中国は、広いですからぁ~」
ベルが、のんびりと言う。
「例の人民解放軍内の情報提供者ならば調べられるのでは?」
スカディが、訊いた。ジョーが、うなずく。
「CIAはまだ接触していないようだけど、彼ならすでに情報収集に動いてくれていると思うよ。何か掴んだら、連絡してくるだろうね。あと、反政府勢力にも情報提供を呼び掛けているようだ。ということで、首尾よくミョン・チョルスの行方が判ったら、もう一度協力をお願いするかも知れないけど、その時はよろしく頼むよ!」
多少は明るい表情になったジョーが、AHOの子ロボ分隊の面々を見渡す。
「次回があるならもう少し火力をアップさせるべきなのであります!」
シオはそう言った。少人数で強襲するとなれば、火力で圧倒するのが一番手っ取り早く確実な方法である。
「そうだな。汎用機関銃とグレネードランチャーくらいは必要だ」
亞唯が、同調した。
「爆薬も大量にいるのですぅ~」
ベルが、ここぞとばかりに要求する。
「わかったわかった。そこは何とかするよ。あ、ここまで持ち帰った火器と弾薬は、まとめておいてくれよ。あとでミスター・ブラウンに返すように、空軍の連中に頼んでおくから」
ジョーが、宥めるように言う。
アリシア・ウーは、南湖島から対岸を眺めていた。
南湖島は、頤和園にある昆明湖の中に浮かぶ小島である。十七孔橋を使って渡ることもできるし、昆明湖の北岸から渡し船で渡ることもできる。はぼ円形の島で、中国王朝風の雅な建物が立ち並び、そのあいだに生える緑の木々によって飾られた、いかにも人工的な……庭園であるから当然だが……美しい小島だ。
目の隅に、近付いて来るカオ少将の姿が映った。今日は、首からちょっと古い型のデジタルカメラをぶら下げている。
「任務、ご苦労だった」
眼前を通り過ぎる屋根付きの脚漕ぎボート……スマートフォンでお互いを撮り合っている今時の若いカップルが乗っている……に気を取られたふりをしながら、カオ少将が言った。
「結論から先に言おう。本作戦は、打ち切りとする。ミョン・チョルスは国外へ出た模様だ」
「国外。朝鮮ですか?」
アリシアは訊いた。
「それがどうやら、韓国らしい。いろいろと探りを入れたところ、ミョン・チョルスの拉致を主導したのは韓国人で、リュウ・チェンドン中将はいわば請負仕事をやっただけのようだな」
「請負仕事……」
「まず間違いなく、カネと引き換えにな。リュウ中将としても、美朝関係の悪化は歓迎するところだろう。二重に利益を得られると考えて、快諾したのだろうな。そして、配下のシャオ・ウェンチン上校を使ってミョンを拉致し、南通まで連れて行って監禁した、というのがわたしの推定だ。残念なことに、リュウを吊るし上げるに足る確実な証拠は皆無だが」
カオ少将が、何も居ない水面に向けてシャッターを切る。
「しかし、韓国政府も情報機関も軍部も、まったく動いていなかったのでは?」
アリシアはそう訊いた。
「そうだ。だから、リュウ中将に拉致を依頼したのは、韓国の民間人のようだ」
「民間人で、美朝関係の悪化を望む者となると……」
「容疑者は多いな。現政権の弱体化を望む野党関係者。朝鮮の脅威を煽りたい軍需産業。反共勢力。反米主義者。ひょっとすると、宗教絡みかもしれん。そのあたりまで突き止めるのは、いささか難しいだろう。そして、突き止めたところでリュウ中将を攻撃する材料が得られる可能性は少ない」
カオ少将が、指で唇を叩く。……一服点けられなくて、少し苛立っているのだろう。
「では、南通でミョンを奪還しようとしたのは何者なのですか?」
アリシアは訊いた。
「公安局の調べでは、正体が判明しなかった。自動歩槍の空弾倉は民主ドイツ(東ドイツ)製。弾薬は空薬莢からロシア製と判明した。練度からして、特殊部隊であることは間違いないだろう。リュウ中将の人民解放軍内の敵ではなさそうだ。朝鮮の特殊部隊の可能性はあるが、わたしの勘は違うと言っている。とすると、韓国人ではないかな。ミョンの拉致を依頼した連中の『敵』が、妨害を仕掛けてきたというのが、妥当な推定だろう。それならば、リュウ中将らが必死に秘匿し、我々でさえ突き止めるのが困難だったミョンの監禁場所を、外国人である連中がどうやって見つけたのか、という疑問も解ける。韓国側から漏れたに違いない」
「……だとすれば、わたしと部下が命がけでシャオ上校に警告してやったのは、失敗でしたね」
アリシアは言った。韓国人の民間傭兵特殊部隊であれば、そのまま奇襲させて、シャオ上校らを全滅させたうえにミョン・チョルスを救出させてやった方が、第二部の利益になったはずである。少なくとも、リュウ中将は優秀な部下を失ったうえに、韓国人にカネを返すはめに陥るのだから。
「そういうことになるな。ま、あの時点での君の判断は妥当なものであり、非難されるべき点はひとつもないが」
そう言いつつ、カオ少将がデジカメをポケットにしまった。
「しばらく休暇を与えよう。のんびりしたまえ」
視線を対岸に据えたまま、カオ少将が歩み去った。
しばらくのあいだ、アリシアはとりとめのないことを考えながら昆明湖を眺めていた。カオ少将と密談していたことを周囲に悟られないためには、すぐにここを去るわけにはいかない。
……休暇か。
どこか旅行にでも、という考えは浮かばなかった。任務で世界中を飛び回らされているのだ。ホテル暮らしには飽き飽きしている。北京市内にある自分のアパートメントで、大人しく過ごすのがいいだろう。
アリシアはふと、自分がいま居るのは有名な観光地の一郭であることに気付いた。
……ここ頤和園の散策から、休暇を始めるのも悪くない。
いったい何日のあいだ眠っていたのだろうか。
ベッドに腰を下ろしたミョン・チョルスは、紙巻き煙草を吹かしながらぼんやりと考えていた。
シャオ上校とその部下の下士官に引っ張られるようにして監禁場所から連れ出されたあと、ミョンはシャオ上校が電話で呼び寄せたらしい一台のセダンの後部座席に押し込まれた。高速道路に乗り、長く大きな橋……まず間違いなく、長江を横断する橋だろう……を渡ってしばらくしたところで、セダンは倉庫街らしき場所に入って駐車した。
東の空がうっすらと明るくなった頃、そこに一台のミニバンが入って来る。シャオ上校が降り、ミニバンから降りてきた二人の男と中国語でなにやら会話を始める。……どうやら、『韓国側』に引き渡されるようだ。
案の定、会話を終えて戻って来たシャオ上校が、セダンを降りるようにミョンに指示する。ミョンは大人しくドアを開けた。男二人がミョンの左右で腕を取り、ミニバンの中に押し込む。
ミニバンには運転席と助手席にそれぞれ男が乗っており、ミョンを含む三人が乗り込むとすぐに発進させた。ミョンは男たちが南朝鮮人であると踏んで、朝鮮語で控えめに話し掛けてみたが、まともな返答は返ってこなかった。喉が渇いた、と訴えた時だけは反応があり、助手席の男……どうやらリーダーらしい……の指示で車が止まり、ミョンを押さえていた男の一人がミニバンを降りる。数分後、戻って来た男が、ミョンに555ml容量のペットボトルを差し出す。緑色のラベルのボトルドウォーター、『怡宝』だ。中国であればどこでも売っている、安い水であり、ミョンにも馴染みがあった。ミョンは礼を言って受け取ると、ありがたく喉に流し込んだ。
……そのあたりで、記憶は途切れている。コンビニかどこかで買って来たと見せかけて、薬物入りの水を飲ませたのであろう。
気が付いたら、この狭い部屋のベッドで横になっていた。床も壁も天井も板張りの、素っ気ない部屋である。調度はベッドがひとつ、木製の安っぽいテーブルがふたつ、椅子がひとつだけ。窓は高いところにひとつあるが、小さくて大人の男性が抜けだせるサイズではない。椅子を踏み台代わりにして外を覗いてみたが、向かい側五十センチほどのところに白っぽいコンクリートの壁があるのが見えただけだった。部屋の外に出るには扉を使うしかないが、こちらはもちろん施錠されており、見るからに頑丈な造りなので壊したりこじ開けしたりするのは無理だろう。
扉はもうひとつあり、小さな洗面台付きのトイレに繋がっている。こちらはもちろん鍵は掛かっておらず、使用は自由だ。
意識がもどってから二日目になるが、待遇は悪くなかった。食事は量は少なめだがきちんと出るし、味付けも朝鮮風に代わったので口にも合う。煙草も充分に貰え、吸いたい放題である。銘柄は、『THIS』という韓国煙草だ。ちなみに、韓国では『ディス』ではなく『ティス』と呼ばれている。懸念された尋問も行われていない。
……やはり、韓国に連れて来られたのだろうか。
どこに監禁されているかを探り出そうと、昨日ミョンは室内や着ている物を徹底的に調べてみた。衣類のラベル類はすべて切り取られていたが、質は悪くなく、おそらく韓国製か日本製と思われた。家具類もブランド名などは消されていたが、テーブルの裏側に一か所だけシールが残っており、そこには『BENTREE』という企業ロゴが書いてあった。……ミョンの記憶が確かならば、そんな名前の家具メーカーが、南朝鮮にはあったはずだ。
耳を澄ますと、遠くで車が多数走っているような騒音がかすかに聞こえる。昨日は緊急車両のサイレン音が三回聞こえ、さらに上空をヘリコプターが通過した爆音が聞こえた。
窓から入って来る空気は多少汚れている感じなので、田舎ではないだろう。ソウルか、地方の大都市の郊外ではないか、とミョンは見当をつけていた。
と、ドアにノックがあった。ミョンは吸っていたティスを灰皿に押し付けると、ちょっと身構えた。昼食には、少し早い。……いよいよ尋問が始まるのだろうか。
入って来たのは、パクだった。右脇に、小さな書類カバンを抱えている。
「お元気そうでなによりです、ミョン・チョルスシ」
パクがにこやかに言って、歩み寄って来る。以前会った時よりも、寛いだ感じだ。シャオ上校が居ないせいか、あるいは韓国というホームグラウンドに居るせいか。
「パク先生。そろそろあなた方の本当の目的を教えていただけませんかな」
ミョンは高圧的にならないように心掛けながら訊いた。状況からしても、強く出られる立場ではない。
「お教えしましょう。座ってもよろしいですかな?」
パクが、椅子を指し示す。ミョンはうなずいた。
「わたしの雇い主は、朝鮮民主主義人民共和国が合衆国との関係を改善することを望んでいません」
腰掛けたパクが、そう切り出す。
「なぜですか?」
「そこまでは知りません。雇われた身ですから」
パクが、仕方なさそうに言う。
「ミョン・チョルスシを拉致したのは、北の外交を混乱させ、合衆国との交渉を妨害するためです。そしてできれば、あなたの思想を転向させて、わたしの雇い主が望むような人物になっていただきたいのです」
「……洗脳するつもりかね?」
「まさかそんな。わたしの雇い主は、ミョン・チョルスシの能力を高く評価しています。将来的に、北の指導者になっていただきたい、とまでお考えなのですよ」
「はあ?」
ミョンは本気で当惑した。……何を言っているのだ、パクは。
「ミョン・チョルスシ。あなたは現行の北政府があと何年持つと思ってらっしゃいますか?」
パクの言葉に、ミョンは侮蔑の表情で応じた。
『愚かな』南朝鮮、合衆国、日本などは、常に朝鮮のことを侮って来た。ソビエト連邦が末期的症状を呈し始めたころから、これらの国の政治家や専門家は朝鮮もソビエトの社会主義と共倒れする、などと妄言を吐いていた。だが、朝鮮はその『危機』を易々と乗り越えた。94年に金日成が死去した時も、朝鮮の終焉が語られたが国家体制に揺るぎは生じなかった。『二十一世紀は迎えられない』『持ってあと十年』などと言われ続けたが、金正日死去も乗り越え、未だに朝鮮民主主義人民共和国は存続している。
「状況が厳しくなっているのは、外交官であるあなたは肌で感じているでしょう。合衆国、中国、ロシア、日本、インド、そして韓国。いずれも関係は改善せず、悪化する一方だ。韓国との経済格差も開くばかり。アフリカや西アジア、中央アジア、それに東ヨーロッパのわずかな友好国とちまちまと貿易を行っているだけでは、いずれ干上がってしまいますよ。このような状況、改革したいと思いませんか?」
パクが、熱心な口調で説く。
「何が狙いなのです?」
「まあ、それはおいおい説明しましょう。今日は、手紙を一通書いてもらいたく、お邪魔したのです」
パクが書類カバンを開き、便箋や封筒、ボールペンなどを取り出した。
「まさか、遺書でも書けと言うのではないでしょうね」
冗談めかして、ミョンは言った。パクが、笑う。
「まさかそんな。祖国のご友人に向けて、現況を書いてもらいたいのですよ。何を書いても結構ですが、救助を求めることだけはやめてください。南通市の件で、懲りていますのでね。待遇は悪くなく、虐待はされていないことは確実に入れてください」
……なるほど。
ミョンは何となく理解した。パクは、南通市での襲撃が朝鮮人民軍特殊部隊によるものだと考えているのだろう。次の襲撃を防ぐために、ミョンに手紙を書かせたいのだ。ミョンの身が安全であることを政府当局が知れば……友人への手紙の内容がそっくりそのまま政府に伝わるのは計算済みのはず……無茶な奪還作戦は行われないだろう、と踏んでいるのだ。
「どうやって届けるのですか?」
ミョンは訊いた。南北のあいだで、国際郵便サービスは存在しない。手紙のやり取りをしたい市民は、中国や日本経由で行うしかないのだ。
「北京の北韓……もとい、朝鮮大使館に届けます」
パクが、答える。
ミョンは思案した。手紙を書いたとたんに、厳しい尋問が始まるのではないかと恐れたのだ。
だが、ここが韓国国内であるならば、北朝鮮の特殊部隊による奪還作戦は無謀であろう。それに、この手の作戦は戦争再開の引き金にもなりかねない。それは、避けねばならない。
「本当に何を書いてもいいんですね?」
「もちろんです。検閲するつもりもありません。どのように監禁されているかも書いて結構ですし、わたしのことを書いても構いません。ただし、救助を求めてはいけない。これが、絶対条件です」
パクが、言う。
「よろしい。書かせていただきましょう」
ミョンはそう言って便箋を引き寄せた。ただし、検閲しない、というパクの言葉は信用せずしなかった。上手にやれば、暗号のひとつやふたつ、埋め込めるであろう。
第八話をお届けします。




