第二話
AI‐10五体は、いつもの岡本ビルの会議室に集まって、いつものようにパイプ椅子に腰かけていた。
『なにか妙ですわね』
スカディが、赤外線通信で言う。
『ああ。ただならぬ気配を感じるぜ』
亞唯が、同意した。
AI‐10たちの正面には長浜一佐がいるが、いつもよりも表情が硬い。畑中二尉はいつものように控えているが、相方の三鬼士長の姿がない。扉脇に石野二曹が立っているが、こちらの腰には珍しく拳銃のホルスターが下がっている。
『緊急事態でしょうかぁ~』
ベルが、言う。
『そんなニュースは流れていませんでしたが!』
シオはそう言った、日本国内でも海外でも、突発的な大事件などは起こっていないはずだ。……少なくとも、報道機関が掴んでいるような事件は。
「諸君。集まってくれてありがとう」
長浜一佐が、硬い表情のまま切り出した。
「で……例によってひと仕事してもらいたいのだが……今回は、情報本部は関わらない。いや、陸上自衛隊、否、日本は一切関わらない」
「どういうことですの?」
スカディが、眉根をひそめて訊く。
「言葉通りだ。今回の任務、情報本部は関わらない。それどころか、公的には任務自体も存在しない、ということだ。理解してくれ。では、失礼する」
長浜一佐が、渋い表情で退室する。石野二曹がそれに続き、後ろ手に扉を閉めた。……どうやら、廊下で立哨するつもりのようだ。
AHOの子たちの視線が、ひとり居残った畑中二尉に集中した。
「あー、あたしも公的には居ないことになってるぞー。だから、無視していいぞー。なんなら、しばらくブラインドモード使っとけー」
畑中二尉が、机上の黒ボールペンを取り上げ、『目線』代わりにして眼を隠しつつ言う。
「なら、なんで居るんや?」
雛菊が、問うた。
「一応情報面でバックアップがいないと困るだろー。連絡係だー。ばれるとやばい立場だから、三鬼ちゃんにはご遠慮願ったー。おまいら、頼むからドジは踏むなよー。まずいことになったらあたしも一蓮托生、キャリアが終わるからなー」
『目線』を維持したまま、畑中二尉が言う。
「じゃあ、みんな納得したところで、客人を呼ぶぞー。まあ、おまいらも予想がついていると思うが。ジョー、入っていいぞー」
畑中二尉が、声を高めて呼ぶ。扉が開き、CIA所属のAI‐10,おなじみのジョーが入室して来た。
「やあ、みんな! 集まってくれてありがとう!」
「またジョーきゅんですか!」
シオはうんざり顔で言った。このところ、CIA絡みの任務ばかり受けているような気がする。
「みんな、そんな浮かない顔をしないでよ。今回は、日本の安全保障にも重要な関りのある任務なんだから」
宥めるような口調で、ジョーが言う。
「とにかく、話を聞かせてもらおうじゃないか」
腕組みをした亞唯が、ジョーを睨むようにして言う。
「じゃ、説明するよ。二尉、お願いします」
「ほい来た」
ジョーに頼まれ、畑中二尉が『目線』ごっこを止めると、ノートパソコンを操作した。机上で百八十度反転させ、AHOの子たちにディスプレイが見えるようにする。
シオの眼に、見覚えのないハンサムな東洋人のバストアップの映像が飛び込んで来た。黒いスーツに黒ネクタイ。年齢は四十代。なんとなく、日本人っぽくない雰囲気だ。
「知らない顔ですわね。どなたですか?」
スカディが、訊く。
「ミョン・チョルス。DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)外務省課長。漢字表記すると、こうだね」
ジョーの言葉に応じて、ディスプレイに三文字の漢字が表示される。
『明 哲洙』
「世間一般にはあまり知られていない人物だけど、実は肩書き以上に大物なんだ。朝鮮労働党総書記であり国家元首でもある金正恩の外交・経済分野での私的顧問にして友人。米朝協議においても、キーパーソンとなる人物なんだよ。外交交渉の場においては、実質的に金正恩の代理人的立場と見られている。外務大臣も、彼の意向を常に窺っているらしい。金正恩に忠誠を誓ってはいるが、がちがちの守旧派というわけではなく、親米派とも言われている。少なくとも、合衆国や日本と協調して行かねば北朝鮮に未来はない、と考えているようだね。ただし、韓国は大嫌いだそうだ。国務省の評価は、『北朝鮮で唯一話の分かる人物』ということだよ」
「役職が上の方よりも、権力者との個人的繋がりが太い方のほうが幅を利かせているのですねぇ~。発展途上国あるあるですぅ~」
ベルが、感想を述べる。
「なるほど。では、次の任務は彼の暗殺なのですね!」
シオは先走ってそう言った。
「こんな汚れた作戦、自衛隊が協力するわけにはいかない! これで、長浜一佐が席を外した理由が理解できたのであります!」
「違うよ。話の分かる人物を殺してどうするんだい」
ジョーが、苦笑気味に突っ込む。
「では、拉致でしょうか?」
「ないない」
「では、偽情報を与えて米朝協議を有利に運ぼうというCIAの深慮遠謀でありますか?」
「違うって。じつは、ミョン・チョルスは香港経由で中国を極秘訪問中だったんだ」
「目的は何なのでしょうかぁ~」
ベルが、訊く。
「華南において中国財界人とのコネ構築だね。地理的に近いこともあり、華北や東北区からの対北朝鮮投資は多いけど、華南の経済界は台湾や東南アジアばかりに眼を向けているからね。そこに割り込んで、北朝鮮向け投資の掘り起こしを図るのが目的だろうね。でも、それは二つある目的のひとつに過ぎないんだ。もうひとつの目的、そしてもっと重要な目的は、香港において極秘裏に合衆国の特使と会見することだったんだ」
「おおっ! 話が面白くなってきたのであります!」
シオは思わず身を乗り出した。
「合衆国特使の名前は伏せるよ。君たちも名前は聞いたことがある著名な人物だからね。大統領の親書……ただし署名なし……を携えた特使と、金正恩の意向を受けたミョン・チョルスが米朝協議に関して密かに交渉を行う予定だったんだ。噂だけど、タッカー大統領は合衆国領土内で米朝首脳会談をやりたい、との意向を持っているという話だから、それを踏まえての交渉だったのかもしれないね」
「金正恩がアメリカ行くやろか?」
雛菊が、首を傾げる。今までに米朝首脳会談は複数回行われたが。いずれも第三国や板門店などの『中立的』な場所で開催されている。『招待』とは言え、金正恩が合衆国に『呼びつけられた』形となるのは、政権維持のためにはマイナス材料にしかならないだろう。
「北朝鮮問題は大統領の支持率向上にはつながりにくいからね。タッカー大統領としても、米朝協議は推進したいが、支持率低下に直結するような譲歩はしたくない。これはボクやボクの上司の推測だけど、何らかの『手土産』を持たせることを条件に金正恩を合衆国領土……できればハワイ、無理ならマリアナ諸島のどこか辺りに招待して首脳会談を行い、米朝協議を実質的に前進させつつ、有権者向けには北朝鮮の指導者を引きずり出した力強いリーダー、という印象を与えて、支持率をアップさせたい意向なんじゃないかな」
「なんや。結局パフォーマンスかいな」
雛菊が、呆れ気味に言う。
「国民主権の民主主義国家だからね。有権者には媚びを売らないと。これは仕方ないよ」
ジョーが、苦笑した。
「それで? その件に、あたしたちがどう関わってくるんだい?」
亞唯が、軌道修正する。
「大事な会見だし、特使もかなりの重要人物だからね。北朝鮮側が何らかの特殊工作……例えば、特使の拉致なんかを企んでいると困るから、CIAは香港入りしたミョン・チョルスの動向監視を行っていたんだ。ところが、その目の前で彼が拉致されてしまったんだ。場所は広東省東莞市内。香港のすぐそばだね」
「拉致? CIAは阻止できなかったのかい?」
亞唯が、訊く。
「無理だよ。映画じゃあるまいし。尾行していたのは契約した中国人エージェントで、拳銃すら持っていなかったしね。それに、拉致した連中は人民警察に偽装していたんだ。通常の『ちょっと署までご同行願えますか』という体で、拉致を行ったんだ。エージェントは尾行を続けたんだが、警察車両が警察に向かっていないことに気付き、拉致が行われたと判断した。その後、尾行が気付かれそうになったんで、それ以降の追跡は断念した。それ以来、ミョン・チョルスの行方は不明となった。北朝鮮外務省も、中国当局も探しているが、一向に見つかっていないようだ」
「ほえー。どこのどいつが拉致を行ったのでありますか?」
シオはそう訊いた。
「CIAが最初に疑ったのは、当然中国だったよ。国家安全部、人民解放軍総参謀部第二部、共産党中央統一戦線工作部あたりの工作、あるいは共和国公安部そのものの作戦。すでに、中華人民共和国は合衆国との戦争を覚悟しているからね。米朝協議が進展し、北朝鮮が来るべき米中戦争において中立政策を採ったりするのはぜひとも阻止したいはずだ。今回の極秘会見のことを聞きつけて、これを阻止しようと企んだのか、あるいは親米傾向にあるミョン・チョルスをこのまま野放しにしておくのはまずいと踏んだのか。そんな風に推測したんだ」
「当然の推理ですねぇ~」
ベルが、うなずく。
「だけど、この推測は外れだったんだよ。中国共産党も政府も、ミョン・チョルスの捜索をピョンヤンから依頼されると本気で慌てふためいたんだ」
「演技ちゃうか?」
雛菊が、疑いの眼で言う。
「いや。CIAはそうは見ていないよ。共産党も政府も、国務院傘下の各部、各局、各委員会も、ミョン・チョルス拉致には関わっていないようなんだ」
「中国ではないのなら、ひょっとして、韓国の仕業ではありませんか?」
シオはそう言った。米朝協議の進展は韓国としても望むところなので、極秘会見を妨害するとは思えないが、ジョーの話を聞く限りではミョン・チョルスという男は北朝鮮の政治中枢に深く喰い込んでいる人物のようだ。頭の中に詰まっている機密情報の類は、韓国の諜報機関にとっては喉から手が出るほど欲しいものであろう。尋問するために拉致した、というのはあり得そうである。
「CIAもそう考えたよ。だけど、韓国国家情報院は動いていなかったんだ」
「じゃあだれがやったんだい? ロシアや台湾が関わるとも思えないし」
亞唯が、首をひねる。
「金正恩さんの逆鱗に触れて、国家保衛省に捕まってしまったのではないでしょうかぁ~」
ベルが、言う。朝鮮民主主義人民共和国国家保衛省は、北朝鮮の秘密警察であり、かつてのソビエト連邦のKGBのように防諜、反体制派摘発、政治犯の管理、国内での思想警察的役割などを幅広くこなしている組織である。
「その可能性もないね。北朝鮮の方も、慌てふためいているようだから」
ジョーが、首を振る。
「そんなこんなで二日経過したんだけど、ミョン・チョルスの居場所と拉致の経緯に関して、ようやく情報が得られたんだ。詳しく話せないしボクも知らないんだけど、CIAは人民解放軍内部に情報提供者を複数抱えているんだよ。その一人から、ミョン・チョルスが蘇州省で捕らわれていること、そして拉致したのが人民解放軍陸軍内部のとある一派である、という情報が得られたんだ」
「……信用できるのかしら?」
スカディが、疑わし気に訊く。
「CIAとしては大いに信頼している人物だそうだ。だから、情報は正しいと思うよ」
ジョーが、請け合う。
「そいつらの目的は何なんだい? やはり、大統領特使との会見の妨害か?」
亞唯が、訊いた。
「どうやら、極秘会見の寸前に拉致したのは偶然だったみたいだね。情報提供者によれば、以前からミョン・チョルスを狙っていたらしい。動機としては、やはり米朝接近を妨害したかったようだね」
「妨害だけなら、拉致などせずに暗殺した方がいいのでは?」
シオはそう言った。
「そこがちょっと判らないんだよね。シオの言う通り、排除だけなら暗殺の方が確実かつ安全だ。なぜ生かしておいて、しかもわざわざ蘇州省まで運んだのかが謎だね」
拉致されたのは華南の広東省。蘇州省と言えば、華中の省で、上海の北側である。
「その人民解放軍陸軍の一派の本拠地でもあるんちゃうか?」
雛菊が、そう推測する。
「だいたいの事情は理解しましたわ。それで、わたくしたちに何をさせようというのかしら?」
スカディが、ジョーを見据えて訊く。
「ミョン・チョルスが生きているのは確実な情報だ。合衆国としては、今後の対北朝鮮外交において、信頼のおける交渉相手として彼を必要としている。だから、彼を救出したいんだよ」
「えーと、つまり北朝鮮の要人を中国で、合衆国と日本が協力して助け出す、ということでありますか?」
シオは戸惑い気味に確認した。
「その通りだよ」
ジョーが、うなずく。
「途方もない話やな。北朝鮮を利するみたいで、やる気出んわ」
雛菊が、呆れ顔で言う。
「その人民解放軍陸軍の一派ってのは、いわば勝手にミョン・チョルスを拉致したんだろ? 共産党とか、中央軍事委員会に密告すればいいんじゃないか?」
亞唯が、そう提案する。
「それが、無理なんだよ。一派の正体がよく判っていないんだ。ひょっとすると、共産党の高位の人物や、中央軍事員会の委員、人民解放軍の幹部などの中に、一派に繋がる奴がいる可能性がある。そうなると、まず確実にミョン・チョルスは証拠隠滅のために殺されてしまうだろう。それと、情報の出し方を間違えると、人民解放軍内の情報提供者の正体が露見するおそれが強い。一番いいのは、強襲してミョン・チョルスを奪還することだ。国外へ連れ出す必要はない。最寄りの警察署あたりに保護を求めるように言って放り出し、朝鮮労働党に匿名電話でも掛けて救出したことと現在の居場所を教えてやればいいだけだよ」
「それなら、CIAのみなさんだけでできそうですがぁ~」
ベルが、言った。
「ある程度ハイリスクな作戦だし、現地のCIA要員は使いたくないんだよ。中国本土内の作戦となると、陸軍や海軍を巻き込むわけにはいかない。CIAのロボットは、別の作戦に駆り出されていてちょっと手薄なんだ。君たちなら近くに居るし、経験も豊富だし。ということで、手伝って欲しいんだよね」
ジョーが微笑んで、AHOの子たちを見渡す。だが、笑みを返した者は誰も居なかった。
第二話をお届けします。




