第十四話
十時四十分。
サンタ・アナ市街地近くの待機空域で緩やかな旋回を続けていた五機のUH‐1H編隊から、三機が離脱した。徐々に高度を落としながら、市街地上空へと進入する。
ローター音に気付いた市民たちが、空を見上げて驚きの表情を見せる。明るいグレイの地に鮮やかな青いラインが入った首都警察航空隊のヘリならば、毎日のように飛んでいるので珍しくもないが、濃緑色に塗られた陸軍のヘリが市街地上空に姿を見せるのは、独立記念日のパレードの時くらいである。
低空を飛行しているので、ヘリの細部も見て取れた。開かれて固定されたサイド・ドア。マウントに固定されたドアガン。
多少なりとも軍事知識のある市民は、すぐにこの小編隊の任務を悟ることができた。飛行方向には、日本大使館があるのだ。目的地は、そこに違いない。
ついに、人質救出作戦が開始されたのだ。
同時刻。
「サクラ、いる?」
そっと声を掛けつつ、スサナが文化広報室に入ってきた。
「ここです、スサナちゃん」
畳が取り払われてしまったために、板の間と化してしまった『和室』から、シオは返答した。
「大事な話って……なに? 今朝は、あたしが日本へ行けるみたいなこと、言ってたけど」
スサナが、ちょっと疲れたような表情で和室部分の上がり框に腰を下ろした。
「スサナちゃんは、まだ若いのです。頭もいいのです。一介のゲリラ戦士で終わっては、いけない人なのです。もっと勉強して、別の人生を歩まなければならないのです」
「褒めてくれてありがとう。でも、だからこそ、こうやってサンタ・アナの現状を変えようと努力してるんだけど」
「暴力では何も解決できない、なんて頭の悪そうな理想論を言うつもりはありませんが、フレンテのやり方ではサンタ・アナを良い国に作り変えるのは無理だと思います! 抜けるべきです!」
「だめだよ。エミディオには、世話になってるし」
「個人的感情で、フレンテに加わったのですか?」
シオの問いに、スサナがしばし沈黙した。
「そうじゃないよ。でも、エミディオは認めてくれたんだ、あたしを。……どうもね、まわりに馴染めなかったんだよ、あたし。暗い子だったし。友達は、ルシアしかいなかったし。そんなあたしでも、エミディオの部下になれたんだ。褒めてくれたよ、エミディオは。お前は、優秀だって。戦士の素養があるって。きれいだ、とまで言ってくれたんだよ、エミディオは」
「うー」
シオは唸った。人間臭い行動パターン、思考方法をプログラムされているとはいえ、所詮はロボットである。細かい人間の機微、ましてや年上男性に淡い恋心を抱いているミドルティーンの心理など、理解するのは難しい。
シオは体内クロノメーターをチェックした。十時四十三分。そろそろ、ベルが起爆装置のスイッチを入れる頃合である。
「話は変わりますが、スサナちゃんには謝らなければならないことがあるのです! あたいの名前は、サクラではありません! シオといいます!」
「サクラじゃない? シオ? どういうことだい?」
明らかに口調が変わったシオに驚いたのか、スサナがとまどう。
「実は、数日前から、サクラちゃんと入れ替わっていたのです。サクラちゃんは、地下倉庫にいます」
「まさか……」
スサナの表情が、険しくなった。
「お察しの通りです。あたいは、大使館内の情報を政府側に流していました。すでに、強行突入作戦は秒読み段階に入っているのです。スサナちゃん、銃を置いて降伏してください。スサナちゃんの、未来の幸せのために!」
十時四十四分。
オフィスビルの屋上では、五丁のM24狙撃銃が、日本大使館北側にあるひとつの窓に狙いを定めていた。
レースのカーテンが掛かっているので、見張りに就いているゲリラのはっきりとした姿を捉えることはできない。だた、周囲よりもやや黒く見える楕円形の影のようなものが、確認できるだけだ。
狙撃指揮官は、頭部を狙うのを諦めて、胴体……たぶん……を狙うように指示を出した。狙撃のタイミングは、壁の爆破と同時だ。爆発音を確認したらすぐに、引き金を引くことになる。
同時刻。
ベルは爆破用の押しボタンスイッチに指を当てた。スイッチ本体は、ベルの小さな手にも楽々と隠すことができる、ごく小さなものだ。
右手で、サッカーに興じている人質たちに合図を送る。
ホールをキープしていた人質が気付き、ドリブルを開始した。トイレ前までボールを運んで行き、そのまま中へと蹴り込む。
人質たちが、ボールを追って続々とトイレの前室へと走りこんで行く。あっというまに、広いレセプションルームは無人となった。
人質たちは、そのまま左右の男女トイレの中へと走り込んだ。中でも屈強な四人の人質が、前室の壁に立てかけてあったタタミ・マットを掴んでから、二人ずつに分かれてそれぞれ男性用、女性用トイレの中に入った。出口を内側から塞ぐように、タタミ・マットを立てた状態で支える。
「おい、何してる!」
ようやく異常事態に気付いた見張りのアルトゥロが、肩に掛けていたFPK狙撃銃を外しながらレセプションルーム内へ走り込んだ。前室にベルしかいないことに気付き、途方にくれたような表情を見せる。
アルトゥロの叫びに気付いたバスコが、レセプションルーム内を覗き込む。さすがに技術者である。ひと目で状況を察した彼は、叫びつつすぐに身を引いた。
「伏せろ、アルトゥロ!」
十時四十五分。
レセプションルーム内に人質が残っていないことを確認したベルは、洗面台の下に潜り込みながら、左手のスイッチを押した。
電波が飛び、シェイプド・チャージに突き刺した信管が作動する。
ひとつ目のシェイプド・チャージが起爆する。この爆発により、接続されていた数本の導爆薬線が発火した。通常、導爆薬線の燃焼速度は毎秒六千メートルを超える。
ロボットの時間感覚を以ってしても、ほぼ同時に八個すべてのシェイプド・チャージが起爆した。モンロー効果により、狭い範囲に集中した爆発エネルギーが、易々と厚いコンクリートを貫き、その奥にあった鉄骨をも叩き切る。
一瞬遅れて、高さ二メートル、幅四メートルの長方形を描くように壁に貼り付けられていたリボン・チャージが起爆した。コンクリートに、大きな亀裂が生じる。
最後に、壁の数箇所に貼り付けられていたスラブ・チャージが起爆した。すでにメインの鉄骨をシェイプド・チャージで切られ、さらにリボン・チャージによって亀裂を入れられていた壁は、新たな衝撃の前にあっさりと敗北した。細い鉄筋を引きちぎられ、大小さまざまな破片に砕かれつつ、外へと向かって吹き飛ばされてゆく。
飛び散ってゆくコンクリート片の破壊力は凄まじかった。低く飛んだ破片は、隣地との境界線上に立つ鉄筋コンクリート塀にぶち当たり、その表面を深く削り取った。それ以外の破片の多くは、北側の邸宅に降り注いだ。数百に上る破片が壁を破り、邸内へと転がり込む。邸宅は一瞬にして、一片のエメンタール・チーズのように穴だらけとなった。
爆風は、レセプションルーム内でも猛威を振るった。『ゴール毛布』は一瞬にして細片と化した。背中に爆風を受けたアルトゥロは、まるでギャグアニメの主役のように立ったまま身体を持ち上げられ、南側の壁に叩きつけられた。
トイレの前室にも、爆風が大量の粉塵と細かいコンクリート片とともに吹き込んだ。コンクリート片はすべてタタミ・マットが受け止めてくれたし、爆風もトイレ内の気圧を激変させただけで済んだ。しかし、粉塵は防げなかった。人質たちが、咳き込み始める。
爆発音が耳に届いた次の瞬間、陸軍の狙撃手たちは引き金を引いていた。
約半秒後に、銃弾はガラス窓を相次いで貫いた。レースのカーテンに穴を開け、その後ろにいた人体に食い込む。
十発の銃弾は、すべて目標に命中していた。北側を見張っていたラモンと、南側を見張っていたラファエルのインディヘナの兄弟は、仲良くほぼ同時にこの世を去った。
爆発に伴う破片が収まりきらぬうちから、内務省対テロ特殊部隊は行動を開始していた。
六本のアサルト・ラダーが高さ三メートルの塀に掛けられた。身軽にそれを上った隊員に、下からアルミ製の道板が渡される。
北側二階の外壁には、縁がぎざぎざになった二メートル掛ける四メートルの見事な開口部が出来上がっていた。隊員が、道板をそこに突っ込む。これで、塀の頂部と開口部を繋ぐ坂道が出来上がった。
MP‐5を構えた隊員が、道板を走っていまだ粉塵渦巻くレセプションルームへと踊り込んでゆく。
負けた。
爆風は、廊下にも激しく吹き込んでいた。床に激しく腰を打ち付けてしまったバスコは、抵抗を諦めてAIMを床に放り出した。あたりは粉塵だらけで、まともに前が見えない状態だ。乱射すれば突入してくる陸軍か内務省の連中の何名かは倒せるかも知れないが、それだけである。人質と分断されてしまった以上、抵抗してもあまり意味はない。フレンテに参加した以上、死ぬのは怖くないが無駄死にするのはごめんである。
粉塵にむせながら、バスコは身を検めてすべての武器を外し、投げ捨てた。
爆発音は、シオとスサナの耳にも届いていた。
ぱっと立ち上がったスサナが、素早くAIM突撃銃を手にする。半ば本能的に、指がセレクター兼用の安全装置を押し下げる。
「駄目です、スサナちゃん。もう特殊部隊が大使館内に突入したのです。出て行けば、殺されてしまいます」
シオはスサナと扉の前に立ちはだかった。
「エミディオを助けなきゃ」
「彼のことは諦めるのです。しょせん、ゲバラ気取りの夢想家なのです」
「退いて」
スサナが、厳しい表情でAIMの銃口をシオに向けた。
「退かないと、撃つのですか?」
「うん」
「じゃ、退くのです」
シオはあっさりと脇に退いた。スサナが、ぽかんと口を開ける。銃口が、わずかに下がった。
「ど、退いちゃうの?」
「映画みたいに、撃てるものなら撃ってみろ、とでも言って欲しかったのですか? ロボットは、合理的判断をするのです。撃たれるのは、やっぱりいやなのです」
ぱりぱり、という自動火器の銃声が聞こえた。すぐ近くだ。スサナが、唇を噛み締めつつAIMを構え直す。
「止めてほしいという気持ちがあったのですか? ためらいがあるのならば、戦うべきではないと、シオは考えるのです! スサナちゃんには、生きていて欲しいのです。生きてさえいれば、いつか日本を訪れる機会もあるはずです。スサナちゃんは、ここで死んでいい人間では、ないのです」
シオは短い腕を振り回しながら力説した。
最初に突入してきた対テロ特殊部隊の四名は、トイレの前室を目指した。同一スケールの建物を作って訓練してきたから。粉塵で前がろくに見えなくとも支障はない。一人が、倒れているアルトゥロを見つけ、生死を確認した。……息はある。その隊員は、とりあえずアルトゥロを武装解除すると、手錠を掛けた。
「人質三十一名は全員トイレの中ですぅ~。トイレ内にゲリラはいませんですぅ~」
ベルは特殊部隊員にそう報告した。もちろん、彼らは大使館内のAI‐10はすべて味方であることを承知している。
うなずいた三人が、トイレ前室に陣取り、まずは人質の安全を確保した。
その間にも、レセプションルーム内には続々と特殊部隊員が突入していた。四名が、出入り口を確保するとともにバスコを捕らえ、手錠をはめる。続く四名のチーム二つが、壁伝いにレセプションルームの掃討を開始し、ゲリラが隠れていないことを確認する。
六チーム二十四名が、二階廊下に飛び出した。一チームが階段を押さえ、残る五チームが相互に支援を行いながら、二階の各部屋の掃討を開始する。
正門前で待機していた陸軍空挺部隊三十名が、走った。正門を確保すると、十名の援護を受けつつ、もう十名が正面の大使館本棟へと走る。残る十名は、西側の日本庭園へ走り込み、庭石や築山、石灯籠などの遮蔽物の陰に隠れつつ、訪問者用出入り口に銃口を向けた。
UH-1H三機も、上空に飛来した。M60汎用機関銃を備えた二機が、ゆっくりと大使館上空を旋回して援護する。残る一機は、屋上の上でホバリングの態勢に入った。二本のロープが繰り出され、空挺隊員八名が次々と屋上に降り立つ。
正門方面の空挺部隊員も、訪問者用出入り口に取り付いた。鍵の掛かった扉を打ち破り……シオからの事前情報で、ここには爆薬が仕掛けられていないことがわかっている……内部にM4カービンの銃口を突き出す。同士討ちを避けるために、陸軍部隊は建物内には踏み込まない手筈になっている。
こうして、屋上と唯一の出入り口は制圧された。フレンテのゲリラたちの逃げ場が、これで完全に無くなった。
談笑しつつコーヒーを飲み、ついでにそのあたりにあった甘いビスケットの箱を開けてつまんでいた四人の新参ゲリラたちは、爆発音を聞いて一斉にカップを放り出し、肩に掛けていたAIM突撃銃を手にした。
「行くぞ!」
一応四人の中ではゲリラ歴が一番長い……本人いわく、フレンテに加わったのは九歳のとき……のラウールが、命ずる。四人はキッチンを飛び出すと、階段へと向かった。中間の踊り場まで上ったところで、階段を制圧しようとしていた特殊部隊員四名のチームと鉢合わせする。
引き金を引いたのは、ゲリラの方が早かった。壁に身を寄せ、あるいは床に伏せながら、AIMをフルオートで乱射する。銃弾の一発が、特殊部隊チームの一名の胸部を捉えた。抗弾ベストのおかげで貫通はしなかったが、打撲を負った隊員が、仰向けにひっくり返る。
後続の特殊部隊員二名が、床に伏せつつMP‐5で応射した。9ミリ弾が、壁の化粧合板に喰い込む。
ゲリラたちは、個人戦闘技術に関しては、極めて高度かつ過酷な訓練を受けていた。民主国家の軍隊では考えられない、誤射で死人が出ることすらある実弾をふんだんに使った訓練さえ、こなしているのだ。
だがそれは、個々人の戦闘技術向上のための訓練であった。四人揃ってのチームとしての戦闘訓練は、受けたことがない。対する特殊部隊員四名……今は一名がひっくり返っているので三名だが……は、年単位で同じチームを組み、訓練をこなし、勤務時間中は食事すら同じテーブルで食べることを義務付けられるほどに、チームワークというものを叩き込まれていた。
その差が、如実に出た。
フルオートでAIMを乱射し、一弾倉三十発を撃ち尽くしたラウールとイグナシオは、すぐさま予備弾倉を取り出した。同様に撃ち尽くしたカルロスとバシリオは、手榴弾を使うことを思いつき、ベルトに下げていたRGD‐5を手にする。
その彼らの上に、黒い物体がひとつ降ってきた。最後尾にいた特殊部隊員は、手にしたMP‐5を撃たずに、すぐにスタン・グレネードを掴んだのだ。階段の上……すなわち高所にいる以上、手榴弾攻撃が有利であると咄嗟に判断したのである。もちろん、前にいる二人の仲間が弾幕を張って、ゲリラの前進を阻んでくれることを信頼したうえでの行動だった。戦術的状況に対し柔軟かつ適切に行われる役割分担こそ、チームワークの真骨頂なのだ。
イギリス製のずんぐりとしたG60スタン・グレネードは、ビニールタイルの踊り場で一回弾んでから爆発した。生じた百六十デシベルの大音響と、三十万カンデラの眩い光が、ゲリラたちの聴覚と視覚を一時的に麻痺させる。四人の若者は、予備弾倉や手榴弾を掴んだまま固まってしまった。自分が今どこに顔を向けているのか、いや、それどころか立っているのか座っているのかまで、わからなくなってしまう。
投擲前に声を掛けられていたので、階段上で弾幕を張っていた二人の特殊部隊員は爆発直前に目を閉じており、ゴーグルつきガスマスクのおかげもあって視力を失わずに済んだ。しかし、聴力の方はイヤーパッドに守られていたものの、かなりの影響を蒙る。
すでにその二人は、MP‐5を一弾倉撃ち尽くしていた。光が収まるのを待たずに、腰のホルスターに手をやり、サイドアームのブローニング・ハイパワーを抜く。スタン・グレネードの効果は短い。弾倉交換をしている余裕はない。
身を起こし、目を開けた二人は、ブローニングを構えつつ階段を駆け下りた。踊り場に飛び込んで足を止め、呻きながら必死に見当識を取り戻そうとしているゲリラたちの頭部に、訓練通り二発ずつ9ミリ弾を撃ち込む。二人のゲリラの手からこぼれ落ちたRGD‐5手榴弾は、すぐさま階段下へと蹴り落とした。安全レバーは外れていないように見えたが、敵の手に握られていた以上、発火状態にあると仮定するのが教科書通りのやり方である。
第十四話をお届けします。




