第二十四話
午前八時を過ぎたところで、ソバウェ基地司令コーマ少佐はバンバ将軍に連絡を入れる肚を固めた。
特に通信規則は定めていなかったが、敵制圧に成功すれば……あるいは敵の逃亡を確認すれば、何らかの連絡があってしかるべきである。しかし、バンバ将軍の部隊からは、目標到達予定時刻からすでにかなりの時間が経過したものの、一向に通信が入らない。
こちらから下手に問い合わせの無線を入れるのは危険である。相手は、バンバ将軍なのだ。上官に対し『報告を求める』わけにはいかないし、状況を伝えて欲しいと要請しただけでも、『上官のことを信用していないのか』と言われかねない。
かと言って、このまま無視を決め込むのもハイリスクである。もしバンバ将軍の部隊が通信を行えないほどのトラブルに巻き込まれていた場合、『なぜ連絡を取ろうとしなかったのか』と責められる可能性もあるし、状況がまったく分からないのでは、戦闘の後始末などに必要な準備を整えることもままならない。いきなり戻って来た将軍に、準備不足を指摘され、『無能』呼ばわりされるのも困る。
部下のカノーラ大尉あたりとこっそり連絡がつけばいいのだが、あいにく長距離無線機を装備しているのは、バンバ将軍の乗ったBTR‐60PBKだけである。
そのようなわけで、いかにも中間管理職らしい心配に朝から頭を悩ませていたコーマ少佐だったが、ここへきて妙案を思いついた。『報告』という形で、無線を入れれば角は立つまい。
コーマ少佐はさっそく通信兵に指示を出した。通信内容は、『当基地における捕虜の受け入れ態勢を整えた。次の指示を請う』というものだ。これならば、バンバ将軍の部隊が首尾よく任務を果たしたとコーマ少佐が確信しているという意味になるし、上官からの指示を求めているからそれなりの返信があるものと期待できる。
だが、コーマ少佐が期待したような返信は無かった。それどころか、通信兵が何度呼びかけても、受信側は無線に応答しない。
「予備周波数に切り替えても、応答有りません」
通信兵が、困り顔でコーマ少佐を見る。
……これは、最悪の事態を想定した方がいいかも知れん。
コーマ少佐はそう判断した。むやみに騒ぎ立てるのはまずいが、何も手を打たないのはそれ以上にまずい。対応次第では、軍歴が終わりかねない事態だ。
部下を呼びつけたコーマ少佐は、車両偵察隊の編成を命じた。通信兵には、共和国行動軍事部門司令部に繋ぐように命ずる。無線に出た当直士官……運がいいことに、以前部下だったフェンバ中尉が当直だった……に、状況を伝えて、トゴ大佐への報告を依頼する。
BRDM2装輪装甲偵察車一両、BTR‐60PB装輪装甲兵員輸送車二両からなる偵察隊が、急ぎ編成される。その出発準備を見守りながら、コーマ少佐は一体何が起きたのかと想像を巡らせた。予備の無線機も搭載していたから、無線機の故障というのは考えにくい。BTR‐60PBKが、敵の攻撃を受けて損傷したというのが、一番ありえそうな話である。バンバ将軍のことだ、敵を目の前にして熱くなり過ぎて、紙装甲のBTRで前に出てしまい、対戦車ロケットか何かを喰らってしまったのだろう。ひょっとすると、負傷しているかも知れない。
そこまで想像したコーマ少佐は、急いで衛生兵を二人呼び寄せると、BTR‐60PBに無理やり……定員オーバーになるが……乗り込ませた。もし本当にバンバ将軍が負傷していたとすれば、コーマ少佐のこの処置は称賛されることだろう。
準備が終わった車両偵察隊が、砂煙を蹴立てて出発する。それを見送るコーマ少佐の脳裏には、バンバ将軍が戦死したかもしれないという考えはまったく浮かんでいなかった。それくらい、共和国行動の軍人兵士たちのあいだでは、将軍は英雄視されているのだ。そしてもちろん、将軍の部隊が全滅している可能性に至っては、最初から浮かぶ余地すらなかった。
現地に到着した車両偵察隊は、地面に空いた大穴に驚愕し、さらに穴の中に多数の装甲戦闘車両が転がっているのを見つけてさらに驚愕した。無線で呼びかけ、周辺を捜索して誰も生存者がいないことを確認してから、ソバウェ基地に報告を入れる。
報告を受けたコーマ少佐は驚きつつも急いで軍事部門ナンバー2……コーマ少佐の考えではバンバ将軍の代行者であるカミーユ・トゴ大佐に報告を入れる。驚いたトゴ大佐も、慌てて関係各所に連絡を入れた。大佐は機密保持に努めたが、共和国行動はしょせん寄せ集めの政治組織である。そして、『重要人物の死』は秘匿しようとしても絶対に漏れてしまうタイプの情報の筆頭と言える。というわけで、この日の昼前には、バンバ将軍死去の報せはマラハ愛国運動を率いるモーリス・トラオレ大統領や、社会民主連合のフェリシテ・コナタとヴィオレット・サネらにも知られることとなった。
共和国行動の軍事部門を牛耳るカミーユ・トゴ大佐。政治部門の重鎮、パトリック・サナケ。そして、元議員にして地元の実力者であり、亡きバンバ将軍の盟友でもあるアベル・センパラ。厄介なことに、三人とも自分がバンバ将軍の後継者として共和国行動の代表者に就任するべきだ、との考えを持っていた。
不幸なことに、三者とも指導者としての力量は充分に持ち合わせていた。さらにまずいことに、三者とも本命の後継として他者を蹴落とせるほど、組織内で支持を固めることができずにいた。トゴ大佐は、指揮下の軍人兵士たちの忠誠は勝ち得ていたが、政治的実績はなく市民には人気が無かったし、パトリック・サナケは行政組織や警察機構は掌握しており、都市住民には人気があったがそれ以上の影響力は持たず、アベル・センパラは商業界と産業界の支持を集め、地方の有力者の信頼も篤く、一番資金力があったが身辺護衛以外の『戦力』は一切持っていなかった。
とりあえずパトリック・サナケの音頭で、ヤロンゴ市内で三者会談が開かれることとなった。……サナケとしては、話し合いとなれば調整力に長けている自分が有利だし、トゴ大佐とセンパラを『対消滅』させれば、漁夫の利を得られるだろう、という目論見であった。
だが、この『清須会議』……本物の清須会議に家康は出席していなかったが……は物別れに終わった。トゴ大佐とセンパラの対立は、サナケが期待したほどには深まらなかったのだ。だが、バンバ将軍の死の責任に関しては、サナケとセンパラにはまったく無く、トゴ大佐が一方的に負うべきだ、という点でサナケとセンパラの意見は一致を見た。その結果、サナケとセンパラの関係は、反トゴ大佐という立場から急速に親密化することになる。両者はトゴ大佐に知られないように密談を重ね、ついに同盟を結ぶことに合意した。表向き、パトリック・サナケがバンバ将軍のあとを継いで共和国行動代表に就任し、アベル・センパラが副代表に就任する、というプランである。センパラは、サナケに代表の椅子を譲った代償として、軍事部門の管理を任されることになる。トゴ大佐に関しては、軍人兵士たちに人気があり過ぎて危険ということで、事故を装って抹殺すべし、という結論が出された。
だが、その策謀はカミーユ・トゴを密かに信奉する者の手によって、本人に報らさせることとなった。軍人らしく、トゴ大佐は用心深くあらかじめいくつかのオプションを準備していた。そのうちのひとつ……軍事力による、共和国行動内の権力奪取計画を、トゴ大佐はさっそく発動させた。
トゴ大佐が信頼する部下と部隊が素早く動き、ヤロンゴ市内の数か所を占拠し、パトリック・サナケの支持者を拘束する。同時に、郊外にあるアベル・センパラの私邸も別動隊によって占拠された。
素早い行動でカミーユ・トゴ大佐はヤロンゴ市を制圧したが、この作戦は満足な成功を収めなかった。主たる目標であるパトリック・サナケとアベル・センパラ両名の拘束に失敗したのだ。実は、サナケはその頃愛人のアパートメントでお楽しみの最中であり、アベル・センパラは支持拡大を図ろうととある地方都市にお忍びで出かけていて留守だったのだ。
トゴ大佐は悔しがったが後の祭りである。とにかく基盤を固めようと、大佐は『反トゴ派』の狩り出しを急ぐ。
拘束は免れたものの、パトリック・サナケとアベル・センパラは窮地に立たされた。トゴ大佐の先制攻撃により、すでに組織はがたがたになっている。反撃しようにも、使える武力は警察力だけで、トゴ大佐率いる蜂起勢力に対しては質量ともに劣る。といって、何も手を打たなければ、情勢は悪化するばかりだ。
この窮状を打開するために、パトリック・サナケとアベル・センパラが取った手段は、まさに『後先を考えない無謀とも言える選択』であった。なんと、ライバルであるマラハ愛国運動を率いるモーリス・トラオレ大統領に、支援を求めたのだ。
トラオレ大統領は大喜びで、サナケとセンパラに支援を与えることを確約した。これで、共和国行動の力を大幅に削ぐことができる。将来的には、共和国行動の支配地域を吸収することも可能だろう。マラハ統一という目標に、また一歩近づくことになる。
サナケとセンパラが、マラハ愛国運動と手を組んだという報せは、トゴ大佐に衝撃を与えた。順調とは言えないが、こちらに有利に運んでいた権力奪取作戦が、この奇手によってあっさりと危殆に瀕してしまったからだ。いくらトゴ大佐とその優秀な部下たちでも、後ろ盾にマラハ愛国運動が付いたサナケとセンパラ相手では分が悪い。いや、それどころではない。負けるのは、時間の問題だろう。
こうなれば、こちらも奇策を使うしかない。
トゴ大佐は、急遽フェリシテ・コナタとヴィオレット・サネに連絡を取り、社会民主連合と共闘する意思があることを伝えた。
「よーし。完全にアルジェリア国内に入ったよ。この辺で、迎えを呼ぶよ」
GPSで座標を確認したジョーが、衛星電話機を取り出して掛け始める。
「ぷはー。しんどかったのであります!」
シオは背負っていたジェリカンを地面に下ろすと、自身も腰を下ろした。他のメンバーも、荷物を下ろしたり、背負ったまま座ったりして、楽な姿勢を取る。……荷物を背に突っ立ったままでも、消費電力にさほどの差はないのだが、やはりそこはAI‐10である。『休憩』となると、どうしてもより楽に、より寛げる人間臭い体勢を取ってしまう。
「連絡終了。三時間後にヘリコプターをよこしてくれるってさ。指定座標位置まで行って、待機していよう」
衛星電話機を片づけながら、ジョーが言う。シオは腰を上げると、ジェリカンを背負った。ガソリンは、まだ半分以上残っている。
五キロメートルほど北に歩いて、座標位置に達した一同は、少し歩き回って着陸に最適な場所を探した。あたりは岩石砂漠で、どこでも離着陸は可能だったが、事故防止のためにはなるべく平坦で、岩屑などが少ない場所がいい。
やって来たのは、砂漠迷彩塗装のアルジェリア空軍Mi‐17であった。ジョーが内蔵無線で誘導し、無事着陸させる。
AI‐10たちは、その場にガソリンのすべてを残し、機内に乗り込んだ。全員が乗り込んだところで、ローターを回したままのMi‐17はすぐに離陸した。機内には、黄色い円柱状の増加燃料タンクが取り付けてあった。砂漠の中の飛行なので、途中に燃料補給地点がないのであろう。
「どこへ行くんや?」
雛菊が訊く。アルジェリアは広い国であり、その面積は約二百三十八万平方キロメートルと、なんと本州十個分よりも広い。ゆえに、Mi‐17の航続距離では北部のアルジェやオランまで飛行するのは無理だ。ちなみに、今のところアルジェリアは『アフリカで一番広い国』の称号を得ている。かつては、スーダンの方が広かったが、南スーダンが独立したことでスーダンの面積が縮小したので、第一位の座が転がり込んで来たのだ。
「タマンラセットだね。そこにある空港に迎えが来るはずだよ! ちなみに、タマンラセット空港はかつてのスペースシャトル計画の際に、代替緊急着陸地点のひとつでもあったんだよ! 昨今の対テロ戦争で、合衆国を含む外国の軍隊が一時駐留していたこともあるしね!」
ジョーが、嬉々として説明する。
何も面白いものが見えない単調な砂漠の上を一時間も飛ぶと、周りの風景が砂漠のそれから乾いた岩だらけの山地に変化した。岩石高原、とでも呼べそうな岩だらけの高地と、連なっているなだらかな岩山を超えてゆくと、ちょっとした盆地のようなところに出る。正面に空港が、右手の方にはいかにも砂漠の街、と言った感じの赤茶けた小都市が見える。
タマンラセット空港の軍用ヘリポートに着陸したMi‐17から下ろされたAI‐10たちは、AKMで武装した兵士に付き添われて、格納庫の一郭に案内された。そこで充電を勧められ、さらに何か必要なものは無いかと訊かれる。AI‐10たちは遠慮して何も求めずに、充電だけさせてもらうことにした。ちなみに、アルジェリアのコンセントは丸棒二本のタイプC……いわゆるユーロタイプである。
待つこと二時間。ようやく迎えの固定翼機が、タマンラセット空港に着陸した。アルジェリア空軍のC‐295双発ターボプロップ輸送機だ。スペインのCASA……現在はエアバス・ミリタリーの一部となっている……が開発した航空機である。
AI‐10たちを乗せたC‐295はタマンラセット空港を離陸し、北上した。実に三時間以上を掛けて千五百キロメートル以上を飛行し、地中海沿岸に到達する。この辺りまでくると、山地には普通に森林があり、平地には果樹園や畑が見られるようになる。湿潤な日本とは違い、かなり乾燥しているのだろうが、それでも砂漠の赤茶けた大地を見慣れてしまったAHOの子たちには、地中海南岸の風景は心地よかった。
C‐295が着陸したのは、首都アルジェの南西にあるブファリク空軍基地であった。アルジェリア空軍の輸送機部隊のメインベースである。
そこで待ち受けていたのは、合衆国空軍のC‐130Jスーパー・ハーキュリーズであった。C‐295が、タキシングして駐機しているC‐130の隣まで進む。C‐295を降りたAI‐10たちは、そのままC‐130の機内に連れ込まれた。
「おおっ! せっかくアルジェまで来たのでありますから、名高いカスバの街を、みんなでさまよい歩きたかったのであります!」
シオは悔し気に言った。
「まあまあ。結構改善したけどまだあの辺りは治安良くないから」
ジョーが、宥め口調で言いながらシオの腕を引っ張る。
C‐130Jが、夕暮れ間近のブファリク空軍基地を離陸する。同機は北上して地中海に出ると、スペイン領マヨルカ島とメノルカ島のあいだを抜け、さらに北上した。そしてやや針路を東寄りに変えながら、マルセイユの明かりを右手に見つつブーシュ‐デュ‐ローヌ県に上陸する。その後もフランス南東部を北上したC‐130Jは、スイス領空を避けるように飛行して、ドゥー県あたりで針路を北東に変えた。そして国境を越えてドイツ領内に入り、煌々と照明が点灯されたラムシュタイン空軍基地の滑走路に着陸する。総飛行距離は、約千五百キロメートル。地中海を超え、フランスを通り、ドイツまで到達した飛行と、アルジェリア南部から北部への飛行距離がほとんど同じ。……いかにアルジェリアが巨大な国であるか、が如実に感じられる。
AI‐10たちは、そこで朝まで留め置かれた。翌朝、合衆国本土へと戻る定期便の毎度おなじみのC‐17に押し込まれる。……日本へ向けての長い旅は、距離的にはまだ序盤である。
第二十四話をお届けします。




