第十三話
サンタ・アナ内務省で行われた『ポジート』作戦に関する緊急会議は、比較的短時間で終了した。主要な主席者……内務大臣、国防大臣、陸軍司令官、大統領顧問、CIAのミスター・アーネルらが、予定通り本日午前中に強行突入することを支持したからだ。末席を占めたデニス・シップマンも、特に異議は唱えなかった。ここで作戦決行を延期しても、ヤング大使の安全が保障されるわけではない。となれば、このまま作戦を遂行し、フレンテの弱体化を図った方が、得策である。もちろんこれについては、イギリス政府もSIS上層部も、同様の判断を下していた。
現地時間午前五時ちょうど、大統領の裁可を受けた内務大臣が、正式に『ポジート』作戦の決行を内務省、陸軍司令部、日本大使館占拠事件対策本部、警察庁などの関係各所に通達した。
内務省の一室では、一台のパソコンのエンターキーが押された。ディスプレイに表示された数字が、カウントダウンを始める。05:43:10。
突入開始まで、あと約五時間四十三分。
デニス・シップマンより『ポジート』作戦決行の報せを受けた長浜一佐は、市内のホテルにいる多田官房参事官に連絡を取った。多田官房参事官が、すぐさま在メキシコ日本大使館経由で東京に報告を入れる。
多田官房参事官からの指示が長浜一佐のもとに届いたのは、三十二分後であった。サンタ・アナ当局に全面的に協力しつつ、なお大井大使奪還に尽力せよ。
予想通りの返答であった。
午前六時。
いつものように食料搬入のフォードEシリーズ・フルサイズバンが日本大使館構内に入ってきた。
シオもいつものように何台ものサービスワゴンと台車を用意して待ち構えていた。作戦決行の当日だからこそ、怪しまれぬように普段と変わらぬスケジュールを保たねばならない。
天候は、晴れ。地表近くでは微風だが、高層は風が強いらしく、綿毛のような白い雲が、南東方向から北西へと次々と流れ去ってゆく。気温はまだ低めだが、今日も日中は結構暑くなるだろう。
食料の積み下ろしと検査が始まった。その合間に、見張りの隙を見てパコがシオにささやく。
「予定通り決行だ。ブエナ・スエルテ!(幸運を祈る)」
食料搬入はつつがなく終わった。最後の台車を押しながら、シオは見張り役のスサナに声を掛けた。
「スサナちゃん、あとでお話がしたいのですが」
「今日は忙しいよ。昨夜来た連中を案内しなきゃならないから」
昨晩の日英両大使移送作戦に駆り出されていささか睡眠不足のスサナが、眠そうな様子で答える。
「大事なお話なのです。スサナちゃんを、日本へ招待できる方法を見つけたのです」
「本当? からかってるんじゃ、ないでしょうね」
「ロボットはむやみに人をからかったりしないのです。十時四十分頃に、一階の文化広報室に来てもらえませんか?」
「ふん」
脚を止めたスサナが、その大きな瞳でシオをじっと見据えた。シオも脚を止め、覆面に半分隠れたスサナの滑らかな丸顔を見上げる。
「いいよ。十時四十分だね」
「お待ちしています」
六時三十分。
エルミタ通りに、続々と車両が入ってきた。濃い緑色に塗られた陸軍のM‐35トラック、濃いグレイに塗られた内務省治安部隊のバス、それに紺色に塗られた首都警察のバスである。
合計二十数台ほどの車両からは、続々と兵士、治安部隊員、警察官が降り立った。毎朝恒例の、任務交替である。彼らが配置に着いたところで、疲れた顔をした夜勤の者たちが任務を解かれ、あくびをかみ殺しながら車両に乗り込み、熱いシャワーや冷たいビールにありつくのを、あるいは妻や子の笑顔とまみえることを楽しみにしつつ、現場を離れるのだ。
だが今回は、車両から降りてくる者の数が、いつもより多かった。突入作戦に参加するメンバーが、紛れ込んでいたのだ。陸軍からは、第7グルッポに所属する空挺大隊の隊員、六十名。内務省治安部隊からは、対テロ特殊部隊のほぼ全員、四十名。首都警察も、バックアップ用に狙撃手八名を含む五十名を送り込んでくる。
彼らはそれぞれ包囲線の内側に確保してある建物の中に消えた。指揮官とその補佐だけは、近所の邸宅に置かれている対策本部へと向かう。
七時三十分。
レセプションルームでは、人質三十一人が朝食を終えたところであった。ダンボール箱を抱えたシオは、その中に食べ残しや空き瓶、包装紙、空箱などのゴミを集めてまわった。
まだ四十歳程度のサンタ・アナ人が、手伝う振りをして話しかけてくる。
「予定通り決行するのか?」
「はい。日英両大使が連れ去られたのは計算外でしたが、サンタ・アナ政府は予定通り突入作戦を行い、皆さんを救出するとのことです。皆さんの準備は、整いましたか?」
「シュージの決めた手筈は、約半数に伝えた。残りも、決行前に伝える予定だ」
「結構です。爆薬は、朝食に紛れて運び込んだものが最後です。隠しておいてください。次に現れるロボットは、爆破担当の者です。彼女の指示に従ってください」
「心得た」
八時十五分。
「では、ベルちゃん。あとは頼むのです!」
「はいぃ~。では下見に行ってきますですぅ~」
ベルは手をひらひらと振ると、地下倉庫を後にした。ポケットを始めとする身体の各所には、導爆薬線や信管などを隠してある。
すでにベルのメモリーには、シオからコピーした大使館内の詳細な3Dマップや、レセプションルーム内の様子、爆破予定の壁の細密な立体モデルなどが納められていた。そのような意味では、あえて作戦現場の下見を行う意味はないのだが、なるべく人間臭い思考をするようにプログラムされたAI‐10としては、一度は自らの『眼』で現場を確かめておかねば『気がすまない』のである。
ベルはサクラがするように、レセプションルームの入口で見張りに立っている二人のフレンテ戦闘員に挨拶してから、室内に入った。午前中の見張り任務は、内部がFPK狙撃銃を携えた若いアルトゥロ、外部がAIMを肩に掛けた中年のバスコのようだ。
レセプションルーム内は、わりと静かであった。この時間帯は、食後の休息タイムなのだ。毛布の上でひっくり返っている者。車座になってカードゲームやボードゲームに興じている者。差し入れられた本や雑誌をめくる者。小声でおしゃべりしている者。何人かは、トイレの方で顔や手足を洗っているらしく、水音が聞こえてくる。
ベルは例の『ゴール毛布』の裏側に入った。超音波センサーで、外壁から内側に突き出している四角い柱……ラーメン構造の特徴的な様式である……からの距離を測り、ポケットから取り出したマーカーで爆薬設置位置に印を付けてゆく。マーカーはデニスが用意してくれたもので、赤外線を放射し易い透明塗料を塗りつけることができる。人間の肉眼ではよほど近付かない限り目につくことはないが、ロボットの赤外線モードで見れば一目瞭然のマーキングとなる。3Dマップ化が成されているので、このような準備をしなくとも正確な位置に爆薬を仕掛けることは可能だが、この方がいくらか時間の節約になるのだ。
九時。
日本大使館から北へ数ブロック離れた四階建てのオフィスビル。
ここに、合計十名の男性が相次いで訪れた。徒歩、タクシー、バスなど手段は様々であったが、いずれもが二人連れという少しばかり奇妙な来訪者であった。全員がノーネクタイのワイシャツ姿で、手ぶら。普通のサラリーマンよりは逞しい身体つきをしており、足取りもきびきびとしている。
彼らは通用口で待ち構えていた若い男性に促されるようにして、オフィスビルの中へと入った。中で待っていた中年の男性に案内され、エレベーターに乗る。三階で降り、足早に廊下を奥へと進んでゆく。
屋上へと通じる階段の扉の前にも、男性が一人待っていた。その男性が、ビルオーナーから預かっていた鍵で扉を開ける。
待機していた男性三人は、いずれも首都警察の私服警官であった。ワイシャツ姿の十名は、首都警備大隊と近隣の陸軍部隊から選抜された、狙撃チーム五組である。このビルの屋上から日本大使館二階の窓までは、一切遮蔽物がない。……狙撃には絶好のポイントである。
屋上にはすでに、二人の人物が配置に着いていた。無線機を手元に置き、狙撃指揮を執る陸軍大尉と、その補佐をするベテランの観測手……階級は、曹長……である。もちろん、二人とも民間人の服装であった。
屋上の隅には、新品のワールプールの大型冷蔵庫の段ボール箱が、木枠に補強されて横たえてあった。今朝方、配送業者……に偽装した陸軍兵士たち……が運び込んだものだ。狙撃チームが木枠と包装を剥がし、中からM24狙撃銃……アメリカ陸軍も制式採用しているボルトアクションライフル……、観測手用のスポッター・スコープ、銃を安定させるためのビーンズ・バッグ、伏射姿勢を安定させるための低反発マットなどを次々と取り出す。
ほぼ同時刻、日本大使館から数ブロック南へ離れた三階建てのミドルクラスホテルにも、同じような十名の男性が訪れ、同じように装備を取り出していた。
通常、狙撃手はなるべく早く狙撃ポイントに付き、目標との相対位置を確認するとともに周囲の環境に『馴染もう』とする。狙撃とは、自然環境を味方にすればするほど成功し易くなる技能だからだ。
狙撃手はそれぞれ愛用のM24を手にすると、射撃準備を進めた。観測員は、スポッター・スコープを据えて目標の識別に掛かる。射距離は、北側のビルからが約四百十メートル。南側のホテルからが、約三百八十メートル。プロの狙撃手である彼らにとっては、静止目標ならば外しようがない距離である。
九時三十七分。
一台の有蓋トラックが、警察の検問を通り抜けて封鎖区域に入ってきた。大使館北側の邸宅に通じる路地に入り、停車する。すぐにエンジンが切られた。
九時四十二分。
四人の新参者……ラウール、バシリオ、カルロス、イグナシオを連れたスサナは、大使館内部の案内を開始した。まずバスコが書いた手書きの図面を見せて、建物全体の構造をざっと説明する。
次いでスサナは地下から大使館案内ツアーを開始した。地下倉庫の扉も開け、照明を点けて中を見せる。すでに作業台はきちんと片付けられており、ベルが爆弾製作を行った痕跡は皆無であり、誰も異常には気付かなかった。サクラもシオも積み上げられたダンボールの陰に隠れていたので、見つかることもなかった。
「ふー、びっくりしたのです」
明かりが消え、扉が閉まると、シオはそう独り言を言って額を手の甲で拭った。もちろんAI‐10に発汗機能はないから、焦りや緊張状態を示す記号的表現である。
十時。
待機していた内務省の係官が、生中継を行っているすべてのテレビ局とラジオ局の担当者に対し、報道規制を言い渡した。事前の打ち合わせ通り、異常なことは何も起こっていないという振りをして放送を継続せよ、と命ずる。
報道関係者は、即座に応じた。外国の局の生中継は認可していないので、今現在生中継を行っているのはすべてサンタ・アナ国内の局である。放送免許の許諾権を握っている内務省には、逆らえない。
厄介なのはテレビカメラだが、元から固定した映像しか流していないし、陸軍や内務省の部隊が大使館に接近するところが映りそうになったら、CMを入れたりスタジオに切り替えたりするように申し合わせてある。
テレビ局の現場スタッフは、すぐにビデオカメラの準備を開始した。単に録画するのであれば、どんな情景を撮っても問題ないと言われている。……特殊部隊が大使館に突入する臨場感あふれる映像を抑えようと、各局のカメラマンはビデオカメラを回し始めた。
十時一分。
大量のタオルを抱えて、ベルがレセプションルームに現れた。
すぐさま、一人の人質が見張りのアルトゥロに近付き、注意を逸らす。その隙に、ベルはタオルの山を抱えたまま『ゴール毛布』の背後へ入った。
床の上には、脚立代わりの椅子と折り畳まれた毛布が無造作に置かれていた。ベルの手が、毛布をぺらりとめくる。
八つのシェイプド・チャージが行儀よく並んでいた。
十時十分。
アスセナス空軍基地で、五機のヘリコプターがターボシャフトエンジンを始動した。機種はいずれもUH-1H。三機が、ドアガンとしてM60汎用機関銃を装備した支援機、二機がアプザイレン用のロープを装備した制圧機で、各一機が予備機となる。
支援機の銃手らはすでに機内に乗り込んでいた。空挺大隊より選抜された十六名が、ゆっくりとした足取りで歩み寄り、キャビンに入る。携えているのは、アメリカ製のM4カービンである。
パイロットが、クラッチを入れた。二枚ブレードのメインローターが、まだ朝方の湿気を残している空気を切り裂きながら、回り始める。
十時十五分。
本作戦の主役たる突入要員である内務省対テロ特殊部隊四十名が、動いた。
大使館から見えないように、塀を遮蔽にして大使館北側にある邸宅を徒歩で目指す。そこの路地に停車しているトラックから、アルミ製の梯子……アサルト・ラダーと呼ばれる突入作戦専用のもの……と、同じくアルミ製の長い足場板が次々と降ろされた。これらを携えた四十名は、なおも建物の陰に隠れるようにしながら、邸宅の敷地に入った。過剰な音を立てぬように用心しながら、大使館との境界にある高さ三メートルの塀にへばりつくように隠れる。
装備するメイン・ウェポンはH&K MP‐5A3短機関銃。サブウェポンは、ブローニング・ハイパワー自動拳銃。全員が、抗弾ベストを含むアサルト・スーツを着用し、ガスマスクとヘルメットに身を固めている。さらに、スタン・グレネード(特殊衝撃/閃光手榴弾)とCSグレネード(催涙ガス手榴弾)、手斧、大ハンマー、フラッシュライト、バールのような物なども、各自携行していた。
続いて動いたのは陸軍空挺大隊の六十名だった。半数が、内務省部隊をバックアップするために北側の邸宅の背後で待機する。残る半数は、正門前に陣取る装甲車の陰に潜んだ。こちらの装備は、M‐4カービンとヘルメット、抗弾ベストだけとやや軽装備である。
首都警察の応援部隊も、少人数に分かれて最前線の包囲の輪に加わる。装備はM‐16A1アサルト・ライフルで、狙撃手はレミントンM700狙撃銃を携えていた。
十時二十分。
五機のUH-1Hが、市街地にほど近い待機空域に達した。爆音を響かせながら、そこで緩やかな円を描き始める。
十時二十五分。
サイレンを鳴らさないまま、市内各所から集められた十数台の救急車が、大使館から一キロほど離れた複数の待機位置に到着、分散待機に入った。先導役の警察車両も、位置に着く。
十時二十六分。
シオは爆薬の設置を終えた。予定より若干遅れたのは、慎重を期してゆっくりと作業したせいだ。
目視で導爆薬線の配置に漏れがないことを確認すると、シオは電波起爆式の信管の安全装置を外した。リモコンがポケットに入っていることを確認してから、脚立代わりにしていた椅子を持って『ゴール毛布』の端まで行く。
さりげなく見守っていた人質の一人が、軽くうなずくと仲間に合図を送った。別の人質がアルトゥロに話し掛ける。
出てきても安全、というサインを確認してから、ベルはゴール毛布の後ろから出た。何食わぬ顔で、椅子を運んでゆく。
十時二十九分。
「そろそろ、運動の時間じゃな」
元副大統領が言って、上着を脱いだ。
人質のあいだから、喚声が上がった。すぐに、床に敷いてあった毛布やタタミ・マットが片付けられる。タタミ・マットのうち四枚が、トイレの前室の中という不自然な位置まで運ばれたが、見張りのアルトゥロはそれに気付かなかった。
三個のサッカーボールが、人質のあいだを巡る。楽しそうな声を聞きつつ、ベルはトイレの前室で待機した。
十時三十三分。
スサナは腕時計を見た。サクラとの約束の時間まで、あと少しだ。
「少し休憩しましょうか」
スサナは率いていた若い男性たちを、一階のキッチンへと誘った。手早く温めたコーヒーをカップに注いで、配る。
十時三十五分。
日本大使館を含むサンタ・アナ市街地の約四分の一の地域で、固定電話と携帯電話が不通となった。
当然のことながら、これは事故や故障などではない。内務省の指示で、電話会社が意図的に停止措置を取ったのである。封鎖区域の外にいるシンパが、立てこもっているフレンテのゲリラに突入近しを報せるのを防ぐのが、目的であった。
もちろん、ゲリラたちが不通に気付けば、却って突入を予告してしまうことになる。だが、フレンテ側は通話がすべて包囲側にモニターされていることを承知していたので、めったに電話を使っていなかった。ゆえに、まず間違いなく通話妨害を行った方が、奇襲効果が望めるであろう、と内務省は判断したのである。
十時三十六分。
シオはそっと地下倉庫の扉を開けた。誰もいないことを確認してから、外に出る。スサナと約束した時間まで、あと四分。
一階まで上がったシオは、堂々と廊下を進んだ。こそこそしては、却って怪しまれる。
キッチンの方では、何名かが談笑している気配がしていた。シオは文化広報室の扉を開けると、その中に潜り込んだ。
十時三十九分。
レセプションルームでのボール遊びは、予定通りミニゲームに切り替わっていた。いい年をした大人の男性たちが、喚声をあげながら一個のボールを巡って走り回っている。
その人数は、十五名ほどしかいなかった。半数の人質……主に年齢の高い人質……は、すでにトイレの奥に隠れていたのだ。
……あと六分を切ったのですぅ~。
ベルはわくわくしながら、手の中の押しボタンスイッチを指でそっと撫でた。
第十三話をお届けします。




