第二十三話
「撃って来た!」
ファーストクラスの窓から外を見張っていたMoAメンバーの一人が、まるで自分に向かって銃弾が撃たれたかのように、慌てて窓から飛び退く。
「慌てるな! 威嚇射撃だ!」
シンガは叫ぶように言った。
「これは面白くなってきたぞ」
西脇二佐はほくそ笑んだ。
窓から外を覗くのは無理だが、MoAテロリストたちの様子や会話から、777が合衆国空軍か海軍の戦闘機に追尾されていることは理解できた。
「シンガ! パイロットが、次は当てると言ってます!」
ファーストクラスに飛び込んで来たテロリストの一人が、叫ぶように報告する。
シンガが西脇二佐にも、そしてもちろん磯村聡史にも理解できない言語で毒づいてから、急いでコックピットの方へと戻ってゆく。
「どういうことなんですか?」
聡史が、小声で訊いた。
「米軍機が威嚇発砲したんだ。予定通り、沖縄あたりへ強制着陸させるつもりらしいな。そろそろ。種明かしの用意をした方がいい」
西脇二佐は、担架に横たわって、すやすやと寝息を立てている『アリス・ティンバーレイク』を見下ろしながら言った。
メオが差し出したヘッドセットを受け取ったシンガは、それを素早く装着した。
「ワイマン少佐! 馬鹿な真似はよせ! 当機には、四百人以上乗っているのだぞ!」
『当方が受けた命令は、CR202の誘導だ。従わない場合は、撃墜せよとの命令も受けている。速やかに針路変更せよ』
ワイマン少佐が、冷たく応じる。
「拒否する。すぐに立ち去れ」
シンガは命令口調で告げた。
『もう一度言う。速やかに針路変更せよ』
「本気でしょうか?」
いささか顔色の蒼いメオが、訊いた。
「タッカーの奴なら、我々を逃がしたくはないだろうな。再選のためなら、四百人の命くらい簡単に見捨てる下種野郎だ。だが、孫娘を見捨てることはない」
シンガは自分に言い聞かせるように言った。
「そろそろ切り札を見せる頃合いかもしれん。……ワイマン少佐。当機にはアリス・ティンバーレイクが乗っている。判ったか?」
『誰だ、それ?』
とぼけた様な問いが、帰ってくる。
「合衆国大統領の孫娘だ」
『ほー。そうか。きっと、カナダ首相の娘とメキシコ大統領の愛人も乗ってるんだろ。あと、テイラー・スウィフトとエマ・ストーンと、ついでにエレン・デジェネレスも乗っているに違いない』
明らかに嘲りの口調で、ワイマン少佐が言う。
「ふざけるな。貴様、大統領の孫娘を殺すつもりか?」
半ば切れ気味に、シンガは言った。
『そのことだが』
ワイマン少佐の口調が、急に真面目になった。
『現在、アリス・ティンバーレイク嬢は東京で日本の当局によって保護されている。これは、在東京合衆国大使によって確認された情報だ。したがって、CR202にはアリス・ティンバーレイク嬢は搭乗していない。ゆえに、そちらにAMRAAMをぶち込んでも、問題ないというわけだ』
……あり得ない。はったりだ。
シンガは即座にそう判断した……が、同時に疑いも頭をもたげてきた。
政府の交渉役や公安当局者ならともかく、少佐とは言え一介のパイロットが任務前にこれほど詳しい情報を与えられたとは思えない。意図的に与えられたということは、こちらを騙そうという魂胆なのか、あるいはこれが真実であるのか、どちらかであろう。
「任せる」
シンガはヘッドセットをむしり取ると、メオに押し付けた。M57自動拳銃がポケットに収まっていることを確認しながら、コックピットを出る。
ファーストクラスに入ったシンガは、大股で担架に近付いた。膝を突き、眠っているアリス・ティンバーレイクをじっと見つめる。
……間違いない。本人だ。
その顔は写真で何度も確認し、TMIで拘束したアリス・ティンバーレイクそのものだ。
……いや。まさか最初から替え玉だった可能性は?
「どうかしたのかね?」
ドクター・栗川が、笑みを湛えて訊いてくる。
シンガはそれを無視し、薄手の毛布に包まれているアリスの肩を揺さぶった。
「起きろ」
アリスが、ぱっちりと眼を開けた。
……おかしい。
シンガは戸惑った。アリスの反応が、異常だ。無理やり目覚めさせた人の場合、まずは誰に眼を覚まされたのか確認するのが普通だ。だが、アリスは眼を開けたにも関わらず、視線をこちらに向けようとしない。
「おい」
シンガはアリスの肩をつかんでやや乱暴に揺さぶり……そこでようやく感触がおかしいことに気付いた。表皮の下に硬いものが感じられるが、その作りが骨格とは明らかに異なる。……もっと均一で滑らかなものだ。そう、さながら突起のない金属製の外鈑に、柔らかな人造皮膚を張り付けたかのような。
シンガはドクター・栗川を睨んだ。ドクターが、きまり悪そうな笑みを浮かべる。
「ロボットか?」
「済まんね。その通りだ」
シンガの問いに、ドクター・栗川がうなずく。
シンガは素早くM57自動拳銃を抜いた。銃口を、アリスの頭部に向ける。
「撃たんでくれ。ロボットではあるが実質人形みたいなもんだ。外見が人間そっくりなだけで、害はないよ」
ドクター・栗川が慌てて言う。
「どうやってすり替えた? ずっと見張っていたのに?」
M57の狙いをドクター・栗川に切り替えつつ、シンガは問うた。
「ちょっとした魔法さ。あそこは東京マジカル☆アイランドだぜ? このくらいのミラクルは、造作もないさ」
冗談めかして、ドクターが言う。いらっとしたシンガは、M57の銃口をドクターの眉間に定めた。
「おいおいおい。撃たんでくれ。ここでわたしを撃っても、状況の改善には役立たないぜ」
「貴様、何者だ? ただの医者じゃないな」
銃口をドクターに向けたまま、シンガは問うた。
「日本政府関係者、と言っておこうか。状況を整理しようか。空軍だか海軍だか知らないが、合衆国軍機が追っかけてきている。そしておそらく沖縄に着陸するように命じている。違うかね?」
実際には、変針を強要されているだけだが、その方位は2‐7‐0、つまり西方だ。今現在日本の本州南西沖を飛行中だから、西にはおそらく沖縄がある。
……この男、事情に通じている。日本政府関係者というのは本当だろう。シンガはそう判断した。
「そうだ」
「結構。とりあえず合衆国軍機の指示には従った方がいい。時間が稼げる」
「なぜお前の言うことを聞かねばならん?」
シンガはきつい口調で問うた。
「わたしだって死にたくはない。合衆国軍機に撃墜されたら、あんたらと一蓮托生だ。何とか逃げ道を見つけるから、時間を稼いでくれ」
ドクター・栗川が真摯な口調で言う。
……切り札のはずのアリス・ティンバーレイクはいない。となると、タッカー大統領がマスコミに『テロリストを逃がした』と非難されることを恐れて、撃墜命令を出したというのは充分にありえることだ。ここで空軍機に逆らって撃墜されるよりも、一時的にでも従っておいて打開策を見つける方が賢い選択だろう。
こちらが軟化姿勢を見せれば、合衆国側もより『ソフト』な解決策を求めて、柔軟な姿勢を見せるかもしれない。
「いいだろう。ひとつ訊きたい。こいつは何者だ?」
シンガが、銃口を聡史に向けた。
「彼は民間人だ。ちょっと協力してもらったがな」
「こいつらを見張っていろ!」
シンガは身を起こすと、見守っていた部下に命じた。M57を手にしたまま、コックピットへと足早に戻る。
「どうするんですか?」
聡史は訊いた。英語力は皆無に等しいが、ドクターとシンガのやり取りの内容はだいたい察しがついている。
「なんとか落としどころを見つけるしかないな。とにかくまず、米国側を本件から外さなきゃならん。タッカー大統領が、テロリストを逃がした、なんてことになれば、再選は難しくなるからな。そして、MoAの連中を上手い具合に逃がしてやる方策を探さなきゃならない」
西脇二佐はそう答えた。
「逃がしてやる方策って……失礼ですがドクター、そんな凄い権限持ってるんですか?」
聡史が、訊いた。西脇二佐は、苦笑を浮かべた。
「持ってないよ。だが、そうでもしないとMoAの連中は人質を手放さないだろう。奴らが自暴自棄になったら、二人とも生きて帰れないぞ。生き延びるためなら、空手形だろうが何だろうが連発するしかない。ま、責任は全部わたしが取るから、気にするな」
CR202が、機首を西に向ける。
カナリー・フライトのF‐15Cが、周囲を取り囲んで飛行する。一機が先行し、先導役を務め、そのウィングマンが777の側面を飛び、監視役となる。残る二機編隊が後方で、万が一逃走を図った場合の追尾役として待機する。
「さあ、お望みどおりに沖縄に向かってるぞ。逃げ道を見つけると言ったな。見つかったか?」
ファーストクラスに戻って来たシンガが、西脇二佐を見据えた。
「見つかったよ。まず、前提条件として、目的をふたつに絞ろう。人質の全員解放と、あんた方全員の安全な逃亡だ。他のことは諦めて欲しい。MoAの政治的宣伝、五十億円の現金。この機体。などなどだな」
「……続けてくれ」
不満げな顔つきだが、シンガが続きを促す。
「とりあえず、合衆国外しをしなきゃならん。今回の件から、タッカー大統領を遠ざけるんだ。どうあっても、彼の面子が潰れないようにしないといけない。米軍機はおそらく、この機を沖縄の嘉手納基地に着陸させようとするはずだ」
「たぶんな」
シンガがうなずく。日本の沖縄に存在する同基地は、極東最大の合衆国空軍基地である。一万二千フィートという長大な滑走路を二本備えているので、ボーイング777の離発着も余裕で行える。
「誘導に従うと見せかけて、沖縄本島に到達したら、針路を変更し、南部にある那覇空港に向かい、着陸するんだ」
「ナハ。民間飛行場か」
「自衛隊も常駐しているがな。そこに着陸し、交渉相手に日本政府を指名するんだ」
「いい案だが、合衆国空軍機が攻撃してきたらどうする?」
シンガが、訊いた。
「大丈夫。沖縄本島上空なら、何万人もが見守っているし、テレビやインターネットを通じておそらく何百万もの人がリアルタイムで映像を見ているはずだ。四百人が乗った民間旅客機を撃墜するなんて場面をライブ配信したら、タッカー大統領の評判はがた落ちするはずだ。それに、地上に777が落ちれば、ほぼ確実に巻き添えで一般市民が死傷する。ただでさえ、沖縄では反基地活動が活発なんだ。撃墜、墜落、地上を巻き込んでの大惨事となれば、反基地運動の炎にガソリンをぶっかけたような騒ぎになるだろうな。そんなリスクは、冒せないはずだ」
「ああ。それなら話は判る」
シンガが、納得する。
「那覇空港に着陸したら、給油を行い、日本政府が交渉相手であり、合衆国を局外に置くことを宣言する。わたしには、スマートフォンを貸してくれ。ちょっと、上司に掛ける」
「内容は?」
疑わし気に、シンガが訊く。
「あんたらの逃げ道を探すのさ。どこかの第三国の協力が必要となると思う。あんたがたは、ここで人質のほとんどを解放して、その国に飛ぶ。そこで残りの人質、乗員を解放。機体と五十億円を放棄して、その国の公安当局に投降する。ほとぼりが冷め、世間がこの件を忘れそうになったところで、恩赦。国外追放処分となる。そんなシナリオだな」
「……信用できんな」
「他にいいアイデアがあったら教えてほしいな。日本政府が頑張れるのは、せいぜい四十八時間だろう。いずれ合衆国側から圧力がかかって、デルタフォースを突っ込ませる、なんて話になるに違いない。那覇で給油してすぐにどこかの国に飛ぶという手もあるが、おそらく巡航高度に達しないうちに嘉手納のF‐15が追っかけてくるだろう。洋上で撃墜される可能性が高いね」
西脇二佐は、そう言い切った。
「少し待て」
シンガがそう言い置いて、ファーストクラスを出て行った。
シンガはメオを始め、主だったメンバーと協議したが、結論はなかなか出なかった。
CR202は、沖縄上空に達した。高度を下げ、嘉手納基地へのアプローチを強制されたところで、シンガはパイロットにコース離脱と那覇空港への緊急アプローチを指示した。那覇空港管制は、当初はCR202の着陸を拒否したが、強引に降下接近してくるのをレーダーで確認し、慌てて離陸機の差し止めと着陸機への待機指示を行い、滑走路を空けて受け入れ態勢を整え、着陸許可を出す。
無事着陸したCR202の機内で、西脇二佐は渡されたスマートフォン……乗客の一人から没収したものらしい……を使って長浜一佐に掛けた。日本語に堪能なMoAメンバーが会話を聞いているので、多少の隠語は使用したが、ことの経緯を細かく伝える。
『状況は判った。打てる手は打つ』
長浜一佐が確約し、通話は終わった。
「できることは終わったよ。あとは、あんた方次第だ」
いったんスマートフォンをMoAメンバーに返しながら、西脇二佐は言った。
「ドクター・クリカワ」
シンガが、近付いてくる。表情は、厳しかった。
「外部の情報をチェックした。マジカルキャッスルが制圧され、同志はみな捕えられたようだ。アリス・ティンバーレイクに関する報道はなかったが、こちらも日本側に保護されたと推定していいだろう。これらを踏まえて、仲間と相談した。貴殿の提案を受け入れようと思う」
「賢明なご判断ですな。その旨、上司に報告しましょう」
西脇二佐は、日本語の堪能なMoAメンバーに手を差し出した。スマートフォンを受け取り、再び長浜一佐に掛ける。
「という経過だ。官邸も外務省も、すでに大騒ぎとなっている」
説明を終えた長浜一佐が、やれやれといった表情で缶コーヒーに手を伸ばした。
「いい解決策ですが、肝心の第三国が見つからないですよー」
畑中二尉が、同じように兼コーヒーに手を伸ばした。
TMIが『解放』されたことで、一同は岡本ビルに戻って来ていた。AI‐10たちも五体が揃い、壁際で充電中だ。
成田で解放されたTMIの人質の中に、マスターである磯村聡史の名前は無かったが、シオはマスターの安全に関しては楽観視していた。色々と運に恵まれていないマスターだが、今まで深刻な不幸……大病や大怪我、親兄弟や友人との死別、破産や失職などとは無縁である。今回も、何とか切り抜けてくれるに違いない。
「七十年代なら、どこかの非同盟諸国が手をあげてくれたでしょうけどねー。反米国家じゃ米国との関係がこじれそうですし、親米国家じゃMoA側が信用しないでしょうしー。これだけ派手にテロ行為やった直後じゃ、政治犯だと言い張って人道的受け入れを求める、というのも難しいでしょう」
畑中二尉が、続ける。
「外務省の政治力にも期待できませんですしね」
スカディが、ため息交じりに言う。
「いっそのこと、地図帳でたらめに開いてそこにあった国にでも逃げてもらうか」
亞唯が、そんなことを言い出す。
「それならば、世界地図に目隠ししてダーツを投げる方が見栄えがいいのですぅ~」
ベルが、言う。
「いいこと思いついたで。どこかのミニ国家に亡命してもらうんや。シー〇ンド公国とか」
「飛行場がないと無理だろー。あんな狭いところにどうやって777降ろすんだー」
雛菊のアイデアに、畑中二尉が突っ込む。
「はっと! シオは閃いたのであります! MoAの連中を受け入れてくれそうな国の心当たりがあるのであります!」
シオは唐突にそう叫んだ。居合わせた全員の眼が、シオに注がれる。
第二十三話をお届けします。




