第十一話
「サンタ・アナ側が強行突入を決意した。決行は、三日後だ」
『キャットニップ』作戦指揮所で、デニス・シップマンが報告した。
「ずいぶんと急ですな」
長浜一佐が、懸念するかのような表情で言う。
「ハンコック大使がほのめかしたところによれば、タッカー大統領の意向が強く働いているようだ。ノゲイラ政権が交渉で解決できない以上、早期解決には強行突入しかないと圧力を掛けたらしい」
「例のアメリカ人ビジネスマン三人のせいでしょうか」
眉を逆八の字にして、スカディが問う。
「おそらくそうでしょうねー。彼らがいなければ、こんなローカルな事件、アメリカにとってどうでもいい話だったはずよー」
日本語でそう言った畑中二尉が、同じ内容をデニスのために英語で繰り返す。
「もうひとつ、ベルの作戦が突破口になったらしい」
隅の方で控えているベルとバンクス軍曹に視線を当てながら、デニスが言った。
「内務省も陸軍も、成功率の高い強行突入策を今まで見出せずにいたらしい。結局、ベルの作戦が正式採用されることとなった。準備の方は大丈夫だろうね、軍曹?」
「レッスンは終わりました。大丈夫、いけますよ。爆薬と材料、工具類が向こうで揃っていれば、爆弾の製作に問題はありません。一部工具と信管類は、彼女が直接持ち込むことになるでしょうが」
自信ありげにバンクス軍曹が言って、隣に立つベルの頭を撫でる。
「ベル。君の方は?」
「爆弾製作に十時間、設置に二十分いただければ可能ですぅ~」
「結構。長浜大佐。日本側に、この作戦に関し異議などございますかな?」
デニスが、改まった口調で長浜一佐に尋ねた。
「多田官房参事官からは、サンタ・アナ側に全面的に協力するように言われています。問題ないでしょう。ですが、AI‐10が作戦に積極的に関わっていることが外部に漏れるとまずい。そのあたり、フォンセカ局長あたりに掛け合っていただかないと」
「そのあたりは、わたしが責任を持って処理しましょう。なに、情報隠蔽は得意ですから」
デニスが、やや自虐的な笑みを浮かべる。
「では、我々が関わる部分を中心に、作戦内容をざっと説明しましょう」
壁に貼られた日本大使館略図に、デニスが歩み寄った。すでに、二階レセプションルーム北側壁の爆破予定箇所は、赤く塗り潰されている。
「明日朝の食料搬入時に、爆薬とともにシオに対し作戦内容を書き込んだRAMを渡し、準備を行わせます。翌日の食料搬入時に、ベルが前回のシオの場合と同様の手段で大使館内に潜入。一部の工具、信管類など食料に偽装して持ち込むのが難しい品はこの際にベルが直接身に付けて持ち込みます。ベルはその後、安全な場所で爆弾の組み立てを行う。決行は三日後の午前中、現地時間の午前十時四十五分を予定しています。この時間帯は人質が自由時間なので活発に動いてもかまわないこと、特にイベントがないので警備が緩み易いこと、『サクラ』もフリーに動ける時間帯であることなどが考慮されて決定されました。ベルは十時過ぎにレセプションルーム入りして、爆薬をセット。爆薬類は、前日から少量ずつ偽装して室内に持ち込み、隠匿しておく予定です。爆破は、ベルが人質の退避状況を確認して行います。したがって、作戦開始タイミングは彼女に任されるわけですな」
「責任重大なのですぅ~」
嬉しそうに、ベルが言う。
「突入作戦は、内務省治安部隊が主、陸軍特殊部隊が従となって行われます。爆破と同時に、陸軍狙撃チームが窓に身を晒しているゲリラを射殺。治安部隊が二階レセプションルームに突入してゲリラを排除、人質確保と館内掃討を行います。陸軍部隊が接近包囲とともに訪問者用出入り口を確保。UH-1三機で上空からの援護とアプザイレン(懸垂下降)を行い屋上を確保。そのような段取りですな」
「館内掃討のあいだ、シオとベルの役割は?」
畑中二尉が、訊いた。
「特に役割は与えられていませんな。作戦の邪魔にならないように、下手に動かない方がいい」
「上手く立ち回れば、ゲリラの一人や二人引き付けられそうですが」
スカディが、口を挟んだ。
「それはそうだが、今回の作戦、ベルが爆破を行うだけでも充分に出過ぎた行為だと思う。作戦本体は全面的にサンタ・アナ側に任せて、手出しをせずに見守るのが正解だろうな」
長浜一佐が、そう言う。
「あの、シオとベルの撤収はどうなりますの?」
文法的には正しいが発音は上手くない英語で、石野二曹がデニスに訊いた。
「内務省側が秘かに回収してくれる。そのあとで、サクラが出てきて素知らぬ顔をする、という寸法だな。人質にも緘口令が出ることになっているし、日本の関与はなかった、という形になるよ。万が一漏れたとしても、サクラが自主的になにかやった、という話でごまかせばいい。正式発表は、壁の爆破は内務省のエージェントが秘かに館内に潜り込んで爆薬を仕掛けた、というカバーストーリーがすでにできているそうだから、それに乗っかって知らん振りを通せるわけだ」
「それなら、安心できますね」
長浜一佐が、安堵の表情を見せる。
「おおおっ! ベルちゃんが来る上に強行突入決定ですか! これは盛り上がって来たのです!」
パコから渡されたRAMを装着したシオは、人気のないキッチンで一人はしゃいでいた。
とりあえず日常業務をこなしつつ、シオはRAMに入っていた命令に基づき、準備を整えていった。集めるように指示された工具や道具類を、電信室や発電機室からこっそりと持ち出し、地下倉庫に隠す。バターナイフ、ビニール袋、空き缶はキッチンにあったし、厚紙の類は文化広報室から失敬した。
昼食を運ぶためにレセプションルームに行ったシオは、大井大使と接触した。突入決定を告げ、当日の行動に関し協力を要請する。
「よくわかった。こちらの準備はすべて整えておこう」
さすがに緊張した面持ちで、大井大使が言う。
「サンタ・アナの特殊部隊は優秀です。こちらの指示通り動いていただければ、怪我人すら出ないでしょう。安心してください、大使閣下」
翌朝の食料搬入時のベル潜入は、完璧な成功であった。
「お久しぶりなのです、ベルちゃん!」
シオは自分とそっくり……正確に言えば、サクラとそっくり……に化け、キッチンに入ってきたベルにそう挨拶した。
「お久しぶりなのですぅ~」
嬉しそうに、ベルが挨拶を返す。
「しかし、こうもあっさりと潜入成功するとなると、スカディちゃんと雛菊ちゃんも潜入できそうですね! 消音拳銃でも持ってきてもらえれば、あたいたちだけで人質を全員無事解放できそうな気がしますが!」
「それは、政治的にまずいのですぅ~」
シオの希望的観測を、ベルが否定する。
「テロは政治的犯罪なのですぅ~。ただ単に事件を終了させただけでは、解決とは呼べないのですぅ~。今回の場合は、当事者たるサンタ・アナ政府の手によって解決されなければ、いけないのですぅ~」
「おっと、そうでした! では、あたいは食料搬入作業を続けるのです! ベルちゃんは一足先に地下倉庫に行っていてください!」
「わかりましたぁ~」
シオはベルが階段を下りてゆくところを見届けると、あと三往復して本日の分の食料をすべてキッチンに運び入れた。そこからRAMにリストのある『偽装した爆薬が含まれている食品』を選び出すと、紙袋に入れて地下倉庫まで持ってゆく。
「ベルちゃん、爆薬を持ってきたのです!」
「ありがとうなのですぅ~」
ベルはすでに地下倉庫を即席の爆弾製造施設に造り替えていた。古いコーヒーテーブルと、折り畳み脚を畳んだままのテーブルの下に、書類の詰まった段ボール箱を入れて嵩上げしたものを並べて低い作業台を作り、綿のテーブルクロスを掛けてある。その上には、雑多な工具類が並べられていた。持参したらしい信管やコード類は、隅の事務机の上に置いてある。
「他にいる物はないですか?」
「とりあえず、道具も材料もすべて揃っているのですぅ~。すぐに爆弾製作に取り掛かるのですぅ~」
「よろしく頼むのです、ベルちゃん!」
シオは明日の本番に備えて、大使館内の再チェックを行った。以前調べて偽装RAMに書き込んで送った情報が古くなっていた場合、それに基いて作戦を行う特殊部隊の行動に支障を来たすおそれがあるからだ。
二階中央部まで来たシオは、北側にある会計班室の窓際で、スサナが外部監視任務に就いているのを見つけた。シオは内蔵クロノメーターをチェックした。午前十時四十八分。……明日の今頃ならば、突入した特殊部隊が館内掃討の真っ最中という時刻である。窓際で外を見張っているゲリラは、その前に十中八九狙撃銃の餌食となっているはずだ。
……この子は死なせたくないのです。
シオはそう考えた。『フレンテ』のメンバーだが、作戦に参加したのは今回が初めて。政府側に逮捕されても、改心すれば刑務所にしばらく放り込まれる程度で済むであろう。根は素直でいい子なのだ。それゆえに、簡単に洗脳されてしまったのだろうが。
「スサナちゃん、こんにちは」
挨拶すると、スサナがぱっと顔をほころばせた。
「スサナちゃん、明日もこの時間帯、ここで同じ任務に就くのですか?」
「明日は違うよ。午前中は、新入りに館内を案内するようにエミディオに……」
笑顔で言いかけたスサナが、慌てて口をつぐむ。
「新入り? 何のことですか?」
「これは、あんた相手でも言っちゃいけないんだ。忘れてちょうだい……って、ロボット相手に言っても無駄か」
スサナが、苦笑する。
「ともかく、明日は別の任務だよ。でも、何でそんなこと訊くんだい?」
「見張り任務は退屈ではないかと思いまして」
「確かに退屈だね。でも、しっかりと見張ってないと」
スサナが真面目な表情になって、シオに向いていた視線を窓の外に向けた。三つある窓のうち二つはカーテンが閉まっており、スサナが見張っている窓にはレースのカーテンが掛かっている。外から見られずに外部監視を行う際の、よくあるテクニックだ。
「ねえ、退屈しのぎになんか喋ってよ。日本のこととかさ」
スサナが、ねだる。
シオは適当に話題を見繕って喋った。しばらく聞き役に回っていたスサナも、いつしか喋り出し、ごく普通のガールズトークとなる。話題はいつしかスサナの子供時代の思い出話となった。スサナが、貧しく慎ましい暮らしの中での、数少ない楽しい思い出を語り出す。誕生日に着た淡いピンク色のドレスと、同色の靴。その時に割ったピニャータ(くす玉)と、その中身。祖母と母親が作ってくれたご馳走。
「何をしている!」
いきなり、戸口から声が掛かった。開け放した扉を背に、ロレンソがつかつかと入ってくる。
スサナの顔が青くなった。見張り任務中に、自粛しろと言われていたロボットとの会話をしているところを見つかってしまったのだ。しかも、相手はロレンソである。彼がサクラを嫌っていることは、スサナも知っていた。
「無駄話をしていたのか、こいつと?」
歩み寄ったロレンソが、厳しい表情でスサナを見据える。
「無駄話ではないのです、セニョール!」
シオはスサナを助けるためにでまかせを述べ始めた。
「じゃ、何だ?」
「社会主義について、疑問があったので、そこを質していたのです!」
「疑問だと?」
「そうです! 社会主義は平等を旨とする。これは間違いありませんね」
シオは訊ねた。
「もちろんだ。徹底した平等主義。これが社会主義の本質だ」
少しばかりむっとした表情で、ロレンソが答える。
「ですが、社会主義体制には、指導層とそれを支える大量の官僚が不可欠です。これは、平等主義に反してはいないでしょうか?」
「官僚は労働者の一種だ。特権階級ではない。指導層に関しては、大規模な組織には大なり小なり中央集権体制が必要だ。中央集権体制のない大組織は非効率的であり、非論理的だからな」
「その指導層が、固定化され易いのが社会主義の欠点ではないでしょうか。経済の自由を制限しようとするあまり、社会に自然に備わってきた有益な自由、すなわち権力者たる指導層に対する批判と支持不支持の表明というシステムまでも摘んでしまったのが、社会主義体制ではないでしょうか」
「社会主義でも自由選挙は行われる。民意は政治に反映されるぞ」
やや気圧されたような様子で、ロレンソが反駁する。
「社会主義体制における選挙は、実質的には信任投票でしょう。そして、指導層が革命路線を標榜する限り、反対票は反革命のレッテルを自動的に張られてしまいます。これでは、民意は反映されようがありません」
「そんなことはない。各職場を始めとする末端組織で、労働者は自分の意見を自由に表明できるし、それを吸い上げる機能もある」
「本当にそうでしょうか? 少数意見は抹殺されてしまうのでは? 民主的な資本主義国家なら、たとえどんなに支持者の少ない意見でも、演説、出版などを通じて大衆に訴えかけることに制約はありませんし、そのような主張をする人物が選挙に出馬することも可能です。例えば、社会主義体制で、官僚批判が許されますか?」
「もちろんだ」
「では、失敗を犯して非難された官僚はどうなります? 罷免されますか? そんなことはないでしょう。必ず生き残ります。いえ、それどころか非難さえされません。なぜなら、社会主義体制における官僚は所詮指導層の道具なのですから。官僚批判はすなわち指導層批判であり、反革命です。社会主義体制において、反革命は国家転覆を企むに等しいでしょう。独裁的権力を有する指導層によって、弾圧されるのは当然です。プロレタリア独裁は、プロレタリアに対する独裁となる、とトロツキーは看破しましたが、その通りではないですか?」
「な、何を言うか! 機械のくせに! トロツキーなど、引用するな!」
顔を真っ赤にしたロレンソが、怒鳴る。
「わたしも反革命のレッテルを貼られてしまったようですね。しかし、議論や考察は大事ではないですか? 毛沢東も、思想や理論に対し盲従する奴隷主義は戒めていたはずですが」
「黙れロボット! 本来社会の共有物に過ぎないお前が、思想を語ること自体が間違っているのだ! 分をわきまえろ! 資本主義の害毒をメモリーに詰め込んだ走狗が!」
「おやおや。有効な反論ができないからといって、そのような罵詈雑言を並べ立てるのは感心しませんよ。だいたい、あなた方は権力を批判しているのに、求めているのは権力そのものではないですか。これは明らかに矛盾ですよ。大衆運動としての社会主義の本質というものは……」
「スサナ! 任務に戻れ! 二度とこの腐れロボットと会話するな!」
すっかり切れてしまったロレンソが、背を向けた。大股に、会計班室を出てゆく。
「……凄いね、あんた」
安堵の息と共に、スサナが言う。
「そうですか?」
「論争したら、エミディオも敵わないロレンソを、論破しちまったんだよ。凄いよ、あんた」
眼をきらきらさせながら、スサナがシオを見下ろす。
「ロボットごときに論破されるなんて、レベルが低すぎますよ」
シオはそう言い放った。少しやり過ぎたかな、という気もしたが、とりあえずスサナを助けるという目的は達成できたようだ。
「社会主義って、やっぱり問題があるのかなあ。発展している国って、みんな資本主義だよね。アメリカも、西ヨーロッパ諸国も、日本も。東南アジア諸国なんて、条件はサンタ・アナとたいして変わらないと思うけど、ずいぶん栄えてるみたいだし。ソビエト連邦は、頑張ったけど崩壊しちゃったよね」
寂しげに、スサナが言う。
「ソビエト連邦の崩壊も、ある意味市民革命でしたけどね。無理な政権運営と西側諸国との競争のために市民を搾取した共産党政権が、労働者によって追放されただけ、という見方もできますから」
シオはそう口にした。……畑中二尉から渡されたデータROMの内容をそのまま引用しただけであったが。
第十一話をお届けします。




