第二十話
九谷かなえは、マジカルキャッスルの監禁されている部屋……ステージの楽屋だが……の窓から腕を突き出した。
手首を曲げ、拳を立てるようにして、人差し指と小指を伸ばす。……野球選手がやる『ツーアウト』のサインと同じである。
ドクター・栗川によると、これが『アリス・ティンバーレイクは確保したが、いまだ安全な状態ではない。早急なる救出を請う』というサインなのだそうだ。こうやってしばらくサインを出しておけば、マジカルキャッスルを監視している当局に情報が伝わると言われたので、早速やっているのだが……。
「意外にしんどいわね、これ」
かなえは苦笑した。長時間やっていると、指が攣ってきそうだ。
「嫌な予感がするな」
ドクター・栗川が、CH‐47Jの機内で隣に座る磯村聡史にそうささやいた。
「見ろ。連中、余分な武器を持ちこんでいる」
栗川に言われ、聡史は機内に座り込んでいるMoAテロリストたちを観察した。たしかに、突撃銃を二丁背負った者が、何人か確認できる。
「予備の武器じゃないんですか?」
「いや。サイドアームならともかく、人質を取っている状態で、活用しようがない予備の銃器を持ち歩いているというのは不自然だ。抵抗する人質に、武器を奪われ易くなるだけだからな。……ひょっとすると、どこかで仲間と合流するのかも知れんが……」
ドクター・栗川が言葉を切った。テロリストの一人が、ひそひそ話を咎めるかのような視線をこちらに向けたからだ。
「成田空港を迂回する」
UH‐1Jの機長が、機内インターコムで告げた。
航空路を通常飛行している旅客機ならば、ヘリコプターとは飛行する高度が違い過ぎて問題にはならないが、空港に離着陸する航空機は当然低いところを飛ぶので、衝突の危険性が出てくる。
UH‐1Jが東に針路を変え、増速した。一緒に飛行していたUH‐60JAも、増速してUH‐1Jを追い抜いて先行する。意外に思えるかもしれないが、実はCH‐47Jは巨体ながら飛行速度は速く、UH‐1JはもちろんUH‐60JAよりも速い。そしてこれも意外に思えるだろうが、攻撃ヘリコプターであるAH‐1Sの巡航速度は、汎用輸送ヘリコプターであるUH‐1Jよりも若干ではあるが遅いのだ。なんとなく、固定翼機からのイメージで、『戦闘攻撃機』が『輸送機』よりも遅いのは感覚的に納得できないが、対地攻撃を主任務とする攻撃ヘリの場合、大事なのは高速性よりも低空でのダッシュ力と急減速の能力……イメージとしては、高速飛行中に機首上げをして急減速、ホバリング状態で対戦車ミサイルを発射、命中を確認したところで機首下げで急加速して対空砲火を逃れ、次の得物を探しに行く、といったところか……なので、空気抵抗の大きな機体を強力なエンジンパワーで無理やり引っ張る、という設計思想であることが多い。そのような運用と設計思想は、『MBT』に近いものがあるだろう。もっとも、巡航速度は遅いものの、エンジンパワーはあるので、AH‐1Sも無理すれば時速三百キロメートル以上で飛行することは可能である。
ということで、後方に付けていたAH‐1Sのペアが、UH‐1Jを楽々と追い抜いてUH‐60JAに追随してゆく。UH‐1Jの機内のAI‐10たちは、それを羨ましそうに見送った。
千葉県印西市の雑木林から撃ち上げられた救難信号は、CH‐47のコックピットから容易に視認できた。
「機長。東に変針だ」
日本語の上手なMoAメンバーが、手にした拳銃を見せつけるようにしながら命じた。
「東? 目的地は北北東だが」
百里基地に向かうものだと思い込んでいる機長が、驚いて訊き返す。
「東だ。イースト。0‐9‐0。太平洋の方へ、向かえ」
MoAメンバーが、言いつのる。
機長が、副操縦士と一瞬視線を交わしてから、アンチトルク・ペダルを操作して、ゆるゆると機首方位を変えた。
「このまま飛行はできない。この先には成田国際空港がある。危険だ」
機長が、そばに控えているシンガ……すでに、この男がリーダー格であることには気付いていた……に、英語で告げた。
「かまわんよ。すでに、ナリタは閉鎖されているはずだ。目的地は、ナリタだ。着陸場所は、指示する」
シンガが自信ありげに告げた。機長は、再び副操縦士と顔を見合わせた。
……想定外の展開に、なった。
シンガの読み通り、ハイジャック発生という事態を受けて、成田国際空港は離発着停止となり、出発便はすべて搭乗中止、到着便は新千歳、羽田、名古屋/セントレア、関西国際などにダイバートするように調整が図られ始めていた。
成田空港では、運営母体である成田国際空港株式会社、国土交通省成田空港事務所、空港警察署などによる合同対策本部が急遽設置され、大わらわで対策に当たっていた。
成田空港の警備を担当するのは、千葉県警成田国際空港警備隊である。編成上、千葉県警察に属しているが、全国の警察より多数の警察官が出向という形で配属されている。人員は約千五百名。ハイジャック対策の銃器対策部隊もあり、充分な装備と練度を有している。
銃器対策部隊は制式装備であるMP5短機関銃を抱えてさっそく出動したが、セルリアン航空機内の状況がまったくつかめていない状況なので早期の機内突入は無理な相談であった。空港管制が、機内の状況を探ろうと平行誘導路で停止しているセルリアン機との無線連絡を試みたが、コックピット内に立てこもっている乗員から得られるのは『武装した複数のハイジャック犯が乗客を人質に取った。要求は離陸中止のみ』だけであった。
CH‐47の突然の変針は、周辺の自衛隊レーダー、地上における目視監視などにより、すぐに察知され、関係各所への報告がなされた。
「何をするつもりだー」
情報本部からの電話連絡を受けた長浜一佐が、CH‐47が東へ向かったと告げると、畑中二尉が首を捻った。
「CH‐47じゃ遠くまで逃げられんぞー。しかも、燃料満載じゃないしー。鹿島灘に船を待たしていたとしても、たちまち海上保安庁に取っ捕まるぞー。逃走用の潜水艦を準備した、なんてハリウッド映画的展開も無さそうだしなー。うーむ、わからんー」
「とすると、C‐130を準備させたのは囮か。C‐130が囮なら……より近場に逃げるか、遠方に逃げる気か、だな」
長浜一佐が、言う。
「千葉県内に着陸しても逃げ場がないですよー」
畑中二尉が、指摘する。
「ならば、より遠方か。とすると、C‐130よりも、足の長い航空機が必要となるが……」
長浜一佐の視線が、机上に広げられた関東全域の地図に落ちる。畑中二尉の視線も、釣られるように落ちた。
二人の視線が、同じ個所に集中した。
千葉県成田市南部。成田国際空港。
世界中から多数の長距離旅客機……ボーイング777、787、エアバスA330、A350などが飛来している成田空港が、MoAテロリストたちの目的地ではないのか。
「一佐殿! 二尉殿!」
勢いよく扉が開き、三鬼士長が部屋に飛び込んで来た。
「テレビ見てください! 成田空港でハイジャック事件発生です!」
「やーらーれーたー」
畑中二尉が、頭を抱えた。
「連中、はなからそのつもりだったんだー。アリス・ティンバーレイクなど人質に取れば、米軍がしゃしゃり出て来るのは必至ー。そうなれば、フィリピン辺りに逃げたところで、逃げ切れるもんじゃないー。C‐130なんぞ要求して、ミンダナオに逃げる気と見せかけて、米軍を誘引。その上を飛び越えて、悠々と逃げる気だー。エアバスA350なら、南米北部やアフリカ、南極ですら行けるぞー。もう、手の打ちようがないー」
「慌てるな、二尉。西脇二佐の作戦が成功していれば、相手がC‐130で逃げようがA350で逃げようが関係ない」
長浜一佐が、言う。
「お言葉ですが、旅客機をハイジャックしたとすると、人質の数が予定よりも数倍に増えることになりますよー」
畑中二尉が、指摘する。
「……そうだったな」
長浜一佐が、詰まった。
セルリアン航空機を乗っ取った犯人が、空港当局に無線を通じてハイリフトローダーかハイリフトトラック、あるいはフードローダーを要求する。
ハイリフトローダーとは、航空機の貨物室に航空コンテナなどを積載するための自走式リフト車両のことである。ハイリフトトラックは、そのトラック版といった趣の車両で、パネルバンタイプのトラックの箱をそのまま持ち上げて、中身を機内に搭載できるようにしたものである。こちらは貨物ではなく、機内で使用される物品類の積み込みに使われる。フードローダーもハイリフトトラックと機能的には同一だが、こちらはもっぱら機内食の搬入に使用される。
要するに、グラウンドレベルの『物』を高所にある航空機の扉まで持ち上げられる設備を要求したのである。
合同対策本部は、すぐに同意した。機内突入のチャンス、と判断したのである。急ぎ三台のハイリフトトラックが準備され、そのうちの二台に完全武装した銃器対策部隊の隊員たちが詰め込まれた。
CH‐47Jが、ハイジャックされたセルリアン航空ボーイング777‐300ERから三十メートルと離れていない位置に強行着陸する。
数名のMoAテロリストが、CH‐47から飛び降りて、777のランディングギアに身を寄せて、周囲を見張り始める。
コックピットからは、ハイリフトトラックを一台近づけるようにとの要請がなされた。合同対策本部は、機内突入をいったん諦めて、荷台が空のハイリフトトラックを走らせた。ことが単なるハイジャック事件ではなく、TMIテロ事件の一部となったしまったのでは、勝手な真似はできない。
ハイリフトトラックが到着すると、さっそく四名のMoAメンバーが箱の中を検め、異常がないことを確認した。一人が操作員兼運転手を監視する中、三人……全員が、M70B2を二丁ずつ携えていた……が箱に乗り込む。
777の機体前部の扉が開く。そこに向け、ハイリフトトラックが進んだ。停止し、箱がジャッキアップされる。乗っていた三人は、すぐに機内に入ると、待ち受けていた三人の仲間にM70B2とスペア弾倉を手渡した。
一方、CH‐47Jの機内に詰め込まれていた人質たちは、五十億円の積み替え作業に駆り出された。ハイリフトトラックの箱の中に札束の梱包を運び込み、そのまま乗り込んでいるように命じられる。ジャッキアップされた箱から、777の機内に梱包を運び入れたTMIの人質たちは、箱の中にもどってグラウンドレベルに戻るように指示された。777の機内には充分に新しい人質がいるので、彼らはここで解放されることになる。
「よし。付いてこい」
CH‐47の機内で待っていた西脇二佐と聡史に、シンガが命ずる。
西脇二佐と聡史は担架を持ち上げると、シンガのあとに従った。後ろから、M70B2を持ったメオが続く。
ハイリフトトラックの箱に入り、上まで運ばれる。聡史は、西脇二佐……ドクター・栗川に不安げな視線を向けた。他の人質は、ここで解放されるように思えるが、どうやら自分たちは『特別待遇』らしい。……このまま外国まで連れてゆかれるのだろうか。
「セルリアン航空。米国の航空会社だな」
テレビで成田空港からの生中継報道番組を見ながら、長浜一佐が言う。
「サンフランシスコ行き。となれば、乗客の半数は合衆国籍でしょうー。米国に向け、『手を出すなー』と言いたいんでしょうねー」
畑中二尉が、そう分析する。
「……ボーイング777となると、着陸できる場所は限られてくる。あえて米国機を乗っ取り、多数の米国人を含む人質を取り、さらに米国大統領の孫娘まで捕えている。反米国家への手土産としては、充分すぎるほどだな」
長浜一佐が、言う。
「どこでも大歓迎されそうですねー。西アジア、アフリカ、カリブ海周辺、旧ソ連。リストが多すぎて、どこへ向かうか見当もつきませんー」
畑中二尉が、お手上げのポーズを取る。
「どうやら、ここまでのようだな。もはや、日本にできることは、マジカルキャッスル強襲くらいだ。あとは、777を領空外に追いやって、米国に任せるしかない。タッカー大統領が、どれだけ胆力のある男か、見守ろうじゃないか」
腕組みをした長浜一佐が、テレビの画面を見つめる。超望遠で撮っているらしく、鮮やかな青いラインが入ったボーイング777の機首あたりが揺らぎながらアップで映っている。
「西脇二佐が気になりますねー。アリスにくっついて777に乗っている可能性が高いですからー」
「彼も自衛官だ。覚悟はできている……と思う」
心配顔の畑中二尉に、長浜一佐がやや自信なさそうな口調で言った。
ファーストクラスの通路に、アリス・ティンバーレイクの眠る担架が降ろされる。
西脇二佐と磯村聡史は、そこでアリスに付き添っているように命じられた。ファーストクラスに座っていた他の乗客は、銃口に追い立てられるようにして、ビジネスクラスに移動させられる。
磯村聡史は、今になって恐怖を感じていた。今まで、武装したテロリストたちを相手にして気丈でいられたのは、茉里奈と……そしておそらく九谷かなえという二人の女性が居てくれたからだ、ということに遅まきながら気付いたのだ。
守るべき対象としての女性二人。そして、仲間として、同じ境遇の同志としての二人。この存在が、聡史の勇気を増幅させ、気力を支えていたのだ。
「大丈夫だ。任せておけ」
西脇二佐……ドクター・栗川が、聡史の気持ちに気付いたのか、小声で声を掛けてくれる。
「本当に、大丈夫なんですか?」
「安心しろ。あいつらの目的は逃げることだ。アリスという切り札をもはや握っていないとなれば、妥協するしかない。自分たちの安全と引き換えならば、人質は解放するはずだ」
聡史の問いに、西脇二佐が自信ありげに答える。
第二十話をお届けします。




