第十八話
シオは例のシートを引っ被り、武者ロボットのところまで這い戻った。
隠しパネルを開け、再び資材の入った円筒を取り出す。これをボディに結び付け、例のシートを被って匍匐前進を開始する。
移動速度が遅い動物と言えば、真っ先に思いつくのがカタツムリであろう。種類や体長にもよるが、その最高速度は秒速二ミリメートル以下である。……シオはカタツムリの約二倍半という速度で前進を続けた。
床に腰を下ろし、壁に背中を預けて居眠りしていた聡史は、はっと目を覚ました。
腕に巻き付けておいたパラコードが、つんつんと引っ張られている。
合図だ。
聡史はさっと立ち上がると、抜け目なく室内を見回して異常がないことを確認した。ドクター・栗川は着替えスペースの中で作業中。九谷かなえは、扉側に置いた椅子の上で船を漕いでいる。アリスは就寝中。茉里奈も持たなかったようで、アリスに半ば添い寝したような状態で寝息を立てている。
聡史はパラコードを手繰るようにして合図を送った。しばらくして、再び下から二回強く引っ張られる。引き上げるように、との合図だ。
聡史はゆっくりとパラコードを巻き上げていった。窓の外に見えた円筒を室内に引っ張り込み、パラコードを外し、外に戻す。円筒は、ロングソファの陰にいったん隠した。
再び、合図がある。聡史は、ゆっくりとパラコードを引いた。
……ドクターは外にロボットがいると言っていたけど、どんなロボットなのだろうか。
パラコードを巻き上げながら、聡史は想像を巡らせた。よくニュースなどで見る、迷彩塗装の自衛隊の多脚ロボットだろうか。それとも、ハリウッド映画などに出てくる昆虫のような小型のスパイロボットだろうか。あるいは、ごく普通のヒューマノイドロボットか。
「二回目が来たか。これを結び付けて、回収させてくれ」
いつの間にか、ドクター・栗川が聡史の背後に来ていた。聡史に向け、円筒状の物体を三本差し出す。一見すると、ゴミの塊に見えた。第一回目の『補給品』を解いた時に出た梱包材などをまとめたものらしい。この部屋に隠しておくこともできるが、安全に外に出してしまえるならばその方がいいのであろう。
ゴミの円筒がするすると降りてくるのを、シオは見守った。
手の届くところに下がって来たところで、パラコードを握って軽く引っ張り、確保の合図を送る。手早く回収し、資材の入った円筒を結び付け、二回強く引っ張る。すぐに、パラコードが巻き上げ始められた。
聡史とシオが、お互いのことを知らぬまま、一本のパラコードを通じて繋がっていたそのころ……。
マジカルキャッスルの中でももっとも高い箇所にある窓のひとつに、鮮やかな紫色の光が突然現れた。
ある程度の指向性を持った白色LEDライトに紫色のフィルターを掛けたものと推定されるその光は、ほぼ真北に向けられており、十数キロメートル先からも視認することができた。
約五分後、その明りは唐突に消され、以後二度と点くことはなかった。
その奇妙な紫色の光は、多数の人々に目撃された……抜け目なくスマホで動画を撮った者も多かったが……が、その中にはMoAシンパのフィリピン人女性も含まれていた。そう、あのオクトーと連絡を取り合い、マジカルキャッスル内のMoAテロリストに情報を提供していた女性である。
その女性は時計を確認すると、さっそくスマホを取り出して電話を掛けた。次いで別のスマホを取り出し、国際電話を掛ける。掛けた先は、フィリピンのミンダナオ島、ラナオ・デル・ノルテ州イリガン。人口四十万人ほどの、地方都市である。
だが、その通話先はフィリピン国家警察CIDC(捜査部門)によって盗聴監視下にあった。タガログ語で行われた会話の内容は、日本で働いている若い女性が故郷に電話して近況を伝えた、というよくあるものであったが、すでに警戒態勢に入っていたフィリピン国家警察は東京から深夜になされた通話と言う点に着目し、すぐさまCIAに連絡するとともに、日本の警察庁警備部外事情報局に発信元の照会を行った。
「外部への合図だろうが、なんだか素人臭いなー」
ネットニュースで流されている『マジカルキャッスルの紫色の謎の光』を見ながら、畑中二尉がそう論評する。
「ってことは、これはフェイクやろか」
肩越しに覗き込んでいる雛菊が、訊く。
「いやー、外部への合図は本物だろうなー。おそらく明日脱出するつもりだろー。それをわざわざ周囲に周知設定させる意図がわからんー。挑戦状代わりとも思えんしなー」
「確かに、今までの彼らのやり口から考えると、色々と解せませんわね」
スカディが同意した。発光信号には利点もあるが、欠点も多い。視程内に『敵』が居れば、通信内容はともかく『発信』そのものは筒抜けになってしまうことが、その最たるものであろう。マジカルキャッスル外部への通信手段としては、いささか粗雑、としか言いようがない。
「まあ、いずれにしてもヘリや輸送機は事前通告しないと使えないんだから、無理に準備を秘匿する必要なし、と判断しただけじゃないのか?」
亞唯が、そう推測する。
「まあそうかも知れんなー」
納得がいかない、と言う顔で、畑中二尉が応ずる。
「では、もしわたくしたちの想定通り明日MoAのみなさんが脱出を行うとすると、どのような対応が取られるのでしょうかぁ~」
ベルが、訊く。
「政府としては、アリス・ティンバーレイクが確保されるまでは一切手出しをしない方針だー。仮に確保されたとしても、よほどMoA側が隙を見せない限り、手出しはしないだろうなー。ま、自衛隊側にすべての情報が開示されているわけではないから、一部は推測込みだが、警察側は特殊部隊を二分し、TMIと百里基地に待機させる予定だー。で、ひとつ気になる情報があるのだが……」
畑中二尉が言葉を切り、ポケットから引っ張り出したメモ帳を見る。
「CIAの分析では、MoAの連中が戦力を二分し、二回に分けて逃走を図る、という可能性が高いそうだー」
「二回に分けるというと……具体的にどのような?」
スカディが、首を傾げつつ訊く。
「半分以上はあたしの推定だが、CH‐47にはMoAテロリストの約半数と、アリス・ティンバーレイクを含む少数の人質だけ乗せて百里基地へ行き、C‐130に乗り込むー。あ、もちろん五十億円も持ってなー。で、フィリピンの『聖域』、つまり米国でも手が出せない安全地帯に籠って態勢を整えてから、残りのメンバーを脱出させるー。人質を連れての移動時は、どうしても隙が生じるし、過去の例でも空港に向かう途中や空港で人質奪還作戦が強行されたことが多いー。人員を二分するのは、本来ならば戦力の分散使用で好ましくないが、今回はテロリストの人数も多いしなー。CH‐47はでかいヘリだが、テロリスト全員乗せた上に五十億円積むとなると、連れていける人質は三十名ほどだろー。狭い機内に詰め込まれたうえ、着陸直後は固まったまま。着陸の場所もほぼ特定できる。この条件下なら、高い能力を持った特殊部隊を使えば、人質奪還は不可能じゃないー。ま、よほど幸運に恵まれないと、死人なしとはいかないだろうがなー」
「SASレベルなら、やってやれないことはないね」
亞唯が、うなずく。
「だが、人質を二分されると一気に難しくなるー。二か所同時に作戦を成功させないといけないからなー。どちらかが失敗すれば、人質虐殺が始まって大惨事だー。タイミングがずれても同様。リスクは、数倍に高まるだろー。よほど人質の生命を軽視している国家でない限り、政府のゴーサインは出ないだろー」
「人質の中に、アリス・ティンバーレイクがいる。まして、ここは日本。絶対に、強硬策は取れませんわね」
スカディが、厳しい表情で言う。
「フィリピンに逃げてもらってから、アメリカさんに何とかしてもらおうというわけですねぇ~」
ベルが、そう言った。畑中二尉がうなずく。
「西脇二佐の作戦が失敗した場合はそうなるなー。成功したとしても、MoAが人質二分作戦を採用するとなると、アリス嬢の早期保護は難しくなるー。その場合は、マジカルキャッスルへの強行突入もありだなー」
「日本の警察で大丈夫かい?」
亞唯が、危惧する。
「漏れ伝え聞くところでは、ドローンを使って大量のCN(クロロアセトフェノン/催涙ガス)をばら撒くつもりらしいぞー」
「じゃあ、うちらはそのお手伝いをするわけやな。CNもCSも、うちらなら平気や」
雛菊が、嬉しそうに言う。催涙ガスどころか、化学兵器全般に対して無敵なのだ。
「いや、今回は警察側に手柄を譲る方針だから、マジカルキャッスルには行かんぞー。もうすでに潜入しているシオは別だがー。おまいらは空中待機だー。MoAの連中がC‐130に乗り換えるというのは実はフェイクで、CH‐47で日本国内のどこかに逃げる、という計画だった場合に備えて、陸上自衛隊がAH‐1と輸送ヘリを数機空中待機させて対応する計画だー。おまいらはそのうちの一機に乗り込めー」
「なんや。今回出番少ないで」
雛菊が、不満顔で言う。
「まあ仕方がないー。国内案件だからなー」
宥めるように、畑中二尉が言った。
「マスコミも注目しているし、おいらは一応極秘特殊部隊なのだー。目立ったら負けだぞー。ということで、今回はバックアップに徹するのだー」
「よろしい。では計画通り、明日脱出を決行する」
シンガが、宣言した。
CIAが予測した通り、MoAテロリストは戦力を二分し、分散して脱出する計画を持っていた。
航空機を使った脱出の最大の弱点は、相手側が強硬な対応をした場合、たとえ人質を伴っていても、不利な立場に立たされることである。単なるハイジャック事件と違い、人質を抱えたままの航空機による逃走は、立てこもっていた状態よりもはるかに脆弱な状態に自らを置いたことになるからだ。
着陸可能な空港の閉鎖。燃料の不足。通信や航法の妨害。撃墜するとの脅し。その他の欺瞞工作。これらに屈しないための保険が、MoA側にはふたつあった。
ひとつめは、言わずと知れたアリス・ティンバーレイクの存在である。
ふたつめは、マジカルキャッスルに残してゆくメンバーと、人質であった。脱出組が無事に目的地に着かなければ、居残り組が人質全員を処刑する。そのように脅しをかけることで、日本政府はもとより合衆国政府の行動も抑制する。そこが狙いである。
脱出組が目的地で守りを固めたところで、居残り組はごく少数の人質を連れただけで脱出する。こちらも無事脱出できたところで、アリス・ティンバーレイク以外の人質を全員解放する。それが、MoAのプランであった。
「頼んだぞ」
シンガは、チャーンの肩に手を置いた。居残り組の指揮を執るのが、チャーンの役目なのだ。
「任せてください」
チャーンが、微笑んだ。色々とトラブルには見舞われたが、作戦自体は計画通りに進んでいる。
「で、アリスはどうだ?」
シンガが、メオに向き直る。
「先ほど確認したところでは、よく眠っているとのことでした。明日動かしても大丈夫でしょう。たぶん」
いささか疲れた顔のメオが、言った。
「管理室に担架があった。それで運ぼう。あの医者と、青年に運ばせればいい」
シンガが言う。メオが、うなずいた。
合衆国政府も、日本時間で明日にMoAテロリストが脱出を開始すると読んでいた。
そうなると、今現在フィリピン海を南下中の艦隊が間に合わないことになる。そこでミンダナオ島への展開計画はいわゆる『プランB』に切り替えられた。『プランA』との違いは、搭載するMV‐22Bの飛行距離が長くなっただけ、であるが。
一方、合衆国空軍もC‐130追尾に備え準備を開始した。沖縄の嘉手納基地に駐留する第18航空団に所属する第44戦闘飛行隊のF‐15C、第909空中給油飛行隊のKC‐135R、第961空中管制飛行隊のE‐3Cなどが、出動準備を整える。
NROも、偵察衛星に一足先にミンダナオ島南部およびその周辺島嶼の写真撮影を行わせ、得られたデータをNSAとCIA、海軍情報局に提供した。C‐130の着陸予想地点を割り出すためである。NSA本部のコンピューターが、膨大な画像データの中から、最近切り開かれたり整地された形跡のある細長い平地の割り出しに掛かる。
ドクター・栗川こと西脇二佐の作業が終了したのは、午前五時近かった。
重い足取りで楽屋を横切った西脇二佐は、テーブルの上に置いてあった水のペットボトルを取ると、貪り飲んだ。気配に気づき、ロングソファに横になって寝ていた磯村聡史と、扉側でうたたねしていた九谷かなえが目を覚ます。
「……お早うございます、ドクター」
聡史が、眼をこすりながら立ち上がった。
「お早う。悪いが、わたしは少し寝かせてもらうよ」
「完成したんですか?」
寝起きの悪い聡史を尻目に、すっかり目を覚ましたらしいかなえが……寝起きの良さは、ある意味芸能人には必須である……訊く。
「ああ。出来は自分の眼で確かめてくれ。ま、自分としては自信作だがね」
西脇二佐が、カーテンの引かれた着替えスペースを肩越しに指差す。
かなえが、さっそく着替えスペースに潜り込んだ。
「すごっ」
驚きの声が、漏れる。
聡史も眠気を振り払うと、カーテンをめくってみた。ドクター・栗川渾身の作品を眼にして、息を呑む。
「……これは凄い。先生、本当に医者ですか?」
ちょっと赤面しつつ、聡史は訊いた。
「ま、手先は器用な方だからな。あ、九谷君。あとは任せたよ。手筈通りにやってくれ。では諸君、おやすみ」
ドクター・栗川が言って、聡史の体熱で温まったままのロングソファに半ば倒れるようにして寝転がった。
第十八話をお届けします。




