第十四話
アリスが連れてこられたことにより、『一家』は再び四人となった。
食事も無事届けられ……シューマイ弁当とカレーパンと微炭酸のオレンジジュースと言う微妙な組み合わせであったが……一同は安堵しながらそれを平らげた。
「お兄ちゃん、これからどうするの?」
父親……聡史の実兄……のしつけが良いのか、プラ製の箸袋に割り箸を戻し、カレーパンの包装と一緒にプラ製のシューマイ弁当容器に入れ、蓋をしてきちんと輪ゴムを掛けた茉里奈が、聡史に問う。
「うーん。どうしようもないな」
聡史は頭を掻いた。色々と工夫してアリスのことを『守って』やったが、結局は悪あがきに終わってしまったようだ。
「あの連中、少なくとも自滅するようなアホじゃないわね」
かなえが、言う。
「無駄に逆らわなければ、人質としての用が済んだところで解放してもらえるでしょう。アリスちゃんは、どうなるかわからないけど」
カレーパン……おそらく生まれて初めて食べたのだろう……を戸惑いつつ食しているアリスを見やりながら、かなえが続けた。
内閣総理大臣の命令を受けて、自衛隊はMoAの要求に応じるべく準備を開始した。
C‐130Hについては、小牧基地に配備されている第1輸送航空団第401飛行隊から一機が選ばれた。パイロットも同飛行隊から志願者が募られ、MoAの要求通り腕の良い者が、予備も含め四名選出された。不整地への着陸が予想されるので、四名全員がその技量に卓越している。……第401飛行隊は、不整地での離着陸訓練を、すぐ近くの高空自衛隊岐阜基地においてしばしば行っているのだ。
CH‐47Jについては、航空自衛隊と陸上自衛隊どちらの機体を提供するかで揉めたものの……どこの軍隊でもある縄張り争いである……MoAが指定した待機場所がCH‐47J三十二機を有する陸上自衛隊第1輸送ヘリコプター群が駐屯する木更津基地であったので、陸上自衛隊機の提供で話がまとまる。選ばれたのは第103飛行隊に属する一機で、こちらも予備を含めパイロット四名が募られ、指名された。陸上自衛隊機の場合、パイロット二名の他に機上整備員一名の三名が規定のクルーであるが、MoA側がパイロット以外を指定しなかったので、機上整備員は選定されなかった。
整備と給油を終えたC‐130Hが航空自衛隊小牧基地を飛び立ち、東の百里基地へと向かう。同じころ、陸上自衛隊木更津基地でも、CH‐47Jの整備が終了する。
田辺首相が自衛隊に対して行った指示は、MoAが要求した二機の航空機の準備だけではなかった。もっと踏み込んだ対応も、同時に行っていたのだ。
C‐130によるMoAの逃亡先がフィリピンである、という想定の下に起案された、追尾作戦の準備である。
航空自衛隊では中部方面航空隊小松基地の第6航空団、西部方面航空隊新田原基地の第5航空団、南西航空方面隊那覇基地の第9航空団が、C‐130の追尾に備えF‐15J二機を待機させる態勢を整えた。領空内はもとより、領空外まで追尾し、継続監視するためである。これを支援するため、小牧基地の第404飛行隊よりKC‐767空中給油機一機も待機となった。
海上自衛隊も、C‐130の飛行が想定される海域に、横須賀基地と佐世保基地から護衛艦四隻の派遣を決定した。
『本命』と言える追尾戦力は、航空自衛隊美保基地の第3航空輸送隊第403飛行隊のC‐2輸送機二機であった。ターボファンジェットエンジン二基で巡航速度マッハ0.8、貨物なしならば実に九千八百キロメートル……余裕で太平洋を横断できる……性能のC‐2なら、C‐130の追尾は容易である。
もちろん、ただ追尾するだけではない。C‐2二機の機内には、陸上自衛隊第1空挺団の一個中隊が、空挺装備に身を固めて丸ごと乗り込む予定である。その他に団本部所属の偵察小隊の一部、特科大隊の一部などが装備ごと乗り込む。
任務は、『状況が許せば人質を奪還すること』である。可能ならば着陸し、不可能であれば空挺降下して交戦し、抵抗を排除、人質を救出する。
もちろん、作戦実施には政治的にクリアしなければならない各種条件が存在する。そちらに関しては、外務省がフィリピン政府と接触し、すでに予備交渉を開始していた。
だが、その外務省の努力は無駄に終わる。
田辺首相がタッカー大統領と行った短時間の臨時電話会談において、田辺首相が自衛隊によるMoAテロリストの逃亡に備えた極秘作戦の詳細を述べ、理解と協力……特にフィリピン政府説得に関するもの……を求めたことに対し、タッカー大統領は日本の『テロリストと戦う姿勢』を称賛し、その努力には敬意を表すると言明したものの、フィリピン政府に対する働きかけは拒否した。そして続けて、『現在米国は当該テロリストがフィリピンに逃亡する可能性が高いと判断し、その対応手段を整えつつある。この作戦に日本を直接関わらせるつもりはない。自衛隊の追尾作戦は日本の領空および公空に留め、フィリピンの領空には立ち入らず、米国に対応を任せて欲しい。現在の米比関係は良好であり、フィリピン軍およびフィリピン国家警察とは対テロ戦争で協力関係にある。ただし、直接介入以外の、日本政府による間接的協力は歓迎する』と告げられてしまったのだ。
平たく言えば、『手出し無用』と宣言されたに等しい。
もともと政治的リスクが大きい作戦だったこともあり、田辺首相はタッカー大統領の言葉を受け入れ、作戦中止を確約し、日本政府は事件解決に全力を尽くしていると強調し、アリス・ティンバーレイク嬢の無事を祈っていると告げてから、電話会談を終えた。
「諸君、潜入作戦の詳細が決定した。防衛大臣の許可も下りた。全員、手伝ってもらうぞ」
いささかやつれた表情の西脇二佐が、一冊の本を片手に現れる。
「どうしたんや。徹夜でもしたみたいやな」
疲れた見た目の西脇二佐を見て、雛菊が心配そうに言う。
「まあ、そんなところだ。さいわい、こんな外見は潜入作戦の偽装にも役立つからね。今日は飯も喰ってないし」
力なく微笑みながら、西脇二佐が答える。
「今、アサカ電子でオリジナルのロボット……実際には、既存の二足歩行ロボットを魔改造しただけだが……を二体製作中だ。諸君らは、一号機とともにTMIに行って、作戦を行ってくれ」
「作戦。詳しい内容を伺いたいですわね」
スカディが、言う。
「うむ。マジカルキャッスルに、正面攻撃を掛けるんだ」
「二佐。徹夜明けでボケてるのか?」
亞唯が、突っ込んだ。西脇二佐が、にやりと笑う。
「もちろん、偽装攻撃だ。すぐに逃げ帰って来てくれ。ただし、一体はどさくさ紛れにその場に残ること。シオ、君だ」
「あたいでありますか?」
指名されたシオは、自分を指差しつつ問うた。
「そうだ。わたしの潜入作戦の補佐を頼みたい」
「二佐殿。潜入作戦であれば、シオよりもわたくしの方が適任では?」
スカディが、言う。
「荒事なら、あたしの方が得意だぞ。射撃も自信あるし」
亞唯が、自分を売り込む。
「潜入やろ? ここは口八丁手八丁のうちの出番やろ」
雛菊が、言う。
「ピッキングから爆破まで、わたくしに開けられない扉はないのですぅ~。潜入ならお任せなのですぅ~」
指をわきわきさせながら、ベルがアピールする。
「いやいや。使う機会はないかも知れないが、電動工具内蔵のシオ君が今回は適任だ。ということで、準備しておいてくれ。コスプレ道具は、あとで届けさせる。わたしは事前潜入しなければならないので、ここで失礼するよ」
西脇二佐が、手をひらひらと振る。
「コスプレ道具? 何に使うんだい?」
亞唯が、訝し気に訊いた。
「MoAのテロリストに怪しまれないようにするんだ。下手に近付くと、問答無用で撃たれるからね。逆手を取って、正面から攻め込むんだ。正々堂々と行けば、却って怪しまれない。じゃあ、頼んだよ」
西脇二佐が、重い足取りで去る。
「正面から攻め込む。……何を考えていらっしゃるのでしょうか?」
スカディが、首を捻る。
「お忘れ物ですぅ~」
ベルが、折り畳み式長テーブルの上から、本を取り上げた。先ほど西脇二佐が手にしていたものだ。何気なくそこに置いて、そのまま忘れていったらしい。
「『図解入門 サルでもわかる内科学』……なんや、これ」
覗き込んだ雛菊が、題名を読み上げる。
「お医者様にでも化けるおつもりでしょうか?」
シオはそう言った。
「西脇二佐のことだ。また突拍子もない作戦を考え付いたに決まってる」
亞唯が、言う。
「たぶんそうね。まあ、上手く行くことを期待しましょう」
ため息交じりに、スカディが言う。
小柴内閣危機管理監は、腕時計の秒針の動きを眼で追っていた。秒針が『10』を過ぎ、『11』に近付く。
『12』に達したところで、電話が鳴った。午後三時きっかり。ラジャワリが指定した『次の連絡』の時間だ。
小柴は深呼吸をひとつすると、受話器を取った。
「内閣危機管理監、小柴だ」
「こんにちは、小柴。ラジャワリだ」
もはや聞き慣れたラジャワリの日本語が、聞こえた。
「航空機の準備はできたか?」
「そちらの要求通り、C‐130Hを航空自衛隊百里基地に、CH‐47Jを陸上自衛隊木更津基地に準備した。パイロットも、同様だ」
「結構。では、五十億円を車に積み込んで、マジカルキャッスルに届けてもらいたい。トラックを手配し、一台にすべて積み込むんだ。そのトラックは、TMIに入ってもよろしい。午後五時までに、到着してもらいたい」
……二時間。少しきついかも知れない。
「済まないがラジャワリ。夕方の東京の道路は混雑する。すぐに指示を出すが、間に合わないかもしれない」
「多少の遅延は構わない」
「感謝する。すぐに指示を出す」
小柴はメモ用紙に『50億円 即 TMI』と走り書きし、待機していた補佐役に渡した。
「今回の要求はそれだけだ。五十億円と引き換えに、数名の人質を解放する。トラックで連れ帰って構わない」
それだけ告げて、ラジャワリが一方的に通話を切った。
「どうせC‐130に積み込むのに、なぜわざわざTMIに持ってこさせるのでしょう」
小柴内閣危機管理監の報告を聞いた官房長官が、言う。
「こちらが何か小細工を施していないか確かめるため、と思われます」
小柴は田辺首相と官房長官に向かってそう説明した。
「フィリピンまでのC‐130の飛行時間が、推定で七時間ほど。暗くなってから不整地着陸はまさかやらないだろうから、明日の午前中……遅くとも十時前くらいにはCH‐47をTMIに呼び寄せて乗り込むつもりだろう」
田辺首相が、そう推測する。
「とりあえず、最悪の事態は免れそうですね」
官房長官が、言った。
「安心はできません。MoA側は事を急いでいません。カネだけ奪って逃げるのではなく、世界中の耳目が東京に集中するまで待っていた節があります。最後に、何か派手なパフォーマンスをやってから、逃亡を図るという可能性もあります」
小柴はそう釘を刺した。
「気を抜けないということだね。肝に銘じておこう。ご苦労様でした」
田辺首相が、一言労ってから、小柴を退出させる。
「さて。どうやら解決はフィリピンに持ち越されそうだ。米国に任せっきりにしてしまうのは歯がゆいが、政治的にはこれが一番安全な解決策かもしれない」
「例の情報本部の潜入作戦が上手く行けば別ですが」
官房長官が、言う。
「そうだな」
西脇二佐発案の『アリス・ティンバーレイク救出作戦』の詳細を知る者の数は、全部で十名に満たない。田辺首相と官房長官、防衛大臣、統合幕僚長と陸上幕僚長、情報本部長、長浜一佐。それに、西脇二佐本人と、その補佐役となる越川一尉だけである。
その極秘作戦が、いよいよ動き出した。
「では、ここから先はお一人で。頼みましたよ、西脇さん」
迷彩戦闘服姿の越川一尉が、ダークグレイの薄手のつなぎ服姿の西脇二佐の背中をぽんと叩く。
「幸運を祈っていてくれよ」
西脇二佐が、それだけ言い置いて小走りにマジカルフォレストの樹林の中に入っていった。それを見届けた越川一尉は、従業員用移動通路に戻っていった。
西脇二佐は、情報本部の課員の一人によって選定された、マジカルキャッスルへの安全な接近ルートを進んでいた。だが、そのルートにはどうしても避けられない『危険』なポイントが三つあった。いずれも開けた処を通らねばならず、人質奪回を試みようとする特殊部隊が通過しようとすればMoAの見張りに必ず気付かれてしまう。
だが、適切な陽動手段を用い、かつ一人だけならば、昼間でも潜入することは不可能ではない。
待機位置まで進んだ西脇二佐は、植え込みの陰にしゃがんで腕時計を確認した。午後三時二十分ちょうどに、一回目の陽動が行われる手筈である。
陽動は、甲高いキーンという音と共に接近して来た。
TMIの上空に、厚木基地より飛来した合衆国海軍F‐18Eスーパーホーネットの二機編隊が飛来する。しかも、かなりの低空で。
耳を聾する轟音が、マジカル☆アイランド全体に響き渡る。すべての人の注意が、上空で怪音を発するマシンに向けられた次の瞬間。
西脇二佐は立ち上がると走り出した。約八秒掛けて、遊歩道を突っ切り、反対側にあるフェイクの炭焼き小屋の陰に走り込む。
轟音が、遠ざかってゆく。西脇二佐は耳を澄ませたが、銃声も警告の叫びも聞こえなかった。どうやら、上手く行ったようだ。
次のポイントは、小さな川……実際には細長い人口池であったが……に掛かる橋であった。隠れた西脇二佐は時計を見た。三時三十五分に、次の陽動作戦が行われる。
今度の主役はヘリコプターであった。報道ヘリに偽装したチャーターヘリ……ベル430が、大胆にもTMI上空に侵入し、マジカルキャッスルにじりじりと近付く。
頃合い良しとみた西脇二佐は、欄干にフェイクの蔦が絡みついている橋を駆け抜けた。
ベル430は、一分足らずのちに高度を上げて去った。
「さて。本番はこれからだ」
持参したペットボトルから水を飲みながら、西脇二佐は一息入れた。最後に、マジカルキャッスルに入り込むという難関が待ち受けている。TMI側から提供されたマジカルキャッスルのマスターキーを持っているので、外壁に扉がある消火ポンプ室に入ることができるし、そこから内部の通路へと抜けることも可能だ。
遮蔽物がなく、周囲が開けているマジカルキャッスルまで見つからずにたどり着ければ、の話だが。
いったん外壁に張り付いてしまえば、マジカルキャッスルの上の方にいる見張りが、わざわざ身を乗り出して下を見下ろさない限り、見つかることはない。扉を開けて入り込むくらいなら、十秒もあればできるから、楽勝だ。
西脇二佐は慎重にゆっくりと動いて、マジカルキャッスルそばの茂みに潜んだ。外壁までの距離はたっぷり二十五メートルはある。時計で時刻を確認する。AHOの子たちの陽動作戦開始は、午後四時。
西脇二佐は、つなぎ服を脱いだ。下に着ていたのは、よれよれのシャツである。丸めて持ってきた薄手のジャケットを羽織り、つなぎ服を茂みの中に押し込む。持ってきた『装備』が無事であることを確かめると、ペットボトルの中身を飲み干して、空容器をジャケットのポケットにねじ込んだ。
第十四話をお届けします。




