第十二話
川波警部補が呼んでくれた警察車両に乗り込んだAI‐10たちは、すぐに陸上自衛隊松戸駐屯地内のプレハブ倉庫まで送り届けられた。
「ご苦労だったー。では早速だが報告してくれー」
机上に缶コーヒーの空き缶を乱立させた畑中二尉……つまりは寝ていないのだろう……が、整列したAHOの子たちに命ずる。ちなみに、服はちゃんと常装制服に着替えてある。
スカディが、報告を始めた。三鬼士長が準備したノートパソコンにケーブルも接続し、撮影した動画も表示する。
「うーむ。テロリスト側の警戒状態が判ったくらいで、大した収穫は無さそうだなー」
一通り報告が終わったところで、畑中二尉が唸りつつ缶コーヒーを飲もうとして、中身が無くなっている事に気付き、残念そうな表情を浮かべながらそれを机上に戻す。
「買ってまいりましょうかぁ~」
ベルが、気を利かせて声を掛ける。
「いや、いいぞー。そろそろ駐屯地の食堂が開く頃だから、あとでお茶でも貰ってくるー」
「二尉殿。追加の報告事項ですが、任務中にジョーと会いましたわ」
スカディが、切り出した。
「なにー? CIAがもう動いているのかー?」
畑中二尉が眼を剥き、身を乗り出す。
スカディが、ジョーとのやり取りを簡略化して説明する。彼女……もとい、彼と約束した通り、アリス・ティンバーレイクについては伏せておく。
「ところで、一佐殿はどちらへ?」
報告が終わり、畑中二尉が解散を命じたところで、シオはそう訊いた。
「会議で市ヶ谷に行ったまんまだー。政府が自衛隊にかなり情報開示を行ったらしいー。警視庁の方も手に余る事案だと判断し、プライドを捨てて自衛隊の協力を仰ぐ姿勢を取り始めているしなー。ま、今回は国内の事件だし、おまいらの出番はまず無さそうだがー」
「そうでもなさそうだ、諸君」
畑中二尉の言葉尻を否定しながら、長浜一佐がプレハブ倉庫に入って来る。こちらも、すでに常装制服に着替え済みだ。
「座ってくれ。状況を説明する」
すでにパイプ椅子から立ち上がっていたAI‐10たちにそう指示しながら、長浜一佐が正対する位置に立った。
「政府から大幅に情報の開示があった。もちろん特定秘密に該当する。他所へは漏らすなよ」
まず最初に、長浜一佐がそう釘を刺す。
「すでに、政府はテロリスト側と接触を果たしている。テロリスト側は、自らをMoAの『解放の闘士』と名乗っている。まず確実に、MoAによる正規の作戦だろう」
「厄介ですわね。MoA自体が、まだまだ謎の多い組織。弱点が判らないのでは、駆け引きも難しいですわ」
スカディが、言う。
どんなテロ組織にも、弱点……ないしはつけ込める点、がある。『とにかくカネが欲しい』『メンバー不足』『マスコミに弱い』『世間の目を気にする』『反米主義国家には逆らわない』『反ユダヤ主義者には甘い』などなど。当局側は、それに応じて懐柔、説得、妥協、譲歩、調整を繰り返し、事態の解決を図ろうとする。
だが、弱点が判らないのではその糸口にさえたどり着くのは難しいだろう。
「そうだな。とりあえず、連中が最初に行った主たる要求は、日本政府に対し現金五十億円を用意せよ、というものだ」
スカディの言葉にうなずきつつ、長浜一佐が続けた。
「五十億円! うま〇棒が五億本買えるのであります!」
シオは飛び上がった。
「それ、日本政府は本気で払う気なのかい?」
亞唯が、訊く。
「微妙だな。国民世論も割れるだろう。一般国民は、テロには屈したくないが人命は救いたい、と思っている人が大半だろうからな。ま、それよりも重大な情報が開示された。実は、TMIでMoAの人質となっている推定三百名の中に、極めて重要な人物が混じっていることを米政府が通告してきたのだ」
「重要人物? 政治的に、ですかー?」
畑中二尉が、訊く。
「そうだ。アリス・ティンバーレイク。現職のタッカー大統領の、孫娘だ」
「な、なんだってー!」
よくパロディのネタにされている某マンガのワンシーンのノリで、シオとベルと雛菊が身を乗り出して驚く。
「それはびっくりですが……おまいら、なんかリアクションが変じゃないか?」
畑中二尉が、鋭く気付いて突っ込んでくる。
「なるほど。だからわたくしたちを含め自衛隊が先走らないように、政府から圧力が掛かっていたのですね」
スカディが、冷静さを装って言った。
「そうだ。日本国民を守るという立場の自衛隊員としては、まことに遺憾ではあるが、政治的にはアリス・ティンバーレイク嬢の命は、日本人が大半を占めるであろう他の三百人の命より重要だ。政府与党からも、アリス嬢の安全確保が最優先事項である、と命じられている」
淡々と、長浜一佐が続けた。
「……合衆国大統領の孫娘の身代金にしちゃ、五十億円は安すぎないか?」
亞唯が、言った。長浜一佐が、うなずく。
「五十億円は、日本政府に対する要求だ。MoAは、日本政府に対し、アリス・ティンバーレイクの身柄を押さえていることを告げていない。むろん、偶然人質となった、ということはあり得ないだろう。つまり、この五十億円にはアリス嬢の身代金は含まれていない、と政府も陸幕も考えている」
「……お金目当てではない。ということは……」
「考えられるのは、逃走用の人質、だなー」
三鬼士長のつぶやきを引き取って、畑中二尉が言った。
「逃走手段に何を選ぶにしろ、人質全員を引き連れていくのは無理だー。『高価値』の人質を少数連れてゆくしかないー。アリス嬢なら、打ってつけだろー。一人押さえておくだけで、日本も米国も手も足も出せんー」
「そういうことだな。ということで、防衛省もアリス・ティンバーレイク嬢の救出を最優先に対応を行うこととなった。西脇二佐が何かアイデアを思い付いたそうで、現在作業中だ。諸君らは、それに協力してくれ」
「西脇二佐のアイデアですか! 嫌な予感しかしないのですが!」
シオはそう言った。西脇二佐と言えば、先ほどの『マジカルフォレストの妖精さんズ』の衣装のように、『効果的ではあるがどこか間が抜けている』策を持ってくる、という印象しかない。
「本人は、自らマジカルキャッスルに潜入する、とまで言っているがな。とりあえず、今はここまでだ。各自充電を済ませて待機するように。あと、着替えもしておくように」
長浜一佐が、解散を命ずる。
「最後の手段だ。朝食を配る前に、人質の中からすべての子供を連れ出して、一か所に集めろ。そうだな、劇場の中がいい」
シンガが、切り出した。
「すべての子供だ。少年もだぞ。男装している可能性がある。あと、小柄な女性も集めろ。大人に偽装しているかも知れない」
「すぐに、手配します」
チャーンが応えて、部屋を出てゆく。
「……これで見つからなかったら?」
メオが、訊いた。……寝不足らしく、大きな眼の下にはくっきりと隈ができている。
「作戦を根本から見直さなければならないな。……その時は、覚悟しろよ」
シンガが、冷たい声で言い切った。メオが、気圧されたようにうなずく。
茉里奈とアリスが腕を掴まれ、無理やり立たされるのを、聡史とかなえは黙って見ているしかなかった。
アリスの腕を掴んでいるテロリストが、すぐに彼女の顔立ちがアジア人らしからぬことに気付く。『リーゼロッテちゃんのとんがり帽子』が乱暴に取り去られ、その下に隠れていた金髪が露わとなった。
テロリストが、アリスの腕を左手でつかんだまま、右手だけで支えた突撃銃の銃口を聡史とかなえに向けた。相棒の方は茉里奈の腕を離して両手で突撃銃を腰だめに構え、大声で仲間を呼ぶ。
駆けつけたテロリストたちにより、『一家四人』はすぐに別室へと連行された。
「お早うございます、ミス・ティンバーレイク」
あっさりと見つかったアリスに、シンガがうやうやしく一礼する。
「ご安心ください。決して危害は加えません。ですから、どうか反抗は慎んでいただけると幸いです」
猫なで声で、シンガが続ける。
「ひとつだけ、よろしいですか?」
アリスは、挑戦的にならない程度に毅然とした態度で言った。シークレット・サービスの警護官から、万が一テロリストに捕まった時の心得は、一通り習っている。不用意に刺激しないこと。卑屈にならないこと……卑屈になり過ぎると、相手の嗜虐性に火を点けることになりかねない。逆らわず、協力的態度に終始すること。
「どうぞ」
「わたしと一緒にいた日本人は普通の民間人です。事情をよく知らず……わたしが合衆国大統領の孫娘だということも知らずに、保護してくれただけです。わたし同様、危害を加えないでください」
「あの三人についてはこちらで調べます。無害だと判れば、他の人質たちと同様の処遇とします」
シンガが、答える。
……こいつ、信用できない。
アリスはそう悟った。祖父は政治家として合衆国のトップまで登り詰めた人物である。その血を受け継ぐアリスは、幼いながらにそれなりに人を見る目はある。
助けてくれたマリナたちを、見捨てるわけにはいかない。そんなことをしたら、おじいちゃんに合わせる顔がない。
「わたしをあの三人と一緒にしてください」
アリスはきっぱりと言った。自分が側にいれば、みだりに危害を加えられることはないだろう。今までは、マリナたちが自分を守ってくれた。今度は、自分があの三人を守る番だ。
シンガが、背後に立つ女性……メオと顔を見合わせる。
テロリストに突撃銃の銃口を向けられた聡史は、知っていることを洗いざらい喋った。
たどたどしい日本語を操る東南アジア系外国人の質問に、丁寧に答えてゆく。下手な隠し事は、立場を悪くするだけである。
徹底したボディチェックも行われた。いったん全裸にされ、陰毛の中まで探られる。口の中も、覗き込まれた。
一人が、聡史の身体をまさぐり始めた。一瞬、『掘られる』のかと警戒した聡史だったが、すぐにテロリストの興味が股間や尻には無いことに気付いた。主に腕と手に興味があるらしく、指先でごそごそと探っている。……聡史には理由が判らなかったが、筋肉の付き方をチェックしていたのだ。鍛えている軍人や警察官と、鈍っている一般人は、明らかに違う筋肉の付き方をしているのだ。
満足したのか、テロリストが聡史から離れた。日本語を喋れるテロリストが、服を着るように指示する。
ごそごそと服を着こんだ聡史は、一室に押し込められた。壁も床も打ちっぱなしのコンクリートで、窓もない。照明は古い蛍光管が一本だけで、空気は古くなった段ボールみたいな臭いがする。
ほどなく、同じ部屋に茉里奈が連れてこられた。聡史を見て、飛びつくように抱き付いて来る。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「それはこっちのセリフだよ。大丈夫、変なことされなかった?」
「うん。色々聞かれたけど、それだけ」
聡史を見上げて、満里奈が言う。
聡史はほっと胸を撫でおろした。さすがに、テロリスト連中も子供を脱がして調べるような下種なまねはしなかったようだ。
……しかし。さすがに兄貴の子だ。図太いというか、なんというか。
意外にけろりとしている茉里奈を見ながら、聡史はつくづく感心した。銃を持ったテロリストに連れ去られ、一人っきりで尋問されたら、普通の女の子なら泣き出してもおかしくはあるまい。
「……まったくもー。このあほー!」
毒づきながら、かなえが入って来る。その背後で、スチールの扉ががしゃんと閉まった。
「かなえさん、大丈夫?」
すかさず茉里奈が駆け寄って、抱き付く。
「大丈夫じゃないわよ。何よ、あの女!」
ぷりぷりと怒りながら、かなえが床に座り込む。
「まあまあ。連中を怒らせない方がいいですよ」
隣に座りながら、聡史はかなえを宥めた。
「それより、アリスちゃんが心配だよ」
二人のあいだに強引に割り込むように座りながら、満里奈が言う。
「……そうだね」
聡史たちへの対応が一応『ソフト』であったことから、テロリストたちが結構『理性的』であることは判った。だが、何のためにアリスを必要としているかまでは、判らない。
「アリスちゃんも心配だけど、こっちも色々心配なことがあるよねぇ」
かなえが、言った。
「そうですね」
聡史は同意した。
「お腹空いた」
茉里奈が、ぽそりと付け加える。
三人とも、朝食抜きである。昨日の夕食は早い時間帯に採ったし、弁当ひとつだけという軽いものであった。
「はあ」
三人の口から、一斉にため息が漏れる。
「おはよう、コシバ」
内閣総理大臣官邸危機管理センター内にある通信室で受話器を握る小柴内閣危機管理監の耳に、聞き慣れたラジャワリの声が響いた。
「おはよう、ラジャワリ」
小柴は苦々し気に挨拶した。
「朝食をありがとう。では早速だが、交渉に入ろう。五十億円は用意できたかね?」
「まだ手元には無いが、日本銀行に用意させている。全額日本円になる予定だが、それでいいか?」
「問題ない。五億円ずつ厳重に梱包してほしい。よろしいか?」
「わかった」
一万円札の重さは約一グラム。したがって、五億円の重さは五十キログラムとなる。これを十個となると、総重量は五百キログラム。
「次に、航空機を一機準備してもらいたい」
……やはりな。
警察や政府部内でも、MoAのテロリストが逃走のために航空機を使うのではないか、という見方が多勢を占めていた。外国人テロリストが日本国内を車両で逃走しても意味はないし、船舶では速度が遅すぎる。高速で一気に国外逃亡を図れる航空機は、脱出用には打ってつけである。
「航空自衛隊のC‐130H輸送機を一機、操縦士と副操縦士をつけて待機させてくれ。場所は航空自衛隊百里基地。燃料満載状態で整備も済ませ、通告から三時間で飛び立てる態勢にしておくこと。操縦士と副操縦士は腕の良い者を選べ」
「……自衛隊との調整に時間が掛かるが?」
「早めに頼む。もう一機、ヘリコプターを準備してもらいたい。航空自衛隊または陸上自衛隊のCH‐47J。操縦士二名。こちらは燃料二分の一で、陸上自衛隊木更津駐屯地に待機。同じく通告から三時間で飛び立てるように準備すること」
「わかった」
「要求は以上だ。また連絡する。航空機の準備が完了し、現金五十億円移送の準備が整ったら、子供連れをメインに約百名の人質を解放する」
「すぐに、官房長官に伝達する」
メモを取りながら、小柴内閣危機管理監は部下を手招いた。……自衛隊の航空機が関わって来るとなると、国家安全保障局長の所管に関わって来る。これは、国家安全保障会議設置法に基づく、緊急事態大臣会合を開くように、官房長官に進言せねばなるまい。
第十二話をお届けします。




