第十話
「爆破の経験は?」
床も壁面も打ちっぱなしコンクリートという殺風景な部屋に落ち着くと、そうバンクス軍曹が訊ねた。
「C4なら扱ったことがありますぅ~。大きな声では言えませんが、装甲シャッターに穴を開けたのですぅ~」
ベルは少しばかり自慢げに答えた。
「よし。じゃあ、レッスンに掛かろうか」
バンクス軍曹が、抱えてきた薄手の綿毛布をスチール製の机の上に敷いた。次いで、ダッフルバッグの中身を取り出し、並べ始める。ベルは興味深げにそれを見守った。
プライヤーやワイヤカッター、ラジオペンチ、電工ナイフなどの工具類。ツイスト・カップ型の小型手回し発電機。テスト用のコンパクトな検流計。通常信管と電気信管を収めた木製ケース。電気コードのリール。爆薬固縛用のワイヤリールと、パラコードの束。多種多様な金具やバネ、釘やネジ釘、針金、プラスチックの小片など小物類が雑然と入っている紙箱。速乾性接着剤のチューブ。ダクトテープ。そして、円筒形のプラスチック爆薬PE4が十本収まっている紙箱。デト・コード(導爆線)の束と、耐水導火線の束、それにペンシル型の時限信管が入っているケースはそれぞれ別のサイドポケットに入っていた。
「ところであんた、静電気は大丈夫なのか?」
バンクスが、訊く。
「足から逃がすようにできているので、大丈夫ですぅ~」
「そうか」
応えながら、バンクスが図面を広げる。在サンタ・アナ日本大使館の概略図だ。
「あんたが爆破しなきゃならない外壁はここだ。大きさとしては、最低でも幅三メートル、高さ一メートル半の開口部が欲しい。四メートル×二メートルあれば、理想的だろう」
該当箇所を指で示しながら、バンクスが言う。
「ミリタリーグレードのプラスチック爆薬は強力だ。太い鉄筋でも、ダイヤモンド・チャージ(菱形爆薬)を貼り付ければ切断できるし、厚いコンクリートもスラブ・チャージ(平板爆薬)で粉々に砕くことができる。だが、これは相手が単一素材だからだ。複合素材になると、途端に計算が難しくなる。爆破も結局は物理現象だ。変数が増えれば、それだけ計算がややこしくなる道理だ。したがって、鉄筋コンクリートをきれいに爆破するのは、非常に難しい」
バンクスが、別の紙を広げた。壁内の鉄筋の位置を示したものだ。赤い線と簡略化した記号で、爆破除去予定箇所と爆発物設置位置が描き込まれている。
「この建物はラーメン構造の鉄筋コンクリート製。つまり、丈夫な鉄骨とそれを取り巻くコンクリートで構成された柱と梁が、全体の構造を支えているわけだ。だから壁のほとんどは非構造壁。つまり、建物の構造としての重量を支えるだけの強度を持っていない。あんたが爆破しなければいけない壁も、同様だ。だから鉄筋コンクリートではあるが、それほど丈夫じゃない。まず、主要な鉄筋を切断するためのシェイプド・チャージ(成型爆薬)を仕掛ける。次いで、コンクリートにひびを入れるためのリボン・チャージ(紐状爆薬)を外縁部に仕掛ける。最後に、コンクリート自体を細い鉄筋と共に吹き飛ばすスラブ・チャージ(平板爆薬)を仕掛ける。これで、四メートル×二メートルの外壁が、外側へ向けてばらばらになりながら吹き飛ぶ、という寸法だ」
「素晴らしいですぅ~」
「こいつは失敗するわけには行かない爆破だ。やり直しは効かないからな。爆破を失敗しないコツ、知ってるか?」
微笑みながら、バンクスが訊ねた。
「知りませんですぅ~」
「失敗のほとんどは、破壊力が足りなかったことに起因する。爆薬の量が過少。爆薬の設置位置の不適切。構造物の強度見積もりの誤り。爆発タイミングの悪さ、などだな。これらを総じてカバーできる、簡単な方法が、爆薬の量を増やすことだ。多めに仕掛けておけば、たいていの物は壊せる」
「なるほどぉ~。覚えておきますですぅ~」
「じゃ、レッスンに入るか」
バンクスが、ダッフルバックからビニールに包まれた油粘土の塊を取り出した。
「ミスター・シップマンによれば、爆薬類をそのまま大使館に持ち込むことは無理だそうだ。差し入れの食料などに偽装して、少量ずつ持ち込むしかない。だから、シェイプド・チャージなどはあんたが大使館内で組み立てるしかない。その講習を、いまから行う。いいか?」
「お手製爆弾ですかぁ~。楽しそうなのですぅ~」
指をわきわきと動かしながら、ベルが嬉々として言った。
恒例の朝の食料搬入の際に、こっそりとパコが渡してくれたデータROMを、シオは装着した。
入っていたのは、四つの命令であった。うち二つは、即時実行。もうひとつは、次回の報告までに調査。残るひとつは、翌日実行との指示である。
「よくわからない内容なのです」
シオはこぼした。最初の命令は、指定した一部の食料を、食事として提供せず、隠匿しておけというものであった。
とりあえずシオは、命令通りに一部の食品を選り分け、サクラが隠れている地下倉庫に運んだ。缶詰数個、ソーセージ、チューブ入りのチーズ、といったところである。
次いで、シオは二つ目の命令をこなすために、省電力モードに入って体育座りしていたサクラを起こした。大使館内にある工具類のリストを要求する。
「大工道具などは、そこの工具箱の中に入っています」
サクラが、隅の方の棚に置いてある大きな金属製のボックスを指した。
「電工関係の工具は、電信室にあります。発電機室にも、工具箱はありました」
シオはサクラにケーブルを接続すると、リストの内容をコピーした。
続いて、シオは二階のレセプションルームへと向かった。大井大使を見つけ、話をする。
「サッカーボールに音楽にマットレス?」
話を聞いた大使が、首を捻る。
「まあ、マットレスの要求はわからないでもないが……」
苦笑しながら、大井大使が言った。レセプションルームに、もちろんベッドなどない。人質全員は、雑魚寝状態である。ダンスホール代わりにも使える硬木の板張りの上に、折り畳んだ毛布を敷布団代わりにして寝ているのが現状だ。ただし、高齢の数名は文化広報室から持ち込んだタタミ・マットをマットレス代わりにしている。
「とにかく、待遇改善と称し、ゲリラに人数分のマットレスと娯楽用サッカーボール、音響機器、それにおやつの供給を要求してください。お願いします」
「ペロタ(ボール)はともかく、マットレスは駄目だ」
ロレンソが、そう主張する。
「同感だな。マットレスの中ならば、いくらでも武器を隠せる。許可できん」
エミディオが、同意した。
エミディオの専用個室兼会議室と化しているゲストルームである。集まっているのは、いつもの四人。リーダーのエミディオと、サブリーダー格のロレンソとイネス。それに、技術屋兼通信担当のバスコだ。
「ペロタは、罠じゃないでしょうね」
イネスが、形の良い鼻に皺を寄せて顔をしかめる。彼らが失敗例として参考にした在ペルー日本大使公邸占拠事件においては、占拠グループがサッカーに興じていた隙を衝き、ペルー軍と警察の特殊部隊が突入を開始、人質の解放に成功している。
「俺たちはそこまで馬鹿じゃない。ペロタは、許可しよう。音響機器は……音楽を聴きたいそうだが、これも駄目だな」
エミディオが、言う。ロレンソが、うなずいた。
「何を仕込まれるかわかったものじゃないからな。それに、音楽の種類で外部との連絡が取れるかもしれない」
「あるいは、音で何か作業をごまかすつもりなのかもね」
イネスが、言う。
「メリエンダ(おやつ)は許可してもいいと思う。ペロタと同様、娯楽にはなるだろう。害はない」
エミディオが、言う。全員が、同意した。
「では、この案件は終了だ。バスコ。政治部門から連絡があったそうだが……」
「悪い知らせです。ニカラグア側が、領土内に人質を移送することを、正式に拒否してきたそうです」
暗い表情で……もともと陽気なタイプではないが……バスコが言った。
「どうする?」
ロレンソが、エミディオを見やる。
「移送を強行するしかないな。ノゲイラ政権は、いまだ我々の要求を受け入れる姿勢を見せてはいない。近いうちに、人質の一部を処刑するという脅しを掛ける必要があるだろう。その際に、ノゲイラ政権に強行突入を選択させないためには、人質の分散を行うしかないんだ」
きっぱりと、エミディオは言った。もちろん、サンタ・アナ国内にも『フレンテ』の拠点はあり、そこへイギリスと日本の大使を移送することもできる。だが、アメリカを公然と敵に回した以上、その位置は偵察衛星などにより暴露されている可能性がある。ニカラグア国内であれば、仮に移送先を突き止められたとしても、サンタ・アナはもちろんアメリカさえも迂闊に手を出すことはできないだろう。安全度は桁違いだ。
「意向を無視して人質を移送し、ニカラグアを怒らせるのはまずいんじゃない?」
やや不安げな面持ちで、イネスが問う。
「他に方法はない。どのみち、この作戦が成功すればニカラグアに頼らなくても済むほどの力を、『フレンテ』は持つことになる。今は作戦成功が最優先だ。バスコ、軍事部門へ連絡を頼む。人質移送作戦準備を開始せよ、とな」
エミディオがそう命じてから、同意を求めるかのようにロレンソとイネスを見た。二人が、顔をしかめつつも同意のうなずきを見せる。
翌日、シオは最後の命令をこなすためにレセプションルームへと向かった。
食料とともに差し入れられ、ゲリラによって仕掛けがないことを検められてから人質に渡された三個のサッカーボールは、好評であった。なにしろ娯楽に飢えていたうえに、ほとんどの人質がラテンアメリカ諸国などサッカーが盛んな国々の人々である。
シオは大井大使を、トイレの前室で見つけた。食堂やパーティ会場にも使われるので、隣接するトイレはレセプションルームから直接見えないような造りになっている。扉のない戸口の奥に一見談話室か何かのように見えるソファや観葉植物などが置かれた小さな前室があり、トイレそのものはその左右にある扉の奥にある、というホテルやレストランによく見られる構造だ。
シオは命令の内容を大使に伝えた。
「まあ、たしかにゴールがあった方が、盛り上がるだろうが……真の目的は、何なのだろうな?」
大井大使が、首を捻った。
「それはわかりません。ですが、位置は指定した通りのところでお願いします。壁から離した位置に吊るのもお忘れなく」
「わかった」
「それと、そろそろ何人かお味方を作っておいてください。いざと言う時に、協力してくださる方を」
「それなら、もう五人ほど確保してあるよ」
意味ありげな笑みを浮かべた大井大使が、少しばかり自慢げに言う。
「さすが閣下。では、ゴールの件、よろしくお願いします」
「ロレンソ!」
急に呼びかけられたロレンソは、素早くAIM突撃銃を手にして、座っていた椅子から立ち上がった。
「二階へ来てください。人質が、妙なこと始めやがった」
ハイメが、困り顔で言う。
「妙なこと?」
顔をしかめながら、ロレンソはハイメの後を追って階段を昇った。レセプションルームの前で、落ち着きなくAIM突撃銃を抱えているラモンと合流する。
「何があった?」
「見てもらった方が早いです」
ラモンが、身振りでレセプションルームの中を指す。
ロレンソは、なおも顔をしかめながら中を覗き込んだ。
北側の壁の前に、シングルサイズの毛布が三枚並んで、天井から紐のようなもので吊るされて垂れ下がっていた。下端は、床に完全に触れている。
「何をしている!」
ロレンソは、一喝した。
「何って……あんた、フッボール(サッカー)やったことないのか?」
人質の一人……七十代のサンタ・アナの元副大統領が、サッカーボールを手に怪訝そうな表情で聞き返してくる。
「それがどうした?」
「フッボールには、ゴールが必要だろうが! ちと小さいが、フィールドが狭いから仕方ない」
元副大統領がにやにやしながら言った。手にしたボールをひょいと放り投げると、ボレーシュートを放つ。ボールはものの見事に即席のゴールを捕らえ、毛布を揺らした。
「お見事です、閣下!」
「とても七十二歳には見えませんぞ!」
他の人質から、拍手が起こる。
唸りながら、ロレンソは毛布ゴールを調べに行った。ゴールを決めた元副大統領も、ついて来る。
毛布自体は、厚手であることを除けば、何の変哲もないものであった。化粧合板を貼り付けた壁からは、五十センチばかり離れている。
「なんでここに吊ったんだ」
「窓があるところはまずいだろう。逃げる算段をしていると、あんたらに疑われたくないからな」
淀みなく、元副大統領が答える。
「壁から離しすぎじゃないか?」
「壁にボールを当てたら、毛布越しでもうるさいだろう。それに、壁にぴったりじゃ、キーパー役の者が怪我しかねない。それと……」
元副大統領が、含みを持たせつつ笑みを浮かべる。
「それと?」
「あんたも、フッボールをやったことがあれば判るだろう。格好良くゴールを決めたのにゴールネットが揺れないなんて、興ざめもいいとこじゃないか」
ロレンソの報告を聞いたエミディオが、笑った。
「いいじゃないか。やらせておけ。ただし、壁は定期的に調べること。一日一回でいいだろう。二十四時間でコンクリートの壁に穴を開けられるとは思えんからな」
ひとしきり笑ったエミディオが、真面目な顔に戻ってバスコを見た。
「それで、軍事部門の返事は?」
「明後日なら、決行可能だということです。車二台、人員六名はもう待機しています。姿をくらますための支援体制を整えるには、二日は必要と」
「よし。では明後日の夜中に決行だ。イネスが予定通りイギリス大使、ロレンソがアメリカ大使の代わりの日本大使を連れて行ってくれ。上手く逃げてくれよ」
「わかった。俺はハイメを連れて行く。いいか?」
ロレンソが、エミディオに確認する。
「結構。イネス、君は誰を連れてゆく?」
「女の子のどちらかがいいわね。スサナ連れてっていい?」
「だめだ。あの子は有能だから、手元に置いておきたい。ルシアでどうだ?」
エミディオが、イネスの申し出を即座に拒否し、代替案を出す。
「わかったわ。ルシア連れてく」
イネスが、少しばかり無念そうな表情でうなずく。
第十話をお届けします。




