第七話
「あー、明日スタジオオーディションなのにぃ……」
座り込んだ聡史と茉里奈とアリスの背後で、誰かがつぶやく。
聡史は振り返ってみた。若い……と言っても、聡史と同年代だが……の女性が、膝を抱えてぶつぶつとつぶやいている。
「あ、リーゼロッテちゃんだ」
茉里奈が、指をさして言う。
金髪のカツラととんがり帽子は失われていたが、女性が着ている衣装は間違いなく先ほど舞台の上で派手に動き回っていた魔法使い、リーゼロッテのそれだ。
「はあい」
職業病なのか、あるいは単に愛想のいい性格なのか、女性が茉里奈に向け笑顔を見せ、小さく手を振る。美少女魔法使いを演じていただけあって、かなりの美人である。
「ねえ、お兄ちゃん」
茉里奈が女性の方を見ながら、聡史の耳に口を寄せる。
「なんだい?」
「あのお姉さんに、アリスちゃん守るの、協力してもらえないかな」
「いやいや、無理だろ」
聡史は言った。
「でも、リーゼロッテちゃんだよ? 正義の美少女魔法使いだよ」
茉里奈が、反駁する。
「それは……仕事でお芝居してるだけだろ」
「とにかく、聞いてみるよ」
聡史に止める暇を与えずに、茉里奈が身を乗り出すと女性に声を掛けた。
「お姉さん、ちょっといい?」
「なあに?」
笑顔のまま、女性が茉里奈の方へ身を乗り出す。
「お姉さん、リーゼロッテちゃんでしょ? 一緒に、アリスちゃんを守ってほしいの」
茉里奈が、アリスをちらっと見やりつつ頼む。自分の名が出たことに気付いたアリスが、伏せていた顔をあげて女性の方を見た。
「あら、可愛い子ね。でも、守るってどういうこと?」
「アリスちゃん、狙われてるんです、あの人たちに」
声を潜め、茉里奈が説明する。
「どういうこと?」
女性が、解説を求めるかのように聡史を見た。
「あー、いろいろ事情がありまして……この子を守ってやるはめになりまして……」
聡史は適当にごまかそうとした。遅まきながら、この女性を無条件に信頼するだけの材料が足りていないことに気付いたのだ。ひょっとすると、自分の身の安全や解放などを条件に、アリスのことをテロリストに売り渡す、ということもあり得る。
「よく判らないけど、無理無理」
女性が、首を振った。
「あたし、魔法なんて使えないし、ふつーの人だから。ごめんね」
茉里奈に向け、それほど冷たい感じではないがきっぱりと拒絶の意思を表明する。
「うーん」
茉里奈が、悔しそうな表情で黙り込む。アリスも雰囲気を察したのか、暗い表情で顔を伏せた。
いやーな空気が、流れる。
「えーと、さっきオーディションとか言ってましたけど……ひょっとして、女優さんですか?」
気まずい空気を変えようと、聡史は訊いてみた。この手の『ショー』に出演している若者の中には、俳優の卵とかメジャーデビューを目指している若手舞台俳優などが多いと、聞いたことがある。この女性も、そんな若者の一人かも知れない。
「女優じゃなくて、声優。ねえ、九谷かなえって、聞いたことない?」
女性……かなえが、急に眼を輝かせて訊いてくる。
「……えーと……知りません」
聡史はちょっと引き気味に、正直に答えた。
「そーよねー。アニメとか、見ないでしょうし」
いきなり遠い眼になったかなえが、視線を逸らす。
「アニメは見ないことはないんですが……」
……しまった。
そう言いかけた聡史は、慌てて口を押えた。シオとミリンに付き合うようにして、結構アニメ番組などを視聴しているのは本当である。だが、おそらくは『九谷かなえ』はそれほど有名でない声優……売れていれば、TMIで舞台などに出ているわけがない……なのであろう。ここは嘘でも『いやー、アニメとか見ないから、声優さんとか知らないんですよねー』と言っておくべきだった。
「え、お姉さん、九谷かなえさんなの?」
意外なことに、その名に喰いついたのは茉里奈だった。
「え、お嬢ちゃん、あたしの名前知ってるの?」
目に生気が戻ったかなえが、茉里奈を見つめる。
「うん。ピュアロータスのひとだよね」
「やった! あたしの唯一のメジャー作品! 覚えててくれたんだ!」
かなえが、いきなり茉里奈に抱き付いた。
「声、ちょっと違うね」
茉里奈が、言う。
「ロータスは結構ロリ声作ってたからね」
「ロータスちゃん、可愛かったよ」
「ありがとー。ピュアフレンズで一番贔屓だったの?」
「……ごめん。ロータスちゃんは二番目。一番は、やっぱコスモスちゃんかな」
「……そーだよねー。矢菊先輩には、敵わないよね……」
くらーい声で言ったかなえが、茉里奈から身を離す。
「えー、話が全然見えていないんですけど」
聡史は苦笑しつつ言った。
「えー、改めて自己紹介するわね。九谷かなえ。声優。ミア・エンタープライズ所属。ピュアフレンズは四年前の女児向けアニメ。あたしのメジャーデビュー作品。……それ以後、大きな役はご無沙汰してるけど」
「あー」
聡史は納得した。見たことはない……四年前と言えば、まだシオを買う前だ……が、ピュアフレンズというアニメは知っている。いわゆる『女児向け戦隊もの』のアニメで、かなり人気があったはずだ。例によって、セクシー衣装の美少女がうじゃうじゃ出てくるので、『ピュアフレ』は『大きなお友達』にも人気だったと聞く。そのキャラの一人の中の人がかなえで、茉里奈はそのことを覚えていたのだろう。
「でね、明日新作アニメのスタジオオーディションなのよ。主役の妹役で、テープオーディションは好評だったと聞いてるから、自信はあるのよね。『魔漸の剣』のテレビシリーズ。コミックス売り上げ五百万部のヒット作! アニメもヒット間違いなし! これに出れれば、アルバイト生活ともおさらばよ!」
かなえが、眼を輝かせて語る。
「で、何なの、この子」
アリスに視線を転じて、低いトーンに戻ったかなえが訊く。
「えーと。協力していただけなかったんじゃ……」
「ピュアロータスのファンを裏切るわけにはいかないでしょ。この子のためにも、協力してあげるわよ。で、お嬢ちゃん、名前は?」
かなえが訊く。茉里奈が名乗り、アリスを紹介した。聡史も、名乗る。
「連中に狙われてるって……アリスちゃんって、何者なの?」
事情を聞いたかなえが、首を捻る。
「マフィアの娘、って感じじゃないよね。育ち良さそうだし。どこかのお姫様、とか?」
かなえが言う。聡史は突っ込みを入れようとしたが、自重した。今どきの海外マフィアや麻薬組織の子女は幼い頃から豪邸で多数の召使にかしずかれて暮らし、高い教育も受けているので、きわめて上品な見た目と物腰のはずだ。
「ねえねえ。アリスちゃんの、フルネームは?」
かなえが、聡史に訊く。
「……なんとなく、聞きそびれてた」
聡史は苦笑した。じつは世界的に知られた政治家やテロリストと苗字が一緒だったりしたらどうしよう、と内心で恐れていたせいもあるが。
茉里奈が、英語で質問する。アリスが、ぼそぼそと答えた。
「アリス・ティンバーレイクだって」
「ティンバーレイク……」
聡史とかなえは顔を見合わせた。
「アメリカの俳優に、ティンバーレイクって人いるわね。でも、テロリストがはるばる東京までやってきて子供を誘拐したくなるほど超大物ってわけじゃないし」
かなえが、言う。
「じゃあ、関係ないでしょうねぇ」
「いずれにしても、アリスちゃんがそれほどの大物なら、助けてあげればそれなりに見返りはあるよね」
かなえが、にやりと笑った。
「お礼とか、期待してるの?」
茉里奈が、問う。
「それより、知名度アップの方が嬉しいわね。『某国美少女姫君を救った若手女性声優!!』 これもう、アニメ化決定じゃない」
かなえが、言い切る。
部屋の出入り口に、大きなゴミ袋を持った男性……人質の一人……と、AKを携えた褐色の肌の若い男性……聡史には、インド南部あたりの人種に思えた……が現れる。
褐色の肌のテロリストが、達者な日本語で……電話で会話したら日本生まれの日本育ちの日本人と区別がつかないだろう……所持品の一部を没収すると告げる。スマートフォンその他の通信機器、タブレットやPDA等の電子機器、音楽プレイヤーや音声レコーダーなどの音響関連機器、カメラなどの映像記録機器、時計、財布、あらゆる形態の筆記用具、その他武器と看做しうる道具類、そしてもちろんTMI貸し出しの携帯端末を、ゴミ袋の中に入れるように、という内容であった。
ゴミ袋を持った男性とAKで武装したテロリストが室内を回って、没収品を集めて回る。
「やっぱり。アリスちゃんを探してる」
その様子をこっそりと窺いながら、かなえが言った。
「そのようですね」
聡史もうなずいた。インド系らしいテロリストは、あたりを警戒しながら、幼い女の子を見つけると注意深く覗き込むといった行為を繰り返している。……単なるロリコン男でなければ、きわめて不自然な行動だ。
「かなえさん、お兄ちゃんの奥さんのふりをしてよ」
唐突に、茉里奈が提案する。
「茉里奈とアリスちゃんが姉妹で、家族のふりをするの。きっと、ごまかせるよ」
「え。あたし、そんなに老けて見える?」
かなえが、顔をしかめる。たしかに、このくらいの娘が二人もいる女性なら、普通は確実に三十路だろう。
「大丈夫。かなえさんは若く見えるよ。でも、外国の人には日本人の年齢はよく判らないんじゃないかな」
茉里奈が、もっともなことを言う。
「たぶんそうだな。それで行きましょう、九谷さん」
聡史はかなえを見据えて言った。かなえが、仕方ないといった表情で首を振る。
四人は座る位置を変えた。聡史とかなえのあいだに、茉里奈とアリスを挟むようにする。
こんな状況下ではあったが、聡史は妙な嬉しさを覚えていた。疑似とは言え、かなり美人の『妻』と、美少女の『娘』二人と一緒に座っているのだ。……リア充気分を味わっている、とでも言えばいいのだろうか。
ゴミ袋が近付くと、姉妹を装った茉里奈とアリスは身を縮めて怖がっているふりをして、顔を伏せた。聡史は財布とスマホ、それに腕時計を素直に袋の中に入れた。アリスのためにも、ここで目立つことは避けねばならない。
インド系テロリストが、茉里奈を見てすぐに視線を逸らす。日本人だと見抜いたようだ。視線が、アリスに移動する。
聡史はおもわず息を止めた。偽装がばれたら、アリスは連れて行かれてしまうだろう。そしてそのあと、聡史、茉里奈、かなえの三人にどんなペナルティが下されるかは……考えたくもない。
テロリストが、視線をアリスから外す。……『リーゼロッテのとんがり帽子』が効果を発揮したようだ。アリスの金髪が地毛であることに気付かずに、テロリストは『疑似家族』から離れていった。
「居ないはずはない」
シンガが、首を振りつつ言う。
シンガ、チャーン、メオの三人は、マジカルキャッスルの三階にある展望テラス脇に陣取っていた。
制圧作戦はひどい出来と言えた。半数以上の人質がパニック状態となり、混乱を収めるのにまるまる二十分以上を費やすはめになった。アリス・ティンバーレイクの護衛……国務省外交保安局員……との銃撃戦で、二人が死亡。人質の中にも、死傷者が出ている。
そして、肝心のアリス・ティンバーレイクがいまだに見つからない。
「日本人に混じっている金髪の女の子が見つけられないの? 信じられない」
メオが、憤る。……普段は冷静なメオだが、作戦の最中なのでかなり気が高ぶっているようだ。
「可能性は三つだな。すでに制圧域外へと逃れた。まだ人質の中にいる。制圧域内のどこかに隠れている」
チャーンが、冷静に分析する。
「どこかに隠れている線が濃厚だな。チャーン、くまなく探してくれ」
シンガが、即断した。
「人質解放は延期するの?」
メオが、訊いた。大量の人質で日本政府に衝撃を与えたあとは、第一回目の要求を突きつけると同時に多くの人質を解放する計画になっている。これは、人質解放によってこちらが交渉を望んでいることを示すと同時に、人質の総数を扱いやすい人数……とりあえず三百名程度……に減らすのが目的だ。
「いや。予定通り行おう。ただし、人質の中にアリス・ティンバーレイクが混じっている場合を考慮し、子供と家族連れは原則除外する。大人の日本人を選び出せ。そいつらを解放しよう」
そのころの磯村家。
「えらいことになっているのであります!」
ミリンと並んでテレビを眺めながら、シオは興奮して拳を振り回した。
地上波は突如発生した『TMI人質占拠事件』の報道特別番組一色であった。某局ですら、ぬるい情報バラエティ番組を中止して特別編成に切り替えている。
「マスター、大丈夫でしょうか?」
ミリンが、心配そうに訊く。
「マスターのツキの無さは伝説級なのであります! 人質の中にマスターが入っていても、あたいは驚かないのであります!」
シオは言い切った。
と、シオの私物入れとなっているプラスチックケースから、『妖精ストレッチ』のイントロが流れてきた。
「お、電話なのであります!」
シオはテレビの前を離れると、プラスチックケースを開け、スマホを取り出した。名目上はアサカ電子の『会社携帯』で、緊急連絡用に貸与されているという形になっているが、実際には情報本部との連絡用スマホである。
画面には、『アサカ電子ロボット事業本部試験課』と出ていた。もちろんこれは偽装である。
「もしもし、シオですが!」
『おー、シオか。あたしだー』
スマホから聞こえてきた声は、まぎれもなく畑中二尉のものであった。
「いつもお世話になっております! ご用件はなんでありますか?」
シオはミリンが聞いていることを考慮して、当たり障りのない会話を心がけた。
『緊急招集だー。タクシー拾ってアサカ電子東京本社まで来てくれー。そこで三鬼ちゃんが待ってるー。タクシー代もそこで払ってやるから安心しろー。急いで来いよー』
緊急招集という割には、緊張感のない声で畑中二尉が告げる。
「はっと! これはやはり、TMI関連なのですか?」
『そうだー。じゃ、頼むぞー』
「了解したのであります!」
シオは通話を終えた。
「ミリンちゃん! あたいは急遽アサカ電子でのアルバイトのお仕事が入ったのであります! お留守番を頼むのであります!」
「はい。では、マスターのことはいかがいたしましょう?」
「とりあえず、電話してみるのであります!」
シオは、聡史のスマホに掛けてみた。だが、いくら鳴らしても誰も出ない。
「どうやら、本当に人質になってしまった可能性が高いのであります!」
シオはあきらめてスマホで近所のタクシー営業所に電話し、配車を依頼した。『非常用お出かけセット』が入ったポーチを付け、その中にスマホを突っ込む。
「ではミリンちゃん、あとはよろしくなのです!」
慌ただしく、シオは部屋をあとにした。
第七話をお届けします。




