第五話
マジカルキャッスル。TMIを象徴するランドマークである。
この手のテーマパークにある城と言えば、たいていはきらびやかかつ優雅な外見で、いかにも中に美男美女の王子王女が居を構えていそうな雰囲気だが、マジカルキャッスルはその真逆である。外壁は淡い褐色、屋根は濃いグレイという地味なもので、『お城』というよりは『城塞』と呼んだ方が相応しい、重々しいたたずまいだ。コンセプトとしては、『悪の魔法使いの居城』なので、この外見でも間違ってはいないのだが。
モデルになったのは、ドイツ中東部のラインラント‐プファルツ州、ライン川のほとりにあるブルク・カッツ(猫城)である。TMI側は公式に認めたことはないものの、この城が選ばれたのはあきらかにライバルである某げっ歯類ランドを意識してのことだ、というのが定説である。ちなみに、ブルク・カッツのすぐ近く……わずか三キロメートルほどしか離れていない……には、トゥルンベルク城という城があり、この城の別名がブルク・マウス(鼠城)となっている。鼠城の方が古く、後から一回り大きな城がすぐ近くに立てられたので、『猫に睨まれた鼠のようだ』ということでこの別名がついた、と言われている。一方、猫城の名前の由来ははっきりとしておらず、いくつかの説が語られているが、もっとも有力なのは城を建てた伯爵ヴィルヘルム二世がカッツェンエルンボーゲン伯であったというものであろう。
ちなみに、マジカルキャッスルの高さは最頂部で五十二メートルである。……某ランドの『灰かぶり姫』城の高さは五十一メートル。このあたりも、間違いなく意図的であろう。
「えーと、H14……ここだ」
端末を頼りに、聡史は指定席にたどりついた。隣……H15に茉里奈を座らせてから、自分も腰を下ろす。
マジカルキャッスル内の『大広間』である。ここで行われるショーが、次のアトラクションだ。大広間と称してはいるが、実際には劇場であり、前面にある舞台の前に客席が三百ほど設えてある。すでに席は八割方埋まっていた。
開演五分前に『座席が動きます。ご注意ください』というアナウンスが、日本語と英語で二回繰り返される。うぃん、という作動音とともに、茉里奈が座った座席が三十センチほどゆっくりとせり上がった。入園ゲートで、入場者の身長は光学的に計測され、そのデータが貸与される端末に入力されている。そのデータをもとに、予約席で座って観覧するアトラクションの場合、シートの高さ調節が自動で行われるのである。
「あ、そうか」
茉里奈が、ずっと被っていたリーゼロッテのとんがり帽子を慌てて脱いで、膝の上に置いた。
「ん、お兄ちゃん、あれ」
茉里奈が、腕を伸ばして前方を指差す。
右斜め前方、五つくらい前の席に、黒いキャップを被った金髪頭が見えた。その左右には、金色の髪の女性と頭一つ分周りから突き出た男性がいる。間違いない、リード親子だ。
「アリスちゃーん」
茉里奈が両手でメガホンを作り、周囲に遠慮して小声で呼び掛ける。
気付いたアリスが、後ろを振り返った。すぐに茉里奈と聡史を見つけ、弾けるような笑顔で手を振ってくれる。茉里奈が、嬉しそうに振り返す。
トレバーとケルシーも気付いて、にこやかに手を振ってくれる。聡史も笑顔で手を振り返した。
「すごーい偶然……でもないか」
挨拶が終わったところで、茉里奈が言った。マジカルキャッスルのすぐ隣が、マジカルダンジョンなのだ。予約で効率的な回り方を選択すれば、ルートが重なるのはよくあることだろう。
MoAのメンバーは、一般客に紛れてマジカルキャッスルとマジカルスクエアに接近した。
M70B2は、銃床を折り畳めば全長六十五センチほどしかなく、箱弾倉も取り外しておけば目立つ突起物はピストルグリップしかない。あらかじめ用意しておいた、TMIのロゴマークや『マジニャー』がプリントされているお土産品用の紙袋に隠しておけば、まったく怪しまれることなく持ち運びができる。
実行部隊十八名のMoAメンバーは、二人一組で行動していた。さすがにTMI全体を制圧するだけの力はない。計画では、マジカルキャッスルとマジカルスクエアを同時制圧し、推定千人から七百人の人質を確保。その後、マジカルキャッスル内に立てこもり、日本政府相手に交渉しながら順次人質を解放してゆく、という段取りになっている。
マジカルスクエア制圧の指揮を任されているチャーンは、相棒のパティン……痩身のフィリピン人で、アブ・サヤフのシンパだった男……と共に、トラムの駅に近い西側に待機していた。使える兵力は、自分の組も含めて四組八人しかいない。この少数で、三百名程度と見積もられる、マジカルスクエアにたむろしている連中を制圧せねばならない。
だが、チャーンは任された最初の任務の成功に自信を持っていた。マジカルスクエアの三か所の出口すべてに人員を配置しているし、マジカルキャッスルとのあいだにも一組がいる。銃で脅せば、平和に慣れ切った日本人は大人しくなるはずだ。TMIに警察官は常駐していないし、警備員も火器は持っていない。M70B2を向けられれば、抵抗のすべはない。
ただひとつ気がかりなのが、パニックだった。元兵士のチャーンは別格としても、タイ人はクーデター慣れしているから、突然突撃銃を向けられても慌てずに、特に抵抗することもなくこちらの要求に従ってくれるだろう。パティンと同じフィリピン人もテロ慣れしているから、同様に落ち着いて対応してくれるはずだ。
日本人は違う。クーデターにもテロにも免疫がないから、地震やツナミであれば冷静に対処できる日本人でも、銃を向けられたら茫然自失となるであろう。その次の反応が、無抵抗であればいいのだが、何かのきっかけで錯乱行動に陥れば、コントロール不能になる。そしてそれが集団パニックに発展すれば、発砲したところで押さえることは不可能だ。
最初から、人質の数を絞って、コントロールし易い数……目安として、武装戦闘員一人につき三人、という『定数』が業界ではささやかれている……に留めれば話は早いのだが、今回はかなり無茶な要求を日本政府に突き付ける予定である。早期に要求を呑ませるには、いわば日本政府の方を『パニック』状態に陥らせる必要がある。そのためには、数十人の人質では不足だ。最低でも数百人の人質を、首都東京のすぐ近くで確保し、日本政府のテロ対応能力を実質的に無力化、無効化させて主導権を握る。これが、MoAのプランであった。
チャーンは腕時計……安物の韓国製で、身元がばれにくいように全員が支給された腕時計……もちろん、生産国やメーカーは同じではない……を付けている……で時刻を確認した。一応、相互連絡用にスマホと小型無線機も支給されているが、作戦が始まってしまえば妨害によってまともに使えなくなるのは確実なので、作戦開始はマジカルキャッスルから銃声が聞こえたら、という手筈になっている。
「チャーン。予想より、人が多いですよ」
英語で……作戦中の共通言語である……パティンが言う。
チャーンは唸り声で応じた。確かに、予測よりも多くの人が、マジカルスクエアに集まっていた。
実は、今マジカルスクエアに、レアキャラとして知られる『隻眼のマジニャー』が出現していたのである。黒い眼帯を付けたこのマジニャーは、公式では『海賊の末裔』とされているが、ファンのあいだでは某有名戦国大名にあやかって『ダテニャー』などと呼ばれている人気キャラである。
めったに姿を現さない珍しいマジニャーの出現の情報は、SNSを通じてすぐさま発信され、TMIの常連客のあいだで急速に広まった。近くにいた人々が、徒歩やトラムでどっとマジカルスクエアに押し寄せる。
愛嬌を振り撒く『ダテニャー』の周りに、人垣が層になって形作られてゆく。『マジニャー』が抜刀ポーズ……公式なものではない……を決めると、多くの人がスマホでその様子を映像に収めた。
「全員、その場を動くな!」
マジカルキャッスルの大広間に、ちょっと訛った日本語が響き渡る。
ちょうど舞台の上では、雑魚敵をすべて倒したリーゼロッテとアーデルハイトが、カールマインツ伯爵相手に力を合わせて大技を繰り出そうと、呪文の詠唱を始めたところであった。予想外の邪魔立てに、美少女魔法使い二人……演じている女性は二人とも二十代後半だったが……の動きが、止まる。
観客のほとんどが、声のした方を見た。
大広間の非常口……そんなものが存在するのはおかしいが、消防法上仕方がない……から、男女ペアが姿を見せていた。二人とも、やや浅黒い肌の東南アジア人風だ。共に若く、手にはAKタイプの突撃銃がある。
目にした観客の反応は様々だった。多くの人が、これもアトラクションのひとつ、と思い込んだ。笑い出す者もいた。……人間、予想外の事態に晒されると、なぜか笑いが込み上げてくるものである。本能的に……いや、ここまでくるともはや病的か……スマホで撮影を始める者が数人。子供たちの多くは、集中していた舞台からむりやり引き剥がされたことを不満に思い、苛立った表情を浮かべる。
一目見て、危機感を感じ取った者は、ごく少数だった。磯村聡史は、その少数のうちの一人であった。
「茉里奈ちゃん、動かないで! 声も出しちゃだめだ」
抑えた声で告げ、茉里奈の肩を押さえつけるようにして身を低くさせる。
テロに限らず、仕事でも作業でも慣れていない『最初』は失敗し易いものであり、『実行者』は緊張しているのが普通だ。ここで何らかの『トラブル』に直面すれば、その緊張感から過激な『反応』を引き起こしてしまうケースが多々ある。……特に、銃器を構えている場合はそれが往々にして発砲に繋がると、聡史は聞いたことがあった。
反対側の非常口から、同じような二人組……こちらは男性同士だったが……が現れる。
「ウゴクナ!」
思いっきり怪しげな発音で叫びながら、そのうちの一人が銃口を舞台に向けた。こっそりと逃げ出そうとしていたカールマインツ伯爵が、びくっとして動きを止める。
客席に、ざわめきが広がる。どうやら、他の人々も事態の深刻さに気付いたらしい。
「間違いない。標的はアリスだ」
トレバーは、ささやいた。
「逃げようがないわね」
自分のスマートフォンで、緊急警報を送り終わったケルシーが、言う。
「くそっ。もう少し騒がしければ、脱出も可能なんだが」
隠し持っているグロック26に手を伸ばしながら、トレバーがつぶやく。
ワード夫妻というのは偽装であった。二人が所属するのは、合衆国国務省外交保安局。国務省関係者や外交官の保護、来米した外交使節の警護、合衆国大使館や公使館の警備、国務省の所轄となる国際犯罪の捜査などを行う役所である。合衆国要人の外国における警護も、その任務のひとつである。
事態は、チャーンの手に負えなくなりつつあった。
最初は、上々の滑り出しであった。突然向けられた突撃銃の銃口を眼にして、日本人たちは誰一人抵抗することなく、こちらの言うことを聞いてくれた。
だが、一部の中国人観光客……見た目からそれと判った……はパニックに陥ってしまった。逃げ道を探し、人ごみの中を強引に突っ切って走り出す。
混乱を収めようと、北側を押さえていたMoAメンバーが、威嚇射撃を行ったのが裏目に出た。パニックが、一気に他の日本人にも伝染する。
誤算だったのは……いや、こんなことを事前に予測できるわけもないのだが……『ダテニャー』の中の人がパニックに陥ってしまったことであった。人間は、危機的状況に陥るとある種の『帰巣本能』が働く。ショッピングセンターやホテルで火災に遭った人は、なぜか最寄りの非常口ではなく、自分が入って来た客用出入口やメインエントランスを目指してしまうものだし、外出先で災害に遭った人は安全な避難場所を目指すよりも自宅に戻りたがるものである。小学校に侵入した暴漢から逃げようとする子供たちも、なぜか自分の教室に逃げ込んでしまうのだ。
ということで、『ダテニャー』が自分たち(マジニャーたち)の『スタッフ専用』の表示が張られている控室があるマジカルキャッスルに向けてどたどたと走り出す。それを見た『ダテニャー』好きの客たちが、釣られてあとを追って走り出した。この流れが、さらに他の客の同様な動きを呼び込む。
かくして、二百名を超える人々が、MoAメンバーの脅しと威嚇射撃を振り切って、マジカルキャッスルになだれ込んだ。
東京マジカル☆アイランドにて大規模テロ事件発生。
この報告は、TMIの警備本部を通じてすぐに千葉県警に伝達された。
即座に、最寄りの警察署に対し出動命令が下される。テロ対策を担う警備部も、緊急出動を行い、千葉市に置かれている県警第一機動隊にも出動命令が出される。さらに、千葉県警刑事部所属の急襲救助チーム(ART)と、警備部の特殊急襲チーム(SAT)にも緊急呼集が掛けられた。
当然のことながら警視庁にも応援要請が行われ、警視庁警備部のSATや、刑事部のSITが出動準備を開始する。
テロリストたちの動きが、慌ただしくなった。
トレバーは、冷静にその動きを窺っていた。
どうも様子がおかしい。てっきり、アリスを誘拐することが目的だと思ったが、どうやらそれが主目的ではなさそうだ。誘拐であれば、もっと単純な強襲作戦でよかったはず。わざわざ大勢の日本人を巻き込んで、失敗の確率をあげる必要はない。
テロ事件に偶然に巻き込まれたという可能性はありえないだろう。日本で久しぶりに起きた大規模テロ事件に、初めて日本を訪れたアリスが出くわすという可能性は、ゼロに近い。
幸い、テロリストはまだ積極的にアリスを探し出そうとはしていない。今ならまだ、ごまかせるチャンスはある。
携帯電話で話していたテロリストの一人……トレバーの眼には、ベトナム人に見えた……が、部下の一人に小声で何かを命じた。うなずいた男が、大広間の正規の出入り口から小走りに外へ出てゆく。
「打てる手は限られているわね」
ケルシーが、言った。
「ああ。仕方がない。僕たちが囮になろう。アリスと別行動を取るんだ」
トレバーは決断した。白人男女と一緒に居れば、アリスは目立ってしまう。すぐに、テロリストはアリスを見つけ出し、拘束してしまうだろう。……この日本人たちの中にアリスを隠し、自分とケルシーが囮になって混乱状態を作り出す。具体的には、アリスを守って脱出を図ったと見せかけるのだ。そうすれば、テロリストはこちらを追い始めるだろうし、日本人たちはここから脱出できるだろう。その中に、アリスが含まれていれば、彼女の安全は確保される。
残念なことに、トレバーの目論見に最初から成功の見込みはなかった。彼は気付いていなかったが、マジカルキャッスル全体が、すでにMoAのテロリストによって半ば制圧状態にあったのだ。仮に外まで脱出できたとしても、マジカルスクエアにもMoAがいる。
「あの日本人に託すの?」
ケルシーが、眉をしかめる。
「他に信用できそうな日本人がいない。それに、同年配の子がいる。姉妹に見えるだろう。ケルシー、状況次第ですぐに行動を開始するぞ。発砲も構わん」
トレバーは、早口で状況と作戦をアリスに説明した。黙って聞いていたアリスが、力強くうなずく。
トレバーは、アリスを半ば抱きかかえるようにして、姿勢を低くしたまま座席のあいだの通路に出た。訝る日本人たちの眼を無視して、聡史と茉里奈の近くまでにじり寄る。
「ミスター・磯村。アリスを、預かってください」
「はぁ?」
そう言われた日本人青年の眼が、点になる。
「説明している暇はありません。テロリストの狙いは、アリスです。一緒に、逃げてください」
それだけ言い置くと、トレバーが戻り始めた。待ってくれ、と言い掛けた聡史に、アリスがぎゅっとしがみつく。
第五話をお届けします。




