第三話
「お兄ちゃん、久しぶり!」
駆け寄って来た茉里奈が、聡史を軽くハグする。
聡史の表情が思わずとろけた。……女性に抱き付かれるなんて、久しぶりである。
東京駅地下一階、待ち合わせ場所としては一番有名な銀の鈴広場で、二人は落ち合った。
「あれ? 兄貴と義姉は?」
聡史は、きょろきょろと辺りを見回した。
「もう行っちゃったよ」
茉里奈が、口を尖らせ気味にして言う。
「あれ? 遅刻したかな」
聡史が、腕時計を確認する。
「遅刻してないよ。予定通りだよ。お兄ちゃん、よく寝坊するから、遅れてくるのは覚悟してたけど」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、茉里奈が言う。聡史は苦笑した。
「最近は大丈夫だよ。シオが起こしてくれるし」
シオの名前を出した途端、茉里奈の眼が輝く。
「シオちゃん、元気?」
「元気だよ。最近ちょくちょく、アサカ電子のアルバイトで呼び出されてるけど。そうか、茉里奈ちゃんはミリンにはまだ会ったことないんだよね」
「うん」
茉里奈がうなずく。
聡史は改めて茉里奈の装いを確認した。カーキ色のキュロットに、ネックラインが深いフェミニンな薄手の白いTシャツ。それに、デニム地の上着を羽織っている。歩き回ることになるから、足元は厚手のソックスとスニーカーだ。定石通りバッグなどは持たず、腰にウェストポートを付けているだけだ。かく言う聡史も、大きめのボディバッグを背中に背負っているだけで、手ぶらである。
「また機会があったら、遊びにおいでよ。ミリンも会いたがってるし。シオも、喜ぶし」
「行きたいけど、今時の小学生って、結構忙しいんだよ」
茉里奈が、言う。
「ま、その話は、電車の中でしようよ。せっかく開園チケット取ったんだし、遅れたら勿体ないよ」
茉里奈が、聡史の右手首を掴むと、歩き出す。
エスカレーターで地下まで降り、京葉電鉄南総線の列車に乗り込む。東京マジカル☆アイランドは、葉桜リゾート開発の経営である。同社は京葉電鉄と同じ葉桜グループの企業なので、当然のことながら最寄り駅は南総線にあるのだ。
車内には、TMIに向かうと思われる人々が多数乗り込んで混雑していた。はしゃいだ子供を連れた家族連れ、カップル、若い女性だけのグループなど。皆一様に軽装で、歩きやすい靴を履き、楽しそうなのですぐに見分けがつく。
……俺たち、他人にはどう見られているんだろう。
何とか見つけた空席に遠慮する茉里奈を無理やり座らせながら、聡史はふと思った。さすがに恋人同士には見えないだろうし、兄妹にしては歳が離れすぎている。若作りの父親と娘、くらいに思われているのだろうか。
快速電車に揺られること二十分ほどで、海側の車窓に目指すTMIが見えてくる。そそり立つマジカル・キャッスルと、タワー型のアトラクションに気付いた子供たちが、歓声をあげながらそれを指差す。
列車が『東京マジカル☆アイランド前』に着くと、乗客の九割くらいが一斉に降車した。ほぼ全員が、競うように南口の改札に向かう。駅構内には、等身大……といっても体高一メートル二十センチほどだが……の、TMI公式マスコット『マジニャー』人形がいくつも置かれて、『TMIはこっちニャ』と書かれた矢印付きプラカードを持って立っているので、迷うことはない。
改札を出ると、待ち受けているのは長く真っ直ぐな地下道と、動く歩道である。それに乗ってゆったりと……動く歩道による移動速度は、通常の歩行の半分程度である……進み、エスカレーターで地上レベルに出る。屋根付きの大きな広場の向こうに、『風の島』とそこへと至る橋が見えた。強い潮の匂いと、塩気を含んだ風が、聡史の顔を撫で、茉里奈の髪をなびかせる。
TMIの売りのひとつは、客を『待たせない、並ばせない』という点にある。入園時にも、なるべく待たせず並ばせずに客を捌く工夫が凝らされている。
まずチケットだが、これは購入時に入園時間が十五分刻みで指定されており……遅い時間ほど割引となる……指定時間三十分以前の来園は『原則禁止』となっている。自家用車やツアーバスなどを除く客は、『風の島』の対岸にあるこの広場でチケットの確認と手荷物検査を受け、橋の手前にあるゲート前まで進むことができる。聡史と茉里奈が買ったチケットは、一番高い九時開園チケットなので、すぐにゲート前まで進むことができた。さすがに開園直前となると客数も多く、行列の最後尾に着くことになったが、充分に時間調整してあったので、わずか十数分待っただけでゲートが開かれる。並んでいた客たちは、先導する『マジニャー』ロボットに連れられて、屋根付きの橋をぞろぞろと進んだ。
開園十五分前に、『風の島』ゲートが開き、メインエントランスでの受付が始まる。ここでチケットと引き換えに渡されるのが、スマホの半分ほどの大きさの専用携帯端末である。園内LANと常時接続しているこの端末には、チケット購入時のアトラクション予約がインプットされており、それを駆使することによって待たずにアトラクションを利用できるシステムなのである。この端末にはTMIのロゴが入ったストラップが付いており、園内では首に掛けておくようにと推奨されている。なお、このストラップは『お土産』として持ち帰ることができるので、これをスマホや首から下げるIDカード用のストラップに流用している人も多い。様々な色が揃っているので、色とりどりのそれをデイバッグなどに誇らしげに吊るしている女子高生や、ランドセルにぶら下げている小学生なども、街中でよく見かける。
「最初は……マジカルマウンテンだったな」
聡史は端末の画面を見ながら言った。予約したアトラクションの名称と予約時間、そしてそこへの行き方が、簡便な地図と共に表示されている。時間通りにアトラクションに行けば、端末がアトラクション側の機器と通信を行い、予約を確認してゲートの内側に入ることができる。その時間に予約した者しか入れないから、待ち時間なしでアトラクションを利用できる、という寸法である。予約時間に遅れた場合は、予約は保留となり、希望すればキャンセル待ちの予約に振り替えることも可能だ。……原則的に予約したアトラクションしか利用できないシステムは、いささか味気ない……その日の気分で『遊べ』ないのは、やはり『不便』である……が、待ち時間と行列というテーマパークの二大ストレスから解放されるという利点は多くの人に受け入れられ、TMIは安定した人気を保っている。……もっとも、少し西にある巨大テーマパークは、長時間の行列を強いられるにも関わらず大人気ではあるが。……げっ歯類は、やはり強い。
TMIのもう一つの特徴は、ロボットの多用である。『フレンドリーさ』や『人間の持つ温かみ』などを重視する他のテーマパークでは、ロボットを極力使わずに、ペットボトル飲料さえ自動販売機ではなくアルバイトの若者が売っていたりするが、ここTMIでは多くの業務が各種のロボットによって賄われている。これには人件費の抑制という現実的側面もあるが、『魔法』と『ロボット』の親和性の高さ、という面も少なからずある。魔法というものは、人類がロボットという概念を発明するはるか以前から、ゴーレムや使い魔といった『ロボット的な使役のための存在』を普遍的に利用して来たのである。だからどんなロボットでも、それっぽい衣装を着せたり装飾を施してやれば、『魔法の国の住人』らしく仕立て上げることが可能なのだ。
「お兄ちゃん、猫」
茉里奈が、指差す。
ピンク色のとんがり帽子を被り、首に赤いリボンを巻いた黒猫が、ひょいと植え込みから飛び出して来た。聡史と茉里奈を見据えながら、ゆっくりと長い尻尾を振っている。
「これも……ロボットだろうな」
聡史は言った。かなり精巧に出来ているが、猫好きの聡史なら、本物とロボットは一目で見分けがつく。
「しかし……本当にロボットだらけだな」
歩きながら、聡史は言った。芝生の上を歩いている魔法生物……一応『キマイラ』風だが、コミカルにデザインされているので結構かわいい……はもちろんロボット。あちこちで愛嬌を振り撒いている『マジニャー』たちもロボット。まだ開園直後なので出番のない清掃ロボットは、古風な街灯のそばで暇そうに待機している。
「あ、あれAI‐10じゃない? シオちゃんと同じロボットだよ」
茉里奈が、急に聡史の腕を掴んで言った。
二体の小柄な二足歩行ロボット……間違いなくAI‐10だ……が並んで歩いている。一体は黒いとんがり帽子で金髪、もう一体は赤いとんがり帽子で黒髪だ。
「……あれ、リーゼロッテとアーデルハイトのコスプレか?」
呆れ気味に、聡史は言った。可愛いことは可愛いのだが、恐ろしく似合っていない。
「あはは」
茉里奈が、声を立てて笑う。
「アーデルハイトちゃんの方、もしかしてシオちゃんじゃないの?」
「あいつ、アサカ電子じゃなくてTMIでバイトしてたのか」
なにしろ、AI‐10はみな同じ顔をしている。髪が黒ければ、シオが髪型を変えただけ、に見えてしまうのだ。
……雑な警備状況だ。
持参したリュックを返してもらいながら、チャーンは内心でほくそ笑んだ。
手荷物検査を行っているのは、ろくに訓練も受けていないような素人っぽい若い女性。目視だけで、中を探ろうともしない。これでは、奥の方に火器や爆薬を詰め込んでいたとしても発覚することなく持ち込めるだろう。警備員は立ち会っているが、数も少なく、拳銃どころか警棒すら携帯していない。
チャーンは連れのミーと共に橋を渡った。傍目には、タイから日本に観光旅行にやって来た若いカップルに見えるはずだ。TMIには東部アジア……中国、韓国、台湾、東南アジア各国からの観光客も大勢訪れているので、目立つことはない。
入園したチャーンは時刻を確かめた。午前十一時に、マジカルヴィレッジにある軽食レストランに集合し、武器を受け取るとともに最終打ち合わせを行う手筈である。各メンバーは怪しまれないように入園時刻をずらしてあるから、早めに入園した二人はどこかで時間を潰さねばならない。
「十時からマジカル・キャッスル前でショーがある。それでも見て時間を潰すか」
専用端末をタイ語モードに切り替え……全部で十四ヵ国語に対応している……て確認しながら、チャーンは言った。一番安い『アトラクション予約なし』のチケットで入園したから、時間を潰すには予約なしで楽しめるショーを見るか、あてもなくぶらつくか、キャンセル待ちの行列に並ぶくらいしか方法がない。
約三十分のショーを見終えたチャーンとミーは、マジカル・トレインで移動して、マジカルヴィレッジに向かった。
広いオープンテラスがある軽食レストランの中には、すでにシンガとメオの姿があった。視線だけで合図したチャーンは、ミーを残して店の奥に向かった。シンガとメオが続く。
「こっちです」
半年前から潜入し、ここで働いている仲間のハリマウが、手招く。
四人は他のスタッフの眼を盗んで、厨房裏の倉庫に集まった。ハリマウが、奥に置いてあるいくつかの段ボール箱を指し示す。
チャーンはひとつめの段ボール箱を開けた。偽装用に並んでいたタマネギをどけると、ビニール袋に包まれたM70B2アサルトライフルがぎっしりと詰まっているのが見えた。
チャーンは次々と段ボール箱を開けていった。M70B2用の箱弾倉、7.62mm×39が詰まった紙箱、M75手榴弾の木箱、M57自動拳銃とその弾倉、7.62mm×25の紙箱などが出てくる。ちなみに、オリジナルのトカレフTT‐33の弾倉容量は八発だが、M57はグリップを若干長くして弾倉容量を増やし、九発となっている。
「よし。数も揃っている」
M70B2を一丁取り出し、作動を確かめたチャーンは、満足げにうなずいた。
「ハリマウ。ここは安全かね?」
シンガが、訊いた。ハリマウが、首を振った。
「いや。ここで作業はまずい。従業員用地下通路の中に電気室がある。そこなら、安全だ。その台車を貸すから、そこまで運んでくれ。これが、通路入り口の鍵。こっちが、電気室の鍵だ」
ハリマウが、カードキーを二枚、シンガに差し出した。
「それから、これを。臨時スタッフ用のIDだ。偽物だが、首からぶら下げていれば、段ボール箱を載せた台車を転がしていても怪しまれないはずだ」
赤いストラップの付いたカードを、ハリマウが三人に手渡す。シンガ、チャーン、メオはそれを手早く首に掛けた。
「それと、その端末は預かる。トランスポンダー内蔵だから、ゲスト立ち入り禁止区域に入ると、管制センターに信号が行く仕組みになっている」
ハリマウに言われ、三人はゲートで渡された端末を急いで外した。
三台の台車に段ボール箱を積み上げ、移動準備を整える。ハリマウがそっと扉を開け、外に異常がないことを確認した。
「よし。こっちだ」
言いながら、ハリマウが通路に出る。重い台車を押しながら、シンガ、チャーン、メオはそれに続いた。
何人もの客が、台車を押して従業員用の歩道を進む東南アジア人四人に気付いたが、気にする者はいなかった。……よほどの田舎ならともかく、アジア系外国人がこのような施設で働いているのは、ごくありきたりの風景である。
「この中だ。電気室は五メートル先の右側の扉。では、幸運を」
それだけ言い置いて、ハリマウが戻ってゆく。
シンガが、カードキーをスロットに滑らせた。かちっとロックが外れる音が聞こえる。客からは死角になる位置に設けられた従業員用地下通路入り口の扉を、チャーンが押し開けた。
電気室の扉はすぐに見つかった。シンガが次のカードキーを使い、解錠する。
中は暗かったが、天井照明のスイッチは目立つところにあった。低いぶーんというハム音が聞こえる電気室の中に、三人は台車を運び入れた。
「他の仲間を呼んでくる。さっそく作業に掛かってくれ」
シンガが言って、メオを連れて出てゆく。
チャーンは床に腰を下ろすと、さっそく作業を開始した。まずはM70B2を取り出し、ビニールを剥がして、汚れをチェックし、作動確認を行う。




