第九話
シオは家事ロボットとしての日々の業務を淡々とこなしつつ、情報の収集を続けた。
このような場合、ロボットは極めて便利である。すべての部位が有機的に複雑なネットワークで統合連結されている人間の脳では、平行して異なる作業を行う場合どうしても意識や感覚が相互干渉を起こしてしまい、作業効率が落ちたりミスをする可能性が増大したりしてしまう。しかしロボットならば、演算部位やメモリーなどの作業領域をきっちりと区切って運用すれば、複数の作業を同時に無理なくこなすことが可能だ。もっとも、人間の脳はその『パーテーション』を作成できないという特性があるゆえに、アイデアの創造やひらめきといったロボットには苦手な部分に秀でているわけだが。
シオはゲリラ同士が会話しているところを見つけると、極力その会話内容を録音した。指向性マイク内蔵なので、周囲が静かならばかなり遠方からでも盗み聞きはできる。可能ならば、録画も行って表情や身振りなども記録する。
シオはまたなにかと理由をつけてゲリラ各人に話しかけ、反応を記録した。ゲリラによって、対応はまちまちであったが、たいていは、極めて事務的な反応しか返ってこなかった。これは、任務中に無駄な私語は慎むように、というゲリラ側の方針が徹底されているためと思われた。
これらの地道な努力により、ゲリラ各人に関するシオのファイル内容は充実した。指揮系統に関しても、ほぼ解明された。リーダーはエミディオ。例の、ゲバラ気取りの二枚目である。これに続く地位にあるのが、大使館にビアンカの名で事前潜入していた女性イネスと、悪役俳優じみた風貌とシオが分析したロレンソの二人だ。ナンバー4が、アフリカ系の血が入っている中年の技術屋、バスコ。
中堅メンバーと言えるのが、三人。いつもロレンソにくっついている青年、ハイメ。FPK狙撃銃を持ち歩いているアルトゥロ。ボックス・マガジンのM64軽機関銃担当のルフィノ。いずれも二十代と思われるが、立ち振る舞いが堂々としており、ゲリラとしてはかなりの経験を積んでいるらしい。
残りの四名が、下っ端である。まず、インディヘナの兄弟、ラモンとラファエル。まだ若く、兄のラモンでも二十歳は越えていないだろう。そして、少女二人。インディヘナのルシアと、メスティーソのスサナ。いずれも小柄で、十五、六歳に見える。
シオはこれら情報を元に、各人のパーソナリティや人間関係に関してさらに詳細な解析を進めようとした。だが、高度な表情分析/認識能力をもつAI‐10でも、その観察力は人間にははるかに及ばないし、人間関係を深く洞察できるほどの経験も積んでいない。例えばエミディオについてだが、のちにシオから送られてきた画像を、スカディの逐語翻訳付きでざっと見ただけの畑中二尉が、彼が野心家でありながら繊細な一面も持っていることをあっさりと見抜いたが、シオにはとてもそこまで見通す力はなかった。
「もっと情報を集めねばならないのです!」
偽装RAMに収集したデータをコピーしながら、シオは考えた。以前に見た映画などで、今のシオと同様の立場に置かれた主役がどのような行動を取ったかを想起し、確認分析する。
「やはり、ゲリラの誰かと友好関係を結んで情報を引き出すのが一番なのです」
シオはそう結論を出した。捕虜となったヒーローは看守の一人と仲良くなるし、テロリストの人質となったヒーローはテロリストの一人を懐柔する。敵の弱点を狙うのは、戦術の王道である。深い穴を掘るには、地面が柔らかい処を選ばねばならないのと同様、ゲリラの中で『弱い』一人を選ばねばならない。
それに相応しいのは誰か?
エミディオは論外だった。いつも忙しそうにしているから、まともに相手はしてくれないだろう。ロレンソは、明らかにロボットを嫌っている。下手に話しかければ、余計に嫌われるだけだろう。その腰巾着たるハイメも、同様。
イネスはサクラに好意を持っている様子だが、それゆえに危険な存在だった。偽装を見破られるおそれがあるのだ。バスコも、危険人物と言えた。なまじ技術に明るいゆえ、シオの隠された能力や意図を見破られるおそれがある。
ルフィノとアルトゥロは、エミディオの忠実な部下であり、任務に関しても極めて真面目で、付け入る隙がありそうにない。ラモンとラファエルの兄弟は、残念ながらあまり知的ではないようだ。仲良くなっても得るものは少ないだろう。
残るは、少女二人。ルシアとスサナ。
この二人を比べると、スサナの方が若干知能は上だ、とシオは判断していた。エミディオの覚えも良いらしく、スサナの方が重要な任務を任されることが多いようだ。よくよく観察してみると、スサナはシオのことをかなり気にしているように思えた。視線がこちらを向いていることが多いのだ。話しかけると、素っ気ない言葉しか返ってこないのだが、表情は明らかに嬉しそうなのが判る。
間違いなく、彼女はシオのことを意識している。
「これは、いわゆるツンデレというやつなのですね!」
シオはそう結論付けた。おそらくいったん打ち解けてしまえば、貴重な情報を漏らしてくれるにちがいない。
スサナをターゲットに決めたシオは、さっそく彼女に対するアプローチを開始した。二階の北側、政務班室の窓際に立って外を見張っているスサナのところに行き、後ろ姿をじーっと眺める。
「な、何か用?」
振り返ったスサナが、戸惑い気味に訊いてくる。
「スサナちゃん、きれいな髪なのです」
シオはごくさりげない口調で言った。
「そ、そう?」
スサナが、慌て気味に髪に手を添えながら言う。
「触ってもいいですか?」
すたすたと近付いたシオは、腕を伸ばしてスサナの黒髪に手を触れた。
「髪質もいいですね」
「そんなことまでわかるの?」
「はい」
「凄いね、あんた」
スサナが、あらためて驚いたような表情でシオを見る。
「叔父が、日本製のピックアップ持ってるんだよ。前に乗ってたアメリカブランドのメキシコ製のやつは、よく修理に出してたけど、日本のは故障しないって、褒めてたっけ」
「そうですか」
内心の嬉しさを押し隠して、シオは相槌を打った。シオも工業製品のひとつである。日本製工業製品が持ち上げられれば、それなりに嬉しい。
そんなことをきっかけとして、シオはスサナとの仲を急速に深めた。当たり障りのない話題を中心に、いろいろと言葉を交わす。
すぐにシオは、スサナが予想していたよりも賢い娘だと気付いた。頭の回転が早く、記憶力もいい。だが、その語彙は少なく、あまり教養はない様子だ。
そのことを遠まわしに訊くと、途端にスサナは表情を曇らせた。
「まともに勉強できなかったんだよ。農作業手伝わなきゃならなかったから。学校は、ちょくちょく休んでた。妹と弟の面倒も見なきゃならなかったし」
「弟さんと妹さんがいるのですか」
「弟が二人に妹一人ね。あんたに兄弟姉妹は、いる?」
少女特有のくすくす笑いをしながら、スサナが訊く。
「同一ロットは姉妹も同然ですから、何百体もいます」
シオの答えに、スサナがぷっと吹き出す。
他のゲリラの眼を盗むようにして、シオとスサナは他愛のない会話を交わし続けた。ほとんどの場合、スサナが聞き役であった。
「……あんたは凄いね。ロボットなのに、あたしよりいろいろなこと知ってる」
「無駄知識だけは、いっぱいあります」
「ねえ、あたしと同い年くらいの日本の女の子は、何してるの?」
眼を輝かせて、スサナが訊いてくる。
「十六歳といえば、女子高生ですね。毎日制服を着て、学校に通って勉強しています。もちろん、それが終われば遊びます。女子高生といえば、女性にとって一番楽しい時期ではないでしょうか。女子高生となれば、自動的に男の子にももてますし。もちろん、例外はありますが」
「いいなあ。あたしも、もっと勉強したかったなあ」
「では、なぜ『フレンテ』に参加したのですか?」
シオは訊いた。左翼ゲリラなどやっていたら、勉学どころではないだろう。
「あたしがまともに勉強できなかったのは、社会が貧困だったからだよ。社会主義革命が成功し、農地や生産手段が社会主義的集団所有制になれば、生産力が開放され、皆が豊かになれるんだ。そうすれば、子供は勉強に専念できる」
急に語気を強めて、スサナが説明する。
「日本は社会主義ではありませんが、子供は皆勉強してますよ」
シオは指摘した。
「日本はお金持ちだから……。ねえ、日本には階級闘争はないの?」
「ないことはありません。社会主義を標榜する合法政党もありますし、国民から一定の支持も得ています。ですが、現状の社会がそれなりに上手く機能し、大衆がそれにおおむね満足している現状では、平和的にしろ暴力的にしろ社会主義革命を起こそうという気にはなれない、という状態でしょうね。実際、国民主権で大衆が権力を握っているのが、現在の日本ですから。国民の大多数の意向に逆らった首相は辞任するしかないですし、政権党も国民に逆らえば下野するしかない。血を流さずとも、大衆に都合のいい形で政治目的を達成できるのであれば、革命は必要ありません」
「よくわからないわ。なぜ日本の権力者は、大衆に逆らって自分を守らないの? 軍隊や警察もあるのでしょう?」
「権力の分散化が徹底しているのです。主権者たる国民、首相、議会、裁判所、軍隊、警察、陰の権力者たるマスコミ、経済界、さらには国家の象徴たる天皇陛下。誰も、サンタ・アナの大統領に匹敵するような絶対的な権力は持っていません。お互いが協力して、初めて日本という国家が機能するのです。暴走する強者を作らないシステムですね」
「プロレタリアがブルジョアと対立したりはしないの?」
「日本における主たる政治対立は、伝統的保守主義とやや左傾したリベラルの二極対立に近いですね。どちらも、主義を同じくするプロレタリアとブルジョアが手を組んで、相手を攻撃している状態です。マルクスが提唱したような両極対立はないです」
「はあ。……羨ましい国ね。政治的に安定し、お金があって、こんなロボットを作れる国。一度、行ってみたいわ」
「歓迎します。機会があれば、留学してはどうでしょうか」
「まあ無理ね。『フレンテ』のメンバーが、入国できるとは思えないわ」
くすくすと、スサナが笑う。
「泣ける話ねー」
パソコンのディスプレイを見ながら、畑中二尉がぼそっと言う。
「貧農の娘が社会主義に洗脳されて便利な道具になっているわけか。確かに、泣ける話だな」
コーヒーカップを手に、いささかくたびれた表情の長浜一佐があくび交じりに言った。
「洗脳だけじゃありませんよ。色仕掛けも混じってます」
畑中二尉が言った。マウス操作で画像を切り替える。
「エミディオとスサナが会話しているところです。どう見ても、これは恋する乙女の顔ですよ」
やや顔を赤らめ、はにかんだようなスサナが映る。手前側に映っているのは、後ろ姿のエミディオだ。何か褒められたらしく、スサナが笑顔になる。きらきらと輝く眼は、エミディオの顔を見上げる角度だ。
「愚かね、若者って」
ぼそり、とスカディが言った。
「達観しすぎやで、スカぴょん」
雛菊が、遠まわしに突っ込む。
と、廊下に通じるドアにノックがあった。石野二曹が開けに行く。入ってきたのは、デニスであった。後ろに、三十前後に思える体格のいい男性を連れている。
「お客さんを連れてきた」
デニスが言う。お客はラフなポロシャツとジーンズ姿で、茶色い髪を長く伸ばしているものの、雰囲気は兵士そのものだ。肌は白っぽく、ラテン系ではない。手には、色褪せた緑色のダッフルバッグを下げている。
「ラリー・バンクス軍曹だ。ホーン大尉の部下で、爆発物の専門家だ」
デニスが、紹介する。バンクスが、長浜一佐に向かい無帽ながら手のひらを相手に向けるイギリス式の敬礼を行う。
「ということは……?」
「ベル、君の提案がサンタ・アナ当局に承認されたよ。まあ、いくつかある選択肢のひとつ、という形だがね。明日から作戦開始だ。とりあえず、バンクス軍曹に色々と教えてもらいたまえ」
にこやかに、デニスが言う。
「それは、光栄なのですぅ~。ベルと申しますぅ~。よろしくお願いいたしますですぅ~」
進み出たベルが、そう言ってバンクスに頭を下げる。
「ミスター・シップマンから聞いたよ。あんたの名前、スコッチから来てるんだってな。気が合いそうだな。もっとも、俺はビール党だが」
破顔したバンクスが、腰をかがめてベルの手を握る。
「専門家として、ベルのアイデアをどう見るかね?」
長浜一佐が、訊いた。
「図面は調べました」
ダッフルバッグを静かに床に下ろしたバンクスが、言った。
「ラーメン工法の外壁ですから、厚いけれど非耐力壁なので、入っている鉄筋は細いし数も少ない。かなりの量を仕掛けなければなりませんが、やれますよ」
「内部への影響は?」
「かなりの爆風を浴びますね。でも、外側から爆破する場合に比べれば、屁みたいなものですよ。おっと、失礼、閣下。でも、外から仕掛ければ二階の半分が滅茶苦茶になるくらい破壊されますからね。それよりは、何十倍もマシです」
「ひとつ質問が。ベルの潜入はシオの時と同様で何とかなると思いますが、爆薬はどうやって運び入れるのですか?」
畑中二尉が、訊いた。
「食料に混ぜて徐々に入れる。ベルも早めに大使館に入れて、現地で爆薬を組み立てる形になると思う。ということで、さっそくレッスンを始めてくれ、軍曹。専用の部屋を、クレスポ大尉に用意してもらったから」
デニスが言う。
「了解です、ミスター・シップマン」
第九話をお届けします。




