第二十五話
モスクワでのちょっとしたトラブルなど紆余曲折あったものの、『畑中二尉とゆかいな仲間たち』は『黒松』を抱えたまま、長浜一佐が手配したチャーター機に乗って無事に日本に帰国した。羽田空港に迎えに来た越川一尉と石野二曹に『黒松』を託した畑中二尉と三鬼士長は、疲労困憊していたのでそのまま大田区内のホテルにチェックイン。AI‐10たちもそれに付き合うこととなった。
翌日石野二曹が運転するミニバンで板橋の岡本ビルまで移動した一同は、どやどやと会議室に納まった。今回は長浜一佐に対するデブリーフィングなので、畑中二尉と三鬼士長もAI‐10と隣り合ってパイプ椅子に座る。
「ご苦労だった。見事『黒松』を取り返してくれたな」
向かい合わせのテーブルに着いた長浜一佐が、まずは労いとお褒めの言葉を掛けてくれる。
「『黒松』はどうなりましたかー?」
畑中二尉が、訊く。
「無事総理官邸に届けられた。今頃は、菱葉美術財団に戻されているだろう。田辺首相も本郷議員も、安堵しているに違いない」
穏やかな表情で、長浜一佐が言った。
「田辺首相と本郷議員が仲違いして、本郷グループが反主流派の荒川派と合流したりすれば、田辺首相の失脚は確定的だー。下手をしたら野党を巻き込んだ政界再編に発展しかねないー」
畑中二尉が、言う。
「茶碗ひとつで政変になりかねないとは、まるで戦国時代のようですわね」
スカディが、そう評した。
「きつい仕事でしたー。ご褒美に、次はおいしい仕事をさせてくださいー。沖縄のリゾートホテルのプールサイドで、カクテルを啜りながら中国の工作員を監視するなんて任務、ありませんかー?」
「残念ながら無いな。それに、『黒松』確保は称賛に値するが、どうもその過程で色々やらかしてくれたようだな」
畑中二尉のおねだりをあっさりと却下した長浜一佐が、プリントアウトの束を取り出す。
「色々情報が入って来てるぞ。とりあえず現地の報道を引用しようか。『インガ・ラザエヴァ大統領の別荘襲撃 空軍機が使用された模様 軍の離反か』『ラザエヴァ大統領行方不明 反乱勢力による拉致の可能性』『軍当局、死者七十名超を確認』『犯行は「自由と正義」によるものか』『ラザエヴァ大統領の無事を確認』……イタルタス、インテルファクス、AFP、AP。どこも続報を出しまくっている。どうやら諸君らが、関わっていそうだが……」
「あー、すでに報告した通り、『自由と正義』はあたしたちに協力的で、一時的にではありますが共闘関係にあったのですー。で、たまたま『黒松』がラザエヴァ大統領の別荘にあることを知り、たまたまMi‐24二機が使える状態にあったので……」
「それで国軍が警備する別荘を強襲したわけか」
長浜一佐が呆れ顔で、畑中二尉の言い訳を聞く。
「そうなりますー」
「たしかに、諸君らには『黒松』確保に関しては大幅な自由裁量権を与えた。だがこれは……」
言葉を切った長浜一佐が、プリントアウトに眼を落とし、次いで居並ぶAHOの子たちを見つめ、最後に畑中二尉と三鬼士長に視線を移して、苦笑した。
「……諸君らにとっては自由裁量権の範囲なのだろうな。まったく。君たちには敵わんよ。一応、損害なしで任務を達成したのだからな。付随被害が大きいのは、毎度のことだ。ところで、後始末の方は大丈夫だろうな」
笑みを消し、真面目な表情に戻った長浜一佐が、改めて畑中二尉を見据える。
「『СС』……えーと、『自由と正義』は終始協力的でしたから、問題はありませんー。ギョルスタン政府当局に関しては、ラザエヴァ大統領ときっちり話を付けてきましたから、こちらも大丈夫でしょう。あとあと日本の関与を非難されるようなことはないものと確信していますー」
「結構。まあ、終わり良ければ総て良し、だ。改めて、ご苦労だった」
納得顔になった長浜一佐が、机上のプリントアウトの束をまとめ始める。
「あのー」
畑中二尉が、遠慮がちに小さく挙手した。
「何かね、二尉」
「実は、『自由と正義』から預かったものがあるのですがー」
畑中二尉に手で合図され、例の書類カバンを持った亞唯が進み出て、それを机上に置く。
「何だね、これは?」
「ラザエヴァ大統領の悪事の証拠が……正確に言えば証拠のコピーが詰まったカバンですー。『自由と正義』のリーダーから手渡されましたー。日本でも預かっていて欲しい、と」
歯切れ悪く、畑中二尉が説明する。
「……なんだと」
中に汚物でも入っているかのように……ある意味、それは間違ってはいないが……顔に嫌悪感を浮かべながら、長浜一佐がそろそろと書類カバンを開け、中身を確認する。
「間違いなく本物か?」
長浜一佐が訊く。ロシア語はさっぱりなので、キリル文字がびっしりと印字された紙を見ても、長浜一佐には中身が学術論文の写しなのかポルノ小説の抜粋なのかすら判らない。
「本物ですー。公表すれば、ギョルスタン共和国がひっくり返ること請け合いですー」
「なんてことだ。ギョルスタンはカフカスにおけるロシアの橋頭保と言っていい存在だ。これがひっくり返るとなると、カフカス全体に影響が及ぶぞ。下手をすれば、ロシア現政権の寿命を縮めかねない」
「どう処理しましょうかー」
困り顔で、畑中二尉が訊く。
「これは、見なかったこと……にはできんな。下手に活用もできないし。本部長に相談して……金庫の奥底にしまっておくしかあるまい」
渋い表情で、長浜一佐が書類カバンを閉める。
「もう土産は無いな? よろしい。ご苦労だった。今日はここまでにしておこう。二尉、詳細な報告書を明日までに提出してくれ。士長は残るように。残りの者は、解散だ」
「三鬼ちゃん、頑張るのだぞー」
畑中二尉が、三鬼士長の肩をぽんと叩きながら立ち上がる。
「二尉。君も居残り組だぞ。報告書はここで書き上げるように」
長浜一佐が、右掌で押さえつけるような仕草をしながら、畑中二尉を押し止める。
「……任務終了したばかりですよー。一日くらい休みをくださいー」
畑中二尉が、抗議口調で言う。長浜一佐が、首を振った。
「悪いが無理だ。『MoA』のテロ情報が確実視されている。CIAの見立てでは、今月中。関東地方のどこかが標的のようだ」
「関東地方。広すぎやろ」
雛菊が、呆れる。
「具体的に、どんなテロが想定されてるんだい?」
亞唯が、訊いた。
「それが判らんのだ。爆破、乱射、暗殺、誘拐。標的も、判然としない」
「では、東京都庁が爆破されるか、銀座で乱射テロが起こるか、政府要人が暗殺されるか、あるいは合衆国大使が誘拐されるか、皆目見当がつかない、ということですわね」
スカディが、眉をひそめて言う。
「その通りだ。現状では、広く浅く警戒するしかない。自衛隊としては、法的な問題もあって表立って出動するわけにはいかない。合衆国などの情報機関と連携し、情報面で警察のバックアップを行うのみだ。二尉と士長は、越川君を手伝ってやってくれ」
「それじゃ仕方ありませんねー」
畑中二尉が、首を振りつつ承諾する。
「ならば、あたいたちもテロに備えて待機なのですね!」
シオは勢い込んで言った。
「いや、諸君らは帰宅してくれ。正直なところ、諸君の出番があったときは、テロの阻止に失敗した時だからな。諸君らの出番がないことを祈るよ」
長浜一佐が、苦笑気味に言う。
「ただいまー」
会社から帰宅した磯村聡史は、狭い玄関で靴を脱いだ。
「お帰りなさいませ、マスター」
ミリンが出迎えて、カバンを受け取る。
「シオは?」
「趣味に没頭していますわ」
「またか」
アサカ電子から戻ってくると、変な癖がついたり妙なことに目覚めたりすることが多いシオだが、今回はなぜか突然陶器集めを始めたのだ。小遣いの制限があるから、もっぱら近所の百円ショップから渋めの茶碗や湯飲み、皿などを買ってくるだけなので、無駄遣いしているわけでもなく、聡史は『いつものこと』と考えて黙認している。
「あ、お帰りなさいませなのです、マスター」
卓袱台の上に『コレクション』を広げていたシオが、聡史に気付いて立ち上がる。
「また買って来たのか」
シオが置いてくれた座布団に座りながら、聡史は言った。明らかに、以前よりもコレクションの量が増えている。
「はい! これがお気に入りの新作なのであります! どうでしょう、この渋い色艶は!」
ぐい飲みを手にしたシオが、それを聡史に見せびらかす。
常滑焼を模しているのか、肉薄の朱泥の広口ぐい飲みだ。
「うん。いい色だし、雰囲気は出てるな。だが、安物だろ」
「一応唐物ですが!」
「物は言いようだな」
聡史は笑った。
「とりあえず片付けろ。これじゃ飯も食えん」
「合点承知なのであります!」
シオが素直にコレクションの片付けに入った。ホームセンターで買って来た半透明プラスチックの衣装ケースに、皿や茶碗や湯飲みを丁寧に収め始める。
卓袱台があいたところで、ミリンがその上を丁寧に布巾で拭いた。さらに、聡史の食器類を並べ始める。
「ん? 茶碗が違うぞ」
聡史は置かれた飯茶碗を手に取った。愛用の品ではなく、白い茶碗である。見たこともないので、ミリンが間違えて客用茶碗を出してしまったわけでもないようだ。
「マスターのお茶碗は、センパイが洗っている時に割ってしまったので、こちらをお使いください」
ミリンが、説明する。
「割っちまったのか。あれ、お気に入りだったのに」
「面目次第もござりません!」
シオが、土下座モードに入る。
ロボットと言えども、洗剤まみれで潤滑係数が低下した陶器の振る舞いを完璧に計算し、手に保持し続けるのは至難である。
「お詫びのしるしにこれをお納めください! あたいのお気に入りであります!」
シオがコレクション入れの中から、茶の湯で使いそうな大きな茶碗を取り出し、聡史に差し出した。
「銘『高砂』にござりまする!」
「……して、その由来は?」
「なんとなく、高級な茶器っぽいかと……」
「意味も知らずに名付けたのか。しかし、茶器を差し出して許しを請うとは、お前は松永久秀か」
聡史はそう突っ込んだ。
「はっと! ではあたいの最後は、茶釜に爆薬を仕込んで自爆するという壮烈なものになるのですね!」
「あれは後世の創作らしいぞ。それに、茶釜も爆薬も持ってないだろ」
聡史は呆れ気味に続けて突っ込んだ。
「茶釜は買えばいいのであります! 爆薬は詳しいお友達がいますから、分けてもらえると思うのであります!」
「……友人は選ぼうな」
シオがボケをかましていると思った聡史は、一応突っ込みを入れた。
「まあでも……悪くないな、これ」
聡史は新しい飯茶碗をしげしげと見た。美濃焼の一種、志野焼を模したものらしく、白い釉が掛けられており、縁の辺りが一部分赤く彩色されている。安物にしては、なかなか趣がある茶碗だ。
「うん。気に入ったぞ。センスあるな、お前」
「侘び寂びを会得したあたいの審美眼を認めていただいたのでありますね!」
シオが、喜ぶ。
「侘びは感じるが、寂はないだろ、これ」
茶碗をひねくり回しながら、聡史は言った。
……しかし……ロボットに、どこまで『美』が認識できるのだろうか。
美意識は、個人によっても異なるし、文化によっても異なる。ロボットが『感じる』美は、やはり人間と異なるのだろうか。あるいは、人間に似せて作られている以上、同じものになるのだろうか。
「そのうち、ロボットの芸術家が出てくるかもな」
すでに、『ロボット画家』は実用化されているようだが、その作品はいまのところ人間の画家の『模倣』でしかない。人間の作品と、区別がつかないのだ。人間には理解しがたいが、ロボットならば絶賛するような作品が生まれて始めて、ロボットが芸術を獲得したと言えるのではないだろうか。
「マスター。ご飯をよそいます」
ミリンが手を差し出す。聡史は新しい茶碗をミリンに手渡した。
第二十五話をお届けします。これでMission14終了です。資料収集名目と新型コロナ対策名目で三回お休みをいただきまして、次の投稿は6月27日とさせていただきます。Mission15のネタはテロと人質となり、舞台は日本の予定です。




