第二十三話
「ここですね!」
シオはスチールドアについているドアハンドルに手を掛けた。地下に通じる……と『СС』側が推定している扉である。
「鍵が掛かっているのであります!」
シオはそう言いつつ扉から離れた。ありきたりのテンキーパッドがドアハンドルの上に付いているので、電子式錠が掛かっているのだろう。
「おまいら、盾になれー」
AKMを肩付けした畑中二尉が、膝射の姿勢になる。
ベル、スカディ、シオは三体並んで身体を寄せ合い、一枚の『盾』を形作った。畑中二尉がスカディの肩にAKMの銃身を載せ、スカディとベルの頭部のあいだから狙いを付ける。三鬼士長とズラータが、跳弾を避けるために、すっと壁際に寄る。
畑中二尉の右手人差し指が、フルオートにセットしたAKMの引き金を三回引き絞る。二十数発の銃弾が、ドアハンドルとテンキーパッドの脇に撃ち込まれる。……よく映画ではキーパッドそのものに銃弾を撃ち込んで破壊し、施錠されたドアを開けるが、あれは観客に対する判りやすい『錠を壊して開けた』という演出である。実際に扉を『閉めて』いるのは『錠前』ではなく、錠前によって操作されたデッドボルトなのだ。シリンダー錠などは解錠/施錠機構そのものが物理的にデッドボルトを操作しているので、鍵穴と一体となっているシリンダー部分を破壊すれば……それでもデッドボルトを『引っ込ませる』必要があるが……『錠前』部分を破壊して開けることが可能だが、電子錠の場合『錠前』本体を壊してもデッドボルトは引っ込まないので、デッドボルトそのものを破壊しなければならない。
「いけー」
撃ち終えた畑中二尉が、命ずる。
AI‐10三体は固まったまま扉にぶち当たる。銃撃によって半ば壊されていたデッドボルトが折れ、一瞬の抵抗の後に扉が内側へと勢いよく開いた。駆け寄ったズラータと三鬼士長が、すかさずAKMの銃口を内部へと突き入れる。
中は薄暗く、ごくありきたりのコンクリート製階段が伸びていた。十数段下ったところに狭い踊り場があり、そこで折れているので先を見通すことはできない。
「突っ込めー」
新しい弾倉をAKMにはめ込んだ畑中二尉が命ずる。AI‐10三体は、スカディを先頭とする三角形の隊形を組むと階段を駆け下り始めた。畑中二尉とズラータがAKMを構えてやや慎重にあとを追い、三鬼士長が後ろに気を配りながら続く。
くぐもった銃声を耳にしたラザエヴァは、足を速めて階段を駆け下りた。
すでに、一階にも二階にも敵の……ジョージアかアゼルバイジャンか、あるいは合衆国か……の特殊部隊が突入しているのだろう。内務省の警備部隊は優秀だが、軽装備だ。一秒でも早く、セーフ・ルームに閉じこもらねばならない。
地階にたどり着いたラザエヴァは、壁のテンキーパッドに四桁の数字を入力してスチールドアを開いた。出た先は、地階のメイン通路だ。すぐ右手の、メイン通路の突き当りにあるのが、セーフ・ルームの入り口となる装甲ドアである。
通常、セーフ・ルームの入り口は、開け放たれているか、閉められていても施錠されていないのが常識である。もちろん非常時に、即座に逃げ込めるようにするためである。……消火器を押し入れの奥の方にしまったり、災害時の非常用持ち出し品を金庫の中に保管したのでは、意味がない。
だが、このセーフ・ルームはしっかりと施錠されていた。中には、ラザエヴァの闇コレクションが収めてあるのだ。側近にすら、見せるわけにはいかない代物である。
これが、彼女の誤算であった。
ラザエヴァは急いでテンキーパッドに取りついた。八桁の数字を入力し、点灯した『開』のボタンを殴りつけるようにして叩く。
がちゃん、という金属音と共に、重い装甲ドアが電動モーターの力によりゆっくりとスライドして開いてゆく。その遅さに、ラザエヴァは苛立った。戦車の装甲板と同じ程度の強度がある、と聞かされているから、重いことは理解できる。もっとも、ラザエヴァは軍事に関しては……政治家だから地政学的な面の知識はあったが、戦術や兵器に関しては素人である……詳しくはないから、戦車の『鉄板』にどの程度の強度があるか、までは知らなかったが。
気配に気づき、ラザエヴァは振り返った。
地階の通路の端に、三体の小柄なロボットが見えた。いずれも、銃器らしきものを手にしている。
ラザエヴァは装甲ドアを見た。まだ、通過できるだけの隙間は開いていない。
ロボットが、駆けてくる足音が聞こえる。ラザエヴァは、横向きになると狭い隙間に無理やり身体を押し込んだ。
「殺すな。捕まえろ!」
ズラータが、叫ぶ。
スカディ、シオ、ベルは必死に走った。だが、短足である。思うように、距離を稼げない。
「入れさせるなー。たぶん、セーフ・ルームだぞー」
扉の開き具合の遅さから、そう推測した畑中二尉が声を掛ける。
……入らない。
ラザエヴァのまだ張りのある胸部が邪魔をして、隙間を通り抜けることができない。生まれて初めて、ラザエヴァは母親から遺伝した立派な胸を呪った。
ちらりと通路に眼をやる。まだ小柄なロボットは走っている最中だ。射撃するつもりもないようだ。
……あと一センチ開けば、胸も押し込める。
いける。中に入って、すぐに『閉』ボタンを押せば、あのロボットが扉前に到達する前にセーフ・ルームを閉鎖できるはずだ。
ぐいっ。
ラザエヴァは強引に胸を押さえつけ、セーフ・ルーム内に滑り込んだ。即座に壁に手を伸ばし、『閉』ボタンを叩く。
がちゃん、という音と共に、装甲ドアが閉まり始めた。……腹立たしいほど、ゆっくりとした速度で。
「間に合いませんわね」
走りながら、スカディが言った。
「気合いだけではどうにもならないのです!」
シオはそう返答した。
装甲ドアはゆっくりとではあるが、着実に閉まってゆく。もう、十五センチほどの隙間しかない。
「一か八かなのですぅ~」
ベルが、走りながら手榴弾を取り出した。下手投げで、ぽいと放り投げる。
狙い通り、投擲されたRGN手榴弾は装甲ドアの隙間から中へと入り込んだ。
地味なライトグレイのビニールタイルの床に、RGN手榴弾が落ちてバウンドする。
ラザエヴァの脳と身体が、一瞬硬直した。
兵器に疎いラザエヴァだが、手榴弾がどんなものかは……主に映画を見て仕入れた知識だが……おおよそ判っている。あと数秒後に、爆発するはずだ。
セーフ・ルームは実質的に密閉されている。そして、それほど広い空間ではない。こんなところで爆発が起きれば、中にいる者はまず助からないだろう。
助かる方法はふたつ。これも映画で見た知識だが、ラザエヴァ自身が部屋を出るか、あるいは手榴弾を部屋の外に放り出すか。
ラザエヴァは装甲ドアを見た。すでに、開口部は五センチほどまでに狭まっていた。部屋の外に出るのは物理的に無理だ。となれば、助かる方法はひとつしかない。
ラザエヴァの拳が『開』ボタンを押した。床に半ばダイブするようにして、手榴弾を拾い上げる。
広くなり始めた装甲ドアの開口部目掛け、ラザエヴァは手榴弾を放り投げた。
狙い通り、手榴弾は十センチ足らずの幅をすり抜けて、室外へと消えた。
ラザエヴァは急いで壁に飛びついた。『閉』ボタンを、押す。
だが、装甲ドアは閉まらなかった。例の小型ロボットの一体が、足を隙間に押し込んだからだ。
「無駄なことはおやめなさい、大統領」
ロボットが、声を掛けてくる。
ラザエヴァは必死に『閉』ボタンを押し続けた。だが、ロボットの足は頑丈であった。潰れることなく、持ち堪えている。
そのうちに、別のロボットのものらしい腕が伸びてきて、ラザエヴァに触れた。飛び退く間もなく、電撃を浴びせられる。ラザエヴァはショックでビニールタイルの床に転がった。……シオが、ごく弱い電圧でエレクトロショック・ウェポンを浴びせたのである。
ベルが腕を突っ込み、指先のビデオスコープを使って『開』ボタンを探り当て、押し込む。装甲ドアが、ゆっくりと開いていった。
「セイフティ・ピンを抜かずに手榴弾を放り込むとは、さすが爆発物の専門家なのであります!」
シオはベルのとっさの『策略』を褒めた。
「ラザエヴァさんは兵器に詳しくなさそうなので、騙されてくれると思ったのですぅ~」
ベルが、嬉しそうに答える。
現代の手榴弾には、三種類の『安全装置』がある。握っていれば外れることのないセイフティ・レバー。そのセイフティ・レバーを『開放』するためのセイフティ・ピン。そして、不用意にセイフティ・ピンが抜けてしまった場合に、セイフティ・レバーが外れないように押さえておくセイフティ・クリップである。通常は、投擲前にセイフティ・クリップを外し、本体をしっかりと握り込んでからセイフティ・ピンを抜き、投擲する。手から離れたところで、セイフティ・レバーが外れ、延期信管が作動。既定の時間……三秒から四秒程度に設定されている物が主流である……が過ぎると爆発する、というものである。RGN手榴弾の場合、セイフティ・クリップが省略されているから、ピンを抜いただけで投擲できる。
この『起爆しない状態で投擲された手榴弾』には、プロでも騙されることが多い。投擲された以上、延期信管が作動中だと推定するしかないし、投げ込まれた手榴弾のセイフティ・レバーが外れているかどうかをいちいち確認している暇などない。コンマ一秒の遅れが、生死を分かつかもしれないのだ。しかしながら今回の場合は、プロならば騙されることはなかっただろう。RGN手榴弾には衝撃信管も付いているので、セイフティ・レバーが外れていれば、床に当たった瞬間に起爆したはずだからだ。
「おう。これは壮観だな」
セーフ・ルームに入って来た畑中二尉が、驚嘆の声をあげる。手前の方はごく普通のセーフ・ルームらしく、簡易ベッドやミニキッチン、化学トイレ、保存食や水のボトルが入った段ボール箱などが置かれ、壁際のローボードには各種の通信機や電話機などが並んでいたが、奥の方にはガラスケースがずらりと並んでおり、その中には各種の陶器類が整然と収められている。もちろん、芸術的、歴史的に価値があり、なおかつ希少的な価値も兼ね備えた逸品ばかりである。
「よーし。ベル、大統領を押さえていろー。念のため、ボディチェックもしておけー。シオ、三鬼ちゃんと外を見張れー。スカディ、『黒松』を探すぞー」
AKMを肩に掛けた畑中二尉が、命ずる。
奥の壁際にある書類ロッカーを見つけたズラータが、さっそく中身を調べに掛かる。
「ありましたわ、二尉殿」
スカディが、ガラスケースを開いて『黒松』を取り上げた。
「おお、間違いない。これで、日本へ帰れるぞー」
『黒松』を受け取った畑中二尉が、はしゃぐ。
ほどなく、部下を伴ったイルキンも現れた。ズラータを労ってから、一緒に書類ロッカーを調べに掛かる。
「おまいら、外へ出ろー」
イルキンの部下が、スマートフォンでセーフ・ルームの中を撮影し始めたので、畑中二尉は急いでそう命じた。いずれ『СС』が公開するであろう映像に、武装したAI‐10が映っているのは都合が悪い。
イルキンの部下の一人が、アスミルにラザエヴァ大統領確保を伝える。
すでに一階の掃討を終えていたアスミルは、半数を別荘本棟に残すと自らヘリポートへと戻り、ヘリコプターに対する給油作業の指揮を執ることにした。陸軍と内務省部隊が陸路ここに急行しているのは確実である。さらに、空軍機が来ることも充分に予想される。一刻も早く、撤退しなければならない。
ヘリポートには、地下に航空燃料のタンクが埋設されていた。地上には、箱状の構造物があり、その中に給油用ホースとノズルが収納されていて、その脇に作動状況を示す表示パネルが突っ立っている。
地上からの誘導を受けて、亞唯の乗るMi‐24が着陸した。雛菊の乗るMi‐24とMi‐17は、上空に留まって援護と警戒を続ける。
ヘリコプターへの給油は、自動車への給油とあまり変わりない。給油口に、ノズルを突っ込むだけである。いや、むしろガソリンよりも引火しにくいから、自動車への給油よりも安全と言えようか。
旧ソ連圏で主にヘリコプター用燃料として使われているのはTC‐1と呼ばれるもので、軍民共用規格であり、ヘリ以外にも亜音速ジェット機などに広く使われている。ちなみに、この他には超音速機用にも使用できるPT、一部の軍用超音速機で使用されるT‐6、T‐8Bなどの規格がある。
「よし、撤退しよう」
細紐で縛り上げた紙製ファイルの束を抱えたイルキンが、宣言する。
「陶器はどうやって運ぶのでありますか?」
シオは尋ねた。『黒松』は、簡易ベッドの上に折り畳んで置いてあった薄い毛布を、ズラータから借りたナイフで適当に切って包み、スカディが大事そうに抱えて持っているが、残りの陶器類……おそらく、数百個に上るだろう……を運び出す手段は、シオには思いつかなかった。
「これはこのまま残してゆく。ズラータ、大統領を頼む。アディル、先導しろ」
イルキンが答えつつ、部下に指示する。
一同はラザエヴァ大統領を連れて別荘本棟一階に戻った。周囲を警戒しつつ東側へと向かう。妙な東洋庭園を突っ切り、ヘリポートへ向かった一同は、どやどやと給油中のMi‐17に乗り込んだ。ヘリポートの脇には、腕を縛られた元々のMi‐17の副操縦士と、アスラノフ中佐の副官の二人が座り込んでいる。もう必要がないので、ここで解放されるのだろう。機長の空軍大尉とアバソフ副大臣、それにアスラノフ中佐は、まだ利用できるので機内に繋がれたままだ。
亞唯と雛菊が乗ったMi‐24二機は、すでに給油を済ませて上空で警戒中だ。
最後に残ったイルキンの部下四人が、駆け戻ってきてMi‐17に乗り込む。奇襲効果と、Mi‐24が陸軍守備隊を蹴散らしてくれたおかげで、『СС』側には一人の死者も出なかった。さすがに損害なしとはいかず、内務省警護部隊との近接戦闘で三名が負傷したが、いずれも軽傷であった。
給油を終えたMi‐17が離陸する。
「大尉。他の空軍機との通信チャンネルは?」
アスミルが、空軍大尉をコックピットへと引っ張ってきて訊く。
「答える義務はない」
空軍大尉が、にべもなく答える。
「ところがあるんだな。空軍の戦闘機が飛んできて、問答無用で空対空ミサイルを発射したら、どうなると思う?」
アスミルが、目線でラザエヴァ大統領……ズラータと、もう一人の女性『СС』メンバーに挟まれて、大人しくしている……を示す。
「……チャンネル6で、他所の部隊のヘリコプターと通信できる。固定翼機なら、8だ」
諦め顔になった空軍大尉が、言った。
第二十三話をお届けします。




