第十九話
『奪われた東洋の陶器を取り返す』
ズラータが、そう宣言する。
「ど、どうやって?」
畑中二尉が、どもりつつ訊く。
「彼に協力してもらえば不可能じゃないと思う」
ナイフを突きつけた状態で、ズラータがカムランを見やる。
「いずれにせよ、他に方法はない。このまま、ラザエヴァのコレクションが増えるのを見過ごすわけにはいかない。この陰謀を世間に知らしめることができれば別だが、それはまず不可能だからな」
ズラータが、惨憺たるありさまの展示室をナイフを握った腕で指し示す。
「『СС』が関与していないという証拠は偽物の陶器とこの男だけだ。『СС』ががんばって無実アピールしても、チェルトポロフ・グルーッパの新聞やテレビ局が『СС』の犯行だと報じれば、国民はみんな騙されてしまうだろう。無実を証明するには、マスコミが『CCが破壊した』と報じたあとに、本物を大衆の眼の前で返してやることくらいしかないだろう。ま、それでもマスコミは『CC』の自作自演、とか言うのだろうが」
「むう。あの女にいい思いをさせるわけにはいかないしなー。おい、スミヤ国際空港のどこに、大統領専用ヘリコプターがいるのだ? 状況を詳しく説明しろ」
畑中二尉が、カムランに迫った。
「詳しくは知らない。移送には直接関わっていないんだ。責任者は内務省のアスラノフという中佐が務めている。おそらく、国際空港の政府専用エリアにいるはずだ。一応、飛行任務自体は文化教育省のアバソフ副大臣を大統領の別荘に送り届ける、という理由で届け出がなされているはずだ」
「あの副大臣も一味かー。くそー。すっかり騙されてたぞー」
畑中二尉が、日本語で悔しがる。
「護衛戦力は?」
ズラータが、訊く。
「そちらもよく知らない。護衛の攻撃ヘリコプターが付いているのは、いつも通りだろう。内務省の警護部隊も、何人かいるはずだ」
カムランが、自信無さげに言う。
「なぜヴィクリ空軍基地ではなく、スミヤ国際空港にいるのですか?」
スカディが、訊いた。空軍基地の方が警備態勢が充実しているから、安全なはずである。
「大統領専用機は空軍の管轄だが、運用は国際空港から行われているんだ。若干だが大統領官邸に近いし、国民にもソフトなイメージを与えられるから、だと思う」
「よし。とにかく外へ出よう。午前四時まで警察は動かないだろうが、内務省が作戦が失敗に終わったことを知ったら、駆けつけてくるかもしれない」
ズラータが、畑中二尉を見て言う。
「わかった。よし、おまいら撤退だー。亞唯、そのまま先導しろー。三鬼ちゃんとスカディは、この男から目を離すなー。シオ、ベル、雛菊は後衛だー。と、その前にボディチェックしておけー」
畑中二尉が指示を出す。三鬼士長とスカディがカムランの身体をまさぐり、財布とスマートフォンと鍵束を没収する。
「おや、雛菊ちゃん何をしているのでありますか?」
シオは、雛菊が何かをごそごそと懐に押し込んでいることに気付いて尋ねた。
「お土産にしようと思うたんや。偽物やから、いっこくらいええやろ」
雛菊が、仕舞い掛けていた小鉢をシオに見せる。
「おおっ。それはいい考えなのです! あたいも真似するのであります!」
シオは急いでそれらしいお土産を物色した。割れたガラスケースの中に、茶碗があるのを見つけ、取り上げる。
「あたいはこれにするのです!」
「シオちゃん、雛菊ちゃん、置いていきますよぉ~」
畑中二尉らのあとを追って走り出したベルが、二体を呼ぶ。
事情を聞いたアスミルの決断は、素早かった。
「判った。空港に行こう。何か手は考えたのか?」
「カムラン。あんたがアスラノフ中佐やアバソフ副大臣に会いに行く理由を何かでっち上げられないか?」
畑中二尉が、訊いた。
「……作戦が順調に行けば、会う理由はない。梱包した陶器をひと箱積み忘れたから、それを届けに来た、とでも言えばなんとかなるかも……」
カムランが、視線を泳がせながら言う。
「よし、それで行こう。トラックでいきなり乗り付けるのは不自然だな。もっと小さい車を一台調達しよう」
アスミルが、即断する。
「駐車場に良さそうなBMWのセダンがありましたわ」
スカディが、口を挟んだ。
「わたしの車だ。鍵は、さっき没収されたが」
カムランが、ためらいがちに言う。
時間は限られていた。
細かい戦術は移動しながら練ることにして、一同はとりあえず車に乗り込んだ。アスミル率いる本隊はヒノ・300に、カムランのBMWには運転席にズラータ、助手席にカムラン、後席に畑中二尉をあいだに挟んでスカディとシオが乗り込んだ。三鬼士長、亞唯、雛菊、ベルはもちろんトラックの方だ。
「BMWの7シリーズか。いい車乗りやがって。美術館の学芸員の給料で買える車じゃないだろー。まあいい。今は追及しないでおいてやるー」
畑中二尉が、にやにやしながら身を乗り出して、助手席のカムランの耳元で言う。
「先に聞いておくぞー。『黒松』すり替えの顛末についてだー」
「『クロマツ』も、今回の作戦ですり替えが行われる予定で、偽物も発注済みだった。だが、展示期間途中で日本から返還要求があって、計画が狂ってしまった。仕方なく、ラザエヴァ大統領の命令で返還の時にすり替えを行ったんだ。わたしが受けた命令は、偽物の作成とすり替えだけだ」
「あれはお前が作ったのかー。ひどい出来だったぞー」
畑中二尉が苦笑する。
「わずか半日しか時間がなかったから仕方ない。言っておくが、列車襲撃に関してはわたしは関与していないぞ。国際空港の爆発テロも、列車襲撃そのものも、内務省がラザエヴァ大統領の命令で行ったものだろう」
カムランが、慌てたように言い訳する。
「空港でテロを起こして首都から飛行機での出国を阻止。そこまでは理解できますが、なぜ無理やり電車に乗せたのでありますか?」
後席で大人しく話を聞いていたシオは、浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「標的が日本人ではないと見せかけるためでしょう。車だと、ピンポイントで『クロマツ』を運ぶ日本人を狙ったものだとばれてしまう。『СС』に、『クロマツ』を狙う理由も日本人を恨む理由もないからね。列車なら、交通インフラを狙った『CC』のテロに日本人たちが偶然巻き込まれ、これまた偶然に『クロマツ』が割れてしまう、というシナリオにできる」
ズラータが、先読みして言う。
「たぶんそうだと思う」
カムランが、うなずいた。
「では、『黒松』はどこにあるのですか?」
シオは訊いた。
「知らない。だがおそらく、ラザエヴァ大統領の別荘にある『闇コレクション』に加えられたと思う」
「むう。別荘か。なんとか取り戻せないかなー」
畑中二尉が、悩む。
「無理だ。あの女の別荘に関しては、『СС』も色々と調べているが、警備戦力が充実し過ぎている。陸軍の歩兵一個中隊と、戦車まで装備した機甲小隊。対空ミサイル。これに、内務省の警護班がいる。半ば要塞だよ」
ハンドルを握りながら、ズラータが言った。
「それよりもカムラン。ちゃんと口上は考えてあるんだろうな」
ズラータが、視線をカムランに流す。
国際空港の政府専用区画に乗り付けるには、二か所の検問を抜ける必要がある。空港警察による外周部の検問と、内務省公安部隊による政府専用区画の検問だ。もちろん強行突破はあり得ないから、なんとかごまかして通過するしかない。
「大統領専用機が居ることは空港警察も承知しているし、アバソフ副大臣が待機していることも知ってるはずだから、届け物があると言ってこれを見せれば通してくれるだろう」
カムランが言って、三鬼士長から返してもらった財布の中から文化教育省職員のIDカードを取り出す。
「そうだ。アバソフ副大臣かアスラノフ中佐の電話番号を知らないか?」
ズラータが、訊く。
「中佐は知らない。副大臣の個人携帯の番号は、わたしのスマートフォンに登録してある」
「よし。アバソフに電話して、積み残したひと箱を持っていく、と伝えるんだ。検問所を速やかに通れるように手配してもらえ」
「おおっ! それはいいアイデアなのです!」
シオはズラータの案を手放しで褒めた。
「いや、もっといいことを思いついたぞー。ズラータ、あんたのスマートフォンを貸してくれー」
畑中二尉が、運転席の方へと手を伸ばす。
「どうするつもりだ?」
自分のスマホを手渡しながら、ズラータが訊いた。
「スカディに電話させるのだー。判ってるな、スカディ。誰の声で喋ればいいのか」
スカディにスマホを押し付けながら、畑中二尉が訊く。
「もちろんですわ。あの女、ですわね」
スカディが、にやりと笑う。
マヒル・アバソフ文化教育省副大臣は暇を持て余していた。
腕時計を覗く。時刻はそろそろ午前四時近い。空はまだ暗いが、なんとなく東の方の闇が薄れてきたようにも見える。
ふわ、と隣で秘書官のグリエフがあくびをもらす。
「キリロ。中で寝ていても構わんぞ」
ポケットからL&Mの箱を取り出しながら、アバソフは言った。紙巻き煙草を一本咥えるとライターで火を点け、紫煙を夜空に向けて吹き上げる。
「大丈夫です」
グリエフが言って、眼をしばたたく。
大事な仕事である、ということは二人とも理解していた。背後に駐機しているMi‐17輸送ヘリコプターの中には、芸術的にも歴史的にも価値の高い中国、日本、朝鮮などの陶器が山ほど載せられている。これを無事にラザエヴァ大統領の元まで届けるためには、事情をよく知っているお守り役が必要だ。空軍の連中……ギョルスタンでも旧ソ連諸国と同様、軍用ヘリコプターの運用は空軍に任されている……は、積み荷の中身は知らないし、内務省側でも責任者のアスラノフ中佐以外は詳細を知らされていないのだ。
アバソフは煙草を吹かしながら周囲を眺めた。夜のスミヤ国際空港は離発着機もなく、ひっそりと静まり返っている。
少し離れた場所には、護衛機である二機のMi‐24攻撃ヘリコプターが駐機していた。乗員の一人が、少し離れたところで煙草を吸っている。
周囲には、一個分隊十名の内務省公安部隊が散って警護に当たっていた。Mi‐17の機内には、機長と副操縦士、空中輸送員の三名と、内務省のアスラノフ中佐とその副官がいる。これに加え、内務省公安部隊の警護員二名が、アバソフの護衛として同行している。
と、アバソフのポケットの中でスマートフォンが着信音を鳴らし始めた。咥え煙草のままスマホを取り出したアバソフは、表示されている番号を見て眉をひそめた。登録されていない番号の上、見覚えもない。
とは言え、重要な仕事中である。時間も時間だし、重要な連絡かも知れない。ここは出るしかないだろう。
「アバソフだ」
『副大臣。こんばんは』
聞こえたのは、インガ・ラザエヴァ大統領の声であった。
「こんばんは、閣下。どうかなさいましたか?」
アバソフは、慌てて煙草を口から外した。
『手違いで、荷物をひと箱載せ忘れたそうです。今から、学芸員のカムラン・ユシフォフが届けに行きます。受け取って、専用機に載せるように。いいですわね』
「承知いたしました」
『アスラノフ中佐にも伝達して、カムランが速やかに空港内に入れるように手配させてちょうだい。よろしく』
「はい、閣下。抜かりなく手配します」
アバソフは、少しばかり違和感を覚えながら通話を終えた。なぜラザエヴァ大統領から自分に直接電話があったのだろうか。本来ならこのような連絡事項は、ラシム少将からアスラノフ中佐に伝えられるはずだが……。
悩んでも仕方ない。なにか、事情があったのだろう。
アバソフは煙草を投げ捨てると、Mi‐17に向かった。アスラノフ中佐に電話の内容を伝えねばならない。
ヘリコプターの機内で待機していると思われたアスラノフ中佐は、スライドドアの前で落ち着きのない様子で煙草を吹かしていた。アバソフが近付くのを見て、吸っていた煙草を地面に落として足で踏み消す。
「どうしたのかね」
アバソフは訊いた。先ほどまでは泰然とした態度を見せて、いかにも有能な軍人風だったアスラノフが、明らかに苛ついているのを眼にして、アバソフの心がざわついた。何かトラブルでもあったのだろうか。
「作戦完了の報告が来ないのです。予定通りならば、もう来ているはずですが」
アスラノフ中佐が、腕時計に眼をやる。
「それより、大統領から電話で指示があった。国立美術館の学芸員が、荷物を運んでくる。専用機に載せて、別荘に運ぶようにとのことだ」
アバソフは早口で告げた。
「荷物ですか」
アスラノフ中佐が、怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうやら、積み忘れた陶器らしい」
声を潜めて、アバソフは付け加えた。
「なるほど」
アスラノフが、納得の表情を見せる。
「学芸員の名はカムラン・ユシフォフ。内務省の要員と空港警察に連絡して、彼が速やかにここまで来れるように手配してくれ、との指示だ」
「早急に手配します。あの、大統領閣下は作戦に関して何か仰ってましたか?」
アスラノフが、訊いた。
「いや。特に何も言っていなかったな」
アバソフの答えに、アスラノフ中佐が安堵の色を浮かべた。
「大統領閣下が何もご存じないということは、作戦が滞りなく進んだということでしょう。ラシム少将から連絡が無いのも、たぶん単純な連絡ミスだと思われます。安心しました。すぐに、関係各所に連絡して学芸員が速やかに通行できるように手配します」
カムランの演技は下手糞であった。
棒読み口調で来意を告げ、文化教育省のIDカードを空港警察官に突き出す。
「ユシフォフ学芸員ですね。事情は内務省の方からうかがっています」
OTs‐02キパリス短機関銃を持った空港警察官が、にこやかに言う。
「後続するトラックに荷物が積んである。そちらも通してくれ」
「承知しました」
空港警察官が、ゲートを開けるように部下に指示した。ゲートバーが上がる。
スカーフで顔を半ば隠したズラータ……ムスリム女性としては普通なので怪しまれることはない……が、ブレーキを解除するとアクセルを踏んだ。低速で、空港内道路に乗り入れる。ヒノ300トラックが、続いた。
「よくやったぞー、カムラン。だが、次はもう少しリラックスしていけー」
外から顔を見られないようにうつむき加減で座っていた畑中二尉が、顔を上げて言った。
「ロボット二体に短機関銃で狙われている状態でリラックスなんて、無理ですよ」
カムランが、強張った表情で言い返す。
スカディによる『偽大統領電話』は大成功であった。政府専用区画のゲートを警備する内務省の連中も、カムランがIDカードを見せただけでノーチェックで通してくれる。
ゲートから充分離れたところで、ヒノ300が一時停止した。荷台に乗っていたアスミル率いる『СС』メンバーと三鬼士長、亞唯、雛菊、ベルが素早く降り、闇に紛れる。
大統領専用機と、その警護部隊の制圧は密やかに行わねばならない。銃声が鳴り響けば空港警察が大挙して駆けつける事態になってしまうし、そうなれば脱出は甚だ困難となる。
ズラータが、ゆっくりとBMWを走らせる。駐機する三機のヘリコプターが見えてきたあたりで、AK‐74Mを手にした二人の内務省治安部隊員が寄ってきて停車を命じた。ズラータが、ブレーキを踏む。
カムランが、IDカードを見せて事情を説明する。三回目となると慣れてきたのか、先ほどよりは口上も滑らかだ。
「お待ちしていました。……ところで、後ろのロボットは?」
伍長が、後部座席のスカディとシオを見て問う。
「荷運び用のロボットですよ。大統領に届ける大事な品ですからね」
カムランの助手のふりをした畑中二尉が、『大統領』と『大事』という単語を強調しながら達者なロシア語で言う。
「一応、トラックの方も検めさせてもらいます」
伍長とその部下が、ヒノ300の荷台を覗きに行く。戻って来た伍長の顔には、懸念の色があった。
「箱はひと箱だと聞いていたのですが」
「大統領専用機に積み込むのはひとつです。あとは、教育文化省庁舎に運ぶものですわ」
すかさず、ズラータが言った。荷台には、武器弾薬を入れてあった木箱が複数載せられたままである。慌ただしかったので、そこまで気が回らなかったのだ。
「そうですか。では、お進みください」
納得したのか、伍長が身を引いて前進するように身振りで促す。
『こちらスカディ。みなさん、準備はいかが?』
スカディが、BMWの車内から無線で呼び掛ける。
『こちら亞唯。こっちは準備いいよ』
『ベルですぅ~。こちらはあと一分くらい欲しいのですぅ~』
『雛菊や。あと二分待ってや』
アスミルらの本隊……おそらく、三方から押し包むように展開しているのだろう……からそれぞれ返事が返ってくる。
「あと二分欲しいそうです」
スカディは、畑中二尉とズラータに告げた。
「カムラン。生きて日の出を見たければ、逆らうんじゃないぞ。適当なことを言って、時間を稼げ。荒事になったら、その場に伏せてアッラーに祈るんだな」
ズラータが、冷たい声で告げる。
BMWは、ゆっくりとした速度で駐機するMi‐17に近づいて行った。シオはPM84Pを胸に抱えるようにしながら、窓外をチェックした。ヘリコプターの前に、見覚えのあるアバソフ副大臣と、若いスーツ姿の男性……秘書か補佐だろう……が立っている。その後ろに、内務省治安部隊の制服姿の中年男性と、若そうな士官。こちらは、アスラノフ中佐とその副官か。離れて立つ黒スーツ姿の二人は、文化教育省職員にしてはごつ過ぎるので、内務省の警護担当者か何かだろう。
ズラータがブレーキを踏み、BMWが停止した。わざと時間を掛けて、カムランが車を降りる。Cz83自動拳銃とRGN手榴弾を隠し持ったズラータが、寄り添うようにして続く。
『ベル、雛菊。そちらの準備は?』
スカディが、無線で訊いた。
『ベルですぅ~。こちらはOKですぅ~』
『雛菊や。あと一分待ってや』
二体から、返信が返って来た。
第十九話をお届けします。




