第十七話
『亞唯っち。怪しいトラックが接近中やで』
省電力モードに入らず、小屋の窓から外を見張っていた雛菊が、無線で呼び掛けた。
同様に『寝て』いなかった亞唯は、雛菊の肩越しに窓から外を覗いた。小ぶりな幌付き中型トラックが、農家の前を通る小道をかなりの速度で走っている。
『怪しいな』
亞唯はつぶやくように無線で言った。時刻はすでに真夜中過ぎだ。小さな集落であり、人々はみな寝入っており、あたりは静寂に包まれている。表の小道はもちろん幹線道路ではない。夜間に車が走ることなど、珍しいはずだ。
中型トラックが、減速した。農家の庭に乗り入れて、停車する。エンジンは掛けたままで、ヘッドライトが正面の母屋の壁を眩い黄白色に染めている。
亞唯はスカディ、シオ、ベルに向け『起きる』ように信号を送った。エンジン音を聞きつけたズラータが自力で目覚め、身を起こす。雛菊が、目を覚まさない畑中二尉と三鬼士長を急いで起こしに行く。
亞唯は暗視モードでトラックを注視した。運転台には、二人いるようだ。助手席にいた方が、トラックを降りて、小屋の方に走り寄って来る。体格と走り方からして、男性のようだ。亞唯は男の手に注意を向けた。……とりあえず、武器は持っていない。
「どうした?」
拳銃……チェコ製のCz83……を手に、ズラータが窓に張り付く。
「中型トラックが来た。男性一名接近中。荷台からは誰も降りてこない。無人かも」
亞唯は早口で報告した。
走って来た男が立ち止まった。小屋から、二十メートルほどの位置だ。両手を広げ、空手であることを示す。
「アスミルだね」
亞唯はそう識別した。
「暗くて顔は判らないけど、それっぽいね」
ズラータが、同意する。
十秒ほどその姿勢でいた男……推定アスミルが、小屋まで歩み寄って扉を叩いた。扉前に居たベルが、開けて顔を突き出して確認する。
「アスミルさんですぅ~」
「こんばんは」
一応挨拶しつつ、アスミルが小屋に入って来た。亞唯の『外は異常なし』の合図を確認してから、スカディが小屋の天井灯を点ける。
「なにかあったのかー?」
まだ目が覚めていないのだろう。畑中二尉が、日本語でアスミルに尋ねる。その後ろで眼をこすっている三鬼士長も、そうとう眠そうだ。
「すまんが手を貸してほしい。説明は移動中にする。トラックに乗ってくれ」
厳しい表情のアスミルが、日本勢を見渡してそう言う。
「何があったの?」
ズラータが、急いた口調で問う。慌てているのか、拳銃を手にしたままだ。
「内務省の作戦を感知した。阻止する必要がある」
ズラータにちらりと視線を送りながら、アスミルが言った。
「あー、手を貸すのはやぶさかではありませんが、状況を説明してほしいですね。これから内務省公安部隊本部に殴り込むとか、ギョルスタン陸軍自動車化歩兵旅団と喧嘩する、という話なら、お断りしますから」
ようやく目が覚めたのか、畑中二尉がロシア語で言う。
アスミルが、しばし沈黙した。何か決断したのか、ひとり大きくうなずいてから、説明を始める。
「では、最初から説明しよう。君たちの要請通り、ミハイル・ナビエフの弁護士事務所から押収したデータの解析は、ごく最近の……『クロマツ』がギョルスタンに持ち込まれた日以降に付け加えられたと思われるファイルを優先して行って来た。すると今日になって……いや、もう昨日のことになるが……ナビエフの個人的な覚書と思われるファイルから、保険関係の処理に関するメモが見つかり、解読されたのだ。二十二日の午前中の夜間、つまり二十一日の深夜に、スミヤ国立美術館で発生する美術品の大量毀損に関する保険処理について、ナビエフは詳細なメモを作成している」
「……それって、今日のことじゃないか。まだ、一時間も経ってないぞ」
亞唯が、突っ込み口調で言う。
「さすが敏腕弁護士! 未来予測までできるのですね!」
シオは突っ込み口調で皮肉った。
「去年の話とかじゃないの?」
ズラータが、訊く。
「いや。日付は確認したし、記載もつい先日のことだ。確実に、今月二十二日の話だ。そして去年はもちろん、今年に入っても国立美術館で収蔵品が大量に毀損され、保険処理が行われた事実はない。怪しいと睨んだ暗号解読班は、同様の記述がないかそのファイルを精査するとともに、関連すると思われるファイルの解読を進めた。詳細は省くが、結果として『今月二十二日午前中の夜間、つまり二十一日深夜にスミヤ国立美術館において、美術品が大量に毀損される。計画は内務省主導。ナビエフはそれに関し保険処理を担当する予定』ということが判明した」
「内務省が美術館で破壊行為? なんや、それ」
雛菊が、首を捻る。
「きっと保険金詐欺なのであります! よくあるパターンなのであります! 都合よくその日だけ防犯カメラが故障していたりするのであります!」
シオは自信ありげに言った。
「内務省主導。読めた。『CC』のテロに見せかける肚だね」
ズラータが、言った。
「間違いない。念のため、内通者に連絡して内務省と警察の動きも探らせた。本日午前二時から四時までのあいだ、アリアガ地区において夜間巡視禁止令が出ている。スミヤ国立美術館が所在するのが、アリアガ地区だ。ということで、これを阻止しなければならない。すでに、イルキンから全権は任されている。手伝って欲しい」
説明を終えたアスミルが、畑中二尉を見据える。
「うー。この件、ラザエヴァ大統領は関わっているのだろうか?」
「まず確実だ。国立美術館は大統領のお気に入りの施設だ。予算配分も多いし、良く訪れている。特に東洋陶器に関しては、彼女の意向を反映して積極的に海外の物を買い付けて常設展示している。ここを襲撃するなど、たとえ見せかけだけであっても、彼女の許可なしにはできないだろう」
畑中二尉の問いに、アスミルが答える。
「具体的に、どのような作戦をお考えですの?」
スカディが、訊いた。
「内務省が、『СС』のテロに見せかけて国立美術館を襲撃する、と推定している。それらしい服装と武器を使ってだ。だから、部隊規模はせいぜい三十名程度だろう。多少はバックアップがいても、五十名規模。間の悪いことに、今スミヤ市に『СС』の人員は少ない。多くが、君たちの脱出作戦支援のために北東部へと出払っているからな。まともに銃を扱えるのは十名ほど。情報担当の連中は軍事訓練を受けていないから足手まといだし、軍や警察に浸透している内通者は貴重過ぎて正体がばれるような作戦には使えない。もちろん、よその地区から人員を呼び寄せる時間はない。今現在、この作戦に追加できそうなまとまった戦力は、君たちしかいないんだ」
「物理的に阻止しなければならないのですかぁ~? 他に阻止する方法がありそうなものですがぁ~」
ベルが、口を挟む。
「いいアイデアがあったら教えてくれ。即座に採用するから」
皮肉な色を隠さずに、アスミルが言う。
「普通の国でしたら、マスコミに暴露すれば済むことですけれどね」
スカディが、ため息交じりに言った。これが西側民主主義国家であれば、テレビ局や新聞社が国立美術館に押し掛けるだけで、内務省の計画を阻止できるだろう。だが、ここギョルスタンのマスコミはほとんどが政府の言いなりである。通報したところで握りつぶされるのがおちだ。下手をすれば、テレビ局に『СС』による美術館襲撃の瞬間、などというスクープ映像を提供してやることになりかねない。
「一般市民に報せる、という手は無理かな?」
自信無さげに、畑中二尉が提案する。
「それも考慮したが、難しい。もう時間が無いから、広報の手段が限られている。仮に少数の市民を美術館前に集められたとしても、襲撃者の正体が『СС』ではないということを証明する手段がない。目撃者を増やすだけになりかねない。それに、市民が巻き添えになるおそれもある。内務省の連中なら野次馬に一連射して、『СС』によって一般市民にも犠牲者が、なんてことを平気でやりかねない」
アスミルが、首を振る。
「二尉殿。これは、『あの女』に最後っ屁をかますいいチャンスじゃないか」
亞唯が、畑中二尉を見上げて言う。
「むう。そうかもなー」
うなずいた畑中二尉が、三鬼士長を見た。
「三鬼ちゃん。ちょっと危険を伴うが、ラザエヴァ大統領に一矢を報いることができそうなんだー。手伝ってくれるかー?」
「二尉殿の判断を信じます。お供しますよ」
三鬼士長がにっこりと笑って言う。
「恩に着るぞー。おまいらもいいかー?」
畑中二尉が、AHOの子たちを見やる。
「異議ありませんわ」
スカディが、すかさず言う。他のAI‐10も、それぞれのやり方で賛意を示す。
畑中二尉が、アスミルを見据えた。
「結構です。協力しましょう。ただし、危険すぎる場合は土壇場で手を引く可能性もありますよ」
「判った。こちらも、無理強いはできない立場だ。その条件を呑むよ」
アスミルが、手を差し出す。畑中二尉が、その手をしっかりと握った。
トラックは、中古のヒノ・300シリーズだった。幌付きだが建設現場で働いていた車両らしく、荷台には小さな木片や新品の釘、塩ビパイプの切れ端などがあちこちに落ちている。
「武器は今かき集めているところだ。人数分は充分にある。敵はこちらの動きには気付いていないはずだ。だから、数で劣っても勝ち目は充分にある」
トラックが走り出すと、アスミルが説明を始めた。
「二時前には、美術館周辺で配置に着けるはずだ。警察等の動きから見て、襲撃はおそらく二時半から三時くらいだろう。撃退し、さっさとずらかる。ロシア行きは悪いが延期だ。作戦が終わったら君たちはまたあの小屋まで送り届けるから、待機していてくれ」
田舎道をかなりの速度で飛ばして距離を稼いだトラックが、スミヤの市街地に入って減速する。倉庫街に入って停車したトラックに、数箱の木箱が積み込まれた。数名の武装した男女も加わる。その中の半数程度は、ミハイル・ナビエフ弁護士事務所襲撃に加わったメンバーだった。
「好きな武器を選んでくれ」
中の一人が、木箱を開けながら言う。
「あたいはこれがいいのです!」
シオは木箱の中からポーランド製のコンパクトな短機関銃、PM84Pをつかみ取った。オリジナルのPM84は9ミリ×18弾薬を使用するが、それを西側主流の9ミリ×19弾薬用に改良したのが、PM84Pである。折り畳み式のバーチカル・グリップが付いており、小柄なAI‐10でも扱いやすいサイズだ。弾倉はグリップ内に差し込む方式で、グリップ内に収まる十五発タイプとはみ出てしまう二十五発タイプがあるが、これは後者の方らしい。
「あたしはこっちがいいな」
亞唯が、普通のAKM突撃銃を取り上げる。AI‐10には大きすぎて扱い辛いが、射撃の得意な亞唯には短機関銃よりも好ましいようだ。畑中二尉と三鬼士長も、AKMを選ぶ。
「爆薬はないのですかぁ~」
木箱の中を探し回っていたベルが、情けない声をあげる。
「これで我慢しなさいな」
スカディにロシア製のRGN手榴弾をふたつ渡されて、ようやくベルが静かになる。
赤いカバーが付けられたハンドライトの明かりを頼りに、一同は走るトラックの中で黙々と弾倉への弾丸込めを行った。『СС』の一人は、古いRPD軽機関銃を持ち込んできており、メタルリンクの弾帯の手入れに余念がない。
やがて、トラックが停まった。アスミルがハンドライトを点け、全員に手書きの略図を示す。
「作戦を説明する。美術館への侵入ルートは二つ。正面入り口と、裏の通用口および搬入口だ。おそらく、敵はどちらか一方からの侵入を企てるだろう。こちらも、部隊を二分する。可能性が高いのは、裏だろう。ロボット組は正面へ廻ってくれ。ズラータ、無線機を持って同行しろ。残りは裏だ。身を隠し、敵が襲撃を開始したところで背後から襲え。無理はするな。撤収用の車両はこの位置に停めておく。何か質問は?」
「捕虜はどうします?」
一人が、訊く。
「完全に無抵抗なら確保してもいい。手向かうようなら、脚を撃って放置」
アスミルが、答える。
「やれやれ。簡単なお使い任務だと思っていたのに、何でこんなことになるかなー」
AKM突撃銃を抱えて畑中二尉がぼやく。
王宮風のスミヤ国立美術館は、全体がライトアップされ、その白く美しい姿を宵闇の中に浮かび上がらせていた。産油国ゆえに、省エネという発想が希薄なのだろう。
「うー、喉乾いたぞー。三鬼ちゃん、五百円あげるからどこかで缶コーヒー買ってくるのだー」
「二尉殿。ここ日本じゃありませんよ」
三鬼士長が、真顔で突っ込む。
日本であればよほどの田舎でない限り、市街地ならどこでも飲料の自販機が見つかるものだが、ギョルスタンの街頭にそんなものはない。自動販売機自体は存在するのだが、いずれも屋内設置なので、深夜は利用できないのだ。コンビニに相当する小売店もあるが、二十四時間営業ではないので、こちらも利用できない。
「こんなこともあろうかと!」
シオは小屋から持ってきた水のペットポトルを畑中二尉に差し出した。元来は家事兼愛玩ロボットである。お出かけの際に、マスターに対する気配りをする機能は、元から備わっている。
「おお、気が利くやつだー。あとで肉まん奢ってやるぞー」
畑中二尉が、笑顔でペットボトルを受け取る。
「あたいはピザまんの方が好きなのであります!」
シオは畑中二尉の冗談に付き合った。
「皆さんお静かに。車両が接近して来ますわ」
スカディが、注意を促す。
一同はじっと動かずに静寂を保った。スカディが、猫が良くやるように頭部をゆっくりと巡らせて、音源を探ろうとする。
「トラック三台。いずれもディーゼルエンジンですわね。どうやら、裏口に近い位置で停止したようです」
ややあって、スカディが言った。
「やはり裏が本命かー」
畑中二尉が、状況をズラータにロシア語で説明する。
「別動隊が居るかもしれない。警戒してくれ。アスミルの指示があれば、移動しよう」
ズラータが、言った。
「よしおまいら、周囲を見張れー。油断するなー」
畑中二尉が指示を出す。
AI‐10たちは、得意の暗視能力を駆使して、周囲の街路に視線を走らせた。
第十七話をお届けします。




