第十二話
「よーし、完成したぞー。おまいら、読めるかどうか試してみろー」
鉛筆を置いた畑中二尉が立ち上がり、今まで座っていた椅子の座面に紙を置く。
シオは仲間たちと共に椅子を取り囲んだ。
「何だ、こりゃ」
シオの右隣で、亞唯が首を傾げる。
一応、日本語ではあるようだ。ひらがな、漢字、カタカナ、アラビア数字、それにわずかだがラテン文字も見られる。
しかし……読んでみても意味はまったく分からない。いや、正しい読み方すらわからない箇所もある。
「解読すると、徳川埋蔵金とか見つかるんちゃうか」
雛菊が、笑いながら言う。
「冒頭からして、意味不明ですわね」
スカディが、紙の一番上に書いてある『20 china』という一文を指す。
「中国語で20はア(ル)シーですぅ。何の意味があるのかわかりませんがぁ~」
いかにもとりあえず、といった感じでベルが言う。
「はっと! 中華人民共和国建国は1949年のこと! つまり20 chinaは1969という数字を表しているのでは?」
シオは適当に思いついたことを口にしてみた。
「20 chinaといったら、J‐20戦闘機のことじゃないか?」
亞唯が言う。
「これは20を数字とみたらあかんパターンやな。二十、やあらへんで『2』と『O』やで。これは『O2』つまり酸素分子のことや。中国語で酸素は『氧气』やから……あかん、意味わからん」
得意げに語り出した雛菊が、口を半開きにしたまま固まる。
「換字暗号の一種ではないでしょうか。『china』を文頭において残りのアルファベットを順番に並べると、二十番目に『S』が来ますわ」
スカディが、そう分析する。
「ははは。おまいらの優秀なAIでも見当がつかんか。通信文の冒頭に来るのは発信者だー。つまり、『20 china』はあたしを意味しているー」
やや自慢げに、畑中二尉が解説を始める。
「なるほど。Chinaが『中』ということか。でも、なんで『20』が『畑』なんだい?」
亞唯が、訊く。
「大和言葉の数詞だー。20は『はた』だー。今でも二十歳、とか二十重、とか使うだろー」
「さすが二尉殿! これなら外国人には解読は難しいであります!」
シオは感激気味に言った。
「ここはわざと簡単にしておいたんだぞー。長浜一佐が読めないと困るからなー。最初だからあたしの名前だと推測できるだろうし、この後も同じように読み解いてくれと伝える意味があるのだー。ではこの辺り、解読してみろー」
畑中二尉が、中ほどにある一行を指差した。
『3ページ ウろ いと うち 2 4 二十三 た つち』とある。
「読めませんわね」
スカディが、ギブアップした。他のAI‐10も、匙を投げる。
「これは、あたしたちの現在位置を示しているー。『3ページ』は、『三』と『頁』で、『須』を表すー。『ウ』はわざとカタカナで書いたからそのまま、『ろ』は『呂』で『宮』だー。『須宮』で『スミヤ市』となるー。『いと』は『糸』、『うち』は『内』で『納』になり、『2』と『4』で、『にし』になるー。『納にし』で『南西』の意味だー。『二十三』もわざと漢字で書いたのでそのまま『23』だー。『た』は『田』、『つち』も『土』で合わせて『里』、もちろん日本里のことで、約4kmだー。つまり、『スミヤ市の南西二十三里、約九十二キロメートル』となるー」
「これは、日本語に通じているうえに日本の文化も理解している人物でなければ解読は難しいですねぇ~」
ベルが、そう評する。
「なんか……駄洒落か謎々みたいやな」
雛菊が、苦笑する。
「まあ、それに近いなー。漢字をばらして解かせる、なんて中国の瘦辞とか文虎の技法だー。まあ、クイズの一種だなー」
「つまりは、ギョルスタンの連中には逆立ちしようがバク転しようが不可能なのであります!」
シオは力強く言った。
「他には何を書いたんだい?」
亞唯が、訊く。
「経過報告、現状報告、意見具申、そして支援要請と指示待ち、だなー。あしたになったら、アスミルに安全な電話番号を聞いて、書き加えておくー。とりあえず状況が状況だから、自衛や安全確保以外の行動は、あたしの判断のみで下すわけにはいかんからなー。迂闊に動けんー。じゃあ、今日はこんなところで寝るとするかー」
畑中二尉が言って、椅子の上ですでに半分居眠りを始めている三鬼士長に、寝床へと移動するように促した。
翌朝、朝食……パンと羊乳のチーズ、それにスープという質素なものであった……のあとで、アスミルが現れる。
畑中二尉がさっそく、安全な電話番号を尋ねた。
「近くに支持者が経営しているカフェがある。そこなら大丈夫だろう」
しばらく考えたアスミルが口にする電話番号を、畑中二尉は紙に書き留めた。
「封筒も二枚もらえますか? 手紙を封緘し、大使への要請の手紙を添えたうえで日本語で表書きをしたいのです」
「探してこよう。手紙を運ぶメッセンジャーは、じきに着くはずだ。すぐに安全なルートでスミヤまで運ばせる。それまで、これでも読んでいるといい」
アスミルが、小脇に抱えていた新聞を差し出した。
「ギョルスカヤ・ガゼータですわね」
さっそく電話番号を暗号化し始めた畑中二尉に代わって新聞を受け取ったスカディが、それをテーブルの上に広げた。他のAI‐10たちも暇だったのでテーブルの周りに集まり、背伸びしたり椅子に座ったり、椅子の上に膝立ちになったりして紙面を覗き込む。
昨日の『列車襲撃』事件は一面トップで扱われていた。『列車襲撃 CCの犯行か』『内務省公安部隊と交戦』『民間人に死傷者』などの見出しに混じって、『日本人役人二名拉致』『国宝行方不明……CCによる強奪か?』などの小見出しも見える。
「政府の御用新聞の記事ってことは、当局による見解と同じことよね」
スカディの音読を聞いた三鬼士長が、顔色を変える。
「こりゃ、下手にのこのこと出て行ったら、逮捕どころか証拠隠滅のために消されかねないぞ」
亞唯が言って、唸る。
「よーし、できたぞー」
畑中二尉が高らかに言って、電話番号を暗号化したものを書き入れた紙を折り畳んだ。
「今は下手に動けんー。とりあえず『СС』の連中を信じて、ここで大人しくしているしかないなー。代償として協力を求められたら、応じるしかないー。窮地ではあるが、くよくよ思い悩んでも仕方がないー。前向きに行くのだー」
「ま、うちら窮地には慣れてるしな」
雛菊が言って、笑った。
やって来たメッセンジャーは、BMWの大型バイクに乗った若者であった。
「RS1200GSやな。でかいなー」
雛菊が、感激の面持ちで言う。
「道路事情がよくないから、このくらいのパワーでないと実用的ではないのかもしれませんねぇ~」
ベルが、言う。
畑中二尉が、『親展 田代特命全権大使閣下 文部科学省 石川』という表書きの封筒を、アスミルに渡した。アスミルが、一回り大きな封筒にそれを入れ、スミヤ市の『СС』細胞メンバーに当てた指示書を加える。
「では、頼む」
アスミル、ズラータ、日本勢に見送られて、封筒を懐に収めた若い男がBMWに跨った。ヘルメットをかぶり、エンジンを掛ける。
封筒がバイクによって運ばれた距離は、わずかに八キロメートルほどだった。小さな集落の中に乗り込み、とある小屋の前でエンジンを切った若い男は、バイクスーツの袖口をずらして腕時計を見て、時刻を確認した。
ほどなく、大きな布袋を抱えた行商人風の中年男が現れた。お互い知っている顔なので、特に身分の確認などは行わない。
若い男が、封筒を取り出す。中年男が、布袋から取り出したビスケットの細長い紙箱の中に封筒をそっと差し入れ、布袋の中に戻した。
若い男と別れた中年男は、布袋を肩に集落の外れにあるバス停まで歩く。
二時間に一本ほどしかない乗り合いバスだが、時間をきっちりと計算したうえで計画を立ててあったので、十分ほど待っただけでバスはやって来た。
運転手に現金で料金を支払い、開いている席に座る。終点まで乗った中年男は、接触の時刻が来るまで地方都市のバスターミナルの周りをぶらぶらと歩いて、時間を潰した。時刻が近付くと、バスの時刻表を眺めるふりをして、接触を待つ。
「ねえ、アナカリ行きの次のバスは、どこから出るのかしら?」
近付いて来た老婦人が、中年男に訊いてくる。
「3番からですよ」
中年男は、わざと間違って教えた。
「行商人さんね。ビスケットは、売ってる?」
唐突に、老婦人がそう訊いてくる。
「売ってますよ」
「胡桃入りのは、あるかしら?」
「もちろん」
中年男は、布袋から封筒を隠したビスケットの箱を取り出した。紙幣と交換に、老婦人に渡す。
……と、そんな感じで数名の手を経て、封筒は無事にスミヤ市まで運ばれ、一番外側の封筒が開けられて、アスミルの指示が読まれた。それに従い、一人の『СС』メンバーが滅多に着用しないスーツを着て、日本大使館へとタクシーで乗り付ける。
ビザ取得に来たふりをして建物の中に入った『СС』の男は、目についた日本人の中で一番偉そうな男に封筒の表書きを見せつけた。日本人は驚いた表情を見せたものの、すぐに封筒を受け取ってくれた。『СС』の男は、引き留められる前にさっさと大使館をあとにした。
『文部科学省 石川』が誰であり、今現在……新聞報道を信ずるとすればだが……どうなっているかは、大使館職員ならば誰でも知っている。そのようなわけで、封筒はすぐさま大使の元へと運ばれた。念のためトラップ等が無いか慎重に調べられてから、開封される。
中に入っていた手紙……石川も小林も生存し、安全のために身を隠している。上司と連絡を取りたいので、同封の封筒を至急日本に送っていただきたい……を読んだ大使は、すぐに部下を呼んで外交行嚢の準備を命じた。
外交行嚢というと、伝書使がアタッシュケースにいれて運ぶ、というイメージが強いが、小規模な大使館が一般的文書を運ぶためにわざわざ外交伝書使を使うわけにはいかないので、実際には多数の外交行嚢がごく普通の国際宅配便を使って送られているのが現状である。もちろんこれらの外交行嚢も、ウィーン条約に基づく特権および免除により、不可侵の扱いとなる。
DHLのスミヤ営業所に持ち込まれた日本大使館からの外交行嚢は、モスクワ経由で香港まで運ばれ、そこで他の地域から集められた日本向け貨物と共に関西空港に向け送り出された。
関空で仕分けされた外交行嚢は、DHLのコーポレートカラーである黄色いトラックに積み込まれて夜の高速道路を走り、夜明け前に東京へと着いた。『石川さん』の上司に指定されている文部科学省のとある課長の机上に封筒が届けられたのは、午前中のことであった。課長は中身を確かめることもせずに、あらかじめ教えられていた電話番号に掛けて、『石川』からの手紙が届いたことを簡潔に報告した。すぐに、情報本部から職員が駆けつけて、課長から手紙を受け取る。
こうして、畑中二尉の暗号手紙は、書き上げてから約六十時間ほどで無事に長浜一佐の手に届けられた。
時間は、BMWのバイクに跨った若い男が爆音を残して去っていった時から、約二時間後まで巻き戻る。
農産物を満載した小型トラックから、初老の男性が降りてくる。出迎えに出たアスミルとズラータは驚いた。上層部に幹部の派遣を要請しただけなのに、最高指導者であるイルキンが自ら現れたからだ。
「あなたがどうして……」
「色々面白い情報が入ってね」
訝るアスミルの肘に手を掛け、イルキンが言う。
「とりあえず、座って情報交換といこう。ズラータ。お茶を頼めるかな?」
「はい」
イルキンとアスミルは、アスミルが寝泊まりしている小屋に入った。ほどなく、ポットとカップを盆に載せたズラータが入って来る。
各人に紅茶が配られ、一口目を味わったところで、焦れたようにアスミルが口を開いた。
「それで、面白い情報とは?」
「まずひとつ目は、先日のスミヤ国際空港の爆弾テロが、予想通り内務省による自作自演だった、ということ」
「やはりね」
ズラータが、うなずく。
「ひとつ目ということは、二つ目もあるのですね?」
アスミルの言葉に、イルキンがうなずく。
「列車襲撃の命令が、大統領から出ていたというのは、どうやら本当らしい。高位の内通者からの情報だ。確実なものではないがね」
薄笑いを浮かべて、イルキンが言う。
「しかし……大統領が関わっていたにしては、杜撰な作戦でしたね」
ズラータが言った。
確かに、内務省の動きは『СС』側に察知されたし、結果的にも襲撃作戦は『СС』の妨害で失敗に終わっている。
「あの作戦は、急遽準備されたものらしい」
イルキンが、言った。
「実行部隊に作戦の概要が伝えられたのは、当日という話だ。杜撰なのは、当然だな」
「では、あの作戦はやはり日本人たちを狙ったもの……」
ズラータが、アスミルの顔を見る。
「日本人たちの推測が、正しそうだな。『クロマツ』を手にれるために、ラザエヴァ大統領が列車爆破を企てた、という」
ズラータの顔を見返しながら、アスミルが言う。
「しかし、なぜそんな急に『クロマツ』が欲しくなったのでしょうか?」
ズラータが、首を傾げ気味に言う。
「まったくの憶測だが」
そう断ってから、イルキンが語り出す。
「ラザエヴァは、最初から日本の国宝を手に入れるつもりで、準備を進めていたのではないかな。ところが、ギョルスタンの治安悪化を理由に日本が急に返還を要求して来た。『クロマツ』が日本に戻ってしまえば、永久に手に入らなくなる。そこで、急遽すり替えを行い、証拠隠滅のために日本人たちの殺害と偽物の破壊を計画した。スミヤ国際空港でのテロも、空港閉鎖を狙ったものだろう。飛行機でいきなり出国されれば、工作のしようがないからな。そう考えれば、作戦が粗雑だった理由となる」
「あり得ますね。となると、本物は今はラザエヴァの秘密コレクションに加わっているわけか」
アスミルが、嘆息交じりに言う。
「その件は、今となってはどうしようもないな。それよりも、我が組織の利益を考えよう。どうだ? あの日本人たちとロボットは信用できるか?」
イルキンが、議題を変えた。
「信頼していいでしょう。少なくとも、敵ではありません」
ズラータをちらりと見やってから、アスミルが慎重に言った。
「ただし……」
「ただし?」
イルキンが、促すようにアスミルを見る。
「あの二人の女性は、ただの役人じゃありませんね」
「というと?」
「銃の持ち方で判りますよ。あの二人、素人じゃありません」
ズラータが、きっぱりと言った。
「日本には、徴兵制はないはずです。だから、元兵士の役人、というのもあり得ない。おそらく、特殊部隊の兵士が役人を名乗っているのではないでしょうか」
アスミルが引き取って、続ける。
「任務は、額面通り国宝の確保だと受け取っていいのかね? それとも、何か裏があると?」
「裏は無いと思います。線路に爆弾が仕掛けられなければ、あのままウルガリから出国していたわけですから」
イルキンの質問に、アスミルが答える。
「ロボットが使える、という報告だったが……」
「一体は見事な拳銃射撃を見せてくれました。もう一体は、爆薬の扱いに通じています。おそらくは、ファルハドの代わりが務まるかと」
ズラータが、自信ありげに言う。
「確実かね?」
「そこは、ご自分で確かめていただいた方がいいかと」
アスミルが、にやりとする。
「判った。では、彼女らに会いに行こうか」
イルキンが、紅茶を飲み干すと立ち上がった。
第十二話をお届けします。




