第八話
ホームで待っていたのは、スミヤ中央駅発ウルガリ中央駅行きの十両編成のごく普通の急行列車の後尾に連結された一両のみの特別車両であった。
列車はロシア製で、ロシアのみならずその周辺諸国でも広く使われているED4系列の車両であった。先頭と最後尾が制御車……運転席付きの車両……で、残る八両が付随車……通常の客車である。その最後尾の制御車の後ろに、ED4MKと呼ばれる一等車仕様の付随車が連結されている。
ギョルスタンの鉄道は旧ソ連諸国と同様、ロシア軌間として知られる軌間五フィート(1520mm)の線路を採用している。そのため、車両の幅も広く、ED4型も普通車の座席配置は左右に三列のボックスシートを向かい合わせに配置している。
畑中二尉御一行様が乗り込んだED4MKは、幅広のひじ掛け付きリクライニングシートが通路の両側に二列あり、向かい合ったシートのあいだに細長いテーブルが付いているという豪華仕様であった。奥の方にはトイレがあり、その手前には白い円筒形の給湯器が置かれている。
「広い電車ですねぇ~」
ベルが、喜ぶ。JRや関東私鉄の狭軌車両に慣れた身からすると、すばらしく車内が広く感じられる。
黒い制服を着こんだ車両専任の車掌さん……かなり太めの中年男性……の案内で、日本側一行は席に着いた。もちろん、AI‐10たちにも席が与えられる。警護の警察官たちは二手に分かれ、前後にある昇降口付近のシートに座った。ちなみに、前の車両は逆向きに連結された制御車なので、隣の車両との行き来はできない。
午後一時三十分、定刻通り列車はスミヤ中央駅のホームから動き出した。『黒松』が入った段ボール箱は、雛菊と並んで座った亞唯がしっかりと抱え込んでいる。
発車するとすぐに、車掌さんが畑中二尉と三鬼士長に軽食を運んできた。チーズとハムを乗せただけのオープンサンド、あまり熱くない具沢山のトマトスープ、マッシュポテト、野菜のショートパスタ、紅茶(こちらは熱かった)程度であったが、昼飯抜きだった二人は有難くいただいた。護衛の警察官たちにも、熱い紅茶とビスケットが振舞われる。
列車はスミヤ市の郊外を含むいくつかの小さな駅を停まらずに通過して西進し、カスピ海湖岸にある小都市……ここで湖岸を南下する線路と交わる……でしばらく停車した。再び動き出した列車が、カスピ海の広がりを左手に見ながら南下する。
塩湖とはいえ、やはりカスピ海はかなりの『水分』を提供してくれるらしく、湖岸はかなり緑が豊かであった。木々に遮られてカスピ海が見えなくなることはしばしばあったし、線路の両側に畑地が広がっている箇所も多い。
「荒れてますねぇ~」
窓外を眺めながら、ベルが言う。広い湖なので、湖岸に打ち寄せる波は海とさほど変わらない高さなのだ。波が高いときは、フェリーや貨物船が出港を見合わせることもあるという。日本でも、湖の遊覧船が欠航することはよくあるが、理由は強風や霧であり、波浪ではない。最大の湖である琵琶湖ではさすがに高波により遊覧船が出港を見合わせることはあるが、それらの船は最大でも総トン数が千トン程度あるいはそれ以下の、遊覧に適した舷側の低い船である。カスピ海では、数千トンクラスの外洋船舶が欠航を余儀なくされるレベルの大波が発生するのである。
湖岸の小都市に時折停車しながら、列車は快調に線路を走り続けた。複線なので、ちょくちょく対向列車とすれ違う。
スミヤ中央駅を発車して一時間ほど経ち、線路がやや内陸に向かってカスピ海が完全に見えなくなった頃、列車がいきなり急制動を掛け始めた。
「おわっ」
飲んでいた紅茶をこぼしそうになった畑中二尉が、慌ててカップを押さえる。
急制動は続き、列車はすぐに駅ではない線路上に停止した。
「停止信号でしょうかぁ~」
ベルが、のんびりと言う。
「皆さん、お静かに」
スカディが、警察官たちや車掌にも聞こえるようにロシア語で言った。強化された集音機能を駆使して、前方の音を聞き取ろうとする。
「まずいですわ、二尉殿。列車外の前方で、複数の銃声が聞こえます」
日本語に切り替えたスカディが、ささやくように言う。
車内の電話で他の車掌と連絡を取った車掌さんが、青い顔で事態を警察官たちに告げる。顔色を変えた主任巡査部長が部下に指示を出すと、四名がそれぞれ車体前後の左右にある出入り口に張り付いた。
「ガスパージャ・イシカワ。どうやら前方でテロリストとの交戦が行われている模様です。ご安心ください。皆さんは我々がお守りします」
緊張した面持ちで、スタルシナが告げる。
「みんな落ち着けー。まともな武器がないんだから介入はしないぞー。ただし、逃げる算段はしておけー」
畑中二尉が、日本語で言う。三鬼士長が、急いでテーブルの上の冷めた紅茶を飲み干した。……非常事態の前に水分を補給しておくのも、人間にとっては大事なことである。
「スタルシナ。内務省公安部隊が接近してきます」
出入口付近の右側……つまり進行方向の山側……に張り付いていた巡査が、そう報告した。スタルシナが駆け寄り、窓から外を確認する。
シオも窓に顔を張り付かせた。五名のグレイ系迷彩戦闘服の男たちが、線路脇を走って来る。全員、AK‐74Mを手にし、抗弾ベストを着込んだ重装備だ。
先頭を走って来た中年男が、こちらの車両の扉をがんがんと叩いた。スタルシナが、扉を開く。
「スタルシナ。日本人が乗っている車両は、ここかね?」
中年男が、訊く。
「はい。そうであります」
スタルシナが、丁寧に答える。中年男の階級章はプラポルシュチク……准尉なので、組織は違えど上官にあたる。
「この先で、我々と『CC』が戦闘中だ。片が付くまで、我々も警護に加わる」
「歓迎します」
スタルシナがそう言って、身を引いた。五人の内務省公安部隊が、どやどやと車内に乗り込んでくる。
「スタルシナ。警護は君たち五人だけかね?」
半ば呆然と事態を見守っているAI‐10たちを含む日本勢を横目で見ながら、准尉が訊く。
「そうです」
「よろしい」
准尉が、四人の部下に手で合図する。
四人の内務省公安部隊員が、一斉にAK‐74Mを構えた。
四丁が、同時に火を噴く。五名の警察官と車掌さんが、あっさりと撃ち倒された。
「全員、通路に出ろ! 逆らうと殺す!」
准尉がAK‐74Mの銃口で、残った日本勢を脅す。
『みなさん。ここは大人しく従いましょう』
両手を挙げ、抵抗の意図がないことを示しながら、スカディが無線で言った。AI‐10だけなら、何とかなるかも知れないが、この状況では畑中二尉と三鬼士長の二人を人質に取られているも同然である。無茶はできない。
二人と五体は、命じられた通りに座席を離れると通路に立った。准尉が身振りで命じ、二人の部下……うち一人は軍曹らしい……が左右に散り、窓に張り付いて外を見張り始めた。准尉がAK‐74Mを左手に持ち替えて後退し、ポータブル無線機……ロシア軍も使っているR‐187P1アザルトで、見た目は昔のラバーアンテナ付きPHSを大きくしたような形状だ……を取り出した。残る二人は、しっかりと構えたAK‐74Mの引き金に指を掛け、こちらを狙っている。
スカディは状況を観察した。こちらに銃口を向けている二人の兵士に一番近いのは、前の方に座っていた畑中二尉と三鬼士長。次に近いのは、亞唯と雛菊。続いてシオとベルのコンビ、一番遠い位置にいるのが、スカディだ。
倒れている警察官たちのPP‐19を頂戴しようとすれば、前方に走るしかなく、AK‐74Mの銃口にまともに身を晒すことになる。
『いったいどういうことでしょうかぁ~』
ベルが、戸惑い気味に無線で訊いてくる。
『こいつら、偽物の内務省公安部隊か? テロリストが変装しているのか?』
亞唯が、言う。
『いずれにしても、何が目的なのでしょうか?』
シオはそう疑問を口にした。銃口を向けられてはいるが、警察官たちのように射殺されてはいない。拉致目的であろうか。
『「黒松」を狙ってるんちゃうか? 奪取して、ラザエヴァ大統領に高値で売り付けるとか』
雛菊が、言う。
『こちらを人質にすれば、日本政府からも身代金が取れそうですものね。……ちょっとお静かに、みなさん。准尉が通信を開始しましたわ。聴取して、情報を集めてみますわ』
スカディは内蔵指向性集音マイクをR‐187P1を持った准尉に向けた。イヤホンを使っているので通話先の音声は聞き取れないが、小声で喋っている准尉の言葉は明瞭に聞き取れる。
「はい、中尉。特別車両は確保しました。日本人二名、小型のロボット五体です。……運転台はハサノフ軍曹が確保しています。状況が安定すれば爆破位置まで移動できそうですが……。はい。無理であれば射殺して、『CC』の犯行に見せかけます」
スカディは、聞き取った内容を仲間たちに要約して伝えた。
『どうやらこいつらは本物の内務省公安部隊のようだな。理由は定かではないが、列車を爆破する計画らしい、と』
亞唯が、言う。
『「CC」って反政府武装組織の名称やろ。そいつらの犯行に見せかけようとしてるんちゃうか?』
雛菊が、そう推測する。
『たまたまそんな計画に巻き込まれたとは思えないのですぅ~』
ベルが、指摘する。
『日本人が乗っている車両だと知って乗り込んで来たのであります! 狙いはあたいたちなのでは!』
シオはそう発言した。反政府武装組織が日本の使節一行が乗った列車を爆破した、というでっち上げを内務省が企んだのではないだろうか。
『いずれにしろ、喫緊の課題はいかにしてこの窮地を乗り切るか、ですわね』
硬い表情のまま、スカディが無線で告げる。
ばばばばばっ。
いきなり、車両の山側……西側からフルオートで銃撃があった。何枚ものガラス窓が砕け散り、窓際にいた兵士が頭部に銃弾を受けて倒れ込む。
内務省公安部隊員の反応は素早かった。一人は日本勢に向けた銃口を動かさなかったが、残る三人は一斉に身を低くして、窓の外に向けてAK‐74Mで応射を開始する。
『おいおい。今度は何だよ』
わずかに身を低くしながら、亞唯がぼやき気味に無線を送って来る。
『敵の敵ならば、味方ではないでしょうかぁ~』
ベルが、楽観的に言う。
『味方かどうかは判りませんが、これで道が拓けるかもしれませんわね』
スカディが、言った。
と、いきなり後部の昇降扉が開いた。そこから高い位置で突き出された銃口が火を吐き、日本勢一行を見張っていた兵士を撃ち倒す。
「隠れろー」
畑中二尉が叫び、三鬼士長を抱きかかえるようにて……実際には、体格差があるので畑中二尉が三鬼士長に抱き着いているように見えたが……シートのあいだに飛び込む。
AI‐10たちも、通路からシートのあいだに飛び込んだ。シートの背もたれは一枚だけでは5.45×39mmを防ぐことはできないが、数枚重ねならば充分な防弾効果はある。隠れていれば、あっさりと射殺されることはない。
窓から応射していた三人のうち二人……准尉と軍曹が、後部昇降扉に慌てて銃口を向ける。そこから銃弾が発射される前に、AKMSを抱えた細身の女性が昇降口から踊り込んで来た。准尉と軍曹が発砲するが、その銃弾が到達する数瞬前に、女性がスカディが隠れているシートの隣に飛び込んでくる。
まだ若い女性であった。背は高く、百七十五センチくらいはあろうか。生粋のギョルスタン人らしく、短い髪を漆黒のスカーフで覆っている。
女性が、身を乗り出してAKMSを乱射した。准尉と軍曹が、撃ち返す。
「予備の武器はありませんの?」
女性が弾倉交換しているあいだに、スカディはそう訊いた。別の角度から射撃できれば、状況を一気に有利なものにできそうだ。
「撃てるのかい?」
疑わし気に横目でスカディを見た女性が訊く。
「大丈夫ですわ」
女性が、懐から無造作に自動拳銃を掴み出し、スカディに渡した。スカディは銃を検めた。ハンガリーのP9シリーズ……露骨にブローニング・ハイパワーのコピー……らしい。ハンマー形状がリング式でないので、比較的新しいP9Rだろう。9×19mmで装弾数十四発。標準的性能の自動拳銃である。
「予備弾倉は?」
「ないよ」
女性が、ぶっきらぼうに答える。
『シオ。拳銃を手に入れたわ。投げるから受け取って、亞唯に渡してちょうだい』
スカディは通信を送った。亞唯なら一番射撃が上手いし、近い方が当たりやすいはずだ。亞唯のところまではちょっと距離があり過ぎるので、中継にシオを挟むことにする。
『了解であります。リーダーのタイミングで投げてください!』
『頼んだわよ。では、3、2、1』
スカディは腕を引くと、シオとベルが隠れているシート目掛けてP9Rを軽く放り投げた。シオが、これを両手でキャッチする。フル装弾状態で重量1kg以上ある金属の塊……しかもL字型で凹凸つき……を手で受け止めるのは人間がやれば指を痛めかねない行為だが、ロボットなので平気である。
『亞唯ちゃん、無事にリーダーから拳銃を受け取ったのであります! 投げてもいいでありますか?』
『いつでもいいぞ』
『では、3、2、1!』
シオはP9Rを放り投げた。宙を舞った自動拳銃は、無事に亞唯と雛菊の隠れるシートまで到達し、亞唯の手の中に納まる。
准尉と軍曹は、拳銃が宙を舞う様子には当然気付いていたが、スカディらの意図を察したAKMSの女性が支援射撃を行ってくれたので、積極的な妨害が行えずにいた。
いきなり、シートの上からロボットが顔を出し、伸ばした腕を准尉と軍曹に向ける。
准尉と軍曹はAK‐74Mをセミオートで撃ちまくった。だが、ロボットは一発も発射することなく、頭を引っ込めてしまう。放たれた銃弾は、すべて外れた。
実は顔を見せたロボットは、雛菊であった。亞唯と相談の上、囮役を買って出たのだ。
生じた隙を衝いて、亞唯がP9Rを構えてシートから身を乗り出した。立て続けに、三発を放つ。
銃弾はすべて軍曹に命中した。胸の上部に命中した二発は抗弾ベストに阻まれるが、一発が顎を捉える。
准尉が撃ち返すが、その前に亞唯はシートの陰に引っ込んだ。
AKMSの女性が、セミオートで准尉を狙う。いきなり、准尉が怖気づいた。AK‐74Mを乱射しながら後退し、カスピ海側……西側の前部昇降口を開けて、列車から飛び降りる。残って東側外の敵と交戦していた部下も、そのあとに慌てて続いた。
「追うぞ!」
AKMSの女性が叫び、走り出した。まだ息がある顎を砕かれた軍曹の腰に一発ぶち込んでから、前部昇降口から飛び出してゆく。
シオとベルはとりあえず倒れている警察官からPP‐19とスペアの弾倉を頂戴した。やはり、武器なしでは落ち着かない。
スカディと雛菊も、PP‐19を拾った。亞唯は、拳銃をポケットに収めると、『黒松』の入った段ボール箱を抱える。畑中二尉と三鬼士長は、公安部隊員の死体からAK‐74とスペアの弾倉をいただいた。
「二尉殿。どういたしますか?」
謎の女性が飛び出していった昇降扉を見ながら、スカディが訊く。
「うーむ。状況がまったく分からんー。だが、ギョルスタン内務省が信用できないことは間違いないー。とりあえず、あのおねーちゃんは味方と思っていいだろー。武器も手に入ったことだし、ここに留まるよりは移動した方が安全だろー。ということで、もう少し状況が見極められるまであのおねーちゃんのあとを追うぞー。シオ、ベル、先導しろー」
「乗り掛かった舟、というやつですねぇ~」
ベルが嬉しそうに言って、真っ先に昇降口から外に飛び出した。
「毒を喰らわばサラダまで、なのであります!」
シオはそのあとに続いた。
「シオちゃん、それはちょっと違うと思いますがぁ~」
ベルが、控えめに突っ込んだ。
第八話をお届けします。




