第五話
羽田空港から飛行距離約八千キロメートル。チャーター機のボンバルディア・グルーバル5000がスミヤ国際空港に着陸する。
入国手続きを済ませた一行は、ギョルスタン文化教育省が用意してくれた車両……中古らしいトヨタ・ハイエース……に乗って市内のホテルに向かった。
シオはハイエースの最後部に座って外を眺めた。車窓風景は驚くほどつまらないものであった。道路脇には民家も耕作地もなく、黄褐色の草がまばらに生えただけの荒地が広がっている。たまに見える樹木はいずれも低木で、青く高い空に遠慮するかのように地面に這いつくばって生えている。道路は直線で、埃っぽい平原の中を真っすぐに貫いているだけだ。……いかにも降雨に恵まれぬ土地、といった景観である。
スミヤ市街地に近付いたところで、ようやく遠方に白っぽい大きな建物群……工場だろうか……や、ブドウ畑らしきものが見えてきた。さらに近付くと、ようやく道路脇がにぎやかになって来た。郊外型の商業店舗、ガソリンスタンド、何かの事業所らしき平屋の建物、大きな宣伝用看板などが出現し始める。
市街地に入ると、通行人が見え出した。シオは女性を観察したが、髪をきっちりと隠している女性は半数程度しかいなかった。長い髪の若い女性など、頭のてっぺんだけ明るい色のスカーフを被り、残りはむき出しのまま背中に垂らしたりもしている。イスラム国家とは言え、そのあたりは緩やかなのだろう。そう言えば、来日したラザエヴァ大統領も、豊かな黒髪を常に人前で晒していたことを、シオは思い出した。
案内されたオテリ・ペガス……英語で言えばペガサス・ホテルか……は、ごくありきたりな近代的ビルディングであった。内装もアメリカのシティホテルといった趣で、ここギョルスタンでもグレードとしては『中の上』くらいのようだ。
取ってもらった部屋は二つ。三鬼士長……今回は、助手の小林さん、という偽装身分だが……の部屋はありきたりのシングルルームだったが、畑中二尉……文化庁の石川さん……の部屋はかなり広いスイートだった。ダブルベッドが入った寝室、リビングルーム、ダイニングルーム、バスルーム、トランクルーム、それにエントランスホールがついている。
「とりあえず安全確保だー」
畑中二尉の号令で、AI‐10たちは盗聴器……盗撮器も含む……探しに入った。持参したハンディスキャナーと目視、それに手作業で、すべての部屋をくまなく探す。
「どうやら、無いようですわね」
三十分後、スカディがそう報告する。
「ご苦労だったー。まあ、あたしも有るとは思っていなかったがなー。一応旧ソ連国家だし、用心しないとなー。では、解散だー。楽にしていていいぞー」
気楽な口調で、畑中二尉が言う。
「五体全員が固まっていることはないですわね。分散しましょう。誰か、三鬼士長のお部屋に行ってちょうだい」
「ではわたくしがぁ~」
スカディの指示に、すかさずベルが名乗りをあげる。
「じゃあ、あたしはエントランスホールで門番を務めるよ」
亞唯が、申し出る。
「亞唯っち、付き合うで」
雛菊が、続いて言う。
「そうね。お願いするわ」
「ではあたいは、ダイニングルームに詰めて二尉殿のお世話係を務めましょう!」
シオは挙手して志願した。
「で、わたくしは二尉殿に張り付いて警護、と」
スカディが、締めくくる。さすがに長いことチームを組んでいるだけのことはある。役割分担は、あっさりと決まった。
羽田空港を飛び立ったのが日本時間のお昼前だったので、今は現地時間の午後四時近い。シオは電気ケトルで湯を沸かすと、畑中二尉のために紅茶を入れてやった。コーヒーの方が好みのはずだが、フリーズドライのインスタントしか無かったからだ。元ソ連で、イスラム教国となると、やはり『チャイ』文化圏なのである。
畑中二尉に紅茶を給仕したシオは、ダイニングルームに戻ると充電を開始した。ギョルスタンは、旧ソ連各国と同様、丸棒二本の『C』タイプコンセントである。電圧は220ボルト。周波数は50Hzである。
翌日、タクシー二台……いずれもメルセデスCクラス……に分乗した一行は、官庁街に向かった。
文化教育省が置かれている建物は、ごく普通のオフィスブルのような灰色の味気ないものであった。正面入り口には、AK‐47Mを肩に掛けた兵士四名が、厳めしい顔つきで立っている。
「グレイ系迷彩戦闘服。内務省公安部隊ですわね」
タクシーを降りたスカディが、すかさずそう識別する。
ギョルスタン内務省公安部隊などという『ソフト』な名称を与えられているが、その装備と運用は明らかに『内務省軍』である。ソビエト連邦においては、軍の暴走を防ぐ意味で、共産党が直接手綱を握れる組織である内務省やKGBにもかなりの軍事的実働組織があった。そのひとつが、内務省に属するソビエト連邦国内軍である。旧ソ連が分裂した際には、この国内軍も地域ごとに分裂し、それぞれの国家で生き延びて……バルト三国では強制的に解体させられたが……従来の任務である国内の治安維持、重要施設の警備、国境警備、対テロ作戦などに従事している。
どう見ても外国人の女性二人と、見慣れないロボット五体という集団はあからさまに怪しかったのだろう、畑中二尉一行は文化教育省庁舎正面入り口に入る手前で公安部隊員に呼び止められた。畑中二尉がパスポートを提示し、得意のロシア語でアポあり訪問だと説明する。受付の職員が呼ばれ、訪問者名簿に名前があることを確認してから、ようやく一行は庁舎内への立ち入りを許可された。
外部は殺風景だったが、中はさすがに一国の文化教育を司る役所、という佇まいであった。壁には何枚もの絵画が飾られ、いかにも旧ソ連国家らしい馬鹿高い丸天井からはこれも馬鹿でかいシャンデリアが下がっている。正面にあるこれも無駄に幅広い階段の両脇には、前衛的な彫刻作品が置かれている。
受付で改めて来意を告げると、しばらく待つように言われる。待つあいだに、別の職員がポータブルの金属探知機で畑中二尉と三鬼士長をチェックした。この職員は女性で、髪を完全にスカーフで覆っていた。敬虔なムスリム女性を、男性職員がボディチェックするのは、ハラーム(イスラム教の禁止事項)に当たるので、そのための要員だろう。
待つこと二分ほど。やって来た男性職員の案内で、一行はエレベーターに乗り込んだ。四階まで上がり、通路を進む。
「よーしおまいらー。これからお会いするのは文化教育省副大臣様だー。大勢で押しかけるのは失礼だから、スカディ以外は待機していろー。では、行くぞー」
案内された部屋の前で、畑中二尉が言う。
会見は、とりあえず友好的な雰囲気で始まった。
出席者は、ギョルスタン側が文化教育省副大臣マヒル・アバソフ氏。スミヤ国立美術館学芸員(東洋陶器専門)のカムラン・ユシフォフ氏。記録係としてアバソフ副大臣の秘書。日本側が文部科学省文化庁職員の石川さんこと畑中二尉、同じく職員の小林さんこと三鬼士長。
椅子は他にもあったが、スカディは着席を勧められなかったのでそのまま突っ立っていた。日本なら、ヒューマノイド・ロボットは半ば人間扱いされて、このような場では椅子に座らされることが多いが、世界の常識としては『ロボットは便利な機械扱い』で邪魔にならない位置で立ったまま、が普通である。
女性職員が淹れてくれたグラス入りの紅茶を前に、儀礼的な挨拶と紹介が終わったところで、アバソフ副大臣が本題に入る。
「貴国からお借りした『黒松』を返してもらいたい、ということでいらしたわけだと理解しておりますが」
にこやかに、アバソフ副大臣が訊く。
「誠に遺憾ではありますが、貴国の治安状況は当初の予想を超えた水準に達していると、日本政府は判断しており、文部科学省としてもこの見方を否定できるだけの材料を持ち合わせておりません。残念ですが、貸与させていただきました『黒松』を、当初規定に従い返還していただくしかないものと、考えます」
畑中二尉が、遠回しな言い方で『ヤバい状況だからさっさと返せよ』と告げる。ロシア語なので、口調はいつもと違いビジネスライクだ。
「いやいや。我が国の情勢は落ち着いていますよ。危険はまったくありません」
アバソフ副大臣が、笑顔で言う。
「この庁舎の前にも、えー……武装した兵士が四人もいましたけど?」
畑中二尉が、途中不自然な中断を挟んで言う。スカディは、『AK‐74M』と言いそうになったのだと推測した。文部科学省文化庁の職員が、銃器に詳しいのは不自然に思われる、との判断だろう。
「あれは、単なる警備の者です」
少しばかり不快感を面に表しながら、アバソフ副大臣が言う。
「これはいかがですか?」
畑中二尉が、ごそごそと持参の新聞を取り出した。ホテルから持ってきた、『ギョルスカヤ・ガゼータ』である。
「この記事です。西部のアイディ村で戦闘。治安部隊二名が死亡。昨日の午後のことです」
紙面をテーブルの上に広げ、該当記事を指差す。
「これはたまたまだ。毎日戦闘があるわけではない。それに、この村はスミヤから八十キロメートルも離れている。関係ない」
アバソフ副大臣が、反駁する。
……と、そのような調子で話し合いは平行線をたどった。何としても『黒松』を日本に持ち帰りたい畑中二尉と、返したくないアバソフ副大臣が、乏しい材料を駆使してお互いやり合っていると、急に扉に激しい調子のノックがあった。副大臣の秘書が、急いで開けに行く。
扉の外にいる男性との短いやり取りを終えた秘書が、慌てた様子でアバソフ副大臣の元に戻ると、その耳になにやらささやいた。副大臣の眼が、驚きに見開かれる。
秘書のささやきは小さなもので、畑中二尉には聞き取れなかったが、聴覚を強化しているスカディは断片的に聞き取ることができた。なかでも、『プリジジェーント』という単語は、明瞭に聞き取ることができた。
スカディは、急いで畑中二尉の耳元に日本語でささやいた。
「二尉殿。どうやら、大統領閣下が来るようですよ」
「なに! マジか?」
畑中二尉の顔色が変わる。
『大統領』を意味するロシア語の『プリジジェーント』という単語は、英語のプレジデントやスペイン語のプレジデンテ同様……語源が一緒なのだから当然ではあるが……社長や議長などの『偉い人』も意味する。だが、文化教育省内に、『プリジジェーント』と呼ばれる職員はいないはずだ。となれば……。
ばん、と扉が開いた。地味だが、仕立ての良いライトグレイのパンツスーツを身にまとったインガ・ラザエヴァ大統領が、颯爽と入って来る。そのすぐ後に、護衛らしいダークスーツ姿の屈強な男性二名が続いた。
アバソフ副大臣と学芸員のユシフォフが弾かれたように立ち上がった。秘書も、その場で直立不動となる。
畑中二尉と三鬼士長も、慌てて立ち上がる。
「お楽にしてください、みなさん。副大臣、ごきげんよう。カムラン、いつもご苦労様」
テーブルのそばで歩みを止めたラザエヴァ大統領が、にこやかに言う。カムラン・ユシフォフは一介の美術館学芸員だが、その専門分野が大統領の趣味の領域と重なるので、周知の仲なのだろう。
「大統領閣下。ご紹介します。こちらは日本の文部科学省文化庁職員の、ガスパージャ・イシカワです。そしてこちらが、助手のガスパージャ・コバヤシです」
アバソフ副大臣が、日本人二人を姓の前に『ミセス』に相当する単語を付けて紹介する。……もちろん、便利な道具扱いのスカディは無視される。
「ギョルスタンへようこそ。掛けてください、みなさん」
にこやかにラザエヴァ大統領が言って、身振りも交えて着座を促す。アバソフ副大臣が、素早く空いている椅子を引いた。感謝の笑みを向けながら、ラザエヴァ大統領が座ると、残りの者も順次着席した。護衛の男性二人は、一人が大統領の背後に立ち、もう一人が通路に通じる扉を見張れる壁際に退いて立つ。
女性職員が慌てて持ってきた紅茶を飲みながら、ラザエヴァ大統領がアバソフ副大臣が語る交渉の経過に耳を傾ける。
「よくわかりました。日本は、我が国の友好国です。ソビエト連邦崩壊直後に即座に国家承認を行っていただきましたし、それ以来良好な外交関係を築き上げて来られてきたものと、自負しております」
紅茶のグラスを置いたラザエヴァ大統領が、畑中二尉を見据えながらさばさばとした口調で告げる。
「田辺首相に『黒松』を快く貸していただけたのも、両国の友誼あってのこと。この絆を、損ねることがあってはいけません。日本側が望んでいるのであれば、『黒松』はお返しすることにしましょう。ただし……」
『返す』という言葉に安堵の色を浮かべかけた畑中二尉に向け、咎めるような視線を送ったラザエヴァ大統領が、続ける。
「この返却は、我が国の治安が悪化したことによるものではありません。貴国による返却要請を受けて、我が国が当初の規定に基づき、返却に合意したものです。副大臣、おそらく日本との『黒松』貸与に関する規定の中に、双方合意の元であれば貸与期間中であっても期間満了と看做して返却を行うものとする、という意味合いのものがあるはずですが?」
ラザエヴァ大統領が、アバソフ副大臣に視線を送る。
「ございます、大統領閣下」
「よろしい。この返却は、あくまでその規定に基づいて行われるものです。返却により、我が国の政府、官民問わずあらゆる団体、わたくしを含めいかなる立場の国民も、我が国の治安の悪化を是認したものではない、ということは強調しておきます」
大統領が、ふたたび畑中二尉を見つめた。
「しかと理解いたしました、大統領閣下」
臆せず見つめ返しながら、畑中二尉が真摯な口調で答える。……さすがは畑中二尉である。突然の大統領登場に驚いたにも関わらず、すぐに態勢を立て直して『芝居』を続けている。
「よろしいのですか、大統領閣下」
学芸員のカムランが、控えめに口を挟んだ。ラザエヴァ大統領が、微笑む。
「いくら素晴らしい品とは言え、所詮は茶碗です。二国間の友情の方が、はるかに尊い。しかしながら、ガスパージャ・イシカワ。即座にお返しするわけにはまいりません。大統領職にあるとはいえ、わたくしが個人的に借りたものではない。まずは国立美術館の許可を得ねばなりません。それに、公演の民間企業の同意も必要です。国民の中にも、『黒松』を見たいと思っている者も大勢いるはず。……そうですね、明後日返却、という段取りでいかがでしょう?」
「それは、閣下にお任せいたします」
畑中二尉が、即座に同意する。『黒松』を返してもらえれば、それでいいのである。日数は多少かかっても、問題ない。
「ではそういうことで。副大臣、手続きその他はお任せします。カムラン、館長の説得はお願いね。ガスパージャ・イシカワ。ガスパージャ・コバヤシ。ギョルスタン滞在を楽しんでください。では、これで」
ラザエヴァ大統領がすっと立ち上がる。他の者も、急いで椅子を立った。壁際にいた護衛が、ドアを開けて通路の安全を確認する。
年齢を感じさせないきびきびとした足取りでラザエヴァ大統領が出てゆくのを、一同は直立不動で見送った。後に続いた護衛が、室内を一瞥してからドアを閉める。
「はー、びっくりした」
三鬼士長が小声の日本語で言って、椅子に尻を落とす。畑中二尉ほど『場慣れ』していないし、ロシア語はほとんど理解できないので、余計に疲れたのだろう。
「大統領閣下のご決断とあれば、従わないわけにはいきませんな。明後日にお返しできるよう、全力を尽くしますよ」
アバソフ副大臣が、緊張から解放された者特有の緩んだ笑みを浮かべながら、言った。
「よろしくお願いします、副大臣閣下」
畑中二尉が、おもねる様に言う。畑中二尉の顔にも、笑みが浮かんでいた。なにしろ、『独裁的』と言われるほど大統領権限が強い国で、その大統領から言質を貰ったのである。この任務、九割方成功したと言っても、過言ではあるまい。
第五話をお届けします。




