第二十三話
ミクロネシアの公海上で漁船が中国海軍軍艦によって撃沈された事件は、中国海軍当局が公表し、新華社が配信、各国通信社もこれを引用する形で配信を行い、世界中に報道されたが、大きな注目を受けることはなかった。マルーア共和国政府を始め、合衆国などもこの事件を問題視する姿勢を全く見せなかったことが主因である。これを受けて、中国海軍当局は『白銀』で撮影された複数のビデオ映像……自衛のための発砲だという中国側発表を補強する都合よく編集された映像……を非公開とすることを決定した。……漁船が機関砲弾の集中射を浴びて木っ端微塵になるなどという『見栄えのする』映像を流したら、却って世界中の注目を集めてしまい藪蛇になる、と懸念したのだ。
「みんな、協力ありがとう! みんなのおかげで、万事丸く収まったよ!」
ジョーが、AHOの子ロボ分隊の面々と握手する。
ベリンダ国際空港の駐機場には、合衆国空軍のC‐17Aが駐機していた。ハワイのヒッカム空軍基地経由で韓国のオサン空軍基地に向かう空軍の輸送便を、CIAがAHOの子たちと畑中二尉、三鬼士長のための帰国便として使えるように、フリダ島と横田空軍基地を経由するように取り計らってくれたのだ。
マルーア共和国の政治状況はすでに常態に復していた。国軍からは韓国人とフィリピン人は追放され、再編が進んでいる。ナバーロ新大統領は、数日前に合衆国から軍事顧問を招くことを議会で表明しており、合衆国側もこれを歓迎しているという報道がなされている。
「これはまだ報道されていないから、みんな知らないと思うけど、ナバーロ大統領のワシントン訪問が正式に決定したよ! 日程は、まだ調整中だけど。これが実現すれば、マルーア情勢も安泰だよ。それと、その前に日本を訪問することも検討されているよ。中尉殿の『外交努力』の成果かもね!」
ジョーが、嬉し気に報告する。
「うふふ。極秘任務なので公表できないのが残念だー」
畑中二尉が、半笑いで言う。
「ところでジョーきゅん、例のマニラの事件はどうなったのでありますか?」
シオはそう訊いた。そもそも事件の発端は、フィリピンのマニラで、CIAが中心となって進めていた偽武器商人作戦に従事していたNICA(フィリピン国家情報調整庁)のエージェントが、何者かによって殺害された、というものであったのだ。
「残念ながら、大きな進展はないよ」
ジョーが、首を振った。
「CIA、NICA、NBI(フィリピン国家調査局)、PNP(フィリピン国家警察)いずれも犯人にはたどり着けていないよ。でも、CIAではMoAによる犯行、とほぼ断定しているよ。東南アジア域外で、近々大規模なテロを起こしそうな観測もあるよ! みんなも、気を付けた方がいいと思うね!」
ジョーが言う。
MoAこと『ミッション・オブ・エイジア』はいまだ謎の多いテロ組織である。キリスト教原理主義グループで、反日主義と見られているので、日本がそのテロの対象になってもおかしくない。
「わかったー。注意するぞー」
畑中二尉が、あまり熱心そうでない口調で言う。
「そろそろ時間ですわね。では、これで失礼いたしますわ、みなさん」
スカディが、見送りに来てくれたジョーと、ブルックリン、スカーレット、クリスタルの四体にぺこりとお辞儀する。他のAHOの子たちも、それに倣う。
「ボクたちも、明日にはマルーアを離れる予定だよ」
ジョーが言う。CIAの例のモーターヨットで、帰るのだ。ちなみに、メガンとアルはすでにフリダ島を離れ、空路合衆国へと戻っている。
日本組一同は、ジョーたちに手を振りながらC‐17へと向かった。
「諸君、ご苦労だった」
長浜一佐が、横田空軍基地からタクシー二台に分乗して帰って来た畑中二尉、三鬼士長、AHOの子ロボ五体を労う。
いつもの板橋の岡本ビルである。石野二曹が、淹れたての日本茶の湯飲みを、長浜一佐、畑中二尉、三鬼士長の前にことりと置いてゆく。
「CIAから非公式に感謝の言葉が届いている。かなりの恩を売った、といってもいいだろう。……まあ、まだまだ負債の方が多いがな」
長浜一佐が、言いながら苦笑する。外交、軍事などに関する情報は、それが合衆国の利益を優先して行われたものであったとしても、圧倒的に合衆国から日本へと送り付けられる物の方が多い。
「で……AI‐10の諸君には、帰国早々悪いが次の任務が決まっている。短くて単純な任務だから、我慢してくれ」
長浜一佐が、続けた。
「マスターの元へ帰れないのですかぁ~?」
ベルが、首を傾げて訊く。
「いやいや。一週間後の話だ。その時にまた集まってくれればいい。国内の任務、実質半日程度。トラブルが生じなければ、夕方には家に帰れるはずだ」
「具体的に、どのような任務なんだい?」
亞唯が、訊く。
「護衛任務だ。外国から、重要人物が来日する。その警護を担当してもらいたい」
「それは警視庁警備部警護課の仕事ではありませんか?」
スカディが、言う。
「もちろん、警視庁が担当する。ただし、実質的にお忍びである場所を訪問する予定があるのだ。そこが、諸君には馴染みの場所であるのでね。特別に警護を担当してもらいたい」
「ははあ。なんとなく、読めてきましたー。来日するのは大統領ですねー」
畑中二尉が、にやにやしながら言う。
「そうだ」
長浜一佐が、認めた。
「うちも読めて来たで。うちらも知ってるお人やろ」
雛菊が、言った。
「そのとおり」
これも、長浜一佐が肯定する。
「はっと! ひょっとして、お昼でも食べにくるのでしょうか!」
シオも事の次第を理解してそう訊いた。
「そうだ。では、詳細を石野君から説明してもらおう」
長浜一佐が、席を石野二曹に譲りながら言った。
「おはようございまーす。……あれ、なんであんたたちここにいるの?」
開店前の『アランチャ』に出勤した川島由貴は、辞めたはずのAI‐10が床のモップ掛けをしているのを見て、戸惑いの表情を浮かべた。
「これはこれは由貴さん! お久しぶり&お早うございますなのであります!」
由貴に気付いたAI‐10が、モップ掛けの手を止めて、丁寧に由貴に挨拶する。
「あなた、シオよね」
由貴はAI‐10の顔をしげしげと見た。みな同じ顔をしているし、アランチャの制服姿なので見分けは付きにくいが、髪の色と形は覚えている。
「そうなのであります! スカディちゃんもベルちゃんも亞唯ちゃんも雛菊ちゃんもみんな揃っているのであります! 今日は半日だけ、ここでまたお仕事をさせていただくのであります!」
心底嬉しそうに、シオが宣言する。
「あ、店長」
由貴は、折よく厨房から出てきた梶原友洋を呼び止めた。
「由貴君か。おはよう。急で悪いが、今日のランチタイム終了まで、彼女たちにまた働いてもらうことになった。よろしく頼むよ」
少しばかり困ったような表情を浮かべて、友洋が言う。
「何かあったんですか?」
モップ掛けに戻ったシオを見やりながら、由貴は訊いた。先ほどは気付かなかったが、店内奥の壁際ボックス席のところで、関西弁を喋るAI‐10……雛菊が、せっせと窓を磨いているのが見える。
「わたしも昨日閉店後に聞かされたんだが……重要人物がランチを食べに来ることになったんだ。彼女らが来たのは、そのためだ」
「重要人物? 何者ですか?」
由貴は不審半分、期待半分で尋ねた。都心のファミレスだと、芸能人や著名人が食べに来たり打ち合わせに使ったりした、という話はよく聞くが、この『アランチャ』に有名人が来たためしはない。
「今来日している、マルーア共和国の大統領だ」
ちょっとためらいを見せながら、友洋が告げる。
「凄い! 小国とはいえ、国家元首が来るなんて! これ、取材とか来ます?」
由貴は髪に手をやりながら訊いた。……良かった、おととい美容院行っておいて……。
「お忍びでの訪問だから、取材はないよ。直前まで報せて来なかったのも、警護の都合上とマスコミ除けのためだそうだから」
由貴が急に眼を輝かせたことに気付いた友洋が、苦笑気味に言う。
「でも、なんでうちの店に来るんですか?」
由貴は訊いた。たしかに、ファミレスの中ではおいしい方だと思うが、所詮はファミレスである。名物料理もないし、マルーアの料理を出しているわけでもない。ガイドブックに載っているわけでも、ネットで話題になったこともない。外国の要人がわざわざ食べに来るだけの価値があるとは思えない。
「実は……ナバーロ大統領は、わたしと血縁関係なんだ。まあ、遠い親戚だな」
声を潜めて、友洋が告げた。
「へえ。親戚に大統領がいるなんて、羨ましいですね」
「わたしがファミレスを経営していると聞いて、ぜひそこで会食したいとの申し出があったんだっそうだ。ということで、ランチタイムはわたしは抜ける。厨房は、石崎君に任せることになるな。ホールの方は、任せるよ」
「任せて下さい。給仕は完璧にやって見せますよ」
由貴は勢い込んで言った。大統領に給仕する機会など、そうそうあるとは思えない。これは、友人に自慢できるネタになる。
「いや。悪いが、大統領の方はあの子たちの担当だ。君は関われない。なんでも、警護の都合だそうだ」
シオの方を手で示しながら、友洋が済まなそうな表情を浮かべる。
「え。じゃあ、せめて握手くらいは……」
「それくらいはいいだろう。頼んでみるよ。あと、写真&動画撮影は禁止だ。SNSも禁止。お忍びだからね」
友洋が、真面目な表情に戻って告げる。
午前十一時四十三分。『アランチャ』の駐車場に、二台のトヨタ・クラウンに前後を挟まれた格好で、トヨタ・センチュリーが入って来た。いずれも、黒塗りである。
クラウンから警視庁警備部警護課のSPが降り立ち、異常がないことを確認する。一人が店内に入り、先乗りしていた千葉県警警備部公安二課のメンバーと打ち合わせを行い、万事異常がないことを確認してから、ようやくSPがセンチュリーのドアを開けた。
マルーア共和国大統領、アンガス・ナバーロ氏と、その私設秘書が駐車場に降り立つ。
SPに囲まれるようにしながら、二人が店内に入る。何事かと驚く一般客に向かって、ナバーロ氏がにこやかな笑みを見せつつ、一同は厨房そばの階段を登り、二階の個室に向かった。
ランチに臨んだのは、アンガス・ナバーロ大統領、梶原友洋、アンガスの姪で日本留学中のパトリシア・コンデ。それに、友洋の活動を支援していた実業家、小橋昭一の四名だけであった。
室内で直接警護に当たるのは、スカディのみ。SPは隣室と廊下で待機する。
亞唯とベルは、コックコート姿で厨房にいて、異物混入などの異常がないかを見張っていた。キッチンリーダーの石崎が、ホールから入って来る注文を
シオと雛菊は、出来上がった料理を二階の個室へと運ぶ係である。
メニューは、コース料理風になってはいたものの、実にファミレスらしいものであった。トマトとほうれん草とクリームチーズの前菜。シーフードクリームパスタ。サーロインステーキエビフライ添え……これはアランチャのメニューにないスペシャルである……次いでシーフードサラダ。デザートには白玉付き抹茶アイスクリーム黒蜜添えが出て、コーヒーまたは煎茶で締めとなる。
「いや、美味かったよ。抹茶アイスクリームというものは初めて食べたが、不思議な味わいだな。どうだ、ベリンダに支店を出さんかね」
冗談だとはっきりと判る口調で、機嫌良さそうにナバーロが言う。使っているのは、もちろん英語である。
「色々ありましたが、無事に終わって何よりですな」
かなり発音が悪いが、なんとか聞き取れるレベルの英語で、小橋昭一が言う。
「これから我が国は、合衆国と日本と協力して西太平洋の安定と平和のために尽力していきたい。かなり異なった形にはなりましたが、我が祖父と清一郎サンの夢が、実現したわけです」
ナバーロが、感慨深げに言う。
南洋興発株式会社社員として、フリダ島に赴任したアンガスと友洋の祖父、梶原貞蔵。そして、帝国海軍軍人としてフリダ島に配属された小橋昭一の父、清一郎。友人となり、現地人女性ミランダ・オボに関しては恋のライバルとなった二人は、祖国日本が合衆国と対立しつつある事態を憂いていた。貞蔵は、主に経済面から。そして、清一郎は主に軍事面から。
経済力も軍事力も、合衆国の方が上である。日米両国が衝突すれば、負けるのは祖国日本である……。二人とも、そう考えていた。衝突回避には、緩衝地帯が必要であり、その後に両者が和解し、友好を深めるためには仲立ちとなる国家が必要となる……。地政学をかじっていた清一郎はそう考え、貞蔵もその意見に賛同する。
そう。日米両国の間に存在するミクロネシアこそ、緩衝地帯に相応しい。
いずれ、この地の住民は力をつけ、独立を果たすだろう。当面、緩衝地帯として機能し、しかる後に日米両国の仲を取り持つ役割を果たしてもらおう。若い二人はそう考え、少しでも地元社会の役に立とうと努力した。
だが、その努力は報われないまま終わる。日米開戦である。
そして今ようやく、ミクロネシアの国々は目覚めようとしている。対米依存からの脱却を目指し、北西太平洋の主役として、北米とアジアの懸け橋となるべく。マルーアが、その先導者となるであろう。
「昭一サン。あなたの協力には、感謝しています。清一郎サンにも、お礼を言いたい。ハカマイリをしたいのですが、ここから遠いですかな?」
ナバーロが、日本語の単語交じりで訊く。
「熊谷ですから、ちょっと距離がありますね。お忙しいのでしょう?」
「では、今回は見送りましょう。パット、代わりに行ってくれるかね?」
ナバーロが、煎茶を啜っている姪を見る。
「もちろんです、叔父様。ミスター・小橋。よろしくお願いします」
褐色肌の若い女性が、小橋昭一に向かってぺこりと頭を下げた。
個室でのランチはつつがなく終了した。SPたちに囲まれたナバーロ大統領が、秘書と共にセンチュリーに乗り込み、ドアが閉められる。クラウンの一台を先頭に、黒塗りの車列がアランチャの駐車場を出て行った。行き先は、千葉市内にある寺である。そこに、梶原貞蔵と梶原拓洋の墓があるのだ。
「では、お片付けなのです!」
シオと雛菊は、コーヒーカップと湯飲みが残るテーブルを片付けようとした。
「いや、それはいいよ。今日はご苦労様。あとは、やっておくから」
友洋が、シオと雛菊を止める。
「ええやん店長。久しぶりに仕事したいんや。ここの片付けくらい、させて欲しいで」
雛菊が、笑顔で友洋を遮る。
「では、わたくしは掃除をしましょう」
スカディが、掃除用具を取りに個室を出てゆく。
結局、AI‐10たちは午後三時ごろまでくずぐずと『アランチャ』に居残った。石崎や由貴、その他の従業員に惜しまれながら、迎えに来た石野二曹が運転するハイエースに乗り込む。
翌日、アンガス・ナバーロ大統領はチャーター機で日本を離れ、帰国の途に就いた。クーデター直後の来日ということで、マスコミの注目度は小国の元首としては異例とも言える規模だったが、それでも新聞、テレビ等の報道の扱いは控えめなものに留まった。
第二十三話をお届けします。




