第六話
カリフォルニア州北部のビール空軍基地を経由し、十七時間半。
C‐37はようやくサンタ・アナ共和国サンタ・アナ市の西部にあるサンタ・アナ空軍アスセナス基地に着陸した。誘導路をゆっくりと進むC‐37が、西に大きく傾いた太陽からの光を浴びせられて、誘導路に長く伸びた歪んだ影を作る。
「A‐37にUH‐1にセスナ・スカイホーク。発展途上国の空軍の定番ですわね」
窓からエプロンを眺めながら、スカディが言う。
シオも窓から外を覗いた。濃淡二色の迷彩に塗られた低直線翼のジェット軽攻撃機、ベトナム戦争映画でおなじみのタービンヘリコプター、これまた世界中で飛んでいる高翼の軽飛行機が、ずらりと並んでいる。
「アメリカ製以外も、結構あるものですねぇ~」
ベルが、別の方向を指差す。そこには、スイス製ターボプロップ単発練習機PC‐7、カナダ製ターボプロップ双発輸送機DHC‐5、洋上哨戒に使われているらしいイギリス製レシプロ双発機BN-2、フランス製輸送ヘリコプターSA330などが、駐機していた。いずれも、黒いブロックレターで『FASA』(サンタ・アナ空軍)と記してある。
「あれはイギリス軍機やね」
窓にへばりついている雛菊が、エプロンの隅に置いてある二機のヘリコプターを指差した。サンタ・アナ空軍機とは異なる緑とグレイの二色迷彩に塗られたリンクス・ヘリコプターが並んでいる。
「イギリス陸軍機ね。イギリス大使も人質になっているし、今回の事件がらみで来ているのかしら」
スカディが、そう推測する。
「よし、降りる準備をしてくれ。現地で本件の対応を一任されているのは、外務省の多田官房参事官だ。われわれは便宜上、彼の指揮下に入ることになる。もちろん、自衛隊が本件に関わっているのは極秘なので、そのことは承知しておいてくれ。いいな」
長浜一佐が、シオたちにそう念押しした。
「いないのです!」
C‐37を降りたシオは、あたりをきょろきょろと見回しながら、わめいた。
「どうかしたのかしら?」
スカディが、訊く。
「サンタ・アナなので、サンタコスのアナちゃんがいなければいけないのです! どこにもいないのです!」
「アナちゃんて、どなたですかぁ~」
「広沢小五年二組の女の子なのです! 羊頭狗肉の英国人なのです! ちなみに中の人は天女だそうです!」
ベルの問いに、シオは熱心に答えた。スカディが呆れて、肩をすくめる。
「シオちゃんには付き合ってられんわ」
笑いながら雛菊が言って、どこからともなく取り出した帽子を被った。黒いバンドの付いたつば付きの帽子。パナマハットだ。
「中米といったら、やっぱりこれやで。もともとは、エクアドルの帽子だそうやけど、メキシコでも土産物として売られてるくらいやからな。問題ないで」
粋に浅めに被ったパナマ帽を見せびらかしながら、雛菊が言う。
「かっこいいのです、雛菊ちゃん! これでギターでも背負っていれば、完璧なのです!」
シオは囃した。
「どこで手に入れたのですかぁ~」
ベルが、不思議そうに訊く。
「横田基地のモールまで行って来たんや。あそこ、何でも売ってるで」
「おふざけはそこまで。お迎えが来たわよ」
石野二曹が、さながら幼稚園児をたしなめる保母さんのごとく、AI‐10たちに注意を促す。
日本からの一同を出迎えてくれたのは、サンタ・アナ空軍ではなく陸軍の士官だった。百八十センチくらいの長身だが、がりがりに痩せており、とても陸軍軍人には見えない。階級章は、シンプルな飾りのない金色の星三つ。陸軍大尉だ。
「ファビオ・クレスポと申します。お迎えにあがりました。皆さんをセニョール・タダがお待ちのエルクレス陸軍基地までご案内します」
「うわー、見た目も名前も貧弱そうな大尉さんやなー」
雛菊が、日本語でぼそっと言う。
誘導路脇には、二台の車両が停まっていた。アメリカ製のジープ、M151と、同じくアメリカ製のボンネットタイプの中型軍用トラック、M35だ。傍らに立っている陸軍兵士五名のうち三名は、護衛役らしくM‐16A1突撃銃を携えていた。
クレスポ大尉が、長浜一佐と畑中二尉をM151ジープに座らせ、自らもその後部座席に納まった。石野二曹、三鬼士長、それにAI‐10四体は、護衛の兵士に促されてM35トラックの幌付き荷台に押し込まれる。
「扱いが露骨に違うのですぅ~」
ベルが、愚痴る。
「まあ士官と下士官以下の待遇に差があるのはいたし方ありませんわ。それに、発展途上国の貧乏軍隊に期待する方が愚かというものですわ」
荷台に設けられた布製のベンチシートに座り込みながら、スカディが日本語で達観したような物言いをする。
「せやなあ。曲がりなりにも左翼ゲリラが一定の支持を得られたうえで活動できるほど貧乏な国やものなぁ」
その横に腰を下ろしながら、雛菊が同調した。
「そうですねぇ~。昔から、社会主義に期待するのは貧乏人か世間知らずのお坊ちゃまと相場が決まっていますからねぇ~」
ベルが笑顔でそう言う。
トラックが走り出すと、シオは荷台後部へ行って外を眺めた。いかにも亜熱帯らしい濃い緑色の木々が、山肌をぎっしりと覆っている。道路脇は畑地で、サトウキビらしい丈の高い作物や、葉物野菜らしき作物が青々と茂っていた。
ドライブは十分ほどで終わった。二台の車は、金網フェンスに覆われた陸軍基地内へと入り、停車する。
クレスポ大尉に兵舎内に案内された一同は、すぐに五十代の日本人男性に引き合わされた。補佐官らしき数名を従え、多田官房参事官と名乗ったその男性に対し、長浜一佐が同行者を堅苦しく紹介する。
「長旅ご苦労。さっそくだが、一佐は補佐役一名とともに一緒に来てくれ。アメリカ大使館で、ミーティングがある」
「アメリカ大使館、ですか?」
長浜一佐が、怪訝そうな顔をする。
「この作戦……連中は『キャットニップ』というコードネームをつけたが……は、イギリスの単独の作戦という形で行われることになったのだ。色々と、気を遣ってもらってな」
「なるほど」
「しかし大使が人質になっている現状では、イギリス側は忙しいから、あくまで名目上の仕切りだ。そこで、アメリカがサンタ・アナ、イギリス、わが国の調整役として協力してくれることになった。まあ、もともとCIAがらみの作戦だからな。ゆえに、アメリカ大使館でのミーティングだ。サンタ・アナ内務省の車を待たせてある」
「承知しました。二尉、一緒に来てくれ」
うなずいた長浜一佐が、畑中二尉を同行者に指名する。
「それと、潜入するAI‐10は、誰かね?」
多田官房参事官が、大人しく突っ立っているシオたちを見やった。
「はい! あたいなのであります、閣下!」
シオは勢いよく挙手した。
「君も一緒に来てくれ。イギリス側の責任者が、会いたがっている」
「承知しました、閣下!」
「イギリス側の単独作戦で行われるとか、どういうことでしょうかぁ~」
多田官房参事官に連れられ、長浜一佐と畑中二尉とシオが去ると、ベルがそう言って首をかしげた。
「気を遣ってもらってとか、一佐は仰ってましたわね。どうも、良くわからないのですが」
スカディも、首を捻る。
「推測ですけど、おそらくこういうことじゃないかしら……」
三鬼士長が、若干膝を曲げて視線を低くすると、説明を始めた。
「シオちゃんの潜入作戦、もし偽装を見破られて失敗すれば、ゲリラ側は極端に態度を硬化させるでしょう。最悪、関わった国の人質殺害もあり得る。交渉当事者のサンタ・アナ政府が関わっているとなれば、決裂は必至。だけど、大使が人質になっているイギリス当局が、独自に行ったことにすれば、サンタ・アナも日本もアメリカも知らん振りを通せるわ。被害は、最小限で済む」
「なるほど。失敗時のリスクを局限するための偽装ですわね」
スカディが、納得のうなずきを見せる。
「おおっ! トラックの荷台とはえらい違いなのです!」
内務省差し回しの車は、黒塗りのメルセデス二台であった。一台に多田官房参事官と長浜一佐が、もう一台に畑中二尉とシオが乗り込む。運転するのは地味なスーツ姿の内務省職員で、助手席にはサングラスを掛けた警護官が座っている。
クレスポ大尉と護衛兵士が乗るジープが先導する形で、三台の車列はサンタ・アナ市内に入った。大通りをしばらく走ったところで、警護官が後部座席を振り向く。
「そろそろエルミタ通りに差し掛かります。右を見ていただければ、日本大使館が見えるはずです」
車列が、速度を落とした。シオは、スモークの入っている車窓に顔をへばりつかせた。畑中二尉も、その肩越しに外を覗き込む。
サンタ・アナ警察と陸軍、それに内務省治安部隊が入り混じった封鎖線が見えた。装甲車を含む何台もの車両とバリケードが、道路を塞いでいる。
「ロボットがいるのです!」
シオは鋭い声をあげた。
四足歩行タイプの、軍用ロボットが見えた。四角錐台のボディに、MAG汎用機関銃の銃塔を載せた軽武装の、警備用ロボット。
「レッドフィールドの、サラマンドラねー」
畑中二尉が、素早く機種を識別した。
レッドフィールド・システムズは、バーミンガムに本社を置くイギリスの軍需メーカーである。世界のトップクラスの軍用ロボットメーカー群、いわゆる『トゥエルブ・パペッターズ』の一員であり、イギリス軍、イギリス連邦諸国、さらには中東、東南アジアなどにも幅広く製品を輸出している。サラマンドラは比較的安価……性能もそれなり……なので、貧乏なサンタ・アナ陸軍でも購入できたのであろう。
車列が、速度を上げた。繁華街を抜け、細い通りに入り、地元警察官によって設けられた検問の手前で停車する。アメリカ大使館前の封鎖線だ。
地元警察によるチェックは、すぐに終わった。シオの乗るメルセデスも、助手席の警護官がIDカードをちらっと見せただけで、通過を許される。
だが、大使館の門内のチェックは厳重であった。畑中二尉もシオも車から降ろされて、武装したアメリカ海兵隊員に念入りな検査を受ける。多田官房参事官は、外交官ということで形式的なチェックを受けただけだったが、長浜一佐もシオらと同じレベルの検査をされた。
すぐにやってきたアメリカ大使館員の案内で、シオを含む日本勢四名は大使館本館二階に上がった。会議室らしい一室に招じ入れられる。
大きな会議テーブルには、すでに八名の人々が座って待ち受けていた。全員、男性だ。うち三人は、軍服を着用している。
「時間もないことですし、すぐに始めましょう。お座り下さい、ミスター・タダ」
上座に座った初老の男性がアメリカ英語で言って、多田官房参事官と他の三名に、空いている席を勧めた。シオも椅子に座ったが、背が低いので首から上しかテーブルの上に出ない。
「では、初顔合わせの方も多いようなので、簡単にみなさんの紹介から始めましょう。わたしは在サンタ・アナ共和国アメリカ合衆国大使、ハンコックです。こちらが駐在武官のラング中佐。こちらが、文化担当官のミスター・アーネル」
ハンコック大使が、両隣の男性を紹介する。
「サンタ・アナ内務省のフォンセカ局長。陸軍第7グルッポのケサダ大佐」
次いで、テーブルの右側に陣取る二人のサンタ・アナ人を紹介。
「在サンタ・アナ共和国イギリス連邦大使館マコーミック一等書記官。外務省のミスター・シップマン。SASのホーン大尉」
今度は、左側のイギリス人三人を紹介する。
「日本外務省官房参事官の多田です。こちらが、陸上自衛隊の長浜大佐」
自分と長浜一佐を紹介した多田官房参事官が、畑中二尉に向けうなずく。意を察した畑中二尉が自己紹介し、ついでにシオの名も告げる。
「すでにご承知と思いますが、『キャットニップ』はイギリス政府が単独で行う作戦という建前になっています。まずは、このような危険を伴う決断をしてくださったイギリス政府に対し、感謝の意を表しておきたい」
ハンコック大使が、イギリス人たちに対し笑みを向ける。
「恐れ入ります、大使閣下。名目上の指揮は、ミスター・シップマンが執ることになります。詳細は、彼から説明してもらいます」
マコーミック一等書記官が、隣に座るシップマンを見やった。がっちりとした身体つきで、豊かな白髪頭の五十がらみの男がうなずき、咳払いした。
「どうもみなさん。外務省の、デニス・シップマンと申します。このたび、首相直々のご命令で僭越ながら日本大使館内潜入偵察作戦『キャットニップ』の指揮を執ることとなりました。便宜上ですが、ナガハマ大佐とそのロボットは、わたしの指揮下に入ってもらいます。よろしいでしょうか?」
シップマンが、長浜大佐を見た。
「もちろん結構です」
一瞬多田官房参事官に視線を走らせてから、長浜一佐が大きくうなずく。
「君はどうかな?」
シップマンが、シオに眼を当てる。
「喜んで指揮下に入るのです! 潜入作戦は燃えるのです! 合点承知なのです、ミスター・シップマン!」
シオは右腕を大きく突き上げつつ答えた。
「デニスで結構だよ、お嬢さん」
シップマン……デニスが、張り切っているシオの様子を見て笑みを浮かべた。
「了解なのです、デニス!」
「情報収集に必要な機材などは、わたしとホーン大尉が準備します。一部は、ミスター・アーネルに借りることになるかもしれませんが……同業者のよしみで、その時はよろしく。その他、状況によってはホーン大尉とその部下に手伝ってもらうこともあるかも知れません。得られた情報は、速やかにハンコック大使、セニョール・フォンセカとケサダ大佐にお渡しします……なんですかな、ケサダ大佐?」
デニスが、発言を求めるかのように身を乗り出していた陸軍大佐を指名した。
「SASはどこまで関わるつもりなのですか?」
「情報収集の手伝いと、内務省当局者への助言だけですよ。大佐」
宥めるような口調で、デニスが言った。
「ホーン大尉がベリーズから連れてきた部下は四名だけです。いくらSASでも、それだけで作戦は行えませんよ。イギリス政府も、今回の事件の解決はサンタ・アナ政府に全面的に任せる方針です。手は出しませんよ」
細々とした打ち合わせが続く。シオはそれをいちいちメモリーに記録していたが、同時に退屈も覚え始めていた。自分のことに言及され、ようやく会議内容に注意を戻す。
「それで、そのロボットは偽装を維持したまま情報収集をこなすだけの能力があるのでしょうね?」
サンタ・アナ内務省のフォンセカ局長が、懐疑的な表情でシオを見る。
長浜一佐が、畑中二尉に合図した。
「AI-10は極めて優秀なロボットです。『サクラ』と短時間しか接していないゲリラに偽装を見破られることはありえません。唯一の懸念は、半年前から大使館に潜入していた女性の存在ですが、潜入後に『サクラ』から詳細なデータを受け取る予定ですので、こちらもほぼ問題ないでしょう」
畑中二尉が、きれいなアメリカ英語で答えた。……日本語でしゃべる時のような、尊大な感じや妙に延びた語尾がない。シオはちょっと驚いた。
「知能は、高いのかね?」
ハンコック大使が、訊いた。
「もちろんです。会話していただければ、お判りいただけると思います」
「なるほど。シオ、だったね。こんばんは」
「こんばんはなのです、大使閣下!」
シオは椅子の上に膝立ちになってから答えた。こうすれば、肩までテーブルの上に出すことができる。
「なにか聞きたいことはあるかね?」
「はい! 閣下のお隣に座っていらっしゃるミスター・アーネルは、やっぱりCIAの方なのでしょうか?」
アーネルが、片眉をわずかにぴくりと動かすというかたちでほんの少しだけ驚きを表現する。
「大きな声では言えないが、そうだ」
ハンコック大使が、認めた。
「やはりそうなのですね! では、その同業者であるデニスは、SISなのですね?」
「そうだよ、お嬢さん」
苦笑しつつ、デニスが答える。
「色々謎が解けたのです! ありがとうございました、閣下!」
シオはハンコック大使に向かって、ぺこりと頭を下げた。
「なるほど。知恵はあるようだ」
ハンコックが、微苦笑でうなずく。
「……そんなことまで、ROMに入ってたっけ?」
座りなおしたシオに対し、小声で畑中二尉が訊いた。
「ごく一般的な知識なのです! アメリカ大使館の文化担当官といえば、CIAのスパイに決まっているのです! すくなくともハリウッド映画では、そうなのです!」
シオも小声で答えた。
第六話をお届けします。




