第十三話
アルが運転するレンタカーのシボレー・インパラが、島内一周道路を走ってゆく。
「そろそろだ」
ハンドルを握るアルが、後部座席で左右を観察しているシオとベルに声を掛けた。
いい天気であった。遠い海面近くには白い雲がたなびいているが、それ以外は南方特有の濃い色合いの青空が広がっている。右手の海岸には波が押し寄せ、白いしぶきを上げているが、礁湖の方は穏やかな水面が広がっている。
「ここだ」
アルがゆるゆるとブレーキを掛け、インパラを路肩に寄せて止めた。国軍訓練基地から、直線距離で四百メートルほどの位置だ。
アルがインパラを降り、いかにも寛いでいるふりで辺りを歩き回る。シオも降りて、礁湖の方に向かいしゃがみ込んで、海水に手を浸したり、泳いでいる魚を探すふりをした。……国軍訓練基地の連中が優秀なら、怪しいと思われて観察されているはずだ。
アルとシオの『芝居』に紛れるようにして、ベルは仕事に掛かっていた。長さ一メートル半ほどの鉄の棒を車中から引っ張り出し、道路脇の白い砂地に突き刺す。
「砂なので楽に掘れそうですねぇ~。いい具合に湿っているのもナイスですねぇ~」
地面の様子を調べながら、ベルが嬉しそうに言う。
五分ほどで調査を終えた一行は、インパラに乗り込むと再び走り出した。国軍訓練基地は、島内一周道路の左右に細長く伸びている。一応、道路脇にはネットフェンスが設けられているが、立ち入り禁止を示す役にしかたっていない。
簡易なプレハブ建築の建物は、礁湖側に建てられており、海側は練兵場や演習場に使われているようだ。そこでは、三十名ほどの作業服姿の兵士が、なにやら体操のようなものをやっているのが見えた。
「塩害がひどそうですねぇ~」
ベルが、そう感想を述べる。
「津波がきたら、一発でアウトなのです!」
シオも、そんな心配をしてしまう。
訓練基地を通り過ぎたインパラは、そのまま走り去った。いくらなんでも、反対側で同じように車を停めたら、不審に思われてしまうだろう。
二時間後、反対方向から現れたホンダ・シビックが西側の爆破予定地点で停車した。降り立ったアルは、先ほどの派手な赤いアロハから、白いポロシャツに着替えている。一緒に降りたのはスカーレットだった。シオは今回は、モーターヨットで留守番をしている。
スカーレットは、オレンジ・リボンが見えないようにオーバーサイズのパーカーを羽織っていた。遠目には、アルの妻か恋人にしか見えないはずだ。二人で寄り添って、海を眺めているふりをする。その陰に隠れるようにして、ベルはこっそりと地質調査を行った。
「こちらも掘るには問題なしですねぇ~」
ベルが、そう判定する。
『フェネック』の事前調査はつつがなく終了した。
「警察に妙な動きがあります」
アンディ・パクことパク・ハンジュン大佐が言った。
マルーア共和国大統領官邸大統領執務室は、実に開放的な造りであった。芝生が敷き詰められ、天然のヤシの木が生えている庭に面したフレンチ・ドアは開け放たれており、湿気を含んではいるものの心地よい風が穏やかに吹き込んでくる。調度類も簡素ながら趣味がよく、高級リゾート地のコテージのリビングルームのようなたたずまいだ。
「妙な動き、とは?」
執務机に座るジェフリー・サカモト大統領が問うた。
「最高幹部が頻繁に会合を開いています。アラニス長官が、長時間姿をくらますことも多い」
「愛人のところじゃないのか?」
サカモト大統領が、笑った。
実に対照的な二人であった。サカモトは生粋のミクロネシア系で、身長は百六十センチに届かない細身の男性である。まだ五十代前半だが、すでに頭髪はかなり白くなり、細い手足も相まって見た目はかなり弱々しい印象を与える。だが、その外見と裏腹に政治手腕は逞しいもので、三十年に渡って狭いながらそれなりに荒れていたマルーア政界を見事に泳ぎ切って、大統領の地位に上り詰めた苦労人でもある。
一方のパク大佐は四十代後半だがまだ三十代で通用する若々しい顔の持ち主だ。力強い四角い顎と、鋭さを湛えた細い眼はハンサムとは言えないが、自信に満ち溢れたプロフェッショナルの顔と言える。身長は百八十五センチほどで、迷彩戦闘服に包まれた逞しいその姿は、座っている枯れ木のようなサカモトの前では、さながら巨人のようだ。
「最悪のケースとして、警察主導のクーデターの可能性があります。これに備えておく必要があると具申いたします」
堅苦しく、パク大佐は告げた。
「ほう。具体案を聞こうか」
「ベリンダタウンの治安維持を、警察から国軍に完全移管することをご提案します」
パク大佐は言った。
現在、マルーア共和国の首都であるベリンダタウンの治安維持は、マルーア警察と国軍が『共同で』行うものとする、という大統領令が出されている。もちろん両者の仲は険悪なので、実際の警察業務は警察が行い、国軍は主要な建物の警備、道路の監視、定期的なパトロールなどを行っている、というのが現状だ。
クーデターの成功のためには、ベリンダタウンに集中している政府機能や放送局、新聞社などを掌握する必要がある。ゆえに、首都から警察を締め出し、国軍による警備を強化すれば、クーデターを未然に防ぐことが期待できる。
「……アラニスを無駄に刺激したくないのだがな」
サカモト大統領が、歯切れ悪く言った。長年マルーア警察を牛耳って来たロジャー・アラニス長官には、友人が多い。政界、財界、マスコミ、さらには外国の外交官。彼らが存在するゆえに、サカモトは大統領としてアラニス長官を罷免する権限を持ちながら、それを行使できないままでいた。罷免を強行すれば、支持率は大幅に低下するのは間違いない。さらに、国民とマスコミと財界を敵に回した状態で警察が決起すれば、大統領職を追われるのは確実だ。
「では、市内に常駐する国軍兵士を増員することを許可してください」
「それは、認めよう。今日中に文書化する」
サカモト大統領は確約した。
「ありがとうございます。もうひとつ、お願いが」
「なにかね?」
「国軍装備の強化をお願いしたいのです。装甲車の導入に予算を付けていただきたい」
「装甲車? ……それはどうかな」
サカモト大統領は躊躇した。銃火器ならば、それほど目立たないので国民感情を刺激することはないだろうが、装甲車となると野党やマスコミが騒ぐのではないだろうか。
「対テロ対策、との名目ならば、議会も承認し易いかと」
パク大佐が、助言する。
「小型の装輪タイプなら、市民も受け入れやすいでしょう。閣下は中華人民共和国政府と太いパイプをお持ちです。ZFB05を何両か、購入していただきたいのです」
「どんな装甲車なのかね」
サカモト大統領が問う。
パク大佐は、迷彩戦闘服の胸ポケットから数枚の写真を取り出して、執務机の上に置いた。よくある『ミニバンをそのまま装甲車にしたような』四輪装甲車が映っている。
「ZFB05。または、『ニュースター2002』とも呼称される装甲車です。中国のメーカーが自主開発したもので、軍用よりも治安維持、対テロなどを想定した軽装甲車です。車体重量四千八百キログラム。装甲厚最大十ミリ。自動小銃の銃弾に耐えられます。乗員二名の他に、武装兵士七名が乗車可能。価格は十四万ドルほど。合衆国やヨーロッパ諸国の同等品と比較すると、安価です。すでに人民解放陸軍、人民武装警察、公安警察に装備され、PKO部隊の装備としても使われました。アフリカを中心に数カ国に輸出済みです。オリジナルは五十口径マシンガンを装備可能ですが、そこまでは必要ないでしょう」
「むう」
サカモト大統領が、眉間にしわを寄せて写真を見つめる。
「カラーリングも考慮します。その写真のような迷彩や緑系ではなく、青系や警察車両のような白地にすれば、威圧感は薄れるでしょう」
パク大佐は、そう助言した。
「よろしい。考慮しよう」
気乗り薄に、サカモトが応じる。
「キム中尉、命令により出頭いたしました」
剃り上げた頭に小粋にベレー帽をかぶった、いかにも特殊部隊風の青年が敬礼する。
「楽にしろ、中尉」
パク大佐にそう言われて、キム中尉が休めの姿勢を取る。
よく知られているように、韓国にキム『姓』を名乗る人は多い。その数は実に一千万人に近く、韓国人の五人に一人は『キムさん』と看做して差し支えないほどだ。
諸外国と比較しても韓国……朝鮮民族……の姓の数は少なく、三百以下と言われている。当然、同姓による混同が起きやすくなる。特に韓国は儒教社会であり、よほど親しい間柄でなければ、他人を名前の方で呼ぶことはないので、余計に混乱することになる。
このような混乱を避けるためと、儒教的な序列重視の観点から、韓国では姓に『肩書き』『役職』などを付けることが慣例となっている。『キム部長』『キム委員』『キム先生』『キム教授』など、である。実際には、肩書きのあとに『様』に相当する『ニム』を付けて呼ぶことが普通となる。もっともこのやり方も、万能ではない。同じ肩書きを持つキムさんが複数いれば役に立たないし、肩書のない『平』のキムさんにも使えないのだ。
軍隊の場合、すべての構成員に何らかの階級と役職が与えられているので、そのような混乱は最小限に留めることができる。もちろん、同じ分隊内に『キム二兵』(二等兵)が二人いたりすれば厄介だが、そのような場合は名前なり綽名なりで呼ぶことになる。……階級差が絶対の軍隊で、なおかつ儒教社会なのだから、上位者が下位の者を適当な綽名で呼んでも何ら問題は生じないのだ。
……話を元へ戻す。
「情勢が悪化しそうな流れだ。君には、マルティナ島へ行ってもらう」
パク大佐が、告げる。
「アンガス・ナバーロの監視ですね」
キム中尉が、うなずく。
「ミン少尉は優秀な奴だが、いまひとつ経験不足だ。危急の場合に、臆することがあるかも知れん。君の力が、必要だろう」
「承知いたしました。……指揮権は、どうなりますか?」
キム中尉が訊いた。マルティナ島に居るのは、ミン少尉が率いる現地人よりなる一個小隊である。
「君に任せる。上官として、ミンを副官格にして小隊の指揮を執るのもよし。オブザーバーに徹するのもよし。好きにしたまえ」
パク大佐はそう言った。キムとミンは韓国では下士官として同じ中隊に所属していたことがあり、仲は悪くない。細かいことは任せてしまっても、大丈夫だろう。
「補佐として、ユ曹長を付ける。それと……」
パク大佐は、語尾を濁してキム中尉を見つめた。
「承知しております」
キム中尉が、表情をゆがめるようないやな笑みを浮かべる。
ナバーロ元副大統領に死んでもらっては、困ることになる。収監中に死ねば、サカモト大統領に非難が集中するし、死因が自然死であったとしてもまず確実に謀殺したと大衆は信じ込むだろう。そうなれば、サカモト政権は終わる。
とは言え、この政治状況でナバーロ副大統領が支持派によって奪還される、という事態は絶対に避けねばならない。解放されれば、ナバーロは英雄となり、反サカモト政権は勢い付くだろう。
暴力的にアンガス・ナバーロ元副大統領の奪還が行われ、その阻止が不可能であった場合は、ナバーロを殺害すること。パク大佐は、サカモト大統領の意向を受けて、そのような命令をミン少尉に与えていた。『テロリストの襲撃で死亡』という形にすれば、大衆の反発も低く抑えることができるはずだ。
キム中尉が下がると、パク大佐は執務机の引き出しから『ESSE』の箱を取り出し、紙巻を一本引き抜いた。身体が資本の特殊部隊員は煙草を敬遠するものだが、パク大佐はどうしてもやめられず、部下に隠れるようにして喫っている。ただし、喫うのは一日に三本程度と決めていた。灰皿も取り出し、ライターで点火する。
咥え煙草のまま、パク大佐は電話に手を伸ばした。
「シン大尉か? 例のあいつの充電を始めてくれ。……そうだ。必要になるかも知れない。ああ、装弾はまだいい。充電が終了したら、作動テストだけ頼む。……いや、念のためだよ。では頼む」
通話を終えたパク大佐は、ゆっくりと喫煙を楽しんだ。満足したところで、慣れた手つきで喫い残しの紙巻煙草を人差し指で弾き、火の点いた先端だけ灰皿に飛ばして消す。
「暇ね」
スカーレットが、物憂げに言う。
「暇なのです!」
シオも言って、あくびをするふりをした。
例のモーターヨットのキャビンである。
正式に『フォックスフェイス』という名が与えられた作戦に関する準備は着々と進んでいた。作戦区域の詳細な地図、衛星写真、航空写真。サカモト大統領やナバーロ副大統領を含む要人の顔写真。作戦に参加する予定の警察幹部の顔写真。国軍幹部の顔写真などが配布され、AI‐10とGR‐60たちはそれらをすべてメモリーに記録した。
キャビンでは、マルティナ島急襲の『コサック』組……亞唯、雛菊、ブルックリン……と、官庁街制圧の『ベンガル』組……スカディ、ジョー、クリスタル……が、地図を前に作戦の詳細を詰めている。当日には当然これに素人同然のマルーア警察部隊が加わるので、細かいところまで決めておく必要があるのだ。
だが、『フェネック』組にはやることが無かった。すでに、爆破予定地点は決まっているし、下見も済ませてある。爆破後に待機し、訓練基地の国軍の移動を妨害する手順も決定済みだ。警察部隊も参加しないので、そちらも考慮する必要がない。
実際に爆薬を設置するベルだけは、アルが手に入れてくれた追加装備を点検したり、下準備としてのビニールパイプの加工などを、一人で嬉しそうに行っている。
「穴掘りの練習でもしましょうか!」
シオはそう提案した。作戦当日、スカーレットとシオの主な役目は、爆薬を据える穴を掘ることと、見張りなのだ。ちなみに、スカーレット用の通常サイズと、シオとベル用の小ぶりなサイズの土工用シャベルは、アルが金物店ですでに購入済みである。
仕方なく、スカーレットとシオは甲板に出た。暇つぶしを兼ねて、周囲を見張り始める。シオは日陰になっている部分に座り込み、海側を見張った。スカーレットは、風にアロハの裾をなびかせて、長い脚で歩き回りながら時間を潰す。
Xデイマイナス5は、大きなトラブルに見舞われることなく終わった。
第十三話をお届けします。




