第五話
『対人・対動物保護機能』『非暴力機能』『犯罪行為予測機能』 民生用ロボットすべてに搭載が義務付けられているいわゆる『シュープリーム・プログラム』は、この三つの機能から成る。これにより、民生用ロボットを犯罪行為に使用するのは極めて困難となった。
だが、通常の動作とさほど変わらぬ行為ならば、たとえそれが犯罪であっても、自立ロボットに行わせることは充分に可能である。シュープリーム・プログラムは万能ではないし、犯罪行為の疑いがわずかでも存在する行動をすべて規制してしまえば、そのロボットは歩くことさえままならぬ役立たずな機械となってしまうからだ。
そして恐ろしいことに、爆弾や毒物を用いる無差別テロの場合、その実行行為そのものは、極めて単純な動作によって行われることが多い。ボタンを押す、通電する、容器の中身をぶちまける、などなど。一例を挙げるならば、自立ロボットに大量の爆発物を持たせ、繁華街まで歩いて行き起爆ボタン……もちろん、シュープリーム・プログラムによる規制が掛からぬように無害なボタンだとロボットに思い込ませた上で……を押すように命じるだけで、凶悪な自爆テロが可能になるわけである。
これらテロ行為を防止する決定的な方策は、いまだ見出されてはいない。今のところ採られている対応策としては、政府関連建物、重要産業施設などの対テロ重点警戒地域への、部外ロボットの立ち入り制限。イベント会場など多数の人々が集まる場所でのロボット進入制限。民間定期航空便への、ロボットの搭乗/積載の原則禁止などが挙げられる。
幸いなことに、民生用自立ロボットを利用した大規模なテロ行為は、過去に何度か計画された形跡はあるものの、一度も実行されたことはない。これは、先進諸国においては予防警戒が厳重であるためであると見られている。他方、第三世界において同様なロボットによる大規模テロ行為がいまだ行われていない理由は、ただ単に高性能な民生用自立ロボットを入手するよりも、狂信的な自爆テロ志願者をリクルートする方がはるかに手っ取り早く、かつ低コストであるからとの見方が有力である……。
「……というわけで、あたいたちは民間エアラインに搭乗するわけには行かないのですが、どうやってサンタ・アナまで行くのでしょうか?」
長浜一佐に続いてエレベーターに乗り込みながら、シオは疑問点を訊ねた。
「それに関しては解決済みだ。アメリカ空軍機で、サンタ・アナまで飛ぶ手筈になっている。君たちをここへ集めたのも、それが理由だ。ここからアメリカ空軍横田基地まで車で移動する」
シオたちは、用意されたミニバンにぞろぞろと乗り込んだ。運転するのは、石野二曹だ。三鬼士長が運転し、長浜一佐と畑中二尉が乗り込んだセダンが先導する形で、アサカ電子西東京研究所をあとにする。
アメリカ空軍横田基地には、これまた懐かしい顔が待っていた。前回の作戦で世話になった、西脇二佐だ。
「これはこれは! 二佐殿もサンタ・アナへ行かれるのですか?」
再会の挨拶を終えたシオは、そう訊ねた。西脇二佐が、笑う。
「いや、今回は技術屋に出番はないよ。届け物を持ってきただけだ」
西脇二佐が指差す先には、アメリカ空軍のジェット輸送機、C‐37の姿があった。作業服姿の自衛隊員が、見慣れた小さなコンテナを機内へと運び入れている。
「AI‐10専用銃ですわね。今回は、必要ないのでは?」
眉を吊り上げたスカディが、問う。
「念のため、持って行ってもらう。物騒な国だからな。一応、君たちは長浜一佐らの護衛も兼ねることになるんだ。それと、これだ」
西脇二佐が、AI‐10全員にデータROMを配る。
「情報本部から送られてきたデータだ。最新のサンタ・アナ情勢や同国関連のデータが入っている。で、……潜入する役に決まったのは、誰かな?」
「はい! あたいなのです!」
シオは勢いよく挙手した。西脇二佐が、もう一枚データROMを渡してくれる。
「サクラに関する基礎データ、大使館の見取り図、その他必要なデータが入っている。レセプションのビデオ映像を中心に、サクラの映像と音声も八十分くらい入れておいた。よく研究して、真似してくれ。とくに、口調だな。まあ、スペイン語で喋る以上、そうそうばれないとは思うが」
シオは受け取ったデータROMを装着した。次いで、西脇二佐が差し出すケーブルも、接続する。西脇二佐が、ケーブルに繋がっているタブレットを、ひょいひょいと操作した。
「よし。これで音声出力もサクラと同じ設定になった。試しに、喋ってみてくれ」
「はいなのです! あー、本日は晴天なり! スペインの雨は主に平野に降る!」
「うわー、違和感ばりばりやな」
さっそく、雛菊が突っ込んだ。サクラの声は、シオの通常の声よりも低めで落ち着いた印象のものであった。他の三体の声と比較すれば、スカディに近いだろうか。
「これは、一佐にお渡ししてくれ」
西脇二佐が、小さな封筒を石野二曹に渡した。
「それはなんですかぁ~」
ベルが、訊く。西脇二佐が笑った。
「葵の御紋ならぬ五七の桐紋の印籠だな。外務省に出してもらった書類だ。現地で、必要となる」
三十分後、四体のAI‐10と長浜一佐、畑中二尉、三鬼士長、それに石野二曹を乗せたC‐37……ベストセラー双発ビジネスジェット機ガルフストリームVのアメリカ空軍仕様……は横田基地の滑走路を離陸した。
「どうやら、ノゲイラ政権は我々の要求を拒否する腹積もりのようだ」
エミディオは、集った幹部たちに向けそう告げた。
「まあ、予想通りだな」
ロレンソが、細面の顔に冷笑を湛えつつ、肩をすくめる。
在サンタ・アナ日本大使館二階にある、ゲストルームの一室に、四人の男女が集っていた。いずれもが、AIM突撃銃を肩に掛け、腰に予備弾倉が入ったポーチと手榴弾を下げた、物々しいスタイルである。占拠グループのリーダー、エミディオはここに指揮所件自分の寝場所を定めていた。
「計画通り、人質の分散を行おう。いいか?」
エミディオは、サブリーダー格であるロレンソとイネスに確認した。二人が、うなずきで応ずる。ちなみに、ロレンソは見事なアルゼンチン訛りで警備陣を騙したスーツの男、イネスは半年前から現地スタッフとして大使館に潜り込んでいた女性である。
エミディオらは、今回の作戦を成功させるために過去に行われた数多くの人質立てこもり事件を研究してきていた。その結果、得られた教訓のひとつが、『人質の分散化』であった。人質が一箇所に集められていては、包囲側の一回の強行突入でケリが付いてしまう。つまり、立てこもり側の一回の油断、あるいは包囲側の一回の幸運だけで、すべてが終わってしまう可能性が高いのだ。これに人質の分散で対抗できれば、包囲側は安易に強行突入できなくなる。
もちろん、単純に人質を複数個所に分けるのは、立てこもり側の戦力の分割に繋がるので本来は好ましくない戦術である。分けた人質の一部……でき得るならばそのすべては、完全に行方をくらませるか、包囲側が何らかの理由により手が出せない場所に置くことが望ましい。幸い、エミディオらには安全に人質を確保し続けられる場所の当てがあった。
「で、イギリス大使はそのままでいいとして、アメリカ大使の代わりはどうするんだ?」
ロレンソが、訊いた。計画では、ロレンソがアメリカ大使、イネスがイギリス大使を伴って、隣国ニカラグア国内にあるアジトに移動し、サンタ・アナ政府を牽制することになっていたのだ。
「代わりに、日本大使を連れて行ってくれ。ハンコックの代わりにしてはちと弱いが、ラテンアメリカ諸国の大使やセニョール・ガランを手荒に扱うわけにはいかないからな」
「わかった」
エミディオの答えに、ロレンソがうなずく。
「そのことなんですが……」
控えていた中年男が、遠慮がちに言葉を挟んできた。アフリカ系の血が濃く、かなりダークな肌の色をしている。名はバスコ。組織での経験は浅いが、元電気系の技術者なので重用され、今回の作戦でもナンバー4の幹部扱いとなっている。外部との通信も彼の役目である。
「どうも、ニカラグア当局はかなり機嫌を損ねているようです。ひょっとすると、国内のアジトに人質を運び入れるのを拒否するかも知れません」
ニカラグア政府は公式に認めてはいないが、『サンタ・アナ愛国行動自由独立人民解放革命連合戦線』とニカラグア政府の関係は良好である。過去には資金、武器などの供与を受けたこともあるし、現在でも情報の提供は頻繁にある。さらに、ニカラグア国内にいわば『聖域』としてのアジトを設けることも、黙認してもらっている。サンタ・アナと深刻な国境紛争を抱え、政治的、軍事的に対立しているニカラグアにとって、サンタ・アナ国軍の注意を逸らし、なおかつその予算を無駄に消費させてくれる『フレンテ』のような左翼ゲリラは、ありがたい存在なのだ。
これらはもちろん、『敵の敵は味方』という事実に基くきわめて打算的なものである。左翼政権のニカラグアといえども、『フレンテ』の方針に賛同しているわけではないし、『フレンテ』による政権樹立を望んでいるわけではない。そのことは、エミディオらは重々承知していた。あくまで、お互いを利用するだけのドライな関係である。
今回の作戦に関し、『フレンテ』はニカラグア側に一切事前に情報を漏らさなかった。いや、実行を仄めかしすらしなかったのだ。これはもちろん、作戦決行をサンタ・アナ政府側に知られるのを避けるためである。そこまで、ニカラグア側を信用しているわけではない。だが、どうやらこれはニカラグア側のお気に召さなかったらしい。
「政治部門に言って、なんとかニカラグア側を納得させろ。ノゲイラ政権を屈服させるには、少しばかり手荒な真似に出るしかないが、それを安全に行うには、人質の分散が不可欠だ」
エミディオは言った。
実際のところ、人質立てこもり事案は包囲側が高圧的な場合、立てこもり側が不利となる。特にサンタ・アナのような反共独裁に近い政権を相手にした場合は、圧倒的に不利であると言ってよい。立てこもり側の最高の切り札は、人質の殺害であるにもかかわらず、人権軽視の包囲側はそれを許容できてしまうからだ。
これに対抗する効果的な手段のひとつが、人質に外国人……特に民主的な先進国で、マスコミの力が強く、なおかつ包囲側の政府に多大なる影響力を持つ国家の国民……を混ぜることである。野党、報道関係者、国民世論などを無視できないそれら国家は、人質の死を許容できないゆえに、包囲側に圧力を掛け、強硬手段を抑制してくれるのだ。『フレンテ』がサンタ・アナ政府関係施設を狙わず、日本大使館……しかも、外国の要人が多数招かれているパーティが開催されている日を狙ったのは、それゆえである。
サンタ・アナのノゲイラ政権に強い影響力を持つ二つの国家……アメリカ合衆国とイギリスの大使を、サンタ・アナが手出しができないニカラグア国内のアジトに移してしまえば、大使館への強行突入はノゲイラ政権の自殺行為となろう。したがって、政府側は『フレンテ』側の要求を呑んで交渉による解決を選択してくるはず……。そのように、エミディオらは読んでいた。
結果的に、アメリカのハンコック大使を人質にすることには失敗したが、イギリスと日本の大使を『聖域』に隠してしまえば、ノゲイラ政権が国軍や内務省特殊部隊に強行突入命令を出す確率は劇的に低くなる。
「もし、ニカラグア側が拒否したら?」
イネスが、若干眉をひそめるという色気のある表情で訊いてくる。
「黙って運び込むしかないな。他に、方法はないだろう。今回の作戦、失敗は許されない。ノゲイラ政権が簡単に屈服しない以上、人質分散は成功のために必須だ」
エミディオは、やや暗い表情でそう言い切った。
『フレンテ』は、実のところかなり追い込まれた状態にあった。世界的な社会主義勢力の退潮と、左翼政権国家の減少は、海外からの資金と援助物資を激減させていたし、国内の支援者も減りつつあった。構成員も有能な人材が集まりにくくなっており、無学な若者を半ば洗脳状態にして加え、組織の規模を維持しているのが現状である。
そのような中で、軍事部門の乾坤一擲の大勝負として計画されたのが、この日本大使館襲撃作戦であった。国際的な大事件を引き起こすことによって知名度を上げ、海外の著名な反政府左翼組織との連帯をアピールする。サンタ・アナ政府に捕らわれている左翼人士と『フレンテ』幹部を釈放させ、組織の建て直しを図る。多額の身代金を獲得し、高性能な武器やハイテク装備を購入し、戦力の向上を目指す……。
成功すれば、『フレンテ』はノゲイラ政権と正面から戦えるだけの力を手に入れることができる。そしてもちろん、陣頭指揮を執ったエミディオの地位も大幅に向上するだろう。軍事部門で実質的なトップの座を手に入れることは、間違いない。
「ところでバスコ。例の検知器の調子はどうだ?」
エミディオは暗い表情を拭い去ると、そう技術屋に問いかけた。
「四台とも、正常に稼働しています。外部からの電波は拾ってますが、内部からの発信はありません」
バスコが、答える。
人質立てこもり事件の場合、包囲側が盗聴器を使用し、建物内部の情報を得ようとするのは常套手段である。外部から盗聴可能な指向性マイクや、壁などの振動から音を拾ういわゆるコンクリートマイク、レーザー光線を媒体に使うマイクなども使用されるが、やはり確実なのは建物内に盗聴器を仕掛けることである。その場合使用されるのは、仕掛け易さと非発見率の高さを重視した小型の無線電波発信タイプが主である。
また、長期化した人質立てこもり事件の場合、包囲側が秘かに人質に無線機を渡し、これを使って各種情報の入手、あるいは人質に対する指示伝達を行う事例がある。エミディオらが研究対象のひとつとした在ペルー日本大使公邸占拠事件でも、治安当局側が人質であった元軍人に無線機を渡すことに成功しており、内部情報をゲリラ側に知られることなく入手している。
このような事態を防止するために、エミディオらはトラックによって追加搬入された装備の中に、ドイツ製のマルチバンド電波検知器を四台加えていた。これを大使館内の四隅に置いて二十四時間態勢で稼働させ、無線通信に使われる主な周波帯を継続的にスキャンさせていたのだ。もちろん携帯電話をはじめとする電子機器の類は、人質からすべて取り上げてある。
「結構。そのまま監視を続けてくれ」
エミディオは、労うかのようにバスコにうなずいてみせた。
と、ドアにノックの音がした。
一番近くにいたバスコが、エミディオのうなずきによる許可を得てから歩み寄り、ドアを引き開ける。
廊下に立っていたのは、日本製のロボット、サクラだった。腕に、白いシーツを抱えている。
「シーツの取替えに参りました。入って作業しても、よろしいでしょうか?」
そう、スペイン語で聞いてくる。
「入れ」
エミディオが、許可を出す。
てきぱきとシーツを取り替えるサクラを、四人のメンバーはそれぞれ異なる表情で眺めた。エミディオは、どちらかと言えば無関心に近い様子だ。イネスは、遊ぶ子供たちを眺めているかのように微笑を浮かべている。
バスコはいかにも技術者らしい視線で、サクラの動きを細かく眼で追っている。ロレンソだけは、憎しみさえ見て取れるような厳しい視線を浴びせていた。
取り替えたシーツを持ったサクラが、ぺこりと一礼してからドアを閉めて出てゆく。
「ロボットは信用できん」
吐き捨てるように、ロレンソが言った。
「なんで? 可愛いじゃない」
イネスが、笑う。エミディオが、うなずいた。
「基本的に嘘はつかんからな、ロボットは。単に下働きのために残すなら、人間よりは安心だ」
「だが、あの電子の眼で、俺たちをずっと監視記録しているんだぞ」
ロレンソが、言う。
「もちろんわかってる。ここを退去する時には、ロボットは破壊していく。メモリー部位は、バスコに渡して1バイト分も残さず完全に破壊してもらう。安心しろ」
エミディオは、そう言ってロレンソを宥めた。
第五話をお届けします。




