第三話
「諸君、二十分後に地下で国家安全保障会議が始まる。その前に、できる限り現況を確認しておきたい」
ホワイトハウス西棟一階の大統領執務室……いわゆるオーバル・オフィスでデスクに着いている合衆国大統領が、心持ち身を乗り出して、ソファに座っている数名の男女を見渡した。
「では現況からご説明いたします。『オペレーション・オイルペイント』によって確保した核弾頭およびボリス・ノイン博士ら九名の亡命者は、現在わが空軍機で北東太平洋上にあります。マッコード空軍基地到着は二時間後の予定。亡命者はそこから空路ワシントンへと移送します。核弾頭はグルームレイクへ運ぶ予定です。亡命を希望しなかった四名の乗員と、ミサワに着陸した輸送機の返還に関しては、ロシア経由での返還に、日本政府が同意しました」
手にしたメモを参照しながら、国家安全保障問題担当大統領補佐官(APNSA)が説明した。
「確保したのは十九基だけだったのだね?」
大統領首席補佐官が、念押しするように訊く。
「そうです。一基はノイン博士の反対を押し切って、事前にミサイル発射施設に運び込まれていました。それを使い、ルフ大統領は我々に脅しを掛けているのです。すべての弾頭と博士を返さなければ、東京を核攻撃すると」
「それで日本が慌てて戦争状態を宣言し、わが国に安全保障条約の履行を迫っているわけか」
副大統領が、嘆息気味に言う。
「頭がおかしいとしか思えませんわね」
女性国務長官が、呆れたように首を振った。大統領が、薄く笑う。
「メリッサ。日本とREAのどちらの頭がおかしいと思っているのかね?」
「もちろん、REAですわ」
国務長官が、笑み交じりの渋面を大統領に向けた。
「しかし、弾頭はともかく、博士を取り戻してどうするのだろう? 見せしめの処刑にでもするつもりなのだろうか?」
国防長官が、APNSAに訊く。
「その可能性はありますが、まだ利用できると考えているのではないでしょうか。優秀な人物ですし」
「ソビエト連邦サロベート共和国出身。モスクワ大学物理学部卒。ソ連科学アカデミー会員。アルザマス16……現名称サロフ市で核兵器開発に関わる。のちにドゥブナ合同原子核研究所に移る。ソビエト崩壊後はモスクワ大学に戻り、教鞭を取る。その後、独立した東アジア共和国に戻り、核弾頭の小型化の研究を進める……。黄色いカーン博士ですな、これは」
手元の資料を読み上げた副大統領が、苦笑する。
「ともかく、ひとつずつ問題を解決していこう。まずは、核弾頭と亡命者の処遇だ。これは、絶対に返すつもりはない。合衆国は、大量破壊兵器を振りかざしたならず者国家の脅しに屈するわけにはいかない。いいな」
大統領が、一同を見据える。全員が、うなずきで同意した。
「よろしい。ケヴィン、REAの核戦力について教えてくれ」
「はい、大統領。同国の核戦力に関しては、不明な点が多かったのですが、ノイン博士からの事情聴取で詳しいことが判明しました。それによれば、大型かつ旧式な総重量一トンを越える低出力プルトニウム爆縮型弾頭が十二から十四基。博士が開発した、弾道ミサイルに搭載可能な五百キログラム程度の中出力プルトニウム爆縮型弾頭が二十基。このうち十九基は、すでにわが方が確保しました」
APNSAが、淀みなく答える。
「中出力……具体的には、どのくらいの威力なのですか」
国務長官が、訊く。
「設計出力は、二百キロトンとのことです」
「ふむ。もしそれが東京に撃ち込まれた場合、どの程度の被害が生じる?」
大統領が、わずかに身を乗り出す。
「核兵器の場合、爆発高度、季節、時刻、天候と風向、事前警告や準備の有無によって、被害の程度は大幅に変動します。具体的な予測は難しいです」
「季節によって被害が変わるのですか?」
国務長官が、トレードマークでもある太めの眉を吊り上げた。
「はい。同時刻であっても、夏と冬では屋外にいる人の数が大きく違ってきます。また、肌の露出が少なく、厚着をしている冬季は熱線による負傷をある程度防ぐことが可能です」
「おおよそでいい。どの程度の死傷者が出るんだ?」
大統領が、訊く。
「比較的低空での空中爆発の場合、爆心地から半径一マイルから一マイル半程度にいた者は即死するとみていいでしょう。五マイル以内は重傷。そのうち過半数は、放射線障害で一ヶ月以内に死亡します。八マイル以内で軽傷。東京の人口は八百八十万人です。平日の昼間ならば、千五百万の人々が二百四十平方マイルという狭い地域に押し込められているのです。一次被害で死傷者は二百万から四百万、放射性降下物などによる二次被害の死傷者がさらに三百万から五百万といったところでしょうか」
「下手をすれば一千万近い死傷者が出るのか」
首席補佐官が、嘆息する。
「東京には今現在、何人の合衆国市民がいるのかね?」
懸念を顔に張り付かせて、副大統領が尋ねた。
「東京都心部に居住する合衆国市民は、約一万五千人です。観光やビジネスで訪れている者、さらに短期滞在者の数は、一万人前後と思われます」
「多いな。核弾頭の運搬手段は、やはり弾道ミサイルなのだね?」
大統領が、確認する。
「はい。REAが所有する巡航ミサイルは短射程の対艦ミサイルのみで、核弾頭は搭載できません。低出力核弾頭を航空機に搭載することは可能ですが、日本まで飛ばすとなるとカミカゼ・ミッションになるでしょう。出撃させたとしても、日本の防空網を突破する可能性は皆無です。したがって、これらの低出力核弾頭は、現状ではわが国や同盟国への脅威とはなり得ません。弾道ミサイルは数種保有していますが、日本まで届くのは中国製のDF‐21、NATOコードネームCSS‐5を改良コピーした『サーブリャ』だけです。射程千八百キロメートル。固体燃料二段式。ペイロード五百ないし六百キログラム。装甲ランチャーを搭載したTEL(輸送起立発射機)から発射されます。これは、オリジナルの中国製DF‐21TELですが、サーブリャもほぼ同様の外形でしょう」
立ち上がったAPNSAが、大判の写真を数枚大統領に渡した。巨大なトレーラーの上に、原油パイプラインを連想させる円筒形の装甲ランチャーが横たわっている。続く三枚は、装甲ランチャーが油圧ジャッキで倒立させられてゆくシークエンスを捉えたものだった。最後の写真には、自らの後端に付いている四本の足を支えにして、トレーラー後部で垂直に立っている装甲ランチャーが写っていた。
写真を見終わった大統領が、他の者にも廻すようにAPNSAに身振りで命ずる。
「でも、REAが弾道ミサイルで発射できる核弾頭はたった一発だけでしょう。迎撃できるのでは?」
写真を眺めながら、国務長官が問う。
「それが……難しいのです。おそらくREAは、唯一の核弾頭とともに所有するすべてのミサイルを同時発射するでしょう。サーブリャ以外にも、REAは射程の短いM‐9やM‐11弾道ミサイルを中国から購入しています。発射の初期段階でこれらを類別することは難しいです。サーブリャ自体も発射機が三十、ミサイルが五十発程度あります。三十発が一度に同一目標に向かってきた場合、そのすべてを迎撃するのはまず不可能でしょう。撃ち漏らしたなかの一発が核弾頭であれば、東京は壊滅します」
「囮と核弾頭の区別はつくのではなかったかな?」
副大統領が、訊いた。
「それは、囮が単なるダミー弾頭だった場合です。重量が違えば、軌道要素から本物と偽物を識別することは可能です。しかし、今回の場合はおそらく本物と同じ重さの模擬弾頭を投射してくるでしょう。なにしろ、核弾頭はひとつしかないのですから」
「現状で、日本周辺のMD(ミサイル防衛)戦力は?」
椅子の背もたれに身をあずけた大統領が、訊いた。
「沖縄に、四個射撃中隊を擁するパトリオットSAM(地対空ミサイル)一個大隊が展開しています。海軍はイージス巡洋艦二隻、イージス駆逐艦七隻を運用中。在韓米軍の第35防空旅団もPAC3を運用中ですが、これを動かすのは困難かと。日本の航空自衛隊はパトリオットSAM六個大隊を保有し、限定的ながら二十四個射撃中隊すべてでPAC3の運用が可能です。海上自衛隊が、スタンダードSM3を運用可能なイージス駆逐艦四隻を保有」
「それだけあれば、東京を守りきれるのではないかね?」
「ルフ大統領が素直に東京を核攻撃してくれれば、の話です」
APNSAが、わずかに顔をゆがめた。
「サーブリャの射程は千八百キロです。日本の主要部はもちろん、沖縄まで射程に入ります。こちらが東京の守りを固めれば、他の日本の都市を狙ってくる可能性が高いでしょう。この程度の戦力では、日本のすべてを守るには不足です。さらに言えば、韓国に展開する我が軍の基地や、都市を狙ってくる可能性もあります。もうひとつ指摘しておきたいのは、サーブリャの射程内に極東ロシアの主要都市や北京、上海なども含まれると言う事実です」
「まさか、ロシアや中国に牙を剥くことはあるまい」
副大統領が、顔をしかめる。APNSAが、かすかに首を振った。
「可能性は少ないですが、ありえないことではありません」
「こうなると、日本との安全保障条約発動は危険ですね」
国務長官が言った。
「同意する。共同防衛となれば、日本人は防衛を全面的に我々に依存してくるだろう。東京への核攻撃を阻止できなかった場合、わが国がその責任を問われることになる」
副大統領が、断定的に言う。
「ウェイドの言うとおりだな。ロシアの協力があったとはいえ、『オペレーション・オイルペイント』はわが国が行った作戦だ。ただでさえ、我々は今回の事態に関して日本からの非難を受け易い立場にある。幸い、REAと日本はいまだ直接的な交戦には至っていない。日本の防衛には尽力するし、全面的に協力するが、安全保障条約は発動させない。この方針で行こう。サム、できる限りのMD戦力を至急日本に集めてくれ。いいな」
大統領が、国防長官を見据えて告げた。
「先制攻撃のオプションは無いのかね? とりあえずサーブリャをすべて破壊するか、一発だけの核弾頭を破壊ないし確保すればよいのだろう?」
副大統領が、APNSAに訊いた。
「サーブリャの基地は二ヶ所あります。首都ベロホルムスクの北西四十マイルにあるヴォルホフ基地。東部の主要都市ヤスノグラードの北十五マイルにあり、ロシア国境に近いウグロフカ基地。いずれも、固い花崗岩の岩山に掘られた地下要塞です。TEL(輸送起立発射機)は水平トンネルの奥、複数の対爆扉に守られています。巡航ミサイル攻撃では破壊できませんし、BLU‐109/B弾頭のJDAM(GPS誘導爆弾)も無力です。これを通常兵器で破壊するには、近接してマベリックやヘルファイアのような対装甲誘導ミサイルを対爆扉に丹念に撃ち込んで一枚ずつ破壊し、さらに奥にあるTELにミサイルを命中させるしかありません。当然、大規模なアルファ・ストライクが複数回必要になります。現在極東にある航空戦力……在日米軍、在韓米軍、ジョージ・ワシントン戦闘群だけでは不足です。妥当な戦力を揃えるだけでも、最低一週間は掛かるでしょう」
「それほど戦力が必要なのかね?」
大統領が、わずかに首を傾げる。
「REA空軍は強力です。ソビエト崩壊時に、PVO(防空軍)の基地を二ヶ所装備ごと受け継ぎましたし、その後もロシアからMiG‐29ファルクラム二個連隊八十機を購入しました。旧式なものを含め、作戦機だけで五百機を保有しており、その中にはMiG‐25七十機、MiG‐31四十機なども含まれています。さらに、SA‐6、SA‐10、SA‐11などの地対空ミサイルも多数保有しています。侮れる相手ではありません」
「特殊部隊の使用は無理かね? デルタやSEALsを使えないのか?」
副大統領が、訊いた。
「侵入方法はヘリコプターかHALO(高高度降下低高度開傘)しかありませんが、前者はまず間違いなく事前に発見され、迎撃されるでしょう。後者ならば隠密裏に潜入可能ですが、ミサイル基地の警備は厳重です。情報では、周辺警備に歩兵部隊だけで二個大隊規模、地下には中隊規模の特殊部隊が配備されているようです。その他にも、固有の防空部隊がいます。さらに、隣接する飛行場には攻撃ヘリコプター数機が配備されています。いくら精鋭とはいえ、一個小隊程度の兵力を送り込んでも無駄でしょう。ウグロフカ基地ならば、ロシア国境から近いので、ロシアの支援を受ければ強襲も可能でしょうが。ただし、肝心の核弾頭がどちらの基地にあるのかが今のところ不明です」
「NRO(国家偵察局)はしっかりと監視しているのだろうな?」
大統領が、確認した。
「もちろんです」
「無人偵察機は?」
「グローバルホークを飛ばせないことはないですが、REAの空軍は優秀です。まず間違いなく捕捉され、撃墜されるでしょう。センチネルならば安全ですが、グローバルホークほどの航続距離がありません」
「となると、確実な先制攻撃の方法はやはり核攻撃しかないのか」
嘆息気味に、首席補佐官が言う。
「そうなります。推奨方法は、B‐2ステルス爆撃機によるB61Mod11の投下です」
「モード11というのはなんですか?」
国務長官が、訊いた。
「地中貫通型のB61です。先端部を強化し、重量も通常の物よりも六割増しほどの千二百十ポンドあります。これを高高度から投下し、運動エネルギーで岩山の中に打ち込み、W61核弾頭を最大核出力の五百キロトンで起爆させます。確実に、核弾頭もTELも破壊できるでしょう」
「二次放射能はどうなんだ?」
大統領が、質問する。
「それが最大の問題です。地表ないし浅い地中で核爆発が生じた場合、放射線を浴びた大量の表土が巻き上げられ、風の状態如何で百マイル先にまで致死量の放射性降下物が撒き散らされます。風向き次第では、ハバロフスクやウラジオストック、ハルビンやチャンチュンといった大都市が放射性降下物で汚染され、場合によっては死者が生じるおそれがあります」
「となると、東京壊滅以上に深刻な国際問題を惹起しかねませんね」
国務長官が、ため息混じりに言う。
「現状で、核攻撃はできん。先制不使用がわが国の方針だ。たとえ、相手がならず者国家であったとしても」
大統領が、腕時計に眼を落とした。
「そろそろ時間だな。サム、シチュエーションルームに移る前に、MD関連戦力の日本集中に関して確実に指示を出しておいてくれ。メリッサ、君はタナベ首相に対し、安全保障条約を発動しないことを通告してくれ。軍事面での協力は惜しまないという言質は与えてもいい。フィル、この件に関してはロシアの協力が不可欠だ。モスクワに連絡を頼む」
第三話をお届けします。また濃い回ですみません。次回は『薄い』回ですので。




