第十話
「これで、全容が見えてきましたね!」
ジョーが、嬉しそうに言った。
岡本ビル四階の事務室である。長浜一佐、越川一尉、畑中二尉、石野二曹、三鬼士長にジョーが加わっての、小会議が開かれていた。
「CIAは今後どう動くつもりなのかね?」
長浜一佐が、ジョーに訊いた。
「日本側が許可を……もとい、黙認してくれるならば、梶原友洋を直接尋問して、真相をはっきりさせたい、というのがCIAの方針です」
ジョーが答えた。梶原友洋は日本国民であり、それをCIAが勝手に犯罪者扱いをして尋問することは、当然国家主権の侵害となる。
「自衛隊は、その件に関しては一切関与していない」
長浜一佐が、きっぱりとした口調で言って、間接的に梶原友洋尋問にゴーサインを出す。
「ありがとうございます、一佐殿。厚かましいようですが、もうひとつお願いがあるのですが……」
礼を言ったジョーが、長浜一佐に媚びるような視線を向ける。
「なんだね?」
「スカディたちをちょっと貸してくださいませんか? 梶原友洋の尋問を、CIAが大っぴらに行うわけにはいきませんから、ちょっと工夫が必要なんです。できれば、日本駐在員は関与させたくないですし。人手が必要なんです」
長浜一佐が、越川一尉と畑中二尉に視線を走らせる。越川一尉は首を振って……否定ではなく明らかに諦めの意思表示である……畑中二尉は小さいが鋭いうなずきをする。
「よかろう。詳細も聞かないでおこう。だが、結果だけは報告して欲しい」
長浜一佐が、そう応じた。
「ありがとうございます、一佐殿」
ジョーがにこりと微笑む。
『梶原友洋拉致作戦』は滞りなく進められた。
風呂上がりの飲み物にスカディが入れた睡眠剤によって、梶原友洋がぐっすりと眠り込んだことを確認したシオは、そっと玄関を開けてアルを招き入れた。アルが梶原友洋に注射を打ち、完全に意識を失ったことを確認してから、スカディに向かってうなずく。スカディが、無線で『アランチャ』店内に待機している亞唯、雛菊、ベルに連絡を入れる。
三体は警報を切ってある窓から外に出た。周囲の様子を光量増幅装置とパッシブ赤外線機能で窺いながら、自宅玄関に通じる階段前に向かう。
階段を降りてきたアルと合流した亞唯が、先行偵察役として一足先に近所に停めてあるミニバン……トヨタ・ヴォクシーに向かう。雛菊とベルはそのまま階段を登り、寝室へと入った。シオを加えた三体で梶原友洋の身体を持ち上げ、慎重に外へと出す。スカディが、最終チェックをしてから玄関を施錠して、あとに続いた。
意識を失っている梶原友洋を含む全員がヴォクシーに乗り込んだところで、アルがエンジンを掛けた。スカディのナビゲートで車を走らせ、東へと向かう。目的地は、成田空港の近くにあるCIAのセーフハウスのひとつである。
セーフハウスで待ち受けていたジョーの案内で、AI‐10たちは梶原友洋を地下室に運び入れた。打ちっぱなしコンクリートの床に固定された椅子に座らせ、後ろ手に金属製の手錠を掛けたうえで、荒縄でぐるぐる巻きにして椅子に縛り付ける。荒縄を使ったのは、演出の一種である。細くて丈夫なパラコードなどを使うよりも、はるかに粗野な印象を与えるからだ。……他人を脅しつける場合、より非文明的、非文化的なやり方の方が、効果が高くなる。人は、自分がコントロールできない状況に置かれると不安になり、屈し易くなるものである。
ジョーがすでに、地下室内に梶原友洋の椅子に向き合う形で三つの椅子を運び入れていた。三角形を形作るように並べられており、頂点のひとつが梶原友洋の正面に、残り二つがその左右後方に置かれている。シオは二つの椅子に、人型に切った黒い段ボール板を黒いビニールテープで張り付けた。
亞唯と雛菊とベルが、椅子の後ろの壁際に、業務用の三脚付きLEDライトを何本も運び込む。全員に事前警告してからスイッチを順次入れてゆくと、途端に地下室内が白い光に満たされた。これで、梶原友洋が眼を開けたとしても、ろくに前が見えない状況が作り出された。椅子に張り付けた人型段ボールも、実際に人が座っているようにしか見えないはずだ。
サングラスを掛けたアルが現れ……顔を隠すよりも、光から眼を保護するのが目的である……真ん中の椅子に座る。その背後に、スカディが隠れた。
「みんな、準備はいいかい?」
ジョーが、全員の応諾を受けてから注射器を取り出し、解毒剤を静脈注射した。荒縄の状態を確かめてから、そそくさと地下室を出てゆく。シオ、ベル、亞唯、雛菊も部屋を出た。
数分後、梶原友洋が意識を取り戻す。あまりの眩しさに、開けた眼をすぐに閉じてしまった彼に、アルが英語で声を掛けた。
「お目覚めのようだな、ミスター・カジワラ。わたしはとある組織の者だ。質問に、答えていただきたい」
言葉は丁寧だが、若干脅しつけるような口調で、アルが尋問を開始する。やはり素人である。梶原友洋はすぐに折れ、アルの質問に素直に答え始めた。
マルーア支庁の主島であるフリダ島に配属された帝国海軍少尉小橋清一郎。同じくフリダ島勤務を命じられて内地からやって来た南洋興発株式会社の梶原貞蔵。立場の違う二人の青年は、なぜか馬が合い、親友となる。
その二人の前に現れたのが、まだ十代の美しい現地人女性、ミランダ・オボであった。色々と複雑な事情……その詳細は梶原友洋も知らない……があり、ミランダは二人の青年と付き合うようになり、やがて妊娠する。
立場上、小橋清一郎も梶原貞蔵も現地人女性と結婚することは難しかった。さらにその上、子供の父親が二人のうちどちらかも判然としない。話し合いの上、二人の青年はミランダとは結婚しないが、子供の養育には責任を持つ。どちらが父親か特定することもせず、二人とも義理の父親としてふるまう、という取り決めがなされる。二人の青年を同等に愛していたミランダは、この条件を受け入れて未婚の母となることを決意した。
だが、その関係は外部要因によって崩される。日本の敗戦である。
小橋清一郎も梶原貞蔵も、内地引き上げを余儀なくされた。内縁の妻としての身分しか持たないミランダは、フリダ島に残されることになる。清一郎と貞蔵は、ミランダにファンと名付けられた息子を託し、日本に向かう。
戦後情勢が落ち着くと、清一郎と貞蔵は協力してミランダとファンの世話を焼いた。日本国内から連絡を取り、経済的援助を行う。二人の日本人の支援を糧に、ミランダは結婚せずに、女手ひとつでファンを育て上げた。
清一郎も貞蔵も、世間体もあって日本でそれぞれ嫁を貰い、家庭を築く。清一郎は兄が行っていた商売を手伝い、これを大きく発展させることに成功する。兄がガンで亡くなったのちはあとを継ぎ、七十歳で経営から退き、事業を息子の昭一に譲る。
貞蔵は戦後闇市で怪しげな飴を売るという商売……当時の日本人はとにかく甘味に飢えていたので、これは大当たりだった……で儲け、その資金を投じて妻と共に食堂の経営を始める。生まれた息子拓洋は、そこで料理人としての研鑽を積み、やがて貞蔵から店を継ぐことになる。
小橋昭一も梶原拓洋も、義理の兄であるファンがマルーアに居ることは、幼少の頃から父親より聞かされて育った。いずれも父親を尊敬していたので、ミランダとファンの支援を続けることに抵抗はなく、父たちが行っていた『仕送り』も喜んで続けることになる。
拓洋は妻とのあいだに息子友洋をもうける。幼い頃から食堂の厨房に出入りして料理に興味を持った友洋は、調理師を目指すことになり、調理師専門学校を卒業後都内のレストランに就職する。
一方昭一は男児に恵まれず、二人の娘はいずれも聡明で気立てもよかったが商売人には向かない気質だったので、次女に婿を取らせて後継ぎとすることとなった。
マルーアでは、ファンが妻クララとのあいだに、一男一女をもうける。息子アンガスは、日本からの仕送りのおかげで高等教育を受けることができ、サウス・カリフォルニア大学に留学し、社会科学を学んでから帰国し、後に政治活動を始めることになる。妹のジョディーは、堅実に地元の学校教師と結婚し、娘パトリシアを授かって派手さはないが幸せな家庭を築くこととなる。
友洋はその後、千葉県内でステーキハウスの経営に乗り出す。父親の拓洋は、経営していた食堂を売り払って引退したが、数年前に死去。マルーアの親戚に対する援助は、友洋に受け継がれる。友洋は、隠居状態にあるもののまだまだ元気な小橋昭一と共に、ファン・ナバーロ一家に対する支援を続けた。
マルーア国民議会に議席を得たアンガスは、志を同じくする議員と統一会派を作り、それはやがて民主労働党へと発展する。同党は親米ではあったものの、マルーアの未来のためには合衆国へ経済的依存を弱めるべきだと考えており、早くからアジア太平洋地域の諸国と政治的、経済的結びつきを強めることが必要である、と主張していた。
やがて民主労働党は主要政党のひとつに成長するが、政権を狙えるほど国民の支持は得られなかった。先代の民主労働党党首は大統領選に出馬したが、国民運動党のジェフリー・サカモトの前に惨敗を喫し、責任を取って党首を退くことになる。後任の党首に選ばれたのは、すでにベテラン議員の一人に数えられていたアンガス・ナバーロであった。
アンガスは対米依存からの脱却と、台湾との断交を強行し、国軍の創設に踏み切ったサカモト大統領を積極的に攻撃することにより、支持を伸ばす。その甲斐あって、今年行われた国民議会選挙では、民主労働党は多数の当選者を得て、野党第一党の地位を得ることに成功する。一方、国民運動党は議席を大幅に減らし、単独での議会運営が困難な状況に陥った。
起死回生の妙手としてサカモト大統領が選択したのは、民主労働党との連立政権であった。ライバル関係にあるとはいえ、民主労働党も対米依存状態は好ましくないと考えている。双方が妥協すれば、手を組めないことはない。
アンガスは、党内の意見を取りまとめたうえで、自身の副大統領就任と、国軍の縮小などを条件に、国民運動党との連立に踏み切る。
だが、この連立政権も悪化し始めた国家財政の立て直しには役立たなかった。サカモト大統領は法律を改正し、中国資本の投資条件を緩和し、税制上でも優遇措置を与えて、経済の活性化を図ろうとする。さらに、警察の業務の一部を国軍に移管することにより、予算規模の縮小を企む。
アンガス・ナバーロ副大統領はこれに強固に反対した。民主労働党が合衆国と距離を置くことを主張するのは、マルーアが政治的、経済的に真の独立国となることを目指すためである。このままサカモト大統領の好きにさせたら、対米依存国家が対中依存国家に代わるだけである。警察業務の移管も悪手である。創設間もない経験不足の国軍に、それなりに長い歴史を持つマルーア警察の代わりが務まるわけがない。
サカモト大統領とナバーロ副大統領は対立し……ついに大統領は副大統領を切り捨てる決断をする。突如国軍が動き、アンガス・ナバーロ副大統領を国家反逆罪容疑で逮捕。サカモト大統領は国家非常事態を宣言、国民議会の暫定閉鎖と各政党の政治活動の制限を行い、民主労働党の抵抗の芽を摘む。
この事態を受け、アンガスの友人でもあるロジャー・アラニス警察長官は、密かにクーデター構想を練り始める。警察力を総動員してサカモト大統領を追放し、アンガスを首班とする新政権を作ろう、というプランである。だが、その前に立ちはだかるであろう国軍を排除できるだけの力が、マルーア警察には無かった。人数ではさほど引けは取らないが、所有する兵器の面で大幅に劣っていたのだ。
国軍はK2アサルトライフル、K3分隊支援火器などで武装しているのに対し、警察の装備はルガー・セキュリティシックスやS&W M10などの古いリボルバーがメインで、しかもその総数は五百丁以下である。……これでは喧嘩にならない。
密かに武器を購入することを決意したアラニス長官は、信頼できる部下をマニラに派遣する。そこに、金さえ払えば気前よく売ってくれる武器商人がいるという情報をつかんだからだ。同時に、アラニス長官はアンガスの妹ジョディーと、その娘パトリシアを通じ、日本にいる梶原友洋に資金援助を依頼する。小橋昭一と相談のうえ、資金提供を受けた梶原友洋は、英語に堪能なことからいわば『日本側代表』としてマニラに赴き、アラニス長官の部下エンシーナ警部と共に、武器商人に接触を行うことになる……。
「うわー、そんなからくりだったんか」
雛菊が、半ば呆れたように言う。
スカディを除くAI‐10五体……ジョーを含む……は、隣室で聞き耳を立てていた。英語なので滑らかではなかったが、梶原友洋の供述は途切れることなく続いていた。
「で、どうするんだ、この始末?」
亞唯が、ジョーに訊いた。
「うやむやに終わらせるしかないと思うよ」
ジョーが、言った。
「合衆国としては、マルーアで戦乱が生じるのは歓迎できないはずだよ。周辺諸国への影響もあるしね。混乱に乗じて、中国あたりが政治的関与を強めてくるおそれがある。今のマルーアは、脱米主義を掲げているから外交上のパワーバランスが崩れ、真空地帯になりかけている。ここで隙を見せたら、一気に中国にかすめ取られてしまう危険性があるよ! それだけは、絶対に阻止しないとね!」
「うやむやというと、店長さんはどうなるのですかぁ~」
ベルが、心配そうに訊く。
「梶原友洋かい? 公にできる話じゃないし、彼を刑務所にぶち込んでも何の解決にもならないしね。NICAエージェントの殺害も、無関係のようだし。計画を中止させ、厳重に口留めのうえ放置、じゃないかな」
「小橋昭一の方も、同様でしょうか?」
シオは訊いた。
「そうだね。梶原友洋より社会的地位は高そうだから、なおさら下手なことはできないね。大きくて恐ろし気な組織を敵に回したくなければ、口を噤んでいろと脅しつけて放置、かな」
アルと、二種類の声音を使い分けたスカディに散々脅された梶原友洋は、密かに背後から忍び寄ったジョーに再び注射を打たれ、意識を失った。次にパジャマ姿のまま梶原友洋が意識を取り戻したのは、東武野田線江戸川台駅近くの公園のベンチで、時刻は昼過ぎであった。ポケットには封筒が突っ込まれており、その中には千円札が一枚入っていた。
梶原友洋はかなり気恥ずかしい思いをしながら電車に乗り、帰宅した。
その日、『アランチャ』は臨時休業となった。
第十話をお届けします。なんとか間に合いました。




