第六話
午後一時四十分過ぎ。休憩室に、スカディが現れた。
「作戦を開始しましょう。由貴さんが二時過ぎに休憩に入るから、そこがタイムリミットよ」
「了解なのであります!」
シオは即座にモップの柄を隠し場所から引っ張り出した。
二体はホールで働いている雛菊と無線交信を行いながら、休憩室を出た。二階の個室へ通じる階段は厨房のそばにあり、ホールからは丸見えである。他の従業員に階段を登ってゆくところを見られないようにするためには、雛菊の協力が不可欠だ。
『ええで』
無線で、雛菊が合図を出す。
スカディとシオは急いで階段を登り始めた。ホールから見通せない踊り場にたどり着いたところで、脚を緩める。
『完璧や。誰も気付かなかったで』
雛菊が、嬉しそうに報告してくれる。
スカディとシオは、静かに両開き扉の片側を開けると、個室のひとつに入った。テーブルを迂回し、出窓に取りつく。
出窓は台形引き違い両袖開き出窓、と呼ばれるタイプで、要するに正面に普通の引き違い窓があり、その両脇に縦型の滑り出し窓がある出窓である。シオは窓台によじ登ると、滑り出し窓を目いっぱい開けた。そこからモップの柄を掴んだ腕を伸ばし、梶原店長自宅の物置和室のアルミサッシ窓に先端部分を押し当てる。ぐっと押すと、思惑通りアルミサッシが開き出した。二十センチほど開いたところで、満足したシオはモップの柄を引き戻し、出窓の際で待機しているスカディに渡した。スカディが、素早くモップの柄の三か所に布テープを巻き付け、二本をひとつにまとめる。
シオはスカディから返されたモップの柄を、出窓とアルミサッシのあいだに掛け渡した。腕で押して強度が充分なことを確かめてから、滑り出し窓を抜ける。スカディが、念のために窓台側のモップの柄を手で押さえてくれる。
出窓を出たシオは、外壁に手を張り付かせるようにしながら、慎重にモップの柄の上を進み出した。足が短く、重心位置が低いAI‐10は、その見た目とは裏腹にこのような芸当は得意……ではないにしろ、決して不得手ではない。高所に恐怖心を覚えることがない、というのも利点であろう。ともかく、シオは十数秒で向こう側へたどり着いた。アルミサッシを手で押し開け、物置和室へと無事に入り込む。
『ではリーダー、あとはよろしくなのです!』
シオはスカディに通信を入れると、さっそく調査を開始した。物置和室を出て、梶原店長の寝室前に進む。
寝室の扉は、ごく普通の内装木製ドアで、明り取りの窓などは付いていない。錠前なしのドアノブがあるだけだ。シオは全体をスチール撮影すると、ドアとドア枠の隙間に薄い紙片を差し込んで、罠や警報装置が無いかをチェックした。身長の関係上、あまり上の方は無理だったが、調べた範囲内では罠は無さそうだ。
シオはドアノブを回した。少しだけ引き開けてから、中の様子を目視して調べる。……ドアノブに紐を括りつけておく、という古典的な罠も無さそうだ。シオはドアを大きく開くと、内部のスチール撮影を開始した。満足したところで、ようやく室内に入る。
畳敷きにすれば八畳ほどある部屋だったが、家具調度の類がかなり詰め込まれているので狭く見えた。正面に窓があり、その左隣に衣装箪笥。右側の壁にはライティングデスクと本棚がある。左側の壁にはシングルベッドがあった。床は落ち着いた茶系のカーペット敷きだ。
シオはすぐさまライティングデスクに向かった。引き出しを開け、中の物を写真に撮ってゆく。紙類は、内容を確認しないままとにかく撮影した。
引き出し内を調べ終えたシオは、デスク上に置かれていた小さな写真立てに目を向けた。粒子の粗い白黒の写真で、おそらく古い写真をスキャナーで取り込んで、印刷したものだろう。ヤシの木が数本生えているどこか南の国らしい海岸を背景に、二人の男性が笑顔で並んで映っている。一人は二十代の、古風な丸眼鏡を掛けた知的な風貌で、白い半袖開襟シャツ姿だ。もう一人は同年代で頭は丸坊主、鋭い目つきをしている。こちらも半袖開襟シャツだが、襟のところになにやら記章のような物が付いており、なんとなく軍服くさい。どちらも、梶原店長とは別人である。
「店長のご先祖様でしょうか?」
シオはそれも丁寧に接写撮影した。オリジナルの写真であれば、裏側に撮影日時や場所、映っている人物に関する書き込みなどがあるかも知れないが、コピーなのでそれは期待できない。
次いでシオは本棚に移った。ざっと見た感じ、過半数は時代小説のようだ。シオが聞いたことがある有名作家の本も、結構ある。シオはとりあえず背表紙を撮影した。
「あれ、シオちゃんは?」
休憩所に入って来た由貴が、当惑した表情で充電中のスカディに訊いた。
まだ午後一時五十分過ぎである。……予想よりも早くランチの客が引いたので、由貴が早めに休憩に入ってしまったのだ。
『シオ。由貴さんが休憩に来てしまったわ。調査を切り上げて戻りなさい。雛菊、抜かったわね』
スカディはそう無線を飛ばした。
『こちらシオ。了解なのであります!』
『スカぴょん、堪忍や。接客しとるあいだに抜けられてしもた』
シオと雛菊から、相次いで返信がある。
「由貴さん。シオでしたら、電話を掛けに行きましたわ」
スカディは、非常時に備えてあらかじめ作ってあった言い訳を始めた。
「電話?」
由貴が、当惑顔を深めつつ訊く。
「今朝とは別のエラー表示が出たのです。それを、アサカ電子に報告するために近所のコンビニまで公衆電話を探しに行ったのです」
「それくらいなら、お店の電話使えばいいのに」
「一応私用電話になりますから、遠慮させていただきました」
スカディは、そう答えた。
「一言言ってくれれば、あたしのスマホ貸してあげたのに」
残念そうに言いながら、由貴が自分のロッカーを開けてスマホを取り出した。パイプ椅子に座り、メールチェックを始める。
従業員の休憩時間は、基本一回二十分である。由貴がスマホをいじり出した以上、間違いなくあと二十分は休憩室に居座り続けるだろう。
『シオ。電話のために外出したという偽装を由貴さんに伝えたわ。上手くごまかしてちょうだい』
スカディはそう通信を送った。
シオは急いで撤収を開始した。
ドア付近まで戻り、撮影した写真を参照して室内に乱れが無いかを確認する。カーペットの上に足跡がかすかに残っていることに気付いたシオは、手でそこを均してごまかした。
扉を閉め、急いで物置和室まで戻る。モップの柄の上に乗り、窓をなるべく閉めたシオは、再び『竿渡り』を開始した。
無事に出窓まで戻って来たシオは、モップの柄を回収した。布テープを剥がし、二本まとめてあった柄をばらす。
シオは手早く出窓を閉めた。和室物置の窓は細く開いたままだが、これは仕方がない。シオは雛菊とスカディに無線を入れながら、足早に階段に向かった。
「ジョーが持って来てくれた梶原友洋の資料の中に、該当する人物がいましたー。祖父の、梶原貞蔵ですねー。1920年生まれ。2002年没。八十二歳で亡くなってますー」
シオが接写し、石野二曹が『回収』してきた、梶原店長のデスクにあった古い写真が全画面表示になっているパソコン画面を前に、畑中二尉が説明した。
「ちなみに、奥さん……友洋の祖母は、2016年に九十一歳で亡くなっていますー。貞蔵は、南洋興発株式会社の社員で、1945年に同社がGHQの命令で解散させられるまで、そこに在籍していましたー。この写真は、二十代の頃の貞蔵なので、まず間違いなく南洋興発社員だった時に、南洋諸島のいずれかで撮影されたものでしょう。ちなみに、配属地はマルーア支庁だった、と記録されていますー」
「この、丸眼鏡の人物だな。隣の男は、誰だろう?」
ディスプレイに目を近づけながら、長浜一佐が訊いた。
「調べたところ、これは旧帝国海軍の防暑衣のようですー。防衛研究所戦史研究センター、総務省、厚労省に問い合わせを行ってますが、写真一枚から人物特定はまず無理でしょうねー。なにしろ、推定で八十年以上前の写真ですからー」
畑中二尉が、肩をすくめる。
「マルーア支庁。南洋興発社員。となれば、現地で知り合った海軍軍人だろうな。ひょっとして、武器購入はマルーア絡みなのか?」
ディスプレイから身を起こした長浜一佐が、言う。
「可能性は出てきましたねー」
畑中二尉が、答えた。
「あのー、どうもお話がよく判らないのですが」
三鬼士長が、遠慮がちに口を挟む。同席している石野二曹も、きょとんとした表情だ。
「あー。若い子は知らないから、いちから説明しなきゃだめかー。南洋諸島というのは、ミクロネシアのかなりの部分に対する日本語の呼称だー。今の国と地域で言えば、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国、マルーア共和国、北マリアナ諸島自治連邦区、だなー。北マリアナは独立国ではなく、合衆国に属する自治領だー。ちなみに、マリアナ諸島南端のグアムは合衆国領土のままだったから、狭義の南洋諸島には入らないぞー。この一帯は、スペインが植民地化していたが、強引な海外植民地獲得に乗り出し、ニューギニアの一部やその周辺を獲得していたドイツ帝国に売却されることになるー。だが、第一次世界大戦でドイツが敗北すると、ドイツ領だったこれらの島々は、ヴェルサイユ条約によって日本の委任統治領となるー。委任統治というのは、まあ単純に言ってしまえば現地に自治独立するだけの能力が不足しているから、独り立ちできるまで受任国が面倒を見てやる、という制度だなー。植民地とは、まるっきり違うから注意しろー。このような経緯で、南洋諸島は国際的にも認められた日本の領土となったのだー。南洋興発というのは、この南洋諸島開発のために設立された企業だー。例の東拓が筆頭出資しているから、実質的には子会社だなー」
「トウタクって、不動産屋ですよね?」
石野二曹が、首を傾げる。
「建築業者だったような」
三鬼士長も、首を傾げる。
「あー、この東拓は東洋拓殖株式会社のことだー。不動産屋でも建築業者でも、大阪のパイプ屋でもないぞー。朝鮮経営のために設立された国策会社のことだー。この辺のことを細かく説明したら何時間も掛かるからこのあたりで切り上げるが、南洋興発は国の肝入りで南洋諸島開発を推進した企業、と思っていればいいー。『満鉄』の南方バージョン、でもいいだろー」
「しかし、マルーア情勢は落ち着いているはずだな」
長浜一佐が、問う。
「そうですねー。与党国民運動党は結局民主労働党と袂を分かち、不安定な政治状況にはありますが、軍がジェフリー・サカモト大統領をがっちりと支持していますからねー。アンガス・ナバーロ元副大統領はいまだ収監中で、野党は釈放要求を突き付けていますが政府与党は応じるつもりは無いようですー」
「ならば、素人の梶原友洋が仲間を集めて武器を手に乗り込んでも、何の役にも立ちそうにありませんね」
石野二曹が、言う。
「だなー。マルーア情勢に介入したければ、武器の購入ではなく傭兵部隊でも雇うべきだなー。いずれにしても、梶原友洋とマルーアの関係はありそうだと判ったが、それがどのように武器購入に繋がるのかがわからんー。実はまったく関係ないのかも知れないー。あー!」
畑中二尉が、唐突に大声を出す。
「どうした?」
長浜一佐が、眉をひそめる。
「どうでもいいことだと思いますが、今気づきましたー」
畑中二尉が、メモを広げた。
「友洋の父親、つまり貞蔵の息子の名前は、拓洋ですー。生まれたのは、1947年。『洋』を『拓く』とは、いかにも元南洋興発社員が付けそうな名前ですよー」
「そうだな。ところで、梶原友洋のスマホの調査はどうなった?」
畑中二尉の『発見』にあまり感銘を受けなかったらしい長浜一佐が、素っ気なく訊いた。
「登録及び発信、着信の各番号を虱潰しに調べていますが、今のところ怪しい連絡先はありませんねー。あ、マルーア関連、それと南洋諸島、帝国海軍についての調査項目を追加しておきますー」
畑中二尉が、そう応じる。
「明日は休ませてもらうから、よろしく頼むよ」
シオとスカディの『店長寝室調査』の二日後の閉店後、梶原店長がAI‐10たちを前にそう切り出した。
「そうですか。ごゆっくりなさってください」
スカディが、労うように言う。『アランチャ』に定休日はないので、当然店長が居ない日もあるはずだが、明日はAI‐10たちが働き始めてから初めての店長不在となる。
「店長代理は、誰なんだい?」
亞唯が、訊く。
「石崎君だな。川島君も明日は閉店まで残ってくれるから、問題ない。君たちも居るしね」
梶原店長が、微笑む。ここ数日で、AI‐10たちはすっかり従業員から信頼を得ていた。キッチン組は補助的な仕事しかできないが、与えられた作業はきっちりとこなすし、ホール組も基本的な仕事はほぼ完璧にやってのけている。少なくとも、ベテラン従業員の0.75人分くらいは役に立っているだろう。しかも、それを開店前から閉店後まで、充電時間を除けば休みなしで、愚痴ひとつこぼさずに働いているのである。
「お任せください! あたいたちが居ればお店は安泰なのであります!」
シオは自信ありげに言い切った。
「そうだね。こうなると、アサカ電子との契約が切れたあとが怖いよ」
梶原店長が、笑った。
「店長さん、お休みの日はどう過ごされるのですかぁ~? お出かけでもされるのですかぁ~」
ベルが、さりげなく探りを入れる。
「少し出掛けてくるよ。たまには、気晴らしも必要だからね」
詳しく話したくない、という気持ちを込めた口調で、梶原店長が言う。すっかり人間臭い思考が染み付いているAHOの子たちは、すぐに梶原店長の意図に気付いたが、あえて鈍感なロボットのふりをした。
「ゴルフとか釣りとかするんか? ひょっとして、お馬さんちゃうか?」
雛菊が、とぼけて訊く。……梶原店長に、ゴルフの趣味も釣りの趣味もなく、ギャンブルに縁がないことも充分に承知のうえである。
「……ちょっと、友人に会いに行くだけだよ」
梶原店長が迷惑そうな顔でそれだけ答えて、会話を打ち切った。
「友人。怪しいのであります!」
シオは断言した。
「愛人、の間違いちゃうか」
雛菊が、ほくそ笑む。
「これは尾行しなければいけませんねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言った。
いずれにしても、AHOの子たちは『アランチャ』を抜け出すわけにはいかない。『梶原店長お出かけ』に関する情報は、スカディがこっそり持っているスマホによって、板橋で待機中の石野二曹に伝えられた。石野二曹からの報告を受け、長浜一佐が明日梶原友洋の尾行作戦を行うことを決定する。
第六話をお届けします。




