第四話
制服に着替えたスカディ、シオ、雛菊の三体は、開店に備え店内の掃除を開始した。床は前日営業後に清掃してあるので、汚れが目立つところだけモップ掛けを行う程度に留める。窓も同様に、汚れが目立つところだけ……ボックス席脇の窓の低い位置に、子供の手形が付いていることが多い……を拭き上げる。
それが終わると、テーブルやカウンターの上に載せてあった椅子を戻して、テーブルとカウンターを水拭きする。天板が乾くまでのあいだは、客用トイレのチェック……天井照明を点灯し、換気扇と温水洗浄便座の電源を入れ、ペーパーのセットを確認し、ペーパータオルを補充。芳香剤の状態、水道の確認、備え付けの鏡の汚れを点検する。
AI‐10たちが清掃に追われているあいだに、由貴と他のホール担当者が、それ以外の準備を着々と進めていた。レジに釣銭を入れ、電気ポットに水を補充。ドリンクバーの準備、要所のアルコール消毒など。テーブルが乾いたところで、備え付けのカトラリー類の補充、調味料類のチェック、ランチョンマットやメニューの準備が進められる。由貴は、スタンド黒板……よく喫茶店の店頭に立てられている、あれである……に『本日のランチ』をイラスト入りで描き始めた。ちなみに、今日は『豚生姜焼きと白身魚のフライセット』日替わりスープ、ライスまたはパン付きで七百五十円、さらにワンドリンク付きで八百五十円、ドリンクバー付きで九百五十円である。その下に、『本日の日替わりデザート』の『苺ムースバニラアイス添え』も描き入れる。
「上手いもんやなー」
雛菊が、感心したように言う。
「じゃあ、これをお店の前に立ててきて」
由貴が、描き上がったスタンド黒板をシオと雛菊に託した。
「お任せ下さいなのです!」
シオは黒板をよっこらせと持ち上げた。雛菊が風除室兼待合スペースへの扉を開けてくれる。シオは黒板を持ったままそこへ入った。雛菊が、外扉を開ける。シオは、出入りの邪魔にならず、なおかつ歩道からよく見えるような位置を選んで黒板を設置した。
午前十一時。開店の時刻である。
すべての準備を整えたスカディ、シオ、雛菊の三体は、由貴を先頭にホール扉前に陣取って、お客様の来店を待ち受けた。
……一分後。
「どなたもいらっしゃいませんわね」
ぼそりと、スカディが言う。
「まあ、こんなものよ。待機場所に戻りましょう」
苦笑しつつ、由貴が言う。
最初の客が現れたのは、十一時七分頃であった。初老だが元気そうな女性三人連れが、おしゃべりしながら入ってくる。すぐに、ホール担当のアルバイト女性がボックス席に案内した。
「基本的に、店内奥の席から埋めてゆくのよ。厨房近く、トイレ近く、レジおよび出入口近くは最後ね。混んで来た時は別だけど、なるべく使わないように」
フロアの奥の方、窓際の席に案内されてゆく女性たちを見ながら、由貴が説明してくれる。アルバイト女性がメニューを渡し、一礼して下がる。
「じゃあスカディ。お冷をお出しして」
由貴が、スカディに指示した。
「承知いたしましたわ」
ちょっと緊張したような声でスカディが言って、ピッチャーから冷水をトレイに載せた三つのグラスに注いだ。おしぼり三本を添え、注文を選んでいる女性たちのテーブルに向かう。
今時、ファミレスで働いているロボットは珍しくはないが、普通はオレンジ・リボンを付けているようなリアルロボットか、厨房機器に手足が生えたような無機質なロボットというのが定番である。AI‐10のような『デフォルメ系』は女性たちには受けたようで、冷水とおしぼりを置いた後にしばらく談笑タイムがあった。
「反応はいいみたいね」
由貴が、嬉しがる。
注文の品が決まったらしく、卓上送信機……いわゆる『ピンポン』が押される。
既に伝票ホルダーに挟んだ注文伝票を手にスタンバイしていた由貴が、すぐさまテーブルへと向かった。シオとベルも、勉強のために伝票とボールペンを持って付いてゆく。いわゆる『ハンディ』はシステムが高価なので、この店では採用していないのだ。
注文は『きのこのミートソースパスタ』、『チーズハンバーグセット』、『チキンステーキセット』、いずれもワンドリンク付きでホットコーヒーがふたつ、紅茶がひとつだった。シオは注文内容を真剣に伝票に書き取った。……ロボットなのでメモリーに記録すればいいだけ、とお考えの方もいらっしゃるだろうが、注文伝票はキッチンに流さないと意味がないのだ。電子化がなされていない『アランチャ』では、手書きに頼るしかない。
注文を受けた一同はすぐにキッチンに通じる窓口へと向かった。由貴が複写になっている注文伝票の一枚目を窓口の裏側に張り付け、オーダー入りましたと声を掛ける。ちなみに、二枚目の複写の方は会計用の伝票となる。
「うん。上手にかつ正確に書けてるわね。いいよいいよ」
由貴が、シオと雛菊の書いた伝票を見て褒めてくれる。
すぐに、店は忙しくなった。幼い子供を二人連れた女性、夫婦ものらしい高齢のカップル、営業職らしいサラリーマン男性などが次々と来店したからだ。由貴ら本来の従業員は注文取りと出来上がった料理運びに追われ、テーブルへの案内やお冷出し、お冷の継ぎ足しなどはAI‐10に任された。正午近くになると、近所で働いている人たちが続々と昼食を食べに訪れるようになる。テーブルの八割くらいが使われ、カウンター席も半分以上埋まる。シオたちは食器の回収やテーブルの清掃に追われた。
ようやく落ち着いたのは、午後二時近くになってからだった。客数がどっと減り、食事メニューの注文も少なくなる。店内には、デザート類を楽しむ女性客やドリンクバーだけで粘る学生などがいるだけだ。ちなみに、『アランチャ』ではランチタイムとディナータイム以外なら、ドリンクバー単品で居座ることが可能である。座席に余裕がある時間帯に、手間のかからない客がいるだけなら、多少なりとも売り上げに繋がるのでむしろ歓迎である。
「今のうちに、交代で充電してきて」
由貴が、言った。朝番のアルバイトが帰り、由貴ともう一人のアルバイトもこの時間帯に交代で休憩を取るのだ。
「ではシオ、あなたが最初に休憩なさい」
スカディが、指示する。
「了解なのです、リーダー!」
シオは敬礼したかったが、今の偽装を鑑みてぐっと我慢した。
ロッカールームには、ベルの姿があった。コックコートのままパイプ椅子に座り、充電している。
「おや、ベルちゃん! 調子はいかがですか?」
「忙しかったのですぅ~。まるで、戦場でしたぁ~」
疲れたような口調だが、晴れ晴れとした笑顔で、ベルが答えた。
「わたくし、苺ムースバニラアイス添え作りにすっかり習熟いたしましたぁ~」
「それは良かったのであります!」
自分もコンセントに充電用ソケットを繋ぎながら、シオはそう言った。
「ホールも忙しかったけれど、なかなか楽しいのであります! 目先の変わった作業というものは、面白いのです!」
「同感ですぅ~。新しいことに挑戦するのは、とっても楽しくて面白いですぅ~」
ベルも、言う。
しばらく、二体は無言のまま充電を続けた。ほどなくして、二体ほぼ同時に首を傾け、視線を合わせた。
「あたいたち、何か忘れているような気がするのであります……」
「シオちゃんもそう思いますかぁ~。わたくしも、重要なことを失念しているような感じがしているのですぅ~」
ベルが、言う。
「はっと! バイトに集中するあまり、肝心なことを忘れていたのであります!」
シオは思わず頭を抱えた。
「そうなのですぅ~。仕事に夢中で、任務をころっと忘れていたのですぅ~」
ベルが、苦笑する。
梶原店長を調べるために、AHOの子たちはわざわざ偽装してこの『アランチャ』に潜入したのである。本来の目的を忘れ、バイトに精を出している場合ではない。
「ベルちゃん、店長といっしょにキッチンで働いていたのでしょう? 何か気付いたことはないのでありますか?」
遅ればせながら任務モードに戻ったシオは。そう訊いてみた。
「そうですねぇ~。店長はずっと忙しそうに働いていましたぁ~。オーブンとコンロ担当で、豚生姜焼きとハンバーグとステーキとパスタをたくさん作ってましたぁ~。さすがに手際はプロのそれでありましたねぇ~」
「特に怪しいとこは無かったのでありますか?」
「無いと思いますですぅ~。もっとも、わたくしデザート作りと、サラダの盛りつけに夢中になっておりましたので、見落としているかもしれませんがぁ~」
ベルが、済まなそうに言う。
「ではひとまず、他の従業員さんたちに店長のことを聞いてみましょう! なにか怪しいネタを小耳にはさんだり、妙な動きを目撃していたりするかも知れないのです!」
「賛成ですぅ~。ではわたくし、キッチン担当の皆さんに訊いてみるのですぅ~」
ベルが、そう申し出る。
「あたいはホールスタッフに聞いて回るのです!」
シオはそう言って右拳を振り上げた。
ファミレスも、普通の飲食店同様、夕食時が一番忙しい時間帯である。
『アランチャ』でも、キッチンでは朝番のパート女性が帰ったのと入れ違いに夜番のアルバイトが二人入り、ホールにも夜番の若いアルバイト女性が一人増員され、三人プラスAI‐10三体体制となる。
シオとベルは、その忙しい合間を縫って、従業員たちに梶原店長について色々と聞いて回った。新人が一番気になるのは、やはり上司の人となりである。シオとベルの質問は、特に不審がられることもなく受け入れられた。
が……。
『ベルちゃん、何かつかめましたか?』
シオは無線でベルに問い掛けた。
『何も出てきませんでしたぁ~。店長はいいひとだよ~、という意見ばかりなのですぅ~』
無線で、ベルが応じる。
『こちらもなのです! 怪しい噂はまったくないのです!』
『実は兵器オタクだとか、危ない革命思想の持主とか、怪しい宗教にはまっているとか、などの情報を得られるかと期待していたのですがぁ~』
『あたいも、ファミレス経営者は仮の姿! 実は世界征服を企む謎の秘密結社総統で、部下に吉田くんとか居るのかと想像していたのですが!』
『こちらスカディ。どうやら、自宅を調べた方がいいようね』
傍受していたスカディが、無線に割り込む。
『どうするのですかぁ~。畑中さんから教わった方法を使うのですかぁ~?』
ベルが、訊く。
畑中二尉からは、『空いている時間は店長のお世話をしたい』と申し出て梶原友洋の自宅に潜り込んで調べろ、というアドバイスを貰っている。
『それが一番無難でしょう。閉店したら、そう申し出ましょう』
スカディが、決めた。
『アランチャ』の閉店は、午後十時である。本当の意味でのファミリー向けレストランであるし、ロードサイドとは言え産業道路ではないので夜間は交通量が格段に落ちる。さらに、最寄り駅からも遠いので、仕事帰りの勤め人の夕食需要も見込めない。そんなわけで、人件費との兼ね合いから、ファミレスとしては早い時間の店じまいとなる。
ラストオーダーも早く、閉店一時間前の午後九時となっている。チェーン店のファミレスのようなセントラルキッチン(外部の集中調理施設)に依存していない店なので、調理に時間が掛かるためだ。
「じゃあ、今日は上がるからあとはよろしくー」
ラストオーダー告知の看板を出入り口外に置いて来た由貴が、そうスカディ、シオ、ベルの三体に言ってから、ロッカールームに消えてゆく。
夜番の若いアルバイト女性が、客のいないテーブルの清掃を拭き始める。AI‐10たちは、それを手伝った。キッチンの方でも、ラストオーダーの品を調理し終え、片付けに入る。
閉店三分前に、若いアルバイト女性が常連客だと教えてくれた初老の男性が、食事のあいだもずっといじっていたスマホをいじり続けながら店を出て行った。お昼から働いていたアルバイト女性が、腕時計を確認してから外扉に閉店の表示を出し、看板類を風除室にしまい込み、看板と外部照明、風除室の照明を消す。
スカディ、シオ、ベルの三体は、若いアルバイト女性を手伝って店内清掃……客用トイレを含む……の本格的清掃を開始した。お昼からのアルバイト女性は、伝票類をまとめ、レジ締めに取り掛かる。
清掃は、約一時間掛かった。キッチンの方も片付いたらしく、照明が落とされる。
「いやあ、ご苦労だったね。いいデータは取れたかい?」
亞唯とベルを従えてキッチンから出てきた梶原店長が、ホール組三体に向かって問う。多少疲労の色は見えるが、表情は相変わらずにこやかだ。
「そこは分析してみませんと判りかねますが、新奇かつ非常に興味深い経験ができたことは間違いありませんわ。個体的には、貴重なデータ収集ができたものと判断しております」
スカディが、いかにもロボットらしい……言い換えれば、普段のスカディらしくない答え方をする。
「店長! ご相談があるのですが!」
シオは挙手した。
「なんだね、シオ君?」
「あたいたちはロボットなので、まだまだ働けるのです! もしよろしければ、店長のご自宅にお邪魔して、お世話をさせていただけるとありがたいのですが!」
シオはスカディらと事前に打ち合わせておいた通りに、『お世話したい』宣言を行った。
「気持ちは有難いけれど、アサカ電子との契約では……」
梶原店長が、難色を示す。
「店長。これは契約とは無関係ですわ。わたくしたちは、元々家事兼愛玩ロボットです。こちらが本業であり、いわば本能と言えるものですわ。店長のお世話をさせていただければ、嬉しく思いますわ」
スカディが、真摯な表情で言う。
「でも、それではデータ収集に支障が生じるんじゃないかね?」
「それなら大丈夫だよ、店長」
亞唯が、口を挟んだ。
「アサカから指定されたデータを格納するセクションと、それ以外の活動を記録するセクションは別なんだ。問題ないよ」
「……ならば、別にいいかな」
梶原店長が、軟化する。
「だが、さすがに五人は多いな。家も狭いしね」
「ならば、二体か三体だけでも結構ですわ。わたくしと、もう一体くらいなら、お邪魔にはならないでしょう」
スカディが、提案した。
「そうだな。亞唯君とベル君は今日はキッチンで一緒だったから……」
「はい! あたいがお世話したいのであります!」
シオは勢いよく挙手した。
第四話をお届けします。




