第二十三話
一連の騒動の『後始末』は順調に進んだ。国家が強権を有し、マスコミの力が弱く、情報統制し易い国ゆえである。
ハリム国王の『逃避行』は、『逃げた』という印象を薄めるために大幅な脚色が加えられ、砂漠に身を隠しながらアザム皇太子と密かに連絡を取り、『反イスラムテロリスト』との戦いの指揮を執っていた、ということになった。これにより、越境したドラハ軍との交戦などの『不手際』に関して、公的な責任は総指揮を執っていた国王にある、という公式見解がハリム国王自身の会見により表明された。……国王代理たるアザム皇太子が責任を追及されて評判を落とすより、国王が泥をかぶった方がダメージは少ない、という計算に基づくものである。
事態終息の翌日夜には、さっそく国営放送でハリム国王への独占インタビュー映像が、実に四十分間にわたって放映された。この中でハリムは左腕にできた『テロによって負った傷』……実際には王宮から急いで逃げる際に階段で転んでこしらえた切り傷と打撲痕だったが……を自慢げに見せながら、砂漠での潜伏の模様を見事な詩的表現を交えて滔々と語った。この映像はほぼ一時間後にアル・ジャジーラが配信し、翌日には各国の主要なテレビ局も一部を報道番組の中で放送して、ハリム国王の健在ぶりを世界中に見せつけることとなった。
ドラハには外務相が向かい、こちらも友好ムードを演出する。外相は『アル・ハリージュをテロリストの魔の手から救おうと赴いた聖戦士』が誤認により多数死傷した件に関し、自国の責任を一切認めない立場を取りつつ遺憾の意を表明し、多額の見舞い金を支払う用意があると語り、ドラハのリズワン副首相は『ハリム国王陛下の寛大さに感銘を受け』つつこれを受け入れた。
死亡したハッサン首相の後継には、マフムード・アッバス副首相が昇格して就任した。救出されたサイド・イスマイル国防相は国王に労われたうえ留任。ラシード王子と通じていた空軍司令官ハリド少将は、退役を余儀なくされた。事変に際し、日和見した海軍総司令官オマル准将は減俸処分。陸軍副総司令官兼南部軍司令官サルミーン・ハムザ少将は、事件に関わったことを隠蔽するためにしばらくその職に留まることになったが、実権はすべて失った。彼の退役後には、王家に忠実なところを見せた現北部軍司令官マジッド・ターリック准将が少将に昇進し、陸軍副総司令官兼南部軍司令官となる予定である。北部司令官後任は、副司令官の昇任。副司令官の後任には、首都警備連隊長ファハッド大佐が栄転することが内定した。
一般のアル・ハリージュ国民は、サリン・テロで死亡したサッタール前国王のことを支持していた……と言うか、原油輸出が好調だったことで高い生活水準を維持できていたことから、特に不満に思うことはなかった。それゆえ、いまだ真相が究明されていないテロにサッタールが倒れた時は憤ったし、実弟のハリムが後継者として国王に就任したことを歓迎し、継続して支持を続けてきた。それゆえに、今回の『テロリスト』の行動は強い国民の怒りを買ったし、決して手際が良かったとは言えないハリム国王とアザム皇太子による事態の収拾にも、非難の声は上がらなかった。
「もう事態は落ち着いたようだ。日本に帰る手配を済ませておいた。ありがとう、諸君」
アザム皇太子が長身を折り曲げて、AI‐10たちと握手を交わす。
「お役に立てて何よりです、殿下」
スカディが、笑みを湛えて深々とお辞儀をする。
「空港にチャーター機を準備させた。それで、帰国してくれ」
「殿下のポケットマネーで買った777かい?」
亞唯が、訊く。アザムが残念そうに首を振った。
「いや、別の機だ。わたしの777はドラハに召し上げられてしまってね」
「一個旅団消し炭にしてしまったことに対する報復でしょうか?」
シオはそう言った。
「まあ、そんな処だろうな。こちらとしても強くは出れないから、見舞金代わりにくれてやることにしたよ。そうだ、見舞金で思い出したが……」
アザムがカンドゥーラの懐をごそごそと探り、クレジットカードサイズのプラスティックカードを何枚か取り出す。それをえり分けたアザムが、一枚ずつAI‐10たちに渡す。
シオは自分に渡されたカードをしげしげと眺めた。何の変哲もない白いカードで、規則性の感じられない数字と英字の組み合わせが十六個浮き出しで描かれているだけだ。
「ヴァイセンベルクのシュトックハウゼン・バンクに口座を開いておいた。名義人はわたしの秘書だが、中身は君たちのものだ。そのカードをシュトックハウゼン・バンクに持参し、口座番号を言えば引き出すことができる。口座番号は、これだ」
アザムが別のカードを手に持ち、書かれている十二桁の番号をAI‐10たちに見せた。シオは、すぐさまそれをメモリーの中に取り込んだ。
アザムがそのカードを仕舞い、別のカードを取り出す。
「こっちは普通のATMカードだ。VISA提携のATMなら、世界中どこでも現地通貨を引き出せる。これは、君に渡しておこう」
普通のICカードと、暗証番号が書かれた紙片を、アザムがスカディに手渡す。
「わたくしたちに、お小遣いをいただけるということでしょうかぁ~」
ベルが、首を傾げる。
「ほんのお礼だよ。君たちは、命の恩人だからね。今回の件でも、世話になったし」
アザムが、微笑む。
「いただいてもよい物でしょうか?」
シオは首を傾げた。
「遠慮せずに貰ってくれ。君たちへの恩は、そんな形でしか返せないのだから」
アザムが、にこやかなまま言う。
「リーダー、これは貰っておこうよ。ムスリムの贈り物を拒むのは、大変失礼な行為だと聞いたことがあるし」
亞唯が、言う。
「ところで殿下。いくら入ってるんや?」
雛菊が、自分がもらった白カードを指に挟んで小さく振りながら訊く。
「少なくて済まないが、百万ドル入れておいた」
本当に済まなそうな顔をしながら、アザムが言う。
「ひ、百万ドルぅ?」
亞唯が、驚愕の表情を浮かべて言う。他のAI‐10たちも、一様に驚きの表情となった。
「百万ドルというと、ベトナム・ドンに換算すると一体いくらに……」
「落ち着きなさい、シオ。ドンに換算する意味はありませんわ」
想定外の多額にうろたえるシオを、スカディがたしなめる。
「チャーター機は三時間後に出発の予定だ。ささやかながら、お土産を積んでおいた。我が国の名物だ。迎えが来たら、車に乗ってくれ。わたしは公務があるから、悪いが見送りできない。ここでお別れだ。また力を貸してもらうことがあるかも知れないが、その時はよろしく頼むよ」
にこやかに言って、アザム皇太子が出て行った。
「百万ドルか。頭割りにして、二十万ドル」
亞唯が、満足げに言う。
「すごいなー。レプリカユニフォームなら、三千枚ほど買えるで」
雛菊が、ため息交じりに言う。
「ブルーレイボックスなら、千個以上も買えるのです!」
シオは喜んだ。
「1DKの中古なら、代官山あたりでも探せば物件がありそうですわね」
スカディが、言う。
「ポルシェ911なら買えるな」
笑顔でこう言うのは、亞唯。
「三十年物のマッカランが箱買いできそうですねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
「いや、真面目な話。どうするんだ、リーダー?」
真顔に戻った亞唯が、訊いた。
「任務中に合法的に取得した現金。本来ならば、直属の上官たる石野二曹に報告し、提出するべきでしょうね」
スカディが、冷静に述べる。
「そうすると、そのお金はどうなるのでしょうかぁ~?」
ベルが、首を傾げた。
「詳しくは知らないけど、国庫編入になるのでは? あるいは、長浜一佐ならうまく処理して、情報本部の機密費あたりに足してしまいそうですけれども」
「はっと! ならばいっそのこと、わがAHOの子ロボ分隊の機密費にしてしまうのはいかがでしょうか!」
シオはそう提案してみた。
「確かに、任務中現金不足で苦労したケースもあったからな。自由に使えるお金があるのは有難いぜ、リーダー」
亞唯が、スカディに向かって言う。
「うちらの『へそくり』にしようというわけやね」
雛菊が、にやにやと笑う。
「秘密の軍資金なのですぅ~」
ベルも、笑う。
「それでいいかしら、皆さん。上官に嘘……とはいかないまでも、隠し事をすることになりますけど?」
スカディが、他の四体のメンバーの顔を順繰りに見つめる。
「別に私腹を肥やすわけじゃない。いいだろ、それで」
亞唯が、うなずいた。
「任務のために使うのは、日本のため、ひいてはマスターのためなのであります! 正当な使い道なのであります!」
シオはそう主張した。雛菊とベルからも、異論は出ない。
「では、全員一致ということで。このお金は、わたくしたちの共有財産とし、任務上必要が生じた場合に使用する、ということで処理しましょう」
スカディが、IDカードをポーチに仕舞うと、暗証番号が書かれた紙片を全員に回覧した。ロボットなので、皆一目見ただけで完璧に記憶することができる。
「どうせなら、増やしてみるのも手だな。遊ばせておくのは勿体ない。株でも買った見たらどうだ?」
亞唯が、そんなことを言い出す。
「やるならFXなのです! どーんと投資するのであります!」
シオはそう主張した。
「そこは固く不動産投資ですわ。都内で中古マンションを探して……」
「いやいやいや。ここは馬やで。阪神競馬場で大勝負や」
言いかけたスカディを制して、雛菊が勢い込んで言う。
「銘酒への投資はいかがでしょうかぁ~。ウィスキー投資がお勧めですぅ~」
こう言うのは、もちろんベルである。
言うまでもなく、すべて冗談である。人格はもちろん法人格さえ持たないロボットが資産運用などすれば、すぐに足が付く。百万ドル持っていることが長浜一佐らにばれれば、あっさり没収されしまうだろう。
「それでも、一人当たり二十万ドルも持っているというのは、気分がいいのであります! なんだか、とってもリッチな気分なのであります!」
シオはそう言った。全員が、同意する。
「ところで、皇太子がお土産を用意してくれたそうだが……なんだろうな?」
亞唯が、言った。
「『我が国の名物』とかおっしゃってましたわね」
スカディが、うなずく。
「アル・ハリージュ名物と言えば、原油やろか」
雛菊が、くすくすと笑いながら言う。
「砂、という可能性も捨てきれないのであります!」
シオはそう言って笑った。
「ラクダさんとかでしたら、嬉しいですぅ~」
ベルも、笑う。
「おおっ! さばくちほーのフ〇ンズがお土産! では、機内にはスナ〇コちゃんがいっぱい!」
シオは盛り上がった。
「レッドリスト指定種ですわよ」
スカディが、冷静に突っ込む。
「では、ツ〇ノコちゃんがいっぱいなのでは?」
「UMAだろ、それ」
続いて亞唯が呆れ顔で突っ込む。
アザム皇太子が用意してくれたチャーター機は、ファルコン7Xであった。
機内に山ほど積み込まれていたお土産は、原油の入ったドラム缶でも砂が詰まった麻袋でも、砂漠の動物が入った檻でもなかった。
チョコレート。クッキー。デーツ。干しイチジク。などなど。
……すべて甘味である。
「そうか。ムスリムで酒飲まないから、みんな甘党なんだ」
亞唯が、紙箱や缶の山を見ながら、呆れ顔で言う。
「わたくしたちには無用なものですぅ~」
ベルが、残念がる。
「まあ、石野二曹や三鬼士長は喜んでくれるでしょう。畑中二尉は、ちょっと微妙ですけれども」
スカディが、言う。
スチュワードに促され、AI‐10たちはそれぞれシートに座ってシートベルトを締めた。ファルコン7Xがするすると誘導路を進み始める。
タワーから離陸許可を得たファルコン7Xは、アブダビ国際空港から飛来したエディハド航空のA320が着陸するのを待ってから、滑走路に乗り入れた。パイロットが出力を上げ、ファルコン7Xが離陸滑走を開始する。キング・ザイド国際空港から飛び立ったAI‐10たちは、日本への長い帰路についた。
「よろしいですかな、閣下」
リズワン副首相のオフィスに、ドラハ国防軍司令官ユーセフ大将がひょっこりと現れる。
「入って下さい、大将。ちょうど、一息入れようと思っていたところです」
書類フォルダーを閉じると、リズワン副首相は秘書官の一人にコーヒーの準備を命じた。ユーセフ大将にソファを勧め、自分も執務机から離れてソファに腰掛ける。
秘書官が用意したアラビックコーヒーを、リズワンは手ずからユーセフ大将のカップに注いだ。ユーセフの目配せを受け、内密の話だと悟ったリズワンは、すべての秘書官に身振りで室外退去を命じた。
「ラシード王子の件ですが、話がまとまりました」
小さなカップ……アラビックコーヒーは小さなグラスやカップでいただくのが正式な作法である……を手に、ユーセフ大将が報告を始めた。
「かなりの凄腕を雇えました。軍情報部が事前入手できた資料などもすべて渡してあります」
「それは良かった。それで、いくら掛かったかね?」
リズワンは訊いた。
「七十五万ドルで契約したそうです」
「……凄腕にしては安いな」
リズワンはそう言った。一応、百万ドル前後を想定していたのだが。
「金に困っていたのかもしれませんね。こちらが提示した最初の数字を、あっさり受け入れたそうです」
「安く上がるに越したことはない。ご苦労だった」
ポットを取り上げたリズワンは、労いの言葉と共にカルダモンの香りを纏った薄茶色の液体をユーセフ大将のカップに注ぎ込んだ。
第二十三話をお届けします。




