第二十話
『スファル』編隊を排除したアル・ハリージュ空軍戦闘機隊は、続いて東から接近中の第2飛行隊のF‐16C四機……『ナハース』編隊を目標に定めた。『スファル』編隊に止めを刺した四機、チャフ・コリドーの上を飛び越えて現れた八機、さらに北方から二機のトーネードIDSを護衛して接近中の四機、合計十六機のミラージュ2000‐5が、『ナハース』編隊に一斉にレーダー照射を行う。
『ナハース』編隊を率いるアイマン大尉は、辛い選択を迫られた。四対十六では、勝ち目はない。数分で、全機が撃墜されてしまうだろう。だからと言って、敵わぬとみて逃げ出したら、敵前逃亡同然と看做され厳しい懲罰が待っているに違いない。……死ぬ危険を冒して任務を全うするか、命を大事にして軍歴を台無しにするか。
アイマン大尉は、『狡い』妥協策を選択した。編隊全機に、搭載しているAIM‐120空対空ミサイルを斉射してから反転するように命じたのだ。
アル・ハリージュ側は、飛来する八発のAMRAAMを無視できず、回避行動とチャフ散布に入った。AIM‐120が、アクティブレーダーを作動させて目標捜索を開始する。だが、その頃にはミラージュ2000‐5はすべて飛翔する空対空ミサイルの前方から退避しており、AIM‐120が捉えることができた目標はチャフ・クラウドだけであった。
AMRAAMを躱したミラージュ2000‐5は編隊を組み直したが、ドラハ領空目指して去ってゆく『ナハース』編隊を深追いしなかった。目的は、攻撃機隊の護衛である。空域から敵機を排除できれば、任務は果たしたことになるのだ。それに、ドラハ領空内で戦闘を行うのもまずい。全面戦争に発展するきっかけを作るわけにはいかないのだ。
「ジャザル1よりフール各編隊へ。空域の安全は確保した。次の段階に入られたし」
戦闘機隊の指揮を務める空軍大佐はそう送信した。
二機のトーネードIDSが、中高度で南下する。
武装は、二機とも同じであった。胴体下と両翼下に吊った七発のALARM対レーダーミサイル、可変翼下のスカイシャドウECMポッドとBOZ100チャフ/フレア・ディスペンサー、それに自衛用のASRAAM短射程空対空ミサイル二発。
目標は、すでにアル・ハリージュ国内に進入し、『アサド』機械化歩兵旅団の支援を行っているドラハ陸軍防空大隊である。
NASAMS地対空ミサイルを装備するドラハ陸軍防空連隊第2大隊は、岩石砂漠の只中に簡易な陣地を構えていた。指揮所を取り巻くように発射機が展開し、少し離れたところで地上線で連結されたMPQ‐64F1捜索レーダーが三秒に一回転という速度でくるくると回り、空を見張っている。スティンガー小隊は主に北方からの攻撃を警戒して配置に着き、護衛として付けられた自動車化歩兵中隊も適宜散開して周辺を警戒している。
二機のトーネードIDSの接近に、防空大隊は迎撃準備を整えた。だが、トーネードがミサイルを二発発射したことを探知すると、FDC(指揮車両)で迎撃指揮を執っていた少佐はレーダー発振を中止するように命令を出した。
対レーダーミサイルによる攻撃を危惧したのだ。
通常、レーダー誘導ミサイルは、自身あるいは発射母体(または誘導役)から発せられるレーダー波によって目標に誘導される。それに対し、対レーダーミサイルはレーダー電波を受信し、発振源に対してホーミングするものである。ミサイルがレーダー波を捉える前に発振を止めれば、とりあえず安全である。……もちろん大抵の場合、それでは防空部隊として役には立たないのだが。
デュアル・モードで発射された二発のALARMは、MPQ‐61F1レーダー目掛けて突進していったが、途中で発振が途絶えたことを感知すると、ロイター・モードに自動的に移行し、急上昇を開始した。高度二万五千フィートを超えた辺りで、尾部からパラシュートが展張され、ALARMは先端を地上に向けた姿でゆったりと空中を漂い始めた。
このパラシュート降下が、ALARMの最大の特徴である。降下中、再びレーダー発振を捉えると、ALARMはパラシュートを切り離し、発振源に向かって突っ込んでゆくのだ。したがって、ALARMが空中にある限り、敵はレーダーの使用を停止せざるを得なくなる。もちろん、ALARMは通常の対レーダーミサイルのように、ダイレクト・モードで使用することも可能である。
NASAMS大隊には、レーダーが使用不可能になった場合に備えて、バックアップ用のEO(電子光学)照準/発射機能も備わっている。だが、それを用いて目標捕捉できるのは、近/中距離だけである。二十キロメートルも離れた位置からミサイルを発射したトーネードを攻撃するのは、無理であった。
パラシュート降下中のALARM二発の高度がぐんぐんと下がってゆく。すると、ロイタリングしていたトーネードIDSが、再び二発のALARMを放った。トーネード二機には、まだ十発のALARMが残っている。……三十分以上に渡って、ドラハ陸軍NASAMS大隊は無力化されることとなった。
チャフ・コリドーの陰に隠れていたトーネードIDS十二機編隊……『ファソーリャ』が砂漠上空に姿を現した。
四機が編隊から離れ、さらに二機が加速して先行する。その二機は、可変翼下のスカイシャドウECMポッドとBOZ100チャフ/フレア・ディスペンサー、それに自衛用のASRAAM短射程空対空ミサイル二発の他に、胴体下にフランス製のATLIS2レーザー照射ポッド、BL755クラスター爆弾六発を搭載していた。
トーネード編隊接近を知り、『アサド』機械化歩兵旅団は慌てふためいた。空軍のF‐16は蹴散らされ、防空大隊は手も足も出ない状態に置かれている。今や、空の脅威から旅団を守ってくれるのは、防空中隊のアヴェンジャー・システムと、若干のFIM‐92スティンガー・ミサイルだけである。
先行した二機のトーネードは、アサド旅団の車両の群れの中から、防空中隊を識別すると……特徴的な角ばったターレットと、その両側に付いたスティンガー地対空ミサイルのボックス・ランチャーからアヴェンジャー・システム搭載のハンヴィーは目立つし、その車両が六台に指揮車両一台を加えた七台が一個小隊を形成するので、これも識別点である……ATLIS2でレーザー照射を開始した。後続する二機が、胴体下からAS30Lレーザー誘導ミサイルを、時間差を置いて二発ずつ発射する。
合計四発の徹甲榴弾が炸裂し、防空中隊を引き裂く。空への備えを失ったアサド旅団に、八機のトーネードIDSが低空で襲い掛かった。四機が戦車大隊を、残る四機が自走砲大隊を狙う。
トーネード各機には、合計十発のBL755クラスター爆弾が搭載されていた。一発には、百四十七個の子弾が内蔵されている。
散開が遅れたこともあり、一航過で戦車大隊のM‐60A3MBT四十四両と、自走砲大隊のM‐109A3自走榴弾砲二十四両のほとんどが破壊された。何発かのスティンガー・ミサイルが発射されたが、ほとんどがパニック状態になった兵士が闇雲に発射したものであり、それらは命中どころかまともに目標を捉えることすらできなかった。唯一ホーミングに成功した一発も、BOZ100から撒き散らされたフレアに欺瞞されて外れる。
続いてAS30Lを発射/誘導して防空中隊を壊滅させた四機が、旅団司令部と偵察大隊に攻撃を掛ける。M113装甲兵員輸送車、M577指揮車、各種のハンヴィーなどからなる旅団司令部はたちまち壊滅状態に陥り、AIFV(M113の歩兵戦闘車バージョン)と装甲ハンヴィーを主力とする偵察大隊も、大打撃を被る。
アル・ハリージュ空軍は容赦が無かった。トーネードが引き上げるのと入れ替わりに、十二機のホーク練習機が現れ、無傷だった二個機械化歩兵大隊に対し、旧式なMk10/1000ポンド爆弾を投下して攻撃した。爆弾を使い果たすと、今度は胴体下の30ミリADENガンポッドを使って、立ち上る黒煙を縫うようにして逃げ惑うM113装甲兵員輸送車を狙い撃ちにする。
『アサド』機械化歩兵旅団は、軍事用語的に『全滅』した。
「アザムにも牙があったというわけか」
リズワン副大統領が、つぶやく。
『アサド』機械化歩兵旅団が空爆により前進不能となった、という報告は、いち早くリズワン副大統領とユーセフ大将の元に届いていた。
「どういたしますか?」
ショックを隠せない表情で、ユーセフ大将が訊く。
「もうラシードに勝ち目はない。傷が浅いうちに手を引こう。大将、『タウル』旅団を引き上げさせたまえ」
「『アサド』の救援が終わるまで牽制のために留め置いた方がいいのでは?」
リズワンの指示に、ユーセフが疑義を呈する。
「いや、アル・ハリージュを刺激するのはまずい。まず『タウル』を撤収させ、こちらがこれ以上事態に関与しないという意図を明白に見せつけるべきだ。そうすれば、『アサド』救援のために大部隊をアル・ハリージュ領内に進入させても、看過してくれるだろう」
「確かにそうですな。すぐに、手配します」
納得したユーセフ大将が、内線電話を掛け始める。
「アザムには、少し恩を売っておこう。『アサド』への攻撃は、クーデター勢力と誤認したことによる不幸な事故であった、と公式発表できるようにお膳立てしてやるのだ」
「……それは、譲歩しすぎでは?」
命令伝達を終えたユーセフ大将が、懸念の表情を浮かべる。
「そうでもないぞ。『事故』であれば、アル・ハリージュから賠償とは言えないまでも何らかの埋め合わせが期待できる。国民も、報復感情を持つことなく、納得しやすいだろう。軍も、その方が都合がいいのではないかね?」
「なるほど。それでも、誰かに責任を取らせる必要がありますね。死傷者が多数でましたから。生贄がいないと、国民も承服しないでしょう」
「『アサド』の旅団長は?」
リズワンが訊いた。
「バハシュ准将は戦死した模様です」
「なら都合がいい。秘密主義に凝り固まり、アル・ハリージュ側との連絡を疎かにして、クーデター勢力と誤認されるという大失敗をやらかした男として断罪したまえ」
「承知しました」
ユーセフ大将が、再び内線電話を取る。
「さて。ラシード王子をどうしたものかな」
ユーセフが受話器を置いたところで、リズワンが切り出した。
「もう無害でしょう。完全に権力を失うはずです。場合によっては、処刑もあり得るかと」
「素直に殺されてくれれば問題ないが、奴は我々と直接面談している。奴の計画に加担していたことが暴露されれば、こちらもただでは済まんだろう」
物憂げに、リズワンが言った。
「拷問でも受けぬ限り、喋らんでしょう。我々まで敵に回すほど、ラシードは愚かな若者ではありません」
「わたしもそう思うよ。しかし、奴は野心家すぎる。いつか復権を目指し、我々を再び頼ろうとするかも知れん。……復権したところで、何もできないだろうが」
「我々にとっては、もう用済み、の男ですからね」
話がどちらへ向かうのか察したユーセフ大将が、冷笑を浮かべてうなずく。
「その通り。用済みのうえ、危険でもある。後顧の憂いは無いほうがいい。後始末を、頼めるかな?」
「うちの者を使いますか、それとも外注ですか?」
ユーセフが、訊く。
「外注がいい。足が付くのはまずい」
「高く付きますぞ」
ユーセフの言葉に、リズワンが苦笑した。
「もう既に多額の損失を被っている。このうえ、数百万ドル程度勘定書きに付け加えられても、痛くはない。かまわんよ」
「では、その件はお任せ下さい。……しかし、本当に手痛い損失を被りましたな」
ユーセフが、ため息交じりに言う。
「陸軍一個旅団。空軍の戦闘機が四機。兵士の命。先行投資の一億ドル。仕方ない、またサウジアラビアに泣き付くさ。十億ドルくらいなら、なんとか都合してもらえるだろう」
リズワン副大統領が言って、諦めの混じった笑みを友人に見せる。
ドラハ国防軍総司令部の命令により、『タウル』機械化歩兵旅団がドラハ国内に戻るべく、後退を開始する。
一方西部では、多数のドラハ軍ヘリコプターが越境し、『アサド』機械化旅団の救援に向かった。空軍からもかき集められた、総数四十機を超えるUH‐60L、UH‐1H、CH‐47Dなどが衛生部隊や医療品を運び入れ、帰還する機に負傷者が押し込まれる。アル・ハリージュ空軍は監視のためにミラージュ2000‐5を派遣したが、十マイル以内には近付けず、救援作業の邪魔はしなかった。破壊を免れた車両は、手当の済んだ軽傷者と回収できた機材を満載し、順次ドラハへの長い帰路につく。
情報統制下にあるにも関わらず、ドラハ軍機械化歩兵旅団全滅の情報はアル・ハリージュ陸軍南部軍全体に広まった。
南部軍各部隊は混乱した。首都への進軍は、クーデター勢力排除が目的だったはずだ。ドラハ軍部隊も、それに協力してくれていたはず。それが、空軍の攻撃により壊滅的打撃を被ってしまったというのだ。しかも、攻撃命令を出したのは、アザム皇太子だったらしい……。
困惑する各部隊の長は、情報を求めて命令を無視し、信頼できる人物……ほとんどの場合、それは同期や同格の他の部隊長や参謀士官だったが……と連絡を取り合った。軍隊においては、これら『横』の繋がりが、時として命令統制の『上下』の繋がりよりもものを言う場合がある。
これら連絡網が機能したおかげで、ほぼすべての南部軍部隊がことの真相を知った。すでにクーデター騒動は終わっており、首都はアザム皇太子とその支持者が掌握していること。そして、アザム皇太子が南部軍の行動を危険視し、空軍と北部軍による迎撃を意図していること……。
一部の部隊が、サルミーン・ハムザ少将の命令を無視する形で前進をやめ、駐屯地へと引き返し始める。その報せが広まると、他の部隊も続々と前進を取りやめ、引き返し始めた。午後も半ばを過ぎると、首都フィッダ・アル・バハルに向かう南部軍部隊は皆無となった。……アザム皇太子は、ドラハ軍部隊に空軍で攻撃を加えることによって、図らずもアル・ハリージュ人の血を一滴も流すことなく、事態を収拾することに成功したのである。
第二十話をお届けします。




