第十六話
「イーストウッドも老けたなー」
テレビ画面を注視しながら、亞唯が言う。
とりあえず安全な王宮内にアザム皇太子が入ったおかげで、護衛としての役目が無くなったAI‐10たちは、王宮内の地下にある狭い一室に集っていた。使用人か裏方の人々……営繕とか清掃とかの担当者……の控室らしく、壁際にはスチールロッカーがずらりと並んでおり、大きなテーブルと簡素な椅子、それに液晶テレビが置いてあるだけのシンプルな部屋である。『キブラ』(メッカの方角)を示す緑色の矢印が天井に描いてあるのが、いかにもイスラム国家っぽい。
室内の液晶テレビが映し出しているのが、アザム皇太子の伝記作品じみた番組であった。生い立ちから始まり、いかにアザムが良きムスリムであり、愛国者であり、有能な人物であるかを執拗に描いている。今は、その交友関係の広さをアピールしているところで、各国の首脳、王族、文化人、有名スポーツ選手、そして俳優や映画監督などと会っている映像が次々と流れている。
「やっぱりデカいなー。アザむんより、拳ひとつ大きいで」
画面の中で並んで握手している高身長二人を見比べて、雛菊が言う。
このような番組が流されているのは、もちろん巷に流れている『アザム皇太子へのネガティブ・キャンペーン』に対抗するためである。ちなみに、ニュース専門チャンネル以外のすべての局が、この『アザム皇太子称揚番組』を放送中だ。……独裁国家ならではの力技である。
「ラシード王子からの連絡はいまだありません。所在も、いまだ不明です」
マフムード副首相が、そう報告する。
「これで確定だな。今回の騒動、ラシードが背後にいる。問題は、サルミーン少将がどこまで関わっているかだが……」
アザム皇太子が言って、問い掛けるようにファハッド大佐を見た。
陸軍副総司令官兼南部軍司令官サルミーン・ハムザ少将。ラシードと同じイジュハ氏族の出身者。彼がラシードと手を組んでいるとしたら、南部軍を使って暴力的に政権奪取を試みる可能性がある。ラシード中佐は陸軍司令部付きで、サルミーン少将の部下ではないが、同じ陸軍軍人で同族であれば、接点は多いはずだ。
「軍情報部によれば、今のところ南部軍に怪しい動きはありません。王子殿下とサルミーン閣下が通じていると断定するのは、難しいかと」
ファハッド大佐が、言う。
「サルミーン少将が南部軍に北上を命じた場合、これを防げるかね?」
アザムが、訊いた。
「わが連隊だけではむろん無理です。北部軍が加われば、別ですが」
「お兄様。心配なさることはありませんわ。北部軍は南部軍より強いです」
ラティファ王女が、そう口を挟む。
人口は、南部軍管区よりも、北部軍管区の方が多い。しかし、守備面積は南部軍管区の方が約1.7倍もあるので、地域警備の自動車化歩兵連隊数は南部軍の方が多く、総兵力は北部軍の方が少ない。それゆえ、伝統的に南部軍司令官は北部軍司令官よりも重要なポストであり、陸軍副総司令官を兼務するようになっている。
だが、首都フィッダ・アル・バハルは北部軍管区に囲まれており、さらに首都人口を含む国民の七割以上が北部軍管区に居住していることから、北部軍は質的に南部軍を上回る編成および装備を誇っている。アル・ハリージュ陸軍唯一の機甲連隊は北部軍司令部直轄だし、同じく唯一の空挺大隊も北部軍司令部直轄である。特に機甲連隊は強力であり、装備するMBTはフランス製のルクレールで……他の戦車大隊が有しているのは旧式のイギリス製ヴィッカースMk3である……砲兵大隊も自走化され比較的新しいGCT(AuF1)を装備している。
「いざという時には空軍も居ますしな」
マフムード副首相が言った。潤沢に予算を使ったおかげで、アル・ハリージュ空軍は湾岸でも有数の質を誇る空軍と言われている。
「とりあえずサルミーン少将には直接命令を出しておこう。別命ない限り、兵力の移動を禁じる、でいいかな?」
「それでよろしいかと。ですが殿下。念のため、北部軍の一部部隊をフィッダ・アル・バハルに呼び寄せてはいかがでしょうか?」
ファハッド大佐が、そう進言した。
「……マジッド准将は信用しても良さそうだが、首都に部隊を入れるのは不安だな。万が一、そいつらがラシード王子と通じていたら、首都警備連隊でも圧倒されかねない」
アザムが、懸念する。
「でしたら、一部の部隊だけでも即応体制を高め、南部軍が動いたら即座に首都に駆け付けられるようにしてはいかがでしょう」
「ふむ。その程度なら構わんだろう。どの部隊を推薦する?」
「まず空挺大隊を。大隊長のダルウィッシュ中佐はわたしの友人です。完全に信頼できる男です。それに、あの部隊ならヘリコプターを使えば一時間以内に一個中隊を送り込んでくれます」
ファハッド大佐が、熱い口調で友人の大隊を売り込む。
「いいだろう。他には?」
「やはり、機甲連隊でしょう。あの連隊だけで、南部軍の三分の一を相手にできます。連隊長のファヒーム大佐も堅物で、信用できます」
「よろしい。すぐに、手配したまえ。マジッド准将には、わたしが直接命令を出そう」
そう決断したアザムが、大きなあくびを漏らした。
「いや、失礼。こんな時間なのに、やけに眠いな」
壁の時計を確認しながら、アザムが言った。針は、まだ午後九時前を指している。
「お兄様。日本の時間に慣れてしまっただけですわ」
ラティファが、言う。
「そうか。日本なら午前三時くらいなんだな。諸君、わたしは休ませてもらうよ。ラシードから連絡が来るなど大きな変化があったら、起こしてくれ。ラティファ。お前ももう眠るといい」
「そうさせていただきますわ、お兄様」
「やはり失敗しおったか、あの若造は」
リズワン副大統領は、苦笑した。
ドラハ共和国の首都、バッティーハ市内にある大統領府、その奥まった一室である。実質的にドラハ共和国の指導者を務めるリズワンは、親友でもあるドラハ国防軍司令官ユーセフ大将を見つめた。
「さて、どうするね?」
ラシード王子からの緊急依頼。その内容は、『第一次作戦は不成功。直ちに第二次作戦を開始されたい』というものであった。
クーデター騒動に紛れてハリム国王を暗殺。同時に国外にいるアザム皇太子も暗殺。王位継承権通りにハリムの息子セイフを擁立。王位に就け、後見人としてこれを自在に操る。これが、ラシード王子の第一次作戦であった。
第一次作戦が失敗した場合に備えて準備されたのが、第二次作戦であった。これは、武力を用いた単純な政権奪取構想である。第一次作戦が失敗した場合、ラシード王子の立場は甚だ危険なものとなることが予想される。国外へ逃亡しない限り逮捕は免れないだろうし、捕まればイスラム法に基づき処刑は確実だ。
まさに背水の陣、として企図されたのが、この第二次作戦であった。
ラシードとその同盟者である南部軍司令官サルミーン少将が掌握しているのは、陸軍南部軍のみ。海軍は弱体で無視できるし、空軍も司令官を買収し、不介入を確約させたとは言え、南部軍だけで北部軍と精鋭である首都警備連隊を抑え込むのは不可能に近い。
そこで捻り出された策が、『ドラハ国防軍の介入』であった。『シバーブ家代表代行』たるラシード王子の要請により、クーデター勢力を駆逐するために移動を開始したアル・ハリージュ陸軍南部軍を支援すべく、ドラハ陸軍の一部部隊がアル・ハリージュとの国境を超えるのである。同じイスラムの同胞として、兄弟の危機を救おうという行為。もちろん侵略行為ではないから、国際社会も文句は言えない。北部軍も、南部軍だけならば阻止できるだろうが、ドラハ陸軍が加わるとなれば戦力差で圧倒される。国内が戦場になることを望む者はいないはず。無駄な抵抗はせずに、退くであろう。
ドラハ派遣部隊の支援を受け、南部軍が無血で首都を制圧。実権を掌握したラシード王子が、ハリム国王に退位を迫り、アザム皇太子の王位継承権を剥奪し、セイフ王子を玉座に就ける……。
「派遣部隊の様子はどうだね?」
リズワン副大統領は、ユーセフ大将に尋ねた。
「準備はすでに整っています。『牡牛』機械化歩兵旅団および『獅子』機械化歩兵旅団は演習名目で先週から予備役部隊を除いて即応体制にあり、現在はアル・ハリーシュ騒乱に対する警戒と称して出動準備下にあります。命令があれば、両師団とも四時間以内に行軍を開始できます。『タウル』ならそれから一時間で、『アサド』なら三時間半で国境を越えられます」
「そうか」
ドラハ陸軍機械化歩兵旅団は、機械化歩兵大隊四個(うち予備役二個大隊)、戦車大隊、砲兵大隊、偵察大隊(うち予備役一個中隊)、工兵大隊(うち予備役二個中隊)、後方支援大隊(うち予備役二個中隊)、防空中隊、通信中隊、衛生中隊、憲兵中隊などからなる総兵力約七千名の近代的かつ強力な部隊である。アル・ハリージュ陸軍南部軍にこの二個旅団が加われば、北部軍を圧倒できる戦力となる。
「あちらの空軍は大丈夫なのか?」
リズワン副大統領は訊いた。ラシード王子はアル・ハリージュ空軍は動かない、と確約したが、今までの彼の不手際ぶりを見ると、この約束は当てにならないと見た方が良さそうだ。
「陸軍司令部直轄の防空連隊から、二個大隊を支援に回します。NASAMS(AIM‐120AMRAAMを地上発射化したSAM)ですから、機動性には欠けますが、射程が長いので後方から援護できます。これに加え、空軍から二個飛行隊を援護に付けます。第2飛行連隊と第6飛行連隊。いずれもF‐16Cの飛行隊です」
「……充分とは言えんが、多数機をアル・ハリージュ国内で飛ばすのは侵略行為と受け取られかねんしな。サウジアラビアやUAEを下手に刺激するわけにもいかん」
リズワン副大統領が思案顔で言った。
「気になるのは合衆国の反応ですが……」
「心配ない。そちらは今夜中に手を打っておく。モリソン大使には充分に釘を刺しておくつもりだ。下手に反応すれば、八十億ドルの商談がふいになるとな。戦車や対戦車ミサイルなら、ドイツやフランスも作っている。何なら、ロシア人や中国人から買っても構わない、と言えば震え上がるだろう」
思案顔を消し、笑みを浮かべたリズワン副大統領が言った。
「第二次作戦を行うとすると、だいぶ賭け金がつり上がってしまいましたが……よろしいのですかな?」
ユーセフ大将が、訊く。
「確かにな。下手をすれば、我が国は大火傷を負うことになる。だが、報酬は大きい。賭ける価値はあるだろう」
「百六十億バレルの原油ですからな」
ユーセフ大将が、うなずく。
「それだけではないぞ。ハリム・ビン・ムハンマドはなかなかに強かな男だ。アザム・ビン・サッタールも、暢気に生きているように見せかけているが、あれはあれで賢い男だ。セイフ・ビン・ハリムとラシード・ビン・フセインの組み合わせの方が、はるかに扱いやすい相手だろう。隣人は、少しくらい頭の足りない奴の方が、色々と便利なものだよ」
リズワン副大統領が言って、くすくすと笑った。
現地時間午前四時過ぎ、アル・ハリージュ王国軍情報部が、陸軍南部軍の一部部隊が出動準備を整えつつあることを察知した。数分遅れて、情報省も同様の事態を察知する。相次いでもたらされた『南部軍出動の可能性あり』の報せは、王宮をパニックに陥れた。
「ほぼ全部の駐屯地で動きがあったというのか?」
テーブル上の地図を見下ろしながら、アザム皇太子が問う。
「はい。地域連隊に関してはすべてです」
硬い表情で、ファハッド大佐が応じた。
「では、サルミーン少将はやはりラシード王子と通じていた、ということかね?」
熟睡していたところを叩き起こされて、乱れた髪のままのマフムード副首相が訊く。
「南部軍がどちらに向かうのかまだ判明してはおりませんが、皇太子殿下の出動不可命令に背いた以上、目標はこの首都でしょう。間違いなく、サルミーン少将はラシード王子の陰謀に深く関わっているものだと思われます」
ファハッド大佐が、言い切る。
「……クーデター鎮圧を名目に南部軍で首都を制圧し、救国の英雄を詐称。わたしを逮捕ないし追放し、セイフを王位に就ける。そんなシナリオだろう」
アザムが、冷笑気味に言う。
「大佐。空挺大隊と機甲連隊にわたしの名で命令を出してくれ。可及的速やかに首都に進出せよ。……君とファヒーム大佐、どちらが先任だね?」
「わたしの方が先任ですが」
「よろしい。ファハッド大佐、臨時ポストとして、首都防衛軍団司令官を新設し、君を司令官に任命する。首都防衛連隊、北部軍機甲連隊、同空挺大隊を指揮下に配属しよう。命令系統は陸軍司令部とは切り離し、国防相が直接指揮するものとする。南部軍の北上に備え、防備を固めてくれ。マジッド准将に、さらに増援を送るように命じておく」
「首都防衛軍団司令官職、しかと拝命いたしました」
ファハッド大佐が、敬礼する。
「何か進言はあるかね?」
アザムが、訊いた。
「……ラシード王子の狙いが、よく判らないのですが」
ファハッド大佐が、遠慮がちに言った。
「こちらの対応が後手に回ったことで、一見南部軍側が優位に見えます。南部軍の各連隊が夜明け頃に進発すれば、一番近くにいる第8歩兵連隊なら午前八時頃には首都近郊に達するでしょう。しかし、一個連隊だけならわたしの連隊……首都警備連隊と空挺大隊だけで撃退できます。各個撃破を避けるためには南部軍側は部隊を集結させる必要がありますが、南部軍管区は広いので、それには時間が掛かるでしょう。そのあいだに、機甲連隊と北部軍の一部が首都に入れます。……どうあっても、南部軍は首都制圧に失敗するでしょう。軍事的には、無謀な賭けにしか見えないのですが」
地図を指し示しながら、ファハッド大佐が説明する。
「……示威行動だけなのかな。南部軍を動かせば、同族相打つ事態を避けようとして、わたしが折れると踏んでいるのかもしれない」
アザムが、考え深げに言う。
現地時間午前五時半、南部軍の各駐屯地で車両のエンジンが掛かり始めた。
車列を形成したトラック、装甲車、その他の軍用車両が、続々と駐屯地を出て北ないしは北西……つまり首都フィッダ・アル・バハルへ向かい始める。だが、ドラハとの国境付近にある二つの駐屯地からのみ、偵察一個中隊……主にピラーニャ装輪装甲車とランドローバーからなる……が逆の南へと向かった。
第十六話をお届けします。




