第十五話
「ミスター・シップマン。国王陛下はSISが保護したそうだが、どこに隠れているのだね?」
S‐76ヘリコプターが巡航高度に達すると、さっそくアザム皇太子がデニスに尋ねた。
「申し訳ありません、殿下。ハリム国王の保護は中東課の作戦なので、わたしは詳細を知らないのですよ」
デニスが、肩をすくめる。
「そうか。ここは、SISを信じるしかないようだな」
アザムが言って、デニスと同じように肩をすくめる。
地域航空管制を通じて、イギリス外務省がチャーターしたヘリコプターにフランスとドイツの大使館員も同乗していると通告したおかげか、S‐76はドラハ側の妨害を受けることなく、アル・ハリーシュ国境に近付いた。国境を超える前に、パイロットが高度を大幅に下げ、ダウンウォッシュで砂埃を巻き起こさないぎりぎりの高度まで降下する。
「おい、どういうつもりだ?」
急に乗り心地が悪化したことに抗議して、ドゥヌエがデニスに文句をつける。
「すまんね。だが、南部軍に今回の陰謀に関わっている連中がいるかもしれない。用心のため、配備されているレイピアSAMを避けるように、パイロットに指示してあるんだ。大丈夫、元合衆国陸軍でUH‐60を飛ばしていた男だから、低空飛行の腕は確かだよ」
デニスが、笑顔で説明する。
シオは外を眺めた。このあたりは砂でも礫でもなく、岩石砂漠のようで、白茶けた岩盤の上に大小の石がごろごろと転がり、そこに薄く砂が被さっているだけのようだ。たまにアカシアらしい樹が茂っている場所が見えるが、あとは荒涼としており、人家などはまったく見当たらない。すでに太陽は西の地平線近くにあり、時折見える風食に取り残された低い残丘が長い影を投げ掛けている。
数分おきに針路を変えるという忙しい飛行の末、ようやくシオの眼に都市が飛び込んで来た。緑色がかった青い海に面し、数多くの高層ビルが立ち並ぶ、いかにもアラブの金満国家の首都らしい佇まいの、フィッダ・アル・バハル市である。
S‐76は、地上からの誘導管制に従い、市街の内陸寄りにある王宮のヘリポートを目指した。低層だが石造りで重厚な王宮の一郭には、屋根の部分が大きく損なわれており、周囲が黒ずんでいる箇所があった。あれが、爆破テロの跡であろう。
王宮周辺の警戒は厳重であった。十数両の六輪型ピラーニャ装甲車がぐるりと取り巻くように配置され、さらに外側には警察車両が止められ、街路の交通を遮断している。
煌々とフラッドライトに照らされたヘリポート周辺も警戒は厳重であった。突撃銃を携えた兵士がざっと百名以上見える。皇太子を出迎えるというのに整列などせずに、いずれも降着地点に背を向けて指をトリガーガードに掛けているという本気モードである。
「装甲車はピラーニャ。突撃銃はSG540。スイス製が好きらしいな。さすがお金持ち国だ」
亞唯が、首を振りながら言う。
S‐76が着陸すると、スカディの指示でまずシオとベルが降りた。一応安全を確認してから、アザム皇太子とラティファ王女に降りてもらう。
「マクシム、ウーリ。協力に感謝するよ」
デニスが気さくに行って、ドゥヌエとブルダーに小さく手を振る。S‐76はこのままとんぼ返りして、バッティーハ市に二人の大使館員を送り届ける手筈になっている。
「殿下」
大佐の階級章を付けた初老の軍人が、さっと進み出てアザムとラティファに敬礼した。
「ご苦労、大佐。ミスター・シップマンは知っているね。このロボットたちはわたしの護衛だ。銃器はそのまま所持させてくれたまえ。諸君、首都警備連隊長のファハッド大佐だ」
アザムが、大佐を紹介する。
「早速だが、わたしの執務室へ行こう。色々とやらねばならぬことがある」
王宮内部はいかにもアラブ風の調度と装飾に彩られていたが、アザムの皇太子執務室は実に現代調のオフィスであった。壁に訳の分からないアクション・ペインティングの絵画でも飾れば、ニューヨークあたりの保険屋の重役事務室と言っても通りそうなくらいである。
アザムはそこにマフムード・アッバス副首相を呼びつけた。ラティファ王女、デニス、ファハッド大佐、さらにスカディを加えて、情勢の検討が開始される。
「まず確かめたいのは、ラシード王子の居所だ」
アザムが、居並ぶ面々を見渡す。
「政府は掴んでおりません」
マフムード副首相……でっぷりと太った、クーフィーヤ姿が似合う壮年の男性……が、首を振る。
「軍でも掌握していません。……クーデターに加担していない部隊は、という条件付きですが」
ファハッド大佐が、同様に首を振る。
「よろしい。この状況で、ラシード王子が所在不明というのは、怪しいと言わざるを得ない。わたしは、今回の陰謀の首謀者はラシード王子ではないか、と疑っている」
アザムが、マフムード副首相とファハッド大佐に、自分の推測をざっと説明する。二人の顔色が、変わった。
「……なるほど。辻褄は合っていますな」
吹き出た汗をハンカチで拭いながら、マフムード副首相が言う。
「失礼ながら殿下。確たる証拠はお持ちですか?」
ファハッド大佐が、厳しい表情で問う。
「ない。だから、今から命令を出したい。副首相。あなたと連名で、ラシード王子に王宮へ出頭するように命じたいのだ。事態の収拾を手伝ってもらう、という名目でね。彼が無実であれば、すぐに出頭するだろう。行方をくらましたままであれば……わたしの推測が合っている可能性が高い」
「すぐに手配しましょう」
マフムードが、内線電話に手を伸ばす。
「ええと、殿下。まことに申し上げにくいのですが……」
ファハッド大佐が、軍人らしからぬ歯切れの悪い口調で切り出した。
「何かね?」
「国内に、殿下に関する……その、良くない噂が広まっております」
「どのような内容だね?」
わずかに顔をしかめたアザムが、ファハッド大佐を促す。
「殿下が、偶像崇拝の禁を犯している、との噂です。ゆえに、王位継承者にはふさわしくない、と」
「なんだと? そんな根も葉もない噂が……」
アザムが、驚愕の表情となる。
「なんでも、殿下が『美少女フィギュア』なるものを収集し、愛でているとの噂です」
電話を終えたマフムード副首相が、付け加えた。
「馬鹿な! わたしが愛するのは2次元だ! 2.5次元に興味はない!」
アザムが、怒鳴り声に近い音量で断言する。
「これも、陰謀の一環でしょうか」
内心では呆れていたが、それをロボットらしく表情にも音声にも表さずに、スカディは言った。
「そうだろうな。暗殺の試みも、この噂も、わたしを王位から遠ざけようとする陰謀だろう。ラシードが関与している可能性がさらに高まったな」
アザムが、大きく息を吐きつつ言った。
非民主的国家の良いところのひとつが、民主的手続きを無視できる、という点である。……もちろんこれは、非民主的国家の最大の欠点のひとつではあるが。
アザム皇太子とマフムード副首相が共にサインしたラシード王子への出頭命令は、公共民間問わずすべてのテレビ放送とラジオ放送、政府広報のインターネット、アル・ハリージュ三軍の通信網、警察の通信網などを通じ、アル・ハリージュ国内の隅々まで通達広報された。
アスワド陸軍基地。アル・ハリージュ陸軍南部軍司令部が置かれている基地である。
南部軍などと名乗ってはいるが、その規模は軍制上の軍はもちろん、軍団にもはるかに及ばない。地域警備の自動車化歩兵連隊数個、国境警備の機械化歩兵大隊数個、それに司令部直轄の大隊と中隊を寄せ集めただけであり、人員は二万五千名ほど。規模としては強化師団、といったレベルである。
現在、南部軍全体には陸軍副総司令官名……現在総司令官不在につき総司令官代理権限を持つ……で特別命令が布告されていた。サイド・イスマイル大将が起こしたクーデターに伴い、偽命令が横行している状況を鑑み、政府高官、軍上層部、王家からの命令、指示、伝達は原則的に無視し、陸軍副総司令官兼南部軍司令官サルミーン・ハムザ少将の直接あるいは承認済み命令にのみ服すように、との内容である。
そのような理由により、この基地に勤務する軍人兵士の大半は、ラシード王子への出頭命令のことを知らなかった。だがもちろん、陸軍副総司令官兼南部軍司令官サルミーン・ハムザ少将の手元には、基地通信班が受信した出頭命令の内容は伝わっていた。
軍人としてはいささか締まりのない太目の体形のサルミーン少将は、出頭命令の写しを手の中でひねくり回しながら、向かい側に座っている若い男性を見つめた。
「さて、どうするね。シャイフ・ラシード」
「次の手を打たざるを得ませんね」
むっつりとした表情で、ラシード王子は応じた。
ラシード王子は軍人にしては細身であった。アザムほどではないがなかなかのハンサムで、鋭さを感じさせる眼と黒々とした顎鬚が印象的な人物である。
……絶対に上手く行くはずだったのだが。
ラシードは感情を面に出さないように努めながら、心中だけで悔しがった。
彼がこの大胆な陰謀を企むきっかけになったのは、サッタール国王の死であった。どこの誰が黒幕かは知らないが、突如アル・ハリージュ王宮で散布されたサリンにより、サッタール国王はこの世を去った。それを受けて王位に就いたのは、サッタールの実弟、ハリムであった。
そのことが、ラシードの野心に火を点けた。
ラシードの父親はフセイン。サッタールとハリムの父であり、先代の国王であったムハンマドと、第二夫人とのあいだに生まれた息子である。そのフセイン王子が、第一夫人マリアム妃との間で設けたのが、ラシードだ。シバーブ家の一員であり、王子の肩書きを持つとはいえ、王家において揮える権力はあまりにも小さい。
だが、ハリム国王誕生で流れが変わった。アザム皇太子の血統が途絶えれば、ハリム国王の息子であるセイフ王子が将来玉座に就く可能性が出てきたのだ。そして、ラシードは妙にセイフとは馬が合い、彼が幼い頃から実弟のように可愛がっていた。
……セイフが王となれば、自在に操れる自信がある。
マリアム妃はイシュハ氏族の出身であり、ラシード自体もイシュハ氏族への所属意識を色濃く有していた。イシュハ氏族長には、サミアという名の美しい孫娘がいた。彼女をセイフの第一夫人とし、王位に就ければイシュハ氏族は末永く安泰だ……。
ラシードはこの計画を推し進めるべく、強力な同盟者を求めた。まず最初に引き入れたのが、サルミーン・ハムザ少将だった。陸軍副総司令官にして南部軍司令官。そしてイシュハ氏族の出身。まさに、最適な人物であった。
だが、計画はいきなり躓いた。膨大なカネが掛かることが判明したのだ。ラシードの財産は微々たるものだったし、サルミーン少将が使える陸軍の予備費も大した額ではない。イシュハ氏族の共有財産を流用すれば問題は解決するが、そうなれば氏族の有力者に計画を嗅ぎ付けられる羽目になる。氏族の中には、シバーブ家に忠誠を誓っている者も多い。ラシードは進退窮まった。
突拍子もないアイデアを思い付いたのは、サルミーン少将だった。隣国ドラハ共和国を頼ってみないか、と言い出したのだ。計画が成功した暁には、ドラハが喉から手が出るほど欲しがっているサルサール油田を与える、と持ち掛かれば、いくらでも金を出すはずだ……。
他に手はない、と判断したラシードは、その案を採用した。慎重にドラハ側に接触し、ついにドラハのリズワン副大統領と密かに接触することに成功する。ドラハにおいて、国政選挙において選ばれる大統領はお飾りの存在である。本当の権力者は、各氏族長の推挙によって水面下で決定され、公的には大統領の指名によって就任する副大統領なのである。
詳細をぼかして計画を語ったにも関わらず、聡明なリズワン副大統領はラシードの計画の全貌を即座に見抜いた。友人でもあるドラハ国防軍司令官ユーセフ大将に相談したリズワンは、この若き王子が企てた大胆な計画に加担することを決める。成功の確率は低くない、と思われたし、何よりも報酬が莫大である。百六十五億バレルの原油が得られるとなれば、賭けてみる価値は十二分にある。
リズワン副大統領はドラハ国家予算の予備費から資金を捻出し、外国の銀行を通じて少額ずつ……と言っても、一回の送金は数万ドル単位ではあったが……をラシード王子が指定した複数の口座に振り込んだ。その総額は、一億ドルを超えた。
充分な資金を得たラシード王子とサルミーン少将は、さっそく工作を開始した。政府と軍の要人何人かに接触し、買収工作を開始する。特に重要だったのが、空軍総司令官ハリド少将の抱き込みだった。アル・ハリージュ空軍は中東の空軍の中では優秀だと見られており、敵に回せばクーデターの成功は覚束ない、と考えられたからだ。さすがに同志に引き入れることは無理だったが、事が起こった際には中立を保つ、という誓約を、一千万ドルが入金された銀行口座と引き換えに得る。
準備を着々と進めながら、ラシードはチャンスを待った。ハリム国王とアザム皇太子は同時に葬り去らねばならないが、その機会が僅少なのがネックであった。暗殺はラシード王子が自ら王宮に爆弾を持ち込んで行う予定だったが、さしものラシードでも、警戒が厳重な王宮に複数の爆弾を持ち込んで複数の場所に同時に仕掛けることは無理があったのだ。あの二人が同じ部屋で顔を合わせることなど、公式な場でなければ滅多になかったし、公式行事中は警備が殊の外厳しく、爆弾を事前に仕掛けることは困難であった。ラシードが自爆テロ覚悟で爆殺を狙えば、国王と皇太子を同時に殺害することは可能だっただろうが、もちろんラシードに殉教の意図はない。
そんな中、ついにチャンスが訪れた。アザム皇太子が、日本をお忍びで訪問することを察知したのだ。都合のいいことに、ほぼ同時期に陸軍総司令官ハサン・マフディ中将がアメリカ合衆国を公式訪問する予定であるとの発表がなされる。ハサン中将が不在ならば、陸軍の指揮は同志サルミーン少将に委ねられる。
まさに千載一遇の好機である。
ラシード王子とサルミーン少将は急いで準備を進めた。ラシードは密かにドラハに赴いてドラハ国防軍司令官ユーセフ大将に面会し、万が一の際の予備的な作戦への協力を取り付ける。サルミーン少将は代理人を派遣し、あらかじめ眼を付けていた優秀な暗殺者、ラモンにアザム皇太子の暗殺を依頼する。
作戦決行当日、サルミーン少将はアスワド陸軍基地にサイド・イスマイル国防相を招き、腹心の部下を使って大将を監禁した。同じころ、ラシード王子はサルミーン少将が準備した爆弾をブリーフケースに忍ばせて王宮に乗り込む。
爆弾は意図した通りに爆発し、ハッサン首相と懇談中のハリム国王を爆殺した……とラシードとサルミーンは当初確信していた。アザム皇太子の暗殺にラモンが失敗したことは痛手だが、計画を中止するほどの痛手ではない。二人は計画通り国防相サイド大将による反王家クーデターが始まった、という情報を流し、国王殺しの罪をサイド大将に擦り付ける。同時に、アザム皇太子に対するネガティブ・キャンペーンも開始された。殺害しなくても、玉座に相応しくない人物との認識が国民に広がれば、目的は達成できる。
クーデター勢力の決起宣言に、陸軍北部軍への決起参加要請をわざわざ盛り込んだのは、サルミーンのアイデアであった。北部軍司令官マジッド・ターリック准将はサルミーン少将の陸軍内での政敵であると同時に、ラシュハイナ氏族の出身でもあったのだ。マジッド准将が指揮下の部隊を南下させ、首都に入れたりすればラシードとサルミーンの計画の障害になりかねない。それを防ぐために、クーデター勢力が北部軍と通じているかのような宣言を出したのである。元々、サイド大将とマジッド准将の仲は良い。この状況で少しでも北部軍部隊が動けば、クーデター派に加担した反王家の行動と受け取られかねない。したがって、事態が鎮静化するまではマジッド准将は身の潔白を証明するために一歩も動けないであろう、という読みである。
日本から帰国するアザム皇太子をドラハに誘導し、捕えさせようというラシードのアイデアは良かったが、なぜか失敗してしまった。さらに、フィッダ・アル・バハルに向け飛行するヘリコプターを南部軍防空部隊により撃墜せよというサルミーンの命令も、ヘリを発見できずに空振りに終わる。
フィッダ・アル・バハルは王家に忠誠を誓っている頑固者のファハッド大佐が率いる首都警備連隊によってがっちりと守られており、王宮に入ってしまったアザム皇太子を殺害したり拉致したりするのはまず不可能である。アザムに対するネガティブ・キャンペーンもいまだ確たる効果は挙げていないようだ。
そして今、アザムよりラシードに対し出頭命令が下った。……こちらの計画が見破られ、着々と阻止のための手が打たれているのは明白だろう。
……即座に反撃に出ない限り、こちらが負ける。
「残念ながら、ドラハの手を借りるしかありません」
ラシード王子は、サルミーン少将の眼を見据えながら言った。
「他に方法はないな。南部軍が首都制圧のために北上すれば、北部軍は対抗上南下するだろう。これを押さえるには、ドラハ軍に頼るしかない。気になるのは、アメリカ軍の動きだが……」
「大丈夫です。アメリカ軍は動きませんよ。ユーセフ大将が押さえてくれます」
ラシードは言い切った。アル・ハリージュに合衆国軍は駐屯していないが、ドラハには数百人規模の合衆国軍がいる。さらに、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタールなど周辺諸国にも合衆国の軍隊は駐留している。湾岸地域で国際紛争が起きれば、介入してくるおそれがある。
だが、ラシード王子はアメリカ合衆国の介入はないと見切っていた。これから行われるであろうドラハ軍の動きは、侵略行為ではないのだ。イスラム国家同士の宗教的同胞愛に基づく『協力』に、合衆国が介入すれば、世界中のムスリムの怒りを買うであろう。さらに、ドラハは総額八十億ドルに及ぶ多額の兵器購入および装備更新に関して、現在アメリカ合衆国と協議中である。ドラハ軍の動きを阻止すれば、この商談は当然ご破算となるだろう。
合衆国が動くわけがない。
第十五話をお届けします。




