第十話
堀部巡査部長の連絡を受けて、埼玉県警角有署のパトカー数台が角有東公園に駆け付ける。
公園は、すぐに閉鎖された。来園者は強制避難となり、県警本部警備部機動隊に対し爆発物処理班の出動命令が下される。
ベルだけを対人地雷の『お守り』に残したアザム皇太子一行は、すぐに車で角有市を出た。
一行は暗殺者の再襲撃を警戒して、行きのルートとは別の道を選択した。南下して東村山を経由し、主に新青梅街道を使ってホテル瑞龍へと戻る。
「判った判った。外出は控えるよ。わたしも死にたくはないからね」
ラティファ王女の説得に、アザム皇太子があっさりと折れた。
「だが、秋葉原での買い物だけは、譲れんぞ」
「繁華街でのお買い物など、自殺行為ですわ」
ラティファ王女が、むくれ気味に言う。
「しかし、日本へきてアキバに寄らないなど、ヒジャーズ(アラビア半島の紅海沿岸地方)に行ってマッカ(メッカ)を訪れないようなものではないか」
アザムが、真顔で言い返す。
「……見上げたオタク根性やな」
聞いていた雛菊が、小声で突っ込んだ。
「ということで、数日はホテルで大人しくしているよ。だが、帰国前に丸一日かけて秋葉原で買い物をしたい。護衛を頼めるかな?」
アザムが、スカディに振った。
「殿下のご意向とあれば、お断りはできませんですわね」
ため息交じりに、スカディが答えた。
「ですが、雑踏における警護となると、それなりの準備が必要です。警護要員の数を増やす必要があるでしょう」
「大鳳警備保障の担当者に電話しよう。十人でも二十人でも、諸君らが必要と思うだけの人数を借りることにする。充分に打ち合わせて、警備計画を練ってくれ。それでいいね?」
「上官の許可が下りれば、それで結構です」
しぶしぶと、スカディが納得した。
三日のあいだ、アザム皇太子はホテルを一歩も出なかった。
ラモンは焦っていた。契約では、日本旅行中にアザム皇太子を暗殺しなければならない。事前の調査では、アザムはあと数日で帰国の途に就くことになっている。
……暗殺失敗が、現実のものとなりつつある。
この稼業を始めて以来、依頼失敗は一度もない、というのがラモンの『売り』である。実際には、駆け出しでまだベネズエラ国内だけで活動していた頃に、何回かドジを踏んでいるが、名が売れてからは一回も失敗していないのは事実だ。
……何があっても失敗するわけにはいかない。
依頼者に対し、相場よりも高い依頼料を吹っ掛けることができるのも、確実に目標を仕留めてきたからである。この評判に傷が付けば、今まで築き上げてきた信用が崩れ、並の依頼料でしか仕事を請け負えなくなるだろう。仕事のえり好みもできなくなり、麻薬組織同士の抗争などという『汚れた』うえに下らぬ仕事を受けねばならなくなるかもしれない。
「ラモン。いい報せです」
吉報を持ってきたのは、ヒースだった。
「日本の警備会社に潜り込ませてあるヤクザから報告がありました。明日は目標が買い物に出掛けるそうです」
「場所はどこだ?」
「東京都内、とだけしか判りません」
身を乗り出し掛けたラモンは、ヒースの返答を聞いて落胆した。言うまでもなく、東京は世界有数の大都市のひとつである。買い物できる場所など、文字通り星の数ほどあるだろう。事前に罠を仕掛けることは不可能だ。
「おそらく、アキハバラに行くでしょう」
口を挟んだのは、バーニィだった。
「アキハバラ?」
「東京の中心部、トウキョウ・ステーションの北二キロメートルほどに位置する街です。電気関連の大型店や専門店が集中していることで知られますが、今はサブカルチャー関連の出版物やグッズの販売等で有名です。アザム皇太子は、離日前には必ずここを訪れて、大量の買い物をする習慣があります。今回も、行くでしょう」
自信ありげに、バーニィが断言する。
「地図はあるか?」
「すぐに準備します」
チャーリィが、ノートパソコンを叩き出す。
「今回は、これを使う」
ラモンは、プラスチックのケースからコンパクトなサブマシンガンを取り出した。
全長わずか四十五センチ。だが、ピストルグリップが前方に付いているブルパップ方式なので、バレル長は並のサブマシンガンよりも長い二十五センチを確保している。コンパクトな銃なので、見た目は旧式な大型自動拳銃にショルダーストックを付けただけのようにも見える。
「JS 9mm。QCW05(05式微声短機関銃)の9×19mmバージョンだ」
「中国製ですか」
チャーリィが、驚き気味に言う。
「話には聞いていましたが、実物は初めて見ました」
ヒースが、言った。
ラモンは、長さ二十センチを超えるサプレッサーを取り出し、ネジが切られている銃口にはめ込んだ。湾曲した細い箱弾倉……今は空だが、9×19mm三十発を込めることができる……を、ピストルグリップの後方にセットする。
「わたしは近接戦闘も得意でね。百メートル以内に誘い込めれば、確実に殺れる」
銃床部を肩に当てて構えながら、ラモンは説明した。
「もっとも、最近は狙撃銃に頼り切っていたからな。腕が落ちていなければいいが」
グリップの感触を楽しみながら、ラモンは束の間追憶にふけった。駆け出しだった頃は、高性能な狙撃用ライフルなど買う金はなかったので、もっぱらタウルスの安物リボルバーを愛用し、近接して殺すのを得意としていた。街路を歩いている目標に通行人のふりをして正面から近付き、すれ違いざまに拳銃を抜き、頭部に一発撃ち込む。倒れたところで、さらに止めの一発。今から考えれば、笑ってしまうほどのはした金で仕事を請け負い、殺して来たものだ。
「諸君らの、今回の仕事の報酬はどのくらいだ?」
JS 9mmを下ろすと、ラモンは訊いた。
「聞いてどうするんですか?」
ヒースが、怪訝な顔をする。
「もし、わたしが暗殺に失敗したら、報酬はどうなる?」
「……その場合でも、報酬額は変わりません」
ヒースが、硬い表情で答える。
「そうか。わたしの場合、暗殺失敗の場合は無報酬だ。前金も返さねばならないし、必要経費も自腹となるだろう。……君たちの報酬は、さすがに負担はできないが」
笑みを見せつつ、ラモンは言った。
「暗殺のチャンスは、明日が最後だろう。つまり、失敗するわけにはいかない。そこでだ、もしわたしが失敗、あるいは射撃のチャンスを逸した場合は、諸君らが暗殺を遂行してもらいたい」
三人の部下が、一斉に唖然とした表情を見せる。
……背に腹はかえられない。完全に失敗するよりは、部下に暗殺を成功させた方がはるかにましである。成功報酬は減額されるかもしれないが、暗殺成功記録が途切れるよりはダメージが少ないだろう。
「諸君、サプレッサーは持っているかね?」
ラモンは訊いた。三人が、首を振る。
「では、わたしのワルサーを貸そう。こいつを装着して使ってくれ」
別の箱から、ラモンは黒い円筒状のサプレッサーを取り出した。
「もう一丁、サプレッサー付きの銃がある。これも、使ってくれ」
念のため持ってきたルガーMkⅢ自動拳銃と、専用のサプレッサーも取り出し、ラモンはテーブルの上に置いた。
「諸君らが目標を仕留めた場合、もちろん報酬を払う。百万ドルでどうだ?」
戸惑っている三人に、ラモンはそう持ち掛けた。
「百万ドル!」
バーニィが、喘ぐように口走る。
おそらく、この三人の今回の報酬は、一人あたり数万ドル程度だろう。百万ドルをチラつかせれば、乗ってくることは間違いない。ラモンとしても、百万ドルで今までの評判が維持できるのであれば、安いものである。
「やらせてもらいます」
バーニィが、P99用のサプレッサーをひったくるようにして取った。
「……そういうことなら」
チャーリィが、ヒースの方を横目で見ながら、ルガーを手にした。
「百万ドルって……目標を倒した者に、支払ってくれるのですか?」
当惑した表情で、ヒースが訊く。ラモンは首を振った。
「いや。それでは抜け駆け争いになって作戦が上手く行かん。三人のうち誰が仕留めても、君たち三人に対し百万ドル支払う。喧嘩しないように、上手く分配したまえ。今回は特別に、わたしが目標を倒した場合でも、一人当たり十万ドルのボーナスを出そう。いいかね、あくまでも君たちの任務はわたしの仕事のサポートだ。そこをわきまえておいてくれ。諸君らが撃つのはわたしが失敗した場合だけだ。いいね」
「三鬼ちゃんとあたしは戻ることになったー。あとはよろしく頼むぞー」
ホテル瑞龍のAI‐10たちの控室に顔を出した畑中二尉が、唐突にそう告げた。
「何かあったのですか?」
座り込んで充電していたスカディが、訊く。
「一佐殿に呼ばれたー。マルーア共和国で政変だー。その分析をしなければならんー」
「マルーア共和国。南国リゾートでありますね!」
スカディと並んで充電していたシオは、はしゃいだ声をあげた。太平洋上のミクロネシアにある美しい島々からなる小国で、ハワイやグアムほど俗化されていないので、最近人気のある観光地である。
「日本の委任統治領だった、元南洋諸島ですわね。親日なので、小国ながら重要な国ですわ」
スカディが、言う。畑中二尉が、うなずいた。
「そうだー。最近、中国がちょっかいを出しているが、ばりばりの親日国だー」
「政変というと、何があったのでありますか?」
シオは訊いた。
「数年前にジェフリー・サカモトが大統領になって、国民運動党が政権を握り、台湾と断交してPRCと国交を正常化したー。そして、対米依存脱却、自主独立をスローガンに軍隊を創設し、中国資本の受け入れを開始したー。だがこの政策は国民に受け入れられず、去年の選挙で国民運動党は敗北するー。政権維持のために、サカモトは野党第一党だった民主労働党と連立政権を組み、党首のアンガス・ナバーロを副大統領に迎え入れたー」
「坂本さんが大統領なのでありますか? そのお名前だと親中派には思えませんが?」
シオは首を傾げた。
「あー、マルーア共和国には日本風の姓を持つ者が多いが、すべてが日系人というわけではないぞー。日本の委任統治領時代に、勝手に日本風の姓を名乗ったケースがほとんどだー。サカモト大統領も、日系ではないことを明言しているからなー。それはともかく、数時間前に軍の一部が動き、アンガス・ナバーロ副大統領を国家反逆罪容疑で逮捕したー。サカモト大統領は非常事態を宣言、議会の暫定閉鎖を強行したー」
「何が目的なのでしょうか?」
スカディが、首を捻る。
「正直よく判らんー。情報不足だなー。中国が裏で糸を引いている、という可能性もあるが、どうだかなー」
「はっと! ミクロネシアと言えば、マリアナ諸島も含まれるはず! グアムまでフランカーが往復できる場所に空軍基地ができれば、人民解放軍はウハウハなのであります!」
シオは充電コードを引きちぎらんばかりの勢いで立ち上がりつつそう言った。
「そんな予測もあり得るんだな、これがー。ということで、今回の政変が日本の安全保障に大きな影響を与えるやも知れんー。あとは頼んだぞー」
ひらひらと手を振りながら、畑中二尉が部屋を出て行った。
「明日の秋葉原行きに備えて、西脇二佐にこれを作ってもらったで」
雛菊が、自慢げに言う。
部屋の天井には、風船が浮いていた。オレンジと白のツートンカラーに塗り分けられた、ユーモラスなキャラクターを形取った姿だ。
「おおっ! チバさんではないですか!」
シオは喜んだ。大好きなアニメ、『妖精ブローチ』の主役キャラである。
「お腹の下に箱が付いとるやろ。これに広角レンズが四個仕込んであるんや。こうすると……」
雛菊が、チバさん風船から下に延びて、ほぼ床に下端が触れそうになっている細い金属棒を掴んだ。
「高さ三メートル半の高所から、四周の画像を取得できるという寸法や」
「わたくしたち、背が低いのが弱点のひとつですからねぇ~。アキバの雑踏の中では、見通しが利かないからこれは嬉しいですぅ~」
ベルが、喜ぶ。
「『ジェンニ・ボローシェ』のキャラクターだね」
チバさん風船を見上げながら、アザム皇太子が微笑んだ。
「殿下、こんな子供向けアニメも見るのかい?」
亞唯が、意外そうな表情で訊く。アザムが、首を振った。
「いや。わたしは見ないよ。だが、『ジェンニ・ボローシェ』はアル・ハリージュでも子供たちには人気があるからね。主なキャラクターくらいは知っているよ」
「やっぱりやな。殿下は萌えアニメ一筋やで」
雛菊が、微笑む。
「いやいや。昔からオタクだったわけではないぞ。子供の頃は普通のアニメも見ていた。だいたい、最初にはまった日本のアニメ作品は『キャプテン・マージド』だったからな。あの頃は、普通のサッカー少年だったのだよ」
真顔で、アザムが言い返す。
「『キャプ〇ン翼』のことですわね」
スカディが言う。世界中のサッカー少年に影響を与えたとされる同作品は、サッカーがメジャーなスポーツであるアラブ社会でも広く人気を博している。
「ちなみに、わたしはバッサーム贔屓だったよ」
嬉しそうに、アザムが続けた。
「ところで雛菊ちゃん! あたいが思いますに、このチバさんはいささか目立つのでは?」
シオはそう訊いた。周りがよく見える、ということは、周囲からもよく見えるということである。暗殺者に向かって、ここに皇太子がいるとアピールすることになりかねないのではないだろうか?
「そこは西脇二佐が考えてあるで。殿下にお金出してもらって、チバさん風船一千個を大人買いしたんや。当日アキバで西脇二佐の部下が、ヘリウムガス入れたこれをアキバで歩き回りそうな人に随時無料配布する予定や。殿下がお買い物してるあいだ、アキバ中を常時数百個のチバさん風船がふわふわ漂う寸法やな。その中に紛れてしまえば、目立つことあらへん」
自慢げに、雛菊が説明する。
「もうひとつ、四方向からの入力映像はうち以外に、スカぴょん、シオ吉、ベルたそにも送信し、一人一方向を解析する仕組みになっとる。さすがに、四方向全部を一人で解析するのはきついからな」
「一体に付き一方向だけなら、それほど負担にはなりませんわね」
スカディが、言う。
第十話をお届けします。




