第六話
「よーしおまいらー。身分証明書を配るぞー」
畑中二尉の指示で、三鬼士長がラミネート加工されたカードを配る。長いストラップが付いており、首から下げられるようになっている。
「アル・ハリージュ大使館に出してもらった正式な身分証明書だー。『臨時セキュリティスタッフ(ロボット)』という肩書になっているー。普段は隠しておけよー。お忍び旅行なのに大使館のセキュリティが随行していたらばればれだからなー。トラブルになったら関係者に見せてやれー。さすがに外交特権は受けられんが、大使館の備品扱いなら扱いが慎重になるはずだからなー」
シオは身分証明書を検めた。表記は英語で、シオの顔写真が張り付けてある。
「では、これから一緒に行動してくれる警察官に会いに行くぞー。六本木署の刑事さん二人だー。最初に言っとくぞー。仲良くしろー」
「なんだいそれ。小学生が教師の引率で他校を訪問するようなノリは」
亞唯が、突っ込む。
「いや、いろいろ事情があってなー。おまいらの起用が決まってから、防衛省と外務省が連名で警察庁に協力要請を行ったんだが、警備部警備課がゴネてなー。まあ、縄張り争いみたいなもんだー。それと、責任逃れもあるだろうなー。満足な警護態勢を取れない状態で、皇太子になにかあったら対外的に目立つ警察庁が泥を引っ被ることになるー。そこで、所轄に丸投げとなったー。ホテル瑞龍が、六本木署の管内にあるからなー。これなら、何かあっても、署長が腹を切れば丸く収まるー」
畑中二尉が、苦笑しつつ説明する。
「というわけで、六本木署の警備課警備係の係長代理さんとその部下が相手してくれるー。まず間違いなく貧乏くじを引かされたと思ってるからなー。特に係長代理さんは注意しろー。あの年齢で警部補ということは、現場叩き上げのノンキャリベテラン刑事さんだー。怒らせるんじゃないぞー」
「六本木署警備課警備係、警部補の秋川だ。こっちが、堀部」
地味なグレイのスーツを着た中年の男性が自己紹介をしつつ、部下を紹介する。
「スカディと申します。皇太子警護を務めるロボットのリーダーです。よろしくお願いしますわ、警部補」
スカディが丁寧に挨拶し、ぺこりと頭を下げた。
堀部巡査長が運転し、秋川警部補が同乗した白いトヨタ・クラウンに先導され、三鬼士長が運転しAI‐10たちと畑中二尉が乗ったミニバンが港区内のホテル瑞龍に向かう。明日には皇太子が来日するので、今日から本格警備が開始されるのである。
「二尉殿! その大荷物はなんでありますか?」
シオは、畑中二尉が車内に持ち込んだキャリーケースを指差して尋ねた。
「あたしのお泊りグッズだー。なにか文句があるのかー?」
「お泊りって……瑞龍に泊る気かい?」
亞唯が、呆れ気味に言う。
「皇太子のスイートの周りの部屋は安全のために貸し切りだー。だが、無人のままよりも誰かいた方が安心だろー。ということで、真下の部屋にあたし、右隣に三鬼ちゃん、左隣に越川一尉が宿泊するー。非公式の警護任務だから、いわばボランティアだなー。向かいの部屋と屋上は、おまいらに任せたぞー。念のため、こっそりと9ミリ拳銃も持ってきたが、あんまりあてにはするなよー」
「というのは口実で、皇太子の奢りでホテルライフを満喫するおつもりなのでは?」
スカディが、ずばりと訊く。
「そこは突っ込むなー。おまいらだってホテルライフを満喫できるんだからなー」
畑中二尉が、言い返す。
「充電し放題くらいなら、べつに嬉しくはないのですぅ~」
ベルが、言う。
「風呂も楽しめんしな、うちら」
うらめしげに、雛菊が言った。完全防水仕様なので入浴は可能だが、さすがにそれを楽しむ機能までは備わっていない。
すでに先乗りしていた越川一尉の案内で、一同は皇太子が宿泊するスイートとその周辺を見て回った。すでに、ホテル外周を含め警備は強化されており、ホテルが契約している大手警備会社、大鳳警備保障の警備員が大勢動員され、あちこちで立哨している。
「やっぱりこのデカい窓が気になるなぁ」
亞唯は広々としたリビングルームに面した窓に歩み寄った。掃き出し窓なので、明るい日差しが室内に燦々と降り注いでいる。窓の外には、これも広々としたテラスがあり、手前側は縁側が設けられていた。
「ええなあ、これ」
雛菊が、テラスを見て驚嘆する。
テラスは、日本庭園風の造りになっていた。中央部は箒目を付けた白砂と庭石で、枯山水を模している。左右には、玉砂利と苔がランダムに配されており、隅の方には松、楓、千両などが植えられていた。
「これが見えないのは惜しいけど、閉めておくしかないわね」
スカディが、障子に手を掛けた。和風を演出するために、すべての窓の内側には障子が設えてあるのだ。
「障子だけだと、夜に影が映ってしまうのでは?」
シオはそう口を挟んだ。映画で、カーテンのシルエットに向けて狙撃を成功させるスナイパーを見たことがある。
「確かにそうね。どうしましょうか」
スカディが、考え込む。
「暗幕を張ったらいいのでは?」
「それは無粋すぎるのですぅ~」
シオのアイデアに、ベルが突っ込む。
「ならば、紅白幕なら?」
「めでたいけど落ち着かんやろ、それ」
雛菊が、笑う。
亞唯と雛菊は、他のメンバーと離れ、屋上に向かった。
ある程度以上の規模があるビルの屋上は、実にごみごみとしている。排気ファン、空調ファン、冷却塔、室外ユニット、蓄熱槽、高圧受電設備、受水槽、避雷針、などなどが立ち並び、さながら迷路のようだ。
「この真下が皇太子のスイートやな」
雛菊が、簡単な落下除けのフェンスが付いただけの縁ににじり寄る。
「つまり、皇太子を狙撃しようとする奴がいたら、この視界内にいるわけだな」
亞唯が、立ち並ぶビルをひとつずつ見てゆく。
「ぎょうさん隠れるとこあるで。一応、怪しい屋上とかには、西脇二佐のセンサー設置したそうやけど」
雛菊が、倍率三十倍の双眼鏡を覗きながら言う。人間が手持ちで使うと手振れで使い物にならない三十倍双眼鏡だが、ロボットなら三脚なしでも大丈夫だ。
「とりあえず、皇太子がホテルにいる間は、あたしたちはここで張ることにしよう」
メモリー内の3Dマップに、要注意箇所の印を付けながら、亞唯は言った。
「季節外れのハロウィンですかぁ~?」
亞唯の姿を見て、ベルが首を傾げる。
警護開始当日の朝である。
黒一色のロングワンピース。オーバーサイズの、黒い尖がり帽子。この格好で竹箒を持った亞唯は、どうみてもハロウィンの魔法使いの仮装であった。
「仕方ないだろ。竹箒持ち歩いても怪しまれないようにしないと」
亞唯が、言い訳する。
「亞唯っちだけだと目立つから、うちも仮装やで」
雛菊が、自分の衣装を見せびらかす。こちらは黒いもふもふの上下に、猫耳カチューシャ。使い魔の黒猫のイメージだ。
「装備は持ったな。では、頑張ってこい」
越川一尉が言って、AI‐10五体を送り出した。
皇太子側は、以前の来日で警護を依頼していた大鳳警備保障から、移動用に三台の車両を運転手ごと借りていた。メルセデスS600Lが二台と、ミニバンのホンダ・オデッセイである。
S600Lのうち一台は、防弾装甲仕様であった。外見はノーマル車と変わりないが、乗降の際にドアを開けると、扉と窓が異様に分厚いのが判る。
秋川警部補と堀部巡査長の乗ったクラウンを先導役にして、四台の車は成田空港へと向かった。AI‐10たちは、五体だけでオデッセイに乗っていた。皇太子の直衛には、越川一尉らは参加しない。……自衛隊の関与が、マスコミや野党にばれると面倒なことになるからだ。
アザム皇太子のチャーター機は、ファルコン7Xだった。三発の大型ビジネスジェット機で、アル・ハリージュから日本までノンストップ運行が可能だ。
通関を済ませたのは、五名だった。アザム皇太子と、お付きらしいクーフィーヤ姿の男性一名。同じくお付きらしいヒジャブ(髪を覆うスカーフ)姿の女性二名。そして、黒いニカーブ(眼以外をすべて隠す頭巾)姿の女性。
「アザム・ビン・サッタールだ。よろしく頼む」
皇太子がにこやかに言い、秋川警部補に握手を求める。
「もう日本ですわね、お兄様」
ニカーブ姿の女性が、周囲をきょろきょろと見回しながら言った。
「そうだよ、我が妹よ。紹介しよう。妹のラティファだ」
アザム皇太子が、ニカーブ姿の女性を紹介する。
不意に、ラティファ王女が自分のニカーブをむしり取った。中から現れたのは、アラブ人らしからぬ白い肌と薄茶色の髪をした若い女性であった。
「あー。せいせいした」
王女らしからぬ少しばかり品のない口調で言ったラティファ王女が、脱いだニカーブをお付きの女性に手渡す。
「ラティファはわたしの義母……第二夫人の娘でね。半分はカナダ人の血が入っている」
戸惑う一同に、アザム皇太子が説明する。
「今回、どうしても付いてくると言い張ったんで、連れてきたのだよ」
「お命を狙われているかも知れないのです。わたくしがお守りしますわ」
背の高い義兄を見上げるようにして、ラティファ王女が口を尖らせ気味に言う。
「で、あなたたちがお兄様の警護役なのですね?」
腰に手を当てるという、挑戦的なポーズでラティファ王女がAI‐10たちを見下ろした。
「アサカ電子と言えばトゥエルブ・パペッターズの一員。軍用ロボットは優秀と聞きますけど、あなたたちはどうなのかしら?」
「妹は……その、軍事マニアでね。その手のことにはうるさい……いや、詳しいのだよ」
苦笑しつつ、アザム皇太子が言う。
「ご安心ください、王女殿下。能力的には充分なものを持っております」
如才なく、スカディが応じる。
「急かすようで申し訳ありませんが、移動いたしましょう。同じ場所に長く留まることは、警備上よろしくありませんから」
「あらなかなかしっかりしてるじゃないの。見直したわ。お兄様、このロボットの言うとおりですわ。参りましょう」
ラティファ王女が、兄を振り仰いだ。
行きと同様、秋川警部補と堀部巡査長が乗ったクラウンが、先導する。
二台目は非装甲のメルセデスS600Lで、お付きの男性と女性が一名ずつ、警護役としてベル、それに皇太子たちの荷物が載せられていた。旅の荷物は驚くほど少なかった。皇太子は旅慣れていたし、だいたいお金持ちという人種は、旅行に大荷物は持ち歩かないものだ。
三台目の防弾装甲S600Lには、アザム皇太子とラティファ王女、お付きの女性一名、それに警護役としてスカディが乗っていた。四台目のオデッセイには、残る亞唯と雛菊、それにシオが乗った。
シオは後方を見張った。もちろん、路上での襲撃を警戒してである。
幸い、トラブルは皆無だった。南関東自動車道から首都高湾岸線に入り、レインボーブリッジを経由して飯倉で高速を降りる。一時間ちょっとで、車列はホテル瑞龍に到着する。
皇太子と王女を無事にスイートルームに送り届けたところで、亞唯と雛菊はさっそく屋上に向かった。手すり越しに、怪しい動きが無いかを見張り始める。
時間は遡る。
その日の朝、ラモンと三人の部下……ヒース、バーニィ、チャーリーは、荷台の車に分乗して活動拠点を出た。向かうは、狙撃場所に選定した八階建ての雑居ビルである。
ヒースの運転するプリウスが、雑居ビルの近くにある路地に止まると、ラモンとチャーリーはそれぞれ細長い段ボール箱を抱えて車を降りた。二人とも、ありふれたカーキ色の作業着姿なので、運送業者にしか見えないはずだ。ラモンの段ボール箱には、TRG‐42が収まっている。チャーリーの方には、その他の装備が詰まっていた。
二人は見とがめられることなく、雑居ビルに入り込んだ。エレベーターで、八階までゆく。箱を降りる前に、ラモンは一階のボタンを押しておいた。誰も使うはずのない八階にエレベーターが停まっていることに誰か気付いたら、厄介なことになりかねない。
足音を忍ばせ、だがしっかりと身を晒して……誰かに見られたら、階を間違えたと言い訳するためだ……二人は通路を進んだ。目星をつけておいた扉の前に段ボール箱を置き、手分けして階段、非常階段、各部屋の施錠状況などを調べる。
……人の気配なし。
「やれ」
ラモンは短く命じた。
チャーリィが、作業服のポケットから解錠道具一式を出した。テンションバーとピックを鍵穴に突っ込み、慣れた手つきでピッキングを開始する。
一分と掛からずに、チャーリィが解錠を完了する。ラモンは、音がしないようにそっと扉を引き開けた。
中は殺風景であった。ここをかつて借りていた連中の手によって、備品の類はすべて持ち出されており、残っているのは元々のビルの設備である天井の蛍光管くらいしかない。
室内には、ほのかにオレンジの香りが漂っていた。……オレンジオイルを利用した洗剤を使った名残だろう。
ラモンが室内をざっと調べているあいだに、チャーリィが段ボール箱を運び込んだ。しっかり扉を閉めてから、自分の段ボール箱を開け始める。
まずチャーリィが取り出したのは、薄いが丈夫なビニールシートを折り畳んだもの二つであった。一枚を……サイズは二メートル×三メートルくらいか……広げて、ラモンが指し示す窓際に敷き、もう一枚を扉のそばに敷く。
法医学的証拠をなるべく残さぬように、という配慮である。
ラモンはチャーリィが差し出した双眼鏡……倍率は八倍……を受け取ってそっと窓の外を覗いた。周囲のビルをざっと調べ、こちらを見ている者がいないことを確認する。窓は閉めたままにしておいた。空のオフィスである以上、窓は常に閉まっているはずだ。開いていれば、奇異に思われる。
満足したラモンは、自分の段ボール箱からTRG‐42を取り出した。.338ラプア・マグナムが五発入っている箱弾倉も取り出し、ライフルにはめ込む。
本来ならば、狙撃用ライフルを輸送した場合はそのあとでしっかりと零点規整を行うべきである。どんなに丁寧に運んだとしても、調整が狂うからだ。だが、銃器規制が厳しい日本で、ラモンが安全に零点規整を行える場所はなかった。だから、ぶっつけ本番でやるしかない。
射撃精度が甘くなるのは、ラモンとしては覚悟の上だった。頭部を撃ち抜くようなきれいな射撃は、最初から眼中になかった。だからこそ、この銃を持ってきたのだ。
.338ラプア・マグナムの初活力……発射時の弾道エネルギー……は六千五百ジュールを軽く超える。西側で一般的な突撃銃用弾薬……5.56×45mmの初活力が千七百から千八百程度、と言えばその凄まじいまでの威力が想像できるであろう。もちろん、遠距離射撃でそのエネルギーの多くは失われるが、それでも命中時の破壊力は大きい。
この銃弾ならば、胴体に命中させることができれば、胸でも腹でも腰でも確実に殺害できる。十数センチ程度のずれならば、問題ない。
TRG‐42のチェックを終えたラモンは、サイドアームのワルサーP99もチェックした。異常無いことを確認すると、ビニールシートの上で楽な姿勢を取る。狙撃は忍耐のゲームでもある。焦りは禁物だった。
第六話をお届けします。




