第五話
メキシコシティ国際空港から飛び立ったアエロメヒコ航空ボーイング787が、成田空港に到着する。
ラモンは、ブラジルのパスポート……本物を改造した偽造ではあるが、三千USドルも支払った『最高級品』なので、見破られる心配はない……で通関を済ませた。入国の際の偽装身分は、ブラジルのビジネスマンである。彼のブラジルポルトガル語は完璧なので、こちらも見破られる心配は皆無だ。皺の寄ったダークスーツを着て、スーツケースを手にしたラモンは、どう見ても長旅に疲れた無害な中年男にしか見えないはずだ。
無事第一ターミナルを出たラモンは、P1駐車場に向かった。Fエリアに停めてあるシルバーのトヨタ・プリウスが迎えの車である。用心のために、搭乗便はもちろん出発地も知らせずに、おおよその到着時間帯だけ連絡しておいたから、迎えの者は待ちくたびれてかなり退屈していることだろう。
ラモンは、停まっているシルバーの車のリアウィンドウの中を一台一台見て行った。ここに、折り畳んだ英字新聞を置いてあるのが、第一の合図である。
……この車か。
ラモンは、車種を確かめた、確かに、トヨタ・プリウスだ。運転席には、東洋人が一人座っている。
「失礼」
ラモンは、開いている窓越しに男に英語で呼びかけた。
「この辺りに、赤いフォードを停めたはずなんだが……」
「赤? オレンジ色のフィエスタなら、見ましたけどね」
男が、即座に答える。
ラモンはうなずくと、ドアを開けて後部座席にスーツケースを放り込んでから、乗り込んだ。男がすぐにエンジンを掛け、プリウスを出す。習慣から、ラモンは周囲の車を観察した。動き出した車はないか。急に携帯電話を掛けたり、足早に動き出した人物はいないか。カメラその他をこちらに向けている者はいないか。
「ヒース、と呼んでください」
自動車専用道路に乗ると、運転していた男がそう名乗った。
「ええと、ミスター……」
「ミスターもセニョールも、サーも必要ない。ラモンと呼んでくれ」
厳しい口調で、ラモンはそう告げた。少人数の短期作戦に、虚栄は必要ない。むしろ、邪魔になるだけだ。
「諸君らは、わたしの部下として命令には服従してもらうが、堅苦しく接する必要はない。いいね」
「承知しました、ラモン」
「作戦拠点まではどのくらいかね?」
「五十分程度です」
「結構。着いたら起こしてくれ」
ラモンは眼を閉じた。
作戦拠点は、江戸川区内の賃貸マンションに置かれていた。
「紹介します。こちらがバーニィ。こっちが、チャーリィです」
ヒースが、残る二人の助手の名を告げる。
バーニィはアジア系だが、どう見ても日本人には見えなかった。おそらく、出身は東南アジアだろう。チャーリィとヒースも日本人ではないと聞いているが、ラモンの眼には他の日本人と区別がつかなかった。
「よろしく頼む。さっそくだが、荷物を確認したい」
ラモンは言った。別途発送を依頼していた仕事道具が、すでに届いているはずである。
「こちらです」
ヒースが、隣室に案内する。
ラモンは床に置かれている三つの荷物の梱包を検めた。すべて、自ら荷造りした状態が保たれている。これなら、中身も無事だろう。
「結構。では、誰か旨いコーヒーを淹れてくれないかな? それを飲みながら、今後の作戦を検討するとしよう」
「ご依頼の通り、目標の宿舎周辺の狙撃ポイントをリストアップしておきました」
ヒースが、港区の地図……英語バージョン……を広げる。港区が観光客向けに作成し、無料配布すると共に、ネットでも公開しているものである。
「ターゲットが宿泊するホテルはこの位置です。宿泊すると思われる部屋は……」
ヒースが、澱みない口調で説明を続ける。チャーリィが、説明に応じてより大縮尺の地図、ホテルの見取り図、航空写真、現場のスチール写真などを出して、テーブルに並べてゆく。
「逃走経路も考慮すると、お勧めするポイントは三か所です。こちらのマンションが射距離約五百二十メートル。共用部分に絶好の場所を見つけてあります。もうひとつは、ここの雑居ビル。射距離約四百九十メートル。非常階段から撃てます。最後は、このオフィスビル。射距離四百八十メートル。屋上なら射線が通ります」
地図上の印とスチール写真を指し示しながら、ヒースが説明を終えた。ラモンがどれを選ぶのか、チャーリィとバーニィも固唾を呑んで見守っている。
ラモンは航空写真と、周辺の高層ビルから撮影した写真を注視した。小さなビルが建て込んだ、ダウンタウン的な街並みである。ホテル近くにあるビルが射線を遮っているので、好適な狙撃ポイントはさほど多くない……わずか五十メートルの距離から見え見えの狙撃をしようとするならば、別だが。
「いい仕事だ、諸君。礼を言おう」
航空写真を注視しながら、ラモンは言った。狙撃のプロの眼からしても、ヒースらの狙撃ポイントの選択は見事と言えた。
だがそれは、言い換えればターゲットを警護する連中にもあっさりと読まれてしまう選択でもある。
「このビルだが……射線は通るかな?」
航空写真の一点に指を当てて、ラモンは訊いた。チャーリィとバーニィが、慌てて地図を調べ出す。
「……障害物は無さそうですが……そこから撃つおつもりですか?」
ヒースが、怪訝そうな表情で訊く。
「敵の裏をかきたいのだよ。今回は、慎重を期さねばならない」
「……七百二十メートルはありますね」
地図上で距離を測ったバーニィが言う。
「ラモン。あなたの狙撃の腕前を疑うわけではありませんが、七百メートル越えで、しかもおそらくガラス越しになるであろう狙撃は、困難なのではありませんか?」
遠慮がちに、ヒースが言う。
「確かに、簡単な射撃ではないな」
ラモンは素直に認めた。
「来たまえ」
隣室に戻ったラモンは、チャーリィにカッターナイフを借りると、荷物のひとつを解き始めた。
「これは……」
厳重に梱包された大型ライフルを眼にして、ヒースが目を瞠る。
「TRGですね」
銃器に詳しいのか、銃床部分を解いただけでチャーリィが名称を言い当てる。
「TRG‐42だ」
梱包を解きながら、ラモンは言った。TRGシリーズは、フィンランドのSAKOが製造販売している狙撃用ライフルである。アジアではあまり馴染みがないが、ヨーロッパでは軍や特殊部隊、警察などに良く採用されている高性能銃だ。最初に作られたモデルは.308ウィンチェスターを使用するタイプだったが、後に7.62×51mmや.300ウィンチェスター・マグナム、さらに.338ラプア・マグナムなどを使用するタイプも制作された。
「これはラプア・マグナムを使用するタイプだ。この弾を撃ったことがあるかね?」
同梱してあった銃弾を見せながら、ラモンは問うた。三人が、首を振る。
ラプア・マグナムは大きな銃弾である。口径は0.388インチ……8.58ミリメートル。薬莢の長さは7センチに近く、全長はなんと93.5ミリメートルもある。軍用ライフルとしては一般的で、狙撃銃用にも多用されている7.65×51mm弾の全長が、ラプア・マグナムの薬莢長とほぼ同じくらい、と言えば、その大きさが想像できるだろうか。
「こいつなら、七百メートルなど余裕だ。現場の風は?」
「複雑です。ですが、今の時期東京はそれほど風が強くない。天候さえ穏やかならば、多少横風があるくらいでしょう」
ヒースが答える。
「よろしい」
ラモンはTRG‐42を点検した。ボルトの作動具合を確かめつつ、薬室を覗く。
「諸君らの武装は?」
満足したラモンは、訊いた。
「三人とも、グロック19を支給されています」
ヒースが答えた。有名なグロック17のコンパクトバージョンで、装弾数は減らされている。……といっても、十五発もの弾倉容量があるのだが。
「腕前は?」
「……あまり期待しないでください。一応、三人とも軍隊経験はありますが」
歯切れ悪く、ヒースが言う。
一同は元の部屋に戻った。バーニィが、コーヒーを淹れ直す。
「ターゲットの警護に関する情報は入ったかね?」
ラモンは訊いた。
「まだ不明です。ただし、日本の警察には目立った動きはありません」
ヒースが言う。
「ほう。確かかね?」
「『ヤクザ』に金を払って調べさせています。連中の情報は、信用できます。警察の内部に、深く入り込んでいますから」
少しばかり得意げに、ヒースが答える。ラモンはうなずいた。……どの国の警察も、大なり小なり腐敗しているものだ。
「民間の警備会社なら、大した障害にはならないだろう。日本には本格的なPMSC(民間軍事警備会社)は無いからな」
ラモンはそう言った。
「日本の法律上、軍が外国人の賓客の警護を行うことはできません。ですが、議会や国民に報せずに密かに警護を行うかもしれません」
チャーリィが、言う。
「その場合は、厄介なことになるな」
いずれにしてもラモンは、作戦に際しては常に敵が最も厳しい警戒手段を用いている、という前提で計画を立て、実行することにしていた。今回も、軍の特殊部隊による警護くらいは想定しておくべきだろう。
「よろしい。では、下見に行くとしようか」
ラモンはコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「では、これをお渡ししておきます」
ヒースが、小さな紙箱を持ち出した。中から、札束、小銭入れ、カード、鍵束、スマホを出す。
「スマートフォンは緊急連絡用に使ってください。英語モードにしてあります。小銭は、持っていた方がいいです。日本は現金社会ですから、無いと困ることが良くあります。紙幣はこれが一万円札、これが五千円札。こっちが、千円札です。千円が、十ドルくらいと考えれば、だいたい合っています」
「これは?」
ラモンは緑色と銀色のカードを取り上げた。
「交通系ICカードです。東京とその周辺の鉄道とバスはこれで運賃の支払いができます。これも非常時に使ってください。よろしければ、これもどうぞ」
ヒースが、安物の合成皮革の財布を差し出す。ラモンは、紙幣とカードをその中に突っ込んだ。
チャーリィの運転で、プリウスが首都高に乗る。
ラモンはバーニィに留守番を命じた。大勢で行っても、目立つだけである。運転役が一人。同行者が一人いれば、用は足りる。
ラモンはスーツを脱ぎ、ヒースらが用意してくれた日本製の安物ジーンズとポロシャツに着替えていた。下調べで日本には思ったよりもブラジル人が多いことを知った彼は、作戦行動中は短期滞在のブラジル人を装うことにしたのである。偽造だが、在留カードも作ってある。在留資格の欄には『家族滞在』と記されているので、日本語がまったく喋れなくても問題ないし、官憲に怪しまれるおそれも少ない。
「ホテルには近付かないでくれ」
ラモンはチャーリィにそう命じた。まだアザム皇太子は日本に入国していないはずだが、警護側が間抜けでなければ、すでにホテル周辺には監視の網が張られているはずだ。
ラモンは、ヒースを伴って目当てのビルから三ブロックほど離れた処で車を降りた。チャーリィは、そのまま目立たぬようにプリウスで走行を続ける。
目当てのビルは、築二十年は経っていそうな薄汚れたものであった。窓からすると、八階建て。敷地面積は狭くて細長く、通りから見ると無理やり本棚に押し込んだ大判の本のようにも見える。一階は道路に面した部分がガラス張りになっており、カフェになっているようだ。右手の方に上階への入り口らしい空間がある。横へ廻ると、狭い駐車スペースの脇に飲料の自動販売機がふたつ設置されていた。
「ついてますよ、ラモン」
小声で、ヒースが言った。
「八階の窓を見てください」
ラモンはビルを見上げた。八階の通りに面した窓をすべて塞ぐような形で、日本語が書かれた大判の紙が何枚も張り付けてある。
「テナントボシュウチュウ。つまりは、for rentです。八階は無人ですよ」
さりげない足取りで通り過ぎたラモンは、ヒースにビルの中を探るように指示した。自分はスマートフォンを耳に当て、少し離れた道端で立ち止まる。怪しまれないように何度か場所を変えながら待つこと二十分。ようやくヒースが戻って来た。
「一階が喫茶店。二階がネイルサロン。三階が歯医者。四階が会計事務所。五階はオフィスですが、名称からでは何の会社か判りませんね。六階も、何かの団体か企業の東京事務所のようです。七階は名称からして貿易会社のようです」
スマートフォンで撮影したビル案内板を見せながら、ヒースが説明する。
「それで、射線は通るのか?」
歩きながら、ラモンは訊いた。街中で目立たないコツは、動き続けることだ。通常、人間の眼は動いているものに注意を惹かれるという性質があるが、人も車も常にせわしなく動いている都会では、静止している方が却って目立つことになる。
「八階の非常階段から単眼鏡で確認したところ、確実に射線は通っていました。七階だと、難しいでしょう。屋上への扉は施錠されていましたから、無理はしませんでしたが、まず確実に射線は通っています」
「セキュリティは?」
「監視カメラ、防犯センサーの類はありません。各テナントは、独自に警備会社と契約しているようですね。扉に名の通った警備会社のステッカーが貼ってありました。八階の扉はすべて施錠してあります。ただし、ありふれたシリンダー錠なので開けるのは難しくないでしょう。警備契約は解除してあるようで、扉にステッカーを剥がした跡がありましたし、警戒セット用のリモートスイッチも取り外した跡がありました」
「逃走経路はどうだ?」
「エレベーターが一基。階段は狭いです。それに、外の非常階段」
「よし。北東側から見てみよう」
ラモンとヒースは、路地を辿ってビルの北東側にまわった。三階建ての商業ビルに入り込み、南に面した窓から外を覗く。
「あの窓がいいな」
ラモンは指差した。ごく普通のアルミサッシの腰高窓。
「ここに決めよう。逃走経路の確認を頼む。鍵開けが得意な奴はいるか?」
「チャーリィならできます」
「結構。すまんが、今日と明日二十四時間定期監視を頼む。このビルと周辺のタイムスケジュールを知りたい。そのあと、押し入って下見をしよう」
「わかりました。とりあえず、チャーリィに監視させます」
商業ビルを出ると、ヒースがスマホでチャーリィを呼んだ。
第五話をお届けします。




