第三話
「よーしおまいら謹聴しろー。まずは警護対象であるシャイフ・アザム・ビン・サッタール・アル・シバーブ皇太子殿下についてだー」
畑中二尉が、例によって尊大な調子で説明を始める。
三鬼士長が、ノートパソコンのキーボードを叩き、ディスプレイに白いクーフィーヤ(アラブ風頭巾)を被ったアラブ系の若い男性を映し出す。
やや面長で、尖り気味の顎にはよく手入れされた顎鬚が蓄えられている。頬と鼻下にも、黒々とした髭。高い鼻と、力強い太い眉。眼は切れ長で、澄んだ褐色の瞳がカメラをひたと見据えている。
「見ての通りのイケメンだー。母親は、サッタール前国王の第一夫人、アイシャ妃。年齢は二十六歳。身長百八十四センチ。公的な役職としては、いくつかの政府系財団の理事を務めているー。シバーブ家は他の湾岸諸国の王家や首長家と同様、石油成金で大金持ちだー。アザム皇太子の個人資産も、数十億ドルというレベルらしいー。大学はオックスフォード卒業。ちなみに、親父さんのサッタール前国王もオックスフォード卒だー。アザム皇太子はスポーツマンでもあり、アマチュアサッカークラブに所属しているー。ちなみにポジションはミッドフィルダーだー」
「高貴な生まれでハンサム。超一流大学卒で学歴も教養も申し分ない。もちろん資産家。さらに高身長でスポーツマンでまだ若い。一点を除けば、素晴らしい男性ですわね」
スカディが、感想を述べる。畑中二尉が、笑った。
「スカディの言うとおりだなー。これで趣味がまともなら、完璧なのだが、残念ながら皇太子はオタクとして知られているー。しかも、日本のアニメオタクなのだー。この一点で、台無しだなー」
「特上寿司に蜂蜜ぶっ掛けたようなもんやな」
雛菊が、言う。
「シングルモルトを水道水で割るようなものでしょうかぁ~」
ベルが、そう言う。
「松坂牛のステーキにスーパーのPBの焼き肉のたれを掛けるようなものなのです! 勿体ないのであります!」
シオはそう主張した。
「まあそんなところだろうなー。皇太子のオタク趣味は本物だー。英語を覚える前に日本語をマスターしたくらいだからなー。俗語や方言まで知っている、という話もあるぞー」
「関西弁もいけるんやろか」
雛菊が、期待顔で聞く。
「そこまでは知らんー。では、アル・ハリージュ王国について説明しておくぞー。まずはアラビア半島、アラビア湾岸の歴史だー。極端な乾燥地帯だから、沿岸部に漁業や交易で生計を立てている連中が住んでいたくらいで、古代から大きな国家が興ったりしたことはないー。文化的には、対岸のペルシャの諸王朝の影響を強く受けていたー。その後、イスラム教が勃興するといわゆるイスラム帝国、古い言い方で言えばサラセン帝国の領土となるー。のちにアッバース朝がモンゴルに滅ぼされたりもしたが、イスラム教文化を維持しつつ推移し、やがてオスマン・トルコの勢力がアラビア半島にも及ぶと、その支配地となったー。そのあとやって来たのが、ポルトガル人だー。連中はオスマン・トルコを追い出すと、主要港湾を中心に統治を始めるー。その後、イギリスと組んだオマーン帝国がイギリス以外のヨーロッパ勢を駆逐ー。オマーンは今は小国だが、かつてはタンザニアあたりまでのアフリカ東海岸を支配したほどの海洋強国だったのだぞー。話を元へ戻すと、イギリスはこの地域に対する影響力を強め、多数あった首長国……まあ、アラブ貴族が統治する小国家だなー……をすべて保護国とするー。第二次世界大戦後、イギリスの保護領を脱して独立しよう、という話になり、各首長国……バーレーン、カタール、アル・ハリージュ、ドラハ、アブダビ、シャルージャ、ドバイ、フジャイラなどなどが集まって、FAE……フェデレーション・オブ・アラブ・エミレーツ……アラブ首長国連邦が独立国家樹立準備機関として結成されるー。まあ、近隣の小国が集まって連邦国家を作ろうという良くある話だー。だが、利権争い、経済対立、未確定領土問題など色々あって、バーレーン、カタール、アル・ハリージュ、ドラハの四首長国はそれぞれ独自に国家を作り、独立してしまうー。これが、バーレーン国、カタール国、アル・ハリージュ王国、ドラハ王国となるー。その後、ドラハは国王を追放し、地方首長による地域支配を認めた変則的な共和制であるドラハ共和国になったがなー。バーレーン国も、立憲君主制への移行でバーレーン王国となったー。残るアブダビ、シャルージャ、ドバイ、フジャイラなどは、UAE……ユナイテッド・アラブ・エミレーツ……ややこしいがこちらもアラブ首長国連邦としか訳せないが……を結成し、建国。現在に至るわけだー」
「アラブ首長国連邦とは、珍しい国名だと思っていましたが、そんな成立過程で付けられたお名前だったのですね!」
シオは感心して言った。
「アル・ハリージュ王国独立は1971年のことだー。バーレーンとカタールも、71年度中に独立しているー。UAEも成立は71年だが、首長国のひとつであるラアス・アル・ハイマが一年遅れて加盟したという経緯があるー。では、アル・ハリージュ王国について解説するぞー。まずは地図を見ろー」
畑中二尉の合図を受け、三鬼士長がディスプレイを切り替える。海岸線を写した衛星写真が表示される。浅いことを示唆する青緑色の海と、白茶けた陸地。鮮やかな緑色は、内陸部にいくつか見られるが、いずれも長方形や円などの不自然な形状をしている。計画的灌漑農業が行われているのだろう。
「この赤い点線で囲われた部分がアル・ハリージュだー。凹の字みたいな形状だなー。西側をUAE、南側をサウジアラビア、西側をドラハに囲まれてるー。国土のど真ん中にアラビア湾から大きな湾が舌のように入り込んでいて、U字型の国土を形作っているー。この湾が、国名の元となったー。『ハリージュ』は、アラビア語で湾のことだー。この湾の一番奥に、首都でかつ最大都市のフィッダ・アル・バハルがあるー。国土面積は四千二十平方キロメートル。大半は岩石砂漠と荒地だー。人口は、約百四十万人。この面積と人口は、滋賀県と大体同じくらいだなー」
「滋賀県の面積というと、琵琶湖はその中に入っているのでありますか?」
シオはそう訊いた。なにしろ日本最大の湖である。入っているかいないかでは、面積が相当違ってくるはずだ。
「あー、滋賀県の総面積に琵琶湖は当然入っているぞー。国土や県土の面積には、陸水域を含めるのが普通だからなー。ちなみに、総面積の六分の一が琵琶湖だそうだー。アル・ハリージュの話を続けると、人口百四十万のうち、六割が外国籍だー。外国籍住民の国籍は、インド、スリランカ、バングラデシュ、フィリピンなどが多いー。これも滋賀県になぞらえると、大津市民だけが滋賀県民で、あとはすべて在日外国人、みたいな状況だなー」
「凄いな、それ」
亞唯が、半ば呆れ顔で驚く。
「湾岸諸国なんてそんなもんだー。オイルマネーに釣られて、出稼ぎ労働者がどかどか入国してるからなー。アル・ハリージュやバーレーン、クウェートはまだましな方だぞー。過半数を外国人が占めているだけだからなー。カタールやUAEは、外国人が85%を超えているぞー」
「『国家』の定義が揺らぎそうな国ですわね」
スカディが、言う。
「まあ、経済的に豊かな都市国家は古代からこんなものだったらしいからなー。カタールはサーニー家による実質独裁で、UAEも各首長は世襲制で絶対権力者だー。国民が政権を支えているわけじゃないー。普通の民主主義国家ならば、少数の有権者対多数の参政権を持たない外国人という図式になって、政治的混乱が常態となるはずだが、非民主的国家でかつ国家財政が豊かであれば、自国籍を有する国民も出稼ぎ外国人も現状に満足してしまい、政治的混乱は起きないー。いわゆる、『パンとサーカス』だなー」
畑中二尉が、冷笑を浮かべる。
「アル・ハリージュのGDPは一千億ドルを超えるー。主産業はもちろん、石油と天然ガスの輸出だー。我が国は、中東産原油の約二割を同国に頼っているー。アル・ハリージュの現時点での原油埋蔵量は推定一千億バレル。これは、合衆国よりも多く、ほぼクウェートやUAEと同じくらいだー」
「このバレルという単位がよく判らないので、一千億バレルと言われてもピンとこないのですが!」
シオはそう言った。もちろん、メモリーの中には『1バレル=約159リットル』という情報が入っているが、人間同様日常使わない単位はロボットにも『感覚的』に理解し辛いのである。
「うむ。オリンピックサイズのプールの水量が250万リットルだから、ええと……」
畑中二尉が、電卓を叩き始める。
「……だいたい636万個分、というところかな」
「……よけい判らなくなってしまいましたぁ~」
ベルが、首を傾げる。
「『容器』が小さすぎるんだなー。三鬼ちゃん、琵琶湖の水量を調べるのだー」
畑中二尉に言われて、三鬼士長がすぐさまネット検索を開始する。
「27兆5000億リットルだそうです」
「一千億バレルが15兆9000億リットルだから……琵琶湖の六分目にちょっと足りないくらいかー。それでも結構な量だなー」
電卓を睨みながら、畑中二尉が言う。
「まあ、そんなこんなで、豊富な石油を活用してアル・ハリージュはうまくやっているわけだー。言語はアラビア語湾岸方言。英語も結構通じるぞー。イスラム教が国教だが、他の宗教にも寛容だー。地元のアラブ系は、ほとんどがスンナ派で、穏健かつ世俗主義的だー。通貨は、アル・ハリージュ・ディナール。もちろん、GCC(湾岸協力会議)加盟国だー。外交的には、穏健主義でサウジアラビアを始め周辺諸国とは協調姿勢にあるー。ただし、隣国ドラハ共和国とは国境未画定地帯があり、これが紛争の種になっているー。実は、この土地には有望な油脈があるとされているのだー。ドラハは湾岸諸国の中では、いちばん原油埋蔵量が少ない国家だからなー。ぜひともこの土地は欲しい。もちろん、アル・ハリージュも譲れないわけだがー」
「埋蔵資源はどこでもた易く紛争の原因となりますわね」
スカディが、うなずく。
「では、アル・ハリージュの支配者であるシバーブ家についてだー。この一族は、早くからイギリスに接近していたので、イギリスがこの地域を支配管理するようになってから急速に勢力を伸ばしたー。その結果、他の有力氏族を押しのけて王家を名乗るようになり、現在に至るわけだー。他の有力氏族は、もっぱら婚姻によって王家に子女を送り込み、影響力を高めようと画策して来たー。まー、よくある図式だなー。で、ムハンマド国王の死去によりシャイフ・サッタール・ビン・ムハンマド・アル・シバーブが二十世紀の末に国王となった。彼はなかなか優れた統治者で、アル・ハリージュは栄えたが例のサリン・テロによって死去。後継者は、弟のシャイフ・ハリムとなったー」
「なぜ弟さんになったのでしょうかぁ~。もうアザムさんは成年に達していたのですから、長男が後を継いでもいいような気がしますがぁ~」
ベルが、疑問を呈する。
「イスラムでは、年長者を敬う傾向が強いー。それともうひとつ、意外に思えるかも知れないが平等主義の傾向もあるー。そんなわけで、兄が死んだらその役目は兄の長男ではなく、弟が継ぐことが普通なのだー」
「では、不謹慎な仮定ですが、ハリム国王が亡くなったらどなたが国王となるのですか?」
スカディが、訊いた。
「アザムが皇太子を名乗っている以上、アザムが国王になるのだろうなー。これは、血統の問題も含んでくるから、ややこしくなるー」
畑中二尉が、顔をしかめ気味にして言う。
「知っての通り、イスラム社会においては、男性は最大四名の妻を迎えることができるー。故ムハンマド国王は三人の妻をもっていたー。第一夫人、第二夫人は有力氏族の女性、第三夫人は外国人だったそうだー。サッタール、ハリムは第一夫人との間にできた子供。一応、複数の妻の地位は平等、とされているが、やはり第一夫人が本妻、と看做される傾向にあるー。だから、ムハンマド死後の次期国王にはサッタールが就任したし、サッタール死後には弟ハリムが次期国王となったー。次の弟は第二夫人の子供となるが、実は彼はすでに亡くなっているー。次は第三夫人の息子だが、彼は外国人の血が半分入っており、シバーブ家の頭領としての資格はないだろー。とうわけで、サッタールの長男であるアザムが皇太子となっているわけだー」
「ややこしいのであります!」
シオは首を振りつつ発言した。
「二尉。じゃあ、アザム皇太子が死んだら、次期皇太子は誰になるんだい?」
亞唯が訊く。
「アザム皇太子は独身で子は居ないー。第一夫人のアイシャ妃は有力氏族の出身だが、他に産んだ子は女の子だけで、もう子供を産める年齢ではないー。第二夫人は、イギリス留学中に知り合ったカナダ人で、息子はいるが国王にはふさわしくないー。第三夫人はいないそうだー。うーむ。となると、ハリム国王の息子かなー。アザム皇太子がさっさと結婚して、息子を作ってくれれば王家は安泰なのだがなー」
「二次元嫁ならいっぱい居そうやけどな」
雛菊が、笑う。
「解説はこんなもんでいいだろー。では次は、越川一尉による要人警護任務講座だー。しっかり聞いておけよー」
畑中二尉が言って、三鬼士長を連れて下がる。代わって、越川一尉がテーブルの前に立った。
第三話をお届けします。




