第十九話
申し訳ありません。作者急用につき一日遅れの投稿となります。
国境付近で突如鳴り響いた銃声は、展開中のモンゴル陸軍部隊すべてを緊張させた。すぐに、ロシア領内での発砲だとの報告がなされたが、総指揮を執るモンゴル陸軍少佐は『目標』がモンゴル軍の哨戒線をすり抜けてロシア入りし、ロシア国境軍部隊に発見されて発砲された可能性が高いと即断し、遊撃部隊としてMi‐17の着陸地点に控置されていたアルタグ中尉指揮の小部隊に対し、現場への急行を命じた。
Mi‐17からファストロープで降りたアルタグ中尉らは、二人一組になると散開し、国境線に向け慎重に前進を開始した。友好国であるロシア共和国と、紛争を起こすわけにはいかない。少佐からは、たとえ『目標』を取り逃がすことになっても、ロシア側とのトラブルは絶対に避けるように、と厳命されていた。
数分後、部隊は何事もなく散開したままロシアとの国境線……幅十五メートルほど、人工的に樹木が取り除かれた無人地帯に出た。アンクバヤル伍長を従えたアルタグ中尉は、樹木線の中に身を置いたまま、ロシア側の様子を窺った。しかし、何の動きも異常も見られない。
『こちらトゥルバト。中尉、目標らしい女性を発見しました。西へ四百メートル。ロシア領内です。ロシア国境軍が捕えた模様。すぐ来てください』
携帯無線機に接続したアルタグ中尉のイヤホンに、トゥルバト上級軍曹の声が入った。
「すぐ行く。各局へ、現状で待機監視を継続。イフバヤル、来てくれ」
アルタグ中尉はそう送信し、アンクバヤル伍長に身振りで待機を指示した。樹木線から出て、無人地帯のモンゴル側を走り出す。
ほどなく、状況が見えてきた。中国人らしい女性が一人、無人地帯のロシア側に立っている。その後ろには、二人のロシア国境軍兵士が見えた。いずれも、AK74を手にしている。
モンゴル側にはトゥルバト上級軍曹と、バトボルド一等兵の姿があった。樹木線の外に立ち、閲兵を受ける時のごとくAKMSを胸の前に引き付けるようにして持っている。
アルタグ中尉は、ロシア側を刺激しないように足を緩めた。すぐには発砲できないように、AKMSを体側に垂らした左手で鷲掴みするように持つ。
「貴官が指揮官か?」
アルタグ中尉が近付くと、ロシア国境軍兵士の一人……小柄な東洋系女性がロシア語で尋ねてきた。
「そうだ」
アルタグ中尉はうなずいだ。
「不法入国者を捕らえたので引き渡したい。貴国との無用のトラブルは避けたいので、貴部隊が彼女を越境前に捕捉した、という形にしてもらえるとありがたいのだが」
少し訛っているロシア語……それでもアルタグ中尉のロシア語よりは数段上手であったが……で、女性兵士が提案する。
「本官の一存では難しいが、善処は約束する」
アルタグ中尉は、慎重にそう返答した。
「貴官の好意に感謝する。当方はモンゴル国との友情を信頼している。では、引き渡そう」
東洋系女性兵士の言葉を受けて、もう一人の国境軍兵士……こちらは灰色の髪をした中年男だったが……が、数歩前に進み出て、AK74の銃口で中国人女性の背中を小突く。女性が、大人しく歩を進めた。中間地点を超え、アルタグ中尉の前で脚を止め、顔をじっと見つめてくる。
「ワンだな?」
アルタグ中尉は、中国語で確かめた。女性が、かすかにうなずく。
アルタグは、駆け足でようやく現場到着したイフバヤル少尉に、ワン・ズーハオのボディチェックを任せた。
「武器は持っていません」
手早くズーハオを調べたイフバヤルが、そう報告する。
「他の仲間はどこだ?」
「ロシア領内に逃げ込みました」
アルタグ中尉の質問に、ズーハオが短く答える。
「部下を集合させろ。引き上げるぞ」
アルタグ中尉はイフバヤル少尉にそう命じつつ、ロシア領の方に眼をやった。ロシア国境軍の兵士二人は、すでに樹林の中に消えていた。
「よーいおまいら、生き返ってもいいぞー」
ロシア国境軍兵士に変装している畑中二尉が、転がっているシオとベルに声を掛ける。
「なかなかいい演技だと思いましたが!」
シオは自画自賛しながら起き上がった。
「まあなー。ルークが空砲を手に入れてくれたから、こっちもやりやすかったぞー」
畑中二尉が言う。演習用の空砲である7H3……キリル文字風に表記すると7X3……ひと箱を、ルークが苦労して見つけてきてくれたのだ。
「これからどうするのですかぁ~」
ベルが、訊いた。
「まずスカディ、亞唯、雛菊を回収だー。ハムニー村までは彼らを買収してあるから、UAZで送ってもらえるぞー。あとは、ルークが手に入れてくれた車で東へ向かうー。とりあえずの目的地は、ウラン・ウデだなー」
「どうやって帰国するのでありますか?」
シオは訊いた。
「手配してあった貨物機に乗るプランは、マイクの馬鹿がキャフタに現れなかったおかげでキャンセルになってしまったー。別の手を考えるしかないなー。一番楽なのは、頑張ってヴラジヴァストークまで行って貨物船にでも潜り込む手だろうなー」
畑中中尉が、ロシア語をさんざん喋っていた名残か、ウラジオストクを現地風に発音して言う。
「それが一番楽なのですかぁ~」
ベルが、珍しくうんざりした口調で言って、拗ねたような表情をして見せた。。
「手こずらせてくれたわね、まったく」
ウランバートルへと戻るMi‐17の機内で、アリシアはワン・ズーハオにそう語りかけた。
ズーハオは、何も答えなかった。先ほどから、ずっとこの調子である。ツァオが渡してやった水のペットボトルを手にしたまま、アリシアの質問には一切答えようとしなかった。
……まあいい。尋問は、北京へ戻ってから専門家に任せよう。
アリシアは気を緩め、窓外に視線を転じた。ダルハン市郊外で給油したMi‐17は、やや東寄りに南へと飛行していた。眼下は、白茶けた乾燥した平原だ。しばらく鬱蒼たる森林の中にいたせいか、物悲しささえ覚える荒涼たる風景である。
アリシアからのWZ捕捉の報告を受けて、すでにウランバートル国際空港に向けてカオ少将が手配した人民解放空軍所属のY‐12ターボプロップ双発輸送機が飛行中であった。これに乗れば、四時間半で北京西郊機場(北京市西部にある軍用飛行場。中国共産党や政府要人専用機の離発着場でもある)に着ける。
「終わってみれば、面白い任務でしたね」
Mi‐8の機内で、イフバヤル少尉が言った。
「まあな」
むっつりとした表情で、アルタグ中尉は応じた。
中国側の目的であったワン・ズーハオの逮捕には成功したので、向こうの顔を立てることもできた。こちらは怪我人を出さずに済んだ。妙なロボットに爆弾を投げつけられたジャルガル曹長とツェレンバト一等兵はプライドを傷付けられたし、自動火器を二丁失ったことでアルタグ中尉も大隊長に叱責されるだろうが、正規の作戦ではないので経歴に汚点が残るようなことはあるまい。
しかし……エリート部隊の士官としては、中国人にいいように使われたことも、『敵』に結果的には翻弄されてしまったことも気に入らなかった。所詮自分は軍人であり、駒のひとつに過ぎないことは充分に承知している。いや、だからこそ、正体の知れない差し手によって操られたことが不満なのだろう。正規の指揮系統で、モンゴル軍の上官により、モンゴル国の敵と戦うのであれば、たとえどんなに危険で、汚い任務であったとしても、全力を尽くすことに異存はない。だが、外国のよく判らぬ政治がらみの事件に引っ張り出され、得体の知れない外国人の指揮下で働くのは、どうにも釈然としない。
「とりあえず、成功ですよ、中尉。指揮ぶりも、お見事でした。感服いたします」
不満顔のアルタグを宥めるように、イフバヤルが笑顔を見せる。
「我々は上手くやりましたよ。それは、間違いありません」
イフバヤルが続ける。
「そうだな」
アルタグ中尉は、憮然とした表情のままうなずいた。
……まずは、上首尾だったな。
ウラン・ウデのホテルの部屋で、久しぶりのウォッカを味わいながら、ルークは満足げに吐息をついた。
すでに、仲介者には電話連絡を入れてあった。追加の金は、まず間違いなく全額払い込まれるものだと、ルークは確信していた。それくらいの働きはしたつもりだし、実績もある。
あのマイクという三流傭兵には翻弄されたが、日本人に有能なところを見せつけられたのも、結果としては良かった。マルカ・ヴァラノヴァと名乗っていた日本人は、東京へ戻ったらさぞかしルークのことを持ち上げて報告してくれるであろう。日本の諜報当局とコネが出来たことは、大きい。これからも、おいしい仕事を回してくれるに違いない。
「ロボットたちも、面白い連中だったな」
つまみのピクルスをフォークで掬いながら、ルークは独り言を言った。
「また、一緒に仕事をしてみたいものだ」
空になったグラスに、ウォッカを注ぎ入れたルークは、それを半分ほど一気に喉に流し込んだ。
「今回も上手く行ったな。それは、間違いない」
畑中二尉とAI‐10五体の帰国は、予想よりも速やかに行われた。長浜一佐が『帰国が遅れると危険である。今回の任務はロシア側との調整が全く行われていないので、情報本部の活動だとロシア側に察知されれば面倒なことになる』という理由で上官を説得し、CIAの協力を得てウラン・ウデ・バイカル国際空港から貨物機に詰め込んでもらい、北京経由で成田国際空港まで運ばれてきたのだ。畑中二尉は一足早く、ハバロフスク経由でその前日の午後に帰国した。
「色々とご苦労だった」
石野二曹と三鬼士長に成田で『回収』され、板橋の岡本ビルに出頭した五体のAI‐10を、長浜一佐が労う。
「騙して任務を遂行させるとは、一佐殿もお人が悪いのであります!」
シオは控えめに不満を表明した。
「あなたとベルに腹芸は無理でしょう。ワンにはこちらの本音を悟られるわけにはいかなかったのよ」
スカディが、すぐに口を挟んで、シオをたしなめる。
「その件に関しては、悪かった、と言うしかないな。作戦を成功させるためには、これしかなかったのだ。色々と齟齬は生じたが、結果的には成功だった。諸君らのおかげだ」
長浜一佐が、悪びれずにそう言う。
「すでに、自由天使の方からは礼の言葉が届いているぞー。暗号だがー。要約すれば、『日本の助力に感謝する。これからもよい関係を築いていきたい』そうだー。うまくZTを騙せたようだなー」
畑中二尉が、嬉し気に口を挟んだ。
「ということで一佐。マルカ・ヴァラノヴァの銀行口座の残高を回復させて下さい」
「……しばらく待ってくれ」
長浜一佐が、困り顔で言った。
「今回の任務、大幅に予算超過なのだ。ルークへ追加料金を払わねばならないし、マイクも口を噤んでいてもらうには追加料金を与えねばならない。その他、作戦期間が延びたために諸経費が嵩んだし……」
「あたしたち、かなり活躍しているんだから、予算を増やしてもらってもいいよな」
亞唯が、口を挟む。
「せやな。そろそろ、防衛記念章くらい欲しいで」
雛菊が、乗っかった。
「無茶言うなー」
畑中二尉が、突っ込む。
「防衛記念章はともかく、今回もよくやってくれた」
笑顔に戻った長浜一佐が、AI‐10たちを褒めた。
「あたいたちは上手くやったのであります!」
シオは誇らしげに言った。
「それは間違いないのですぅ~」
ベルが、笑顔で続ける。
以下は微信のボイスチャットを介して行われた隠語による会話を、平文に直したものである。
林小鈴 『リュイが捕まった 北京はまだ気づいていないらしい』
雲嵐的妹妹『予定通りだ すでに彼女は安全な処に居る』
CLD 『日本には悪いことをしたな』
嗎姐姐 『そこはお互い様だ 今まで通り情報提供をしてやればいい』
雲嵐的妹妹『美国が彼女の自由な活動を許してくれるだろうか』
林小鈴 『それは難しいかもしれない』
CLD 『いずれにしても 作戦は大成功だった』
嗎姐姐 『その通りだ リュイには感謝しなければならない』
林小鈴 『我々は上手くやった』
雲嵐的妹妹『それは間違いない』
ワン・ズーメンと名乗っていたリュイは、満足していた。
北京市東城区黄寺大街にある、中国人民解放軍参謀部第二部本部の地下に存在する独房のひとつに、リュイは収監されていた。
今のところ、取り調べに対しては黙秘を続けているが、じきにすべてを包み隠さずに話すつもりであった。拷問に耐える自信は無かったし、すでに作戦が成功した現状で、当局に知られては困るような情報は最初から知らされていなかったのだ。
本物のワン・ズーメン……ハンドルネームはワン・ズーハオ……が中国当局に正体を暴かれ、その追及を逃れるために地方に潜伏した際に、『自由天使』の幹部は即座に極秘に連絡を取り合って対策を協議した。真っ先に出た意見が、中国国内に潜伏していれば、遅かれ早かれ逮捕されてしまう、というものであった。
ワン・ズーメンの脳内には、『自由天使』の組織や幹部に関する情報が山ほど詰まっている。これを中国当局に知られれば、大打撃は必至である。ワン・ズーメンに自殺してもらう、という過激な意見も出たが、これは否決された。彼……この時点では、男性だと世間には思われている……は自由天使の顔とも言える有名な人物である。自由主義を信奉する団体が、組織防衛が理由とはいえ、構成員に死を強要するようなことがあってはまずい。
現実的対応は、国外への政治亡命しかないのは明白だった。次の問題は、どの国へ亡命させるか、であった。
この問題に関しては、すぐに決着がついた。中華人民共和国の抗議を跳ね除けて政治亡命者を安全に保護してくれる国など、世界中にひとつしかない。すなわち、アメリカ合衆国である。
だが、この選択肢には危険が潜んでいた。あまりにも常識的な選択であるがゆえに、中国当局もまたこの手段が選ばれるであろうことを十二分に承知している、と予想されたのだ。
亡命を成功させるには、何らかの欺瞞作戦が必要であった。
そこで捻り出されたのが、囮作戦であった。ズーメンの身代わりの女性を準備し、中国当局に足取りのヒントを与えつつ逃亡させる。さらに、日本への亡命を企てているとの偽情報も流し、実際に日本に受け入れ準備を行わせる。
とある幹部から、囮役を持ち掛けられたリュイは、これを快諾した。逮捕されれば、長期間投獄されるだろうし、場合によっては殺されるかもしれない。だが、大義のために犠牲になる覚悟はできていた。中国が本当の意味で世界のリーダーになるためには、いつの日か中国共産党を亡き者にしなければならないのだ。リュイは、真の愛国者であった。
リュイが知っているのはそこまでだった。本物のワン・ズーメンに関しては、当局の追及を逃れるために幹部との連絡も一切絶ち、半ば独力で合衆国亡命の準備に入った、ということしか知らない。彼女が今更すべてを喋っても、組織に迷惑は掛からないはずであった。
……わたしは上手くやった。それは、間違いない。
隠されているマイクに音を拾われないように、リュイは口中でそっと呟き、満足の笑みを浮かべた。
第十九話をお届けします。




