第十七話
「隠れろ!」
とっさに、マイクが叫んだ。
馬に乗った三人と二体、さらに犬二匹は、西側のモンゴルマツの林に慌てて逃げ込んだ。人間たちの慌てぶりを見て、サルとボルも急いで樹林の中へと駆け込む。
「まずいのであります! まんまと待ち伏せに嵌まってしまったのであります!」
シオは抜き放ったマカロフ自動拳銃片手に喚いた。
「木々のあいだを通って戻ろう。谷の反対側まで行ければ、逃げ切れる」
マイクが、言う。
「ここを登る手もありね」
ズーメンが、斜面を見上げる。かなり傾斜がきつく、馬で登るのは無理だが、人……とロボット……なら問題は無い。モンゴルマツが生えているので、狙撃される心配もなさそうだ。
「各局へ。威嚇射撃を行え。一連射でいい」
いったん樹林の中へと引っ込んだアルタグ中尉は、携帯無線機を通じて命じた。
さっそく、部下たちが射撃を始めた。ムンフバタール伍長も、身を乗り出してAKMSを放つ。銃声が、谷間に鳴り響いた。
「撃って来たのですぅ~」
ベルが、馬上で身を縮める。
「くそ。山の上にもいるぞ」
マイクが、西側の斜面の上方を見上げた。この状態でのこのこ登って行ったら、撃ちやすい的になるだけである。
東側の斜面はたとえ馬を捨てたとしても登れる角度ではないし、南側からも銃弾は飛んできている。つまりは、逃げ場がないということである。
「銃声からして最低でも五、六人は居そうなのであります! 火力で太刀打ちできないのであります!」
シオは喚きつつ指摘した。拳銃と一丁だけのボルトアクション・ライフルでは、突撃銃で武装した敵にはかなわない。
「接近できれば、これで対抗できるのですがぁ~」
ベルが、ポーチから薬瓶を取り出した。胃薬に偽装してあるが、中身は爆薬である。
「とりあえず威嚇射撃だけのようね」
顔をしかめながら、ズーメンが言う。周囲に着弾は無かったし、銃声もすでに止んでいる。
「ベル、何発か撃ち返してやれ。こっちも威嚇射撃だ」
マイクが、言った。
「相手を刺激するのはまずいのでは?」
シオはそう訊いた。
「いや、どうやらモンゴル兵はこちらとまともにやり合う気はないようだ。こっちも、戦いたくはないということを示してやれ」
マイクがそう言って、身振りでベルを促す。
「では、撃たせていただきますぅ~」
馬を降りたベルが、さっそくモシン・ナガンを構えた。がちゃがちゃとボルトを操作しながら、北側、南側、そして西側の斜面に、一発ずつ発砲する。
モンゴル兵は撃ち返してこなかった。
「やっぱりな。本気なら、狙って撃ち込んでくるはずだ」
マイクが、満足げに言う。
「やはり、連中馬は撃ちたくないようじゃな」
テムレーンが、笑った。
「はっと! これは使えるのでは? 馬を盾にして、逃げるというのはどうでしょうか?」
シオはそう発言した。
「人質ならぬ馬質ですねぇ~」
ベルが、喜ぶ。
「hostage(人質)じゃなくてhorstageね」
ズーメンが、英語で駄洒落を飛ばす。
「いや、馬を盾にするというのはいいかも知れんぞ」
マイクが、考え込む。
「わたくし、映画で見たことありますぅ~。お馬さんの脇腹に張り付いて走らせるというのはどうでしょうかぁ~」
ベルが、挙手して言った。
「お、あたいも西部劇で見たことがあるのです!」
シオはそう言った。
「あれは馬が大きいからできる芸当で、小さいモンゴル馬には……って、お前らなら可能か」
マイクが、シオとベルを見る。ポニーに分類されるモンゴル馬は小柄だが、身長一メートルしかないAI‐10なら、胴体の陰に隠れることは容易だろう。
「お馬さんに張り付いて接近して、爆薬を投げつけて混乱させるのですぅ~」
ベルがさっそく、薬瓶からRDXを主成分とした爆薬を取り出し、捏ね始める。
「降伏する気は無いようですね」
ムンフバタール伍長が、ちらりとアルタグ中尉に視線を送る。
「向こうも本気で戦いたくはないようだな。無理する必要はない。馬も撃ちたくないしな」
西からヘリのローター音が近付いてくる。全員で囲み、敵が諦めるのを待とう。
「準備できましたぁ~」
ベルが、二つ作った即製手榴弾のひとつを、シオに渡した。
爆薬を丸め、電気信管付きの腕時計を張り付け、ビニールテープでぐるぐる巻きにしただけの、粗雑なものだ。爆薬は少量なので、殺傷力は無いに等しい。これで人を殺すには、喉の奥に押し込む必要があるだろう。……少なくとも、窒息死は狙える。
「これは置いていきますですぅ~」
ベルが、モシン・ナガンと弾薬をマイクに渡す。
「音からすると、Mi‐17が北の方でホバリングしているようだ。追加の兵員を降ろしているのかもしれない」
受け取ったマイクが言う。
「では、南の方を襲撃しましょう!」
シオとベルは、鞍にしがみつくようにして自分の馬の右脇腹に張り付いた。慣れない重みの掛けられ方に、馬がたじろぐ。
テムレーンが、二頭の馬を叱咤した。意を汲んだ馬が、走り出す。
シオとベルは、手綱をうまく操って、南側で待ち構えている敵に馬の左脇腹が見えるようにして、馬を斜めに走らせた。
南側の守備を任されていたジャルガル曹長とツェレンバト一等兵は、二頭の馬が接近してくるのを眼にして首を捻った。
鞍は着けているが、その上には誰も乗っていない。……馬だけが、逃げ出して来たのだろうか。
疾走する馬が、距離を詰めてくる。
もしこれがモンゴル兵でなければ、シオとベルの策略は完璧に成功したに違いない。事実、モンゴル人ではあるがウランバートル育ちで、馬は人並みに好きだが疎かったツェレンバト一等兵には、この小細工は見抜けなかった。
しかし、ジャルガル曹長は違った。遊牧民の一族に生まれ、軍に入る直前まで馬に乗り、羊や牛の相手をしてきたのだ。当然、馬には詳しい。
……おかしい。
ジャルガル曹長は、近付いてくる馬の走り方が妙なことに気付いた。誰も乗っておらず身軽なはずなのに、何かを積んでいるような走りをするのだ。しかも、片側に荷重が掛かっているかのような、バランスの悪い動きをしている。
ジャルガル曹長は目を凝らした。すると、馬の右側の鐙のあたりに、なにやら変な物が見えた。
「馬を止めろ! 何かしがみついているぞ!」
ジャルガル曹長は、AKMSの狙いを馬の下腹に向けた。ツェレンバト一等兵が、RPKから一連射を放ち、銃声で馬を止めようとする。
ジャルガル曹長の銃の腕前は、特殊精鋭部隊の最上級下士官に相応しい、素晴らしいものであった。単射で放ち、初弾を馬の鐙あたりにある『変な物』に命中させる。
「撃たれてしまいましたぁ~」
ジャルガル曹長が撃ち抜いたのは、ベルの右足であった。被弾の衝撃と、鳴り響く銃声に驚いた馬の激しい動きに耐え切れず、ベルがしがみついていた鞍から弾き飛ばされる。ボディが、地面に叩き付けられた。人間なら骨折間違いなしの衝撃だったが、オリジナルのAI‐10よりも衝撃耐性を強化されているベルの各システムは持ち堪えた。
シオは腕時計型の時限信管を作動させると、ベル特製手榴弾を樹林の中へと投げ入れた。
派手な音を立てて炸裂した手榴弾が、薄い煙をぱっと撒き散らす。シオは急いで馬を止めようと手綱を引いた。爆発で混乱しているモンゴル兵に拳銃を突き付けて制圧し、武器を奪う。その武器で他のモンゴル兵に対し威嚇射撃を行い、その隙にズーメンらが逃げる。そのような段取りだったからである。
しかし、モンゴル馬は止まらなかった。手榴弾の爆発音にすっかり驚いてしまったのだ。シオを鞍にしがみつかせたまま、暴走を続ける。
「頼むから止まるのです!」
喚くシオを無視し、モンゴル馬が走り続ける。
ベルが落馬したことが、結果としてはいい方に転んだ。
衝撃から回復したベルは、吹っ飛んだ伊達眼鏡を回収すると、マカロフ自動拳銃を抜いて走った。まだ薄い煙が漂っている樹林の中に飛び込み、落ちていたジャルガル曹長のAKMSを拾い上げる。
「動かないでくださいぃ~」
ようやく即製手榴弾による衝撃から立ち直ったジャルガル曹長とツェレンバト一等兵は、ベルにAKMSとマカロフを突き付けられて固まった。なんとかRPKを手放さなかったツェレンバトが、上官であるジャルガルに問い掛けるような視線を送る。
「銃を置け、ツェレンバト」
ジャルガル曹長は、そう命じた。ツェレンバト一等兵が、素直にRPKを手放す。
「遅れてごめんなさい、なのであります!」
ようやく、馬のコントロールを取り戻したシオが戻って来た。飛び降りて、RPKを拾い上げる。四本入りの布製マガジンポーチをツェレンバト一等兵から奪い取ったシオは、モンゴルマツの幹に銃身を押し付けるようにして二脚を畳んだままのRPKを構えた。ジャルガル曹長から、丁寧に頼み込んでマガジンポーチを譲り受けたベルも、AKMSを構える。
「あ、お二人とも、樹林の外に出ていただけますかぁ~」
ベルが、ジャルガル曹長とツェレンバト一等兵に頼んだ。
「盾にする気か?」
むっとした表情で、ジャルガル曹長が訊く。
「むしろ、無事であることをお仲間に見せたいのですぅ~」
「あたいたちは、なるべくモンゴル軍と戦いたくはないのであります! お二人が戦死した、などと誤解されては困るのであります!」
ベルとシオは口々にそう言った。納得した二人のモンゴル兵が、素直に樹林の外に出て身をさらす。
「では行きますよ、ベルちゃん」
シオは威嚇発砲を開始した。ベルが、続く。
「敵が逃げます!」
ムンフバタール伍長が、喚く。
「各局、射撃を控えろ」
アルタグ中尉は、半ば呆れながら無線を通じて命じた。
状況はよく判らないが、ジャルガル曹長とツェレンバト一等兵は制圧され、武器を奪われたようだ。敵はその武器でこちらに威嚇射撃を行うと同時に、二人が生きていることを見せつけている。……交戦意図が無いことを、示そうとしているのか。
馬三頭とそれに乗った三人、そして犬二匹は隠れ場所から出て、南へと向かっている。これを射撃して阻止することは簡単だが、それをやったらジャルガルとツェレンバトが報復に殺害される可能性が高い。迂闊なことはできなかった。
「逃がしてやれ。それで、あの二人が無事に帰ってくるならいい取引だ」
「あのまま捕虜にされたらどうしますか?」
「馬の数が足りない。足手まといになる捕虜は捕らんだろう」
アルタグ中尉はそう推測した。こちらが手出しを控えるなら、殺害されるようなこともないだろう。こちらが、馬を撃ちたくないことも、相手は承知しているはずだ。馬を殺してでも逃走を阻止したくなるような状態を、連中がわざわざ作り出すとも思えない。
日本側に提供されたのは、三枚の画像データだけであった。
いずれも対象のクローズアップだけで、画像処理済みなので拡大率もばらばらである。添付されているデータは対象の推定位置……緯度経度を使った座標……と、対象の推定サイズ、撮影日時だけである。撮影高度、角度などは、元のデータにはあったはずだが、消去されている。
「この七名が、駐機しているヒップから出てきたのは確実ですね。そして、この馬に乗っている小柄な人影は、間違いなくシオとベルでしょう」
パソコンのディスプレイに表示させた画像を見ながら、石野二曹が言う。
「他の連中は樹林に隠れて見えなかったと考えるべきだな」
同じ画像を別のパソコンで見ながら、長浜一佐は言った。
「そっちはどうだ?」
長浜一佐が、共同で作業している越川一尉と三鬼士長に訊く。
「おそらく、このハムニー村が一番近いでしょう。南方二十五キロほどの処を、国境線が通っています。南側に道路が伸びていますから、そこを利用する可能性が高い。衛星写真が捉えたのがシオとベルなら、この辺りで国境越えするつもりでしょう」
地形を確認していた越川一尉が言った。山岳地系の踏破に関しては、一番詳しいので、どのルートを使うかを推測してもらったのだ。ちなみに、使用した地形データはグーグル・アースであった。……さしもの情報本部も、こんな僻地の地形データまでは持っていないのだ。
「ハムニー村。畑中君たちがいるザカメンスクの東、四十五キロというところだな」
自分のパソコンに地図データを表示させながら、長浜一佐が言った。
「どんなところなんだね、三鬼君」
「田舎の村ですね。人口は七百五十人ほど。農業で食べている村のようです。宿泊施設はなさそうですね」
インターネットを調べていた三鬼士長が、そう答えた。
「よろしい。では、畑中君に連絡しよう」
「ハムニーか。聞いたことないな」
畑中二尉から話を聞いたルークが首を振り、地図を調べ始める。
「ここか。連中が国境を越えてきたところを捉えて、上手く騙してズーメンだけモンゴル側に残し、モンゴル人か中国人に捕まえさせるには……いずれにしろ、国境軍の手を借りる必要があるな」
ルークが、言う。ロシア国境軍は、ロシア連邦の国境警備隊である。現在はロシア連邦保安庁(FSB)の下部組織であり、全土に地域国境局を、さらにその下に国境局を設け、広大なロシア連邦の長大な国境を守っている。
「というわけで、金が要る。都合してくれ」
ルークが、畑中二尉に向けて指先で札を数える仕草をする。
畑中二尉が、ため息をついた。幸い、ここザカメンスク市にもズベルバンクの支店があった。マルカ・ヴァラノヴァの預金が、またごっそりと減ることになる。
第十七話をお届けします。




