第六話
「では、ロシア人協力者と接触してくる。シオ、ベル。あとは頼んだぞ」
羊肉のスープと塩水で炊いた米というシンプルな昼食……すべてサルナイが作ってくれた……を済ませたマイクが、そう言い置いてアパートメントを出て行った。
シオは窓からそっと外の様子を窺いながら、警戒を続けた。ベルも、玄関ドア方向を警戒する。ズーメンは寝室に引っ込んでいたが、サルナイはリビングで音量を絞ったテレビを視聴していた。ナライフは都会なのでケーブルテレビが普及しており、百以上のチャンネルから好みの番組を見ることが出来る。過半数のチャンネルは外国のもので、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ各国、さらには香港や台湾の番組も視聴可能だ。
サルナイが見ていたのは韓国製の歴史ドラマだった。モンゴル語に吹き替えられており、ファンタジーアニメのキャラのような嘘くさい派手な鎧を纏った武将が、渋る部下を懸命に説得している場面であった。ここモンゴルでも、安く買えてそこそこのクオリティがある『韓流ドラマ』は需要があるようだ。
その韓流ドラマが終わった頃、マイクが一人のロシア人を連れて戻って来た。
「ルークだ。よろしく頼む」
大きなトランクを床に置きながら、ロシア人工作員が自己紹介する。
「しかし、女性だとは思わなかったな。まあ、多少手間が増える程度だから、問題ないが」
ズーメンが自己紹介すると、ルークが苦笑した。
「では、さっそく始めよう。越境の詳しい手順は、マイクにすでに説明したから、詳しいことは後で聞いてくれ。簡単に説明すると、あんたとマイクが『担ぎ屋』に成りすまして、ロシア入りすることになる。そのために、モンゴルのパスポートを作る。もちろん偽造だが、まずバレないレベルの代物だ。では、変装してもらうぞ」
トランクを開いたルークが、小ぶりなメイクボックスを引っ張り出す。
ルークの手際は慣れたものだった。座らせたズーメンの髪をヘアバンドで止め、首に汚れ避けの布を巻く。
「モンゴル人らしくする。それと、年齢も少し上にしよう。マイクと夫婦に見えるようにな。その方が、『担ぎ屋』らしい」
ズーメンの眼鏡をそっと外したルークが、くすんだ肌をイメージした暗めのファンデーションを塗りたくった。次いで眼に取り掛かり、アイライナーで切れ長にして、細めの印象に変える。薄目のチークを低い位置に掃き、頬がたるんだように見せかける。次いでコンシーラーを使い、肌に薄い染みを散らせる。最後に、血色の悪さを強調するベージュ系の口紅を塗る。
「こんなものかな」
アップにした髪を頭の後ろで地味なバレッタを使って留めながら、ルークが言う。
「お見事なのであります!」
シオは驚嘆して褒めた。二十代の溌溂たる知的美人が、生活にくたびれたモンゴル人のおばちゃんに、あっという間に変身してしまった。
「……いずれ、こんな風に老けちゃうんでしょうね」
手鏡を覗きながら、ズーメンがしみじみと言う。
スマホを取り出したルークが、ズーメンを明るいところに立たせた。何回か撮影し、映像を確認して満足する。
「よし。次はあんただ」
ズーメンにクレンジングミルクの小さなチューブを渡したルークが、マイクを手招く。
渋々といった調子で椅子に座ったマイクの肌に、マイクがブラウン系のファンデーションを塗り込む。モンゴル人は男性も色白だが、日に焼けると赤銅色の肌合いになる。それを再現しようというのだろう。あとは、ズーメンと同様に眼を細く見せ、ヘアワックスで髪型をいじる。
「よしよし。似合いの夫婦だぞ」
仕上げに満足がいったのか、にこにこしながらルークがマイクを撮影する。撮られているマイクの方は仏頂面だが……それが却ってモンゴル人らしく見える。
「四十八時間以内に新しいパスポートを持ってくる。その翌日に越境予定だ」
メイク道具を片付けながら、ルークが説明する。
「それと、こいつを頼む」
ルークが、トランクの中から紫色っぽい二万トゥグルグ紙幣の束を出した。……モンゴルで流通する最高額面紙幣だが、日本円にすると千円に満たない価値しかない。ちなみに、五百、千、五千、一万、二万の各紙幣にはすべてチンギス・カンの肖像が描かれている。
ルークが、メモを添えて札束をサルナイに押し付けた。戸惑った表情のサルナイが、メモに目を落とす。
「女性用ブーツ。男性用スニーカー。ウォッカ六リットル……。これを、買うの?」
さすがに地元のモンゴル人である。サルナイが、すぐにルークの意図を察した。『担ぎ屋』が扱う商品を仕入れておけ、というのだ。
「あんたたち二人用の上物の上着も買っておけ。一回り大きなサイズでな。越境の時に重ね着していくんだ」
ルークが、アドバイスする。着衣には関税が掛からないことを利用した、担ぎ屋の常套手段である。
「なるほどね。彼に任せておけば、大丈夫かも」
ルークが帰ると、ズーメンがタオルで顔を拭きながら言った。
「どうも気に入らんな」
小声でつぶやくように、マイクが言う。
「気に入らないのですかぁ~。なにか引っ掛かることでもあるのですかぁ~?」
ベルが、訊く。
「はっと! それは傭兵の勘というやつでありますか?」
シオはそう推測して訊いた。
「まあ、そういうことだな」
マイクが、渋い表情で認める。
「傭兵の勘なら、当たってるかもしれませんですねぇ~」
ベルが、納得気味に言う。
ロボットには、『勘』はない。人間の深層意識に相当する部分を持たないから、すべての思考は『表層意識』に相当するプロセッサー内で論理的に行われるからだ。ただし、AI‐10のような『人間臭さ』が売りのロボットの場合は、『根拠に乏しい論理』に基づいた可能性の薄い判断を『勘』ないしそれに相当する表現方法……ひらめき、虫の知らせなど……で口にすることがある。
アリシア・ウーは一人でテーブル席に座り、ツォイバン(蒸し焼き麺)を食べていた。モンゴル料理にしては珍しく野菜がたっぷりと入っており……羊肉はもちろん入っているが……味付けもしつこく無く、中国人にも食べやすい料理である。
昨日モンゴル入りしてから、アリシアは上官の命令に従って目立つ行動を心がけていた。ナライフにあるズーハオが潜伏するアパートメントの監視は部下に任せ、ウランバートルに留まって、ばればれの変装だけで動き回る。昨日今日と二回連続で、北京街にある中国大使館に出入りしたし、昨日の夕食はKFCに行って、食べたくもないフライドチキンで済ませた。今日の昼食も、大胆にも大通りを挟んで窓から合衆国大使館を臨めるモンゴル料理の店……立地からして、大使館員も食べに来るにちがいない……で、こうして採っているのだ。ちなみに、中国大使館と合衆国大使館は直線距離で六百メートルほどしか離れていない。
在モンゴル中国大使館は、モンゴル中央情報局(GIA)により常時監視されているし、CIAにも見張られているはずである。ロシア対外情報庁(SVR)を始めとする各国情報機関の、定期監視対象でもあるはずだ。
アリシアは、自分に関する分厚いが内容の薄いデータファイルが……中にはデジタル化されている物も多いだろうが……東京からワシントンに至る主要各国の情報機関に保管されていることを承知していた。二日連続で大使館に出入りすれば絶対に目につくはずだし、写真にも撮られているはずだ。『アリシア・ウーがモンゴル入り。ウランバートルで作戦活動中』という報せは、すでに南アフリカ国家情報庁からブラジル情報庁まで、世界中の情報機関に伝わっているにちがいない。
食べ終えたアリシアは、現金で支払いを済ませると、店を後にした。
「ズーハオの潜伏するアパートメントに出入りしている男性の照会結果が届きました」
ホテルに戻ると、男性部下の一人がさっそく報告を行った。
「ロシア人らしき男は、オレグ・ヴァシーリエヴィッチ・ポリャコフ。通称、ルークです。ルークとは、ロシア語で……」
「弓のことね」
アリシアはそう遮って言った。ロシア語は初級会話くらいしか喋れないが、ある程度の知識はある。……いかにも傭兵らしい通称だ。
「……失礼しました。年齢三十八歳。元第106親衛空挺師団所属。最終階級は曹長。ほぼ十年前からフリーランスの傭兵兼工作員として活動が確認されています。CIAとの結びつきが濃厚とみられています。我が国と敵対した活動を行った形跡は確認されていません」
「日本が雇った可能性はあるわね」
アリシアは、考えを口に出した。
「もう一人、中国人らしい男に関しての資料は見つかりませんでした。素人には見えないのですが……」
報告する部下の語尾が、済まなそうに消える。
「日本人ではないわね」
アリシアは断言した。部下が撮ったビデオ映像を見ただけだが、日本人と中国人の見分けには自信がある。
「韓国、あるいは台湾人の可能性もありかと」
部下が言う。
「なにかしっくりしないわね」
アリシアは言った。ポリャコフ……ルークの方は、CIAにも雇われたほどの男。一方の中国人の方は、無名。ひょっとすると、表に出てきたのは今回が初めてで、どこかの情報機関の虎の子工作員なのか。
「ズーメンに動きは?」
「ありません。しかし、協力者のモンゴル人女性が外出し、買い物を行いました。これが、買い物場所と商品のリストです」
部下が、マークを付けたナライフ市街の地図とリストを差し出す。
詳しく検討するまでもなかった。ウォッカを除けば、衣類や靴ばかり。しかも、ほとんどが中国製品。……個人貿易の仕入れだ。
「国境越えの偽装に使うつもりね」
「はい。ウォッカ六リットル、というところにご注目下さい」
部下が、リストを控えめに指差す。
「六リットル?」
「はい。ロシア入国に際しては、酒類に関して一人当たり三リットルまで無税です。二人でロシア入りを狙っているとすれば、この数字になるかと」
「……なるほど。ナライフから、ロシア入りを狙うとすると……」
アリシアはテーブルの上に出しっぱなしになっているモンゴル全図に目を落とした。
「ほぼ真北にあるアルタンブラグ。そこから、ロシア領内のキャフタに抜けるルートが濃厚です。個人貿易を行うモンゴル人も頻繁に出入りしている模様です」
すでに下調べをしてある部下が、説明する。
「モーをアルタンブラグに派遣しましょう。国境越えのシステムを調べさせて。現地のモンゴル警察当局と、税関にも繋ぎをつくること。上への報告は、わたしがしておきます」
アリシアは部下を労うと、部屋から送り出した。
「待たせたな。これが、あんたの分。お嬢さんは、こっちだ」
再びサルナイのアパートメントを訪れたルークが、トランクから取り出した二通のパスポートを、マイクとズーメンに渡す。
赤いパスポートの表紙には、『ソヨンボ』と呼ばれるモンゴルのシンボルが金色で描かれている。二本の太い縦棒のあいだに太極や横棒、下向きの三角形が挟まれ、その上に月と太陽のシンボル、さらに天辺に炎を載せた、いかにも東洋的なシンボルだ。
「ふむ。いい出来だな」
パスポートをぱらぱらとめくりながら、マイクが言った。シオも、ズーメンの物を見せてもらった。ロシアの入国スタンプが、たくさん押してある。……担ぎ屋として何度も出入国しているという設定なのであろう。
「準備はできているか?」
床に置かれている荷物の山を見やって、ルークが訊く。
「ああ。指定された物はすべて買い揃えた。旅支度も済んでいる」
マイクが、答える。
「よし。あと、これを荷物に付け加えてくれ」
ルークが、トランクからビニールの包みを引っ張り出し、ズーメンに渡した。
「何?」
「女性用下着だ。これも、担ぎ屋の主力商品のひとつさ。持っていた方が怪しまれない。それと、これもだ」
ルークが、小さめのビニール袋を取り出して、中身をテーブルの上に空けた。少額のルーブル紙幣十数枚と、小銭だ。
「ロシアへ頻繁に出入りする者が一ルーブルも持っていないんじゃ怪しいからな。財布に突っ込んでおくんだ」
「さすが傭兵、用意周到なのですぅ~」
ベルが、褒める。
「車にガソリンは入ってるな。よし。済まんが、今夜はここへ泊めてもらうぞ。明日早朝、出発する。キャフタに入ってからの手順を説明しておくぞ。ロシア側の税関を無事通過し、そのままR340を走ると、すぐに左手に赤い屋根のスーパーマーケットが見えてくる。『アブソリュート』という店だ。そこの駐車場に入って待て。こちら側の協力者が接触する。悪いが、そこから先は知らん。わたしが請け負ったのは、国境越えまでなんでね」
ルークが、言う。
「傭兵としては当然だな。契約外のことは、知らん方がいい」
マイクがうなずく。
「みなさん、今夜は明日に備えてゆっくりと休んでください! 夜はあたいとベルちゃんとで、交代で見張りをするのです!」
テンションが上がったシオはそう宣言した。
「見張るのですぅ~」
シオのハイテンションが染ったのか、ベルもノリノリで言う。
「頼んだわよ」
やや不安げな表情のズーメンが言って、シオとベルの肩をぽんぽんと叩いた。
第六話をお届けします。




