第四話
ロサンゼルス国際空港を飛び立ったUPSのMD‐11Fは、ホノルル国際空港経由で関西国際空港に降り立った。そこで貨物の積み下ろしを行った同機は、次の目的地ウランバートル国際空港……正式名称はチンギス・ハーン国際空港……へと飛び立った。
関空で積み込まれた貨物の中には、二つの保冷容器があった。どちらにも、『魚介類』『冷凍品 -15℃以下厳守』のシールが張られており、その他の冷凍品とともに、保冷コンテナの中に収められている。
ウランバートルに到着したMD‐11Fから降ろされた保冷コンテナから出された保冷容器二つは、保冷倉庫の中で税関職員によるチェックを受けた。輸出証明書、検疫検査証明書などの書類、送り状は問題がなかったし、密封状態も保たれていたので、検査は滞りなく終わった。
数時間後、保冷容器二つは受け取りに来た納品業者の男に渡され、トヨタ・ハイエースの貨物スペースに積み込まれた。
ハイエースはウランバートル市街へ向かう幹線道路を西へと辿った。道路の左右にある市街地にも、多数のゲルが立ち並んでいるのが見える。
山地に挟まれるようにして、東西に細長く伸びているウランバートル市街地へ入ったハイエースは、市街をそのまま通り抜けた。南東へ向かう幹線道路に乗り入れ、さらに走る。山間を抜ける道をしばらく走り、付近に人家がまばらになったあたりで、ハイエースは幹線道路を逸れて脇道に入った。砂埃を蹴立てて進んだハイエースが、緩やかにブレーキを掛けて停止する。
運転席から降りた男が、ハイエースのバックドアを開けた。保冷容器を密閉してあったテープを剥がし、蓋を取る。
「おい。もう出てきても大丈夫だぞ」
北京語で呼び掛けられて、シオはもぞもぞと身を起こした。ビニールパックされた冷凍イカの切り身を押しのけるようにして、とりあえず頭だけを出す。
「ミスター・スンでありますか?」
「マイクでいい」
細身の男が、ほんの少しだけ顔をほころばせて言う。
隣の保冷容器からも、ベルが頭をもたげていた。こちらの中身は、冷凍エビだ。
シオとベルは、保冷容器から這い出した。装備の入った袋も引っ張り出す。
「あたいはシオであります! で、こっちがベルちゃんなのです!」
「よろしくなのですぅ~」
シオとベルはとりあえず自己紹介した。
「レンジでチンしてもらいたい気分なのです!」
防寒着を脱ぎながら、シオはそう言った。
「なんにもないところですねぇ~」
シオ同様、防寒着を脱ぎ終わったベルが、あたりを見回しながら言う。シオもあたりを見回してみた。遠くに山が見え、近くにはなだらかな丘と幹線道路が見える。送電線の鉄塔と、少し離れたところにある柵を巡らせた何かの建物。地面は茶色い芝草がびっしりと生えており、理由はよく判らないが白っぽい石がたくさん落ちている。遠方の丘の斜面に、わずかに低木の群落が見えることを除けば、樹木はいっさい生えていない。
「なんだか、経営破綻したゴルフ場みたいなのです!」
シオはそう感想を述べた。
「手伝ってくれ」
マイクが、シオが入っていた保冷容器に手を掛けた。察したシオは反対側に手を掛けた。力を合わせて保冷容器をカーゴスペースから出す。
「どうするのでありますか?」
「そこに捨てる」
マイクが、顎先で道路脇にある溝を指す。
そこには、様々なゴミが捨てられていた。段ボール箱、ビニール袋に入った雑多なゴミ、壊れた家電製品や家具、プラスチックごみ、廃タイヤ、空き瓶に空きペットボトル、などなど。
シオとマイクは、冷凍イカを保冷容器ごと溝に投げ込んだ。
「ここはゴミの収集ステーションなのでしょうかぁ~」
ベルが、言う。マイクが笑った。
「単なるゴミ捨て場だよ。遊牧生活が抜けきっていないんだ、モンゴル人は」
ベルが入っていた保冷容器に手を掛けながら、マイクが説明した。
「遊牧生活のモンゴル人は、出たゴミを草原に捨てるんだ。広いからどこにでも捨てられるし、誰にも迷惑は掛からない。いずれ、自然に還るしな。都会に移住し、金属やプラスチックごみを出すようになっても、その習慣が抜けきらないんだ」
「これも捨ててしまうのですかぁ~」
マイクを手伝って、冷凍エビの入った保冷容器を持ち上げながら、ベルが訊く。
「もちろんだ。持っていてもしょうがないし、いずれ腐らせるだけだからな」
「もったいないのであります! モンゴルは内陸国! 海産物は貴重品なのでは?」
シオはそう言った。
「お土産に少し持っていったらどうでしょうかぁ~」
ベルが、提案する。
「それはいいアイデアなのです!」
シオは冷凍エビのビニールパックをいくつか確保した。マイクとベルが保冷容器を捨てているあいだに、防寒着でしっかりとくるんで冷凍が溶けないようにする。
「よし、出掛けるぞ。一応、窓から見えないように気を付けていてくれ。ロボットは、この国では珍しいからな」
運転席に戻ったマイクが、注意喚起する。
バックドアを閉めたシオとベルは、カーゴスペースに蹲った。
マイクが、ハイエースを幹線道路に戻す。
交通量は、そこそこあった。走っているのは半数近くが日本車で、あとは韓国車が多いようだ。
「あれぇ~」
シオと同様、こっそりと外を窺っていたベルが、首を傾げる。
「どうしたのでありますか、ベルちゃん?」
「右側通行なのに、右ハンドルの車が多いのですぅ~」
ベルが、指摘する。シオも、行きかう車を注視してみた。韓国車は左ハンドルだが、日本車はそのほとんどが右ハンドルだ。かくいうこのハイエースも、ハンドルは右側にある。
「日本の中古車がそのまま走ってるんだ」
そのことを指摘すると、マイクが半笑いで答えてくれた。
「左ハンドルの輸入車に乗ってるのは、レクサスやプリウスをキャッシュで買える金持ちだけさ。モンゴルでは、日本車は右ハンドルが常識だ。そのせいで、交通事故が多いとも聞くが、気にする奴はいないよ」
マイクが、その右ハンドルをぐいと切って、幹線道路を外れた。
右手の方に、ナライフの市街地が見えてくる。左側には工場なのか倉庫なのか、青い屋根の大きな建物が立ち並んでいる。二車線道路の路肩は砂地で、歩道やガードレールはもちろん、路側帯すら付いていない。そこをたまに歩行者がのんびりと歩いている。
「ドナドナなのですぅ~」
ベルが、嬉しそうに言って前方を指差した。
ハイエースの少し前を、羊を満載したくすんだ青色の小型トラックが走っていた。マイクがわずかにブレーキを掛け、低速で走っているトラックに速度を合わせる。
「ドナドナは仔牛なのであります! という突っ込みは置いといて、あの仔たちはジンギスカン鍋の材料になってしまうのでしょうか?」
「ジンギスカンは外国の羊肉料理を参考に作られた日本の料理なのですぅ~。モンゴルの方はジンギスカン鍋を食べないのですぅ~」
ベルが、突っ込み返す。
トラックが右折し、市街地の方へと入ってゆく。それを追うように、シオも視線を市街へと転じた。
なんともまっ平らな街であった。高層アパートと思われる建物が若干見受けられる以外は、すべて低層……せいぜい二階建て……の建築物ばかりである。コンクリートブロックを積み上げたものらしい陰気な灰色の高い塀が延々と連なり、家はその内側に隠れるように建っている。
街路樹などは一本もなく、見える緑色と言えば民家の屋根くらいなものだ。シオは前回の任務で訪れたロンドンの通りを思い出した。かなりの低所得者層が住んでいるような地区でも、街路樹は葉を茂らせ、道路脇には植え込みがあり、家々の軒先や窓辺にはプランターや植木鉢が置かれ、鮮やかな緑色の葉や様々な色合いの花が見受けられた。……気候の違いも大きいだろうが、これが先進国と発展途上国のゆとりの差、なのであろう。
「またワンコですぅ~。これで七匹目なのですぅ~」
ベルが、窓外を指差す。犬種は定かには判らないが、茶色で背中の方が黒い犬が、道路脇でしきりに地面の臭いを嗅いでいる。
「放し飼いの犬でしょうか? それとも、野良犬さんでしょうか?」
「モンゴルは野良犬が多いんだ。モンゴル人は馬と犬が大好きだからな。田舎の犬は獰猛な奴が多いが、この辺の犬は大人しい。噛み付きゃしないよ」
マイクが、楽し気に言う。
「よし、ここだ。ワンの支援者と接触する。危険はないと思うが、一応警戒していてくれ」
腕時計にちらりと視線を走らせたマイクが、道路脇の小さな駐車場のような場所にハイエースを乗り入れた。エンジンを掛けたまま、しばらく待つ。
やがて、路肩を西から歩いてくる女性が現れた。薄手のコートを着て、派手な色合いのスカーフで髪を覆っている。モンゴル人らしく背は高めで、骨太の体格だ。まるで男性のように、大股で自信ありげに歩んでいる。
「お嬢さん」
窓から身を乗り出したマイクが、モンゴル語で呼び掛ける。
「アルタンブラグへ行くには、ここを真っすぐでいいんだよな?」
「……正反対ですよ。この先は、バヤンデルゲルです」
足を止めた女性が、固い声で答える。年齢は二十代半ばというところだろうか。モンゴル人らしい釣り気味の細い眼と、ふっくらとした頬。お世辞にも美人とは言えないが、愛嬌のある顔立ちである。
「そうか。アルハンガイの出身だから、この辺は不案内でね」
マイクが言う。その言葉を聞いて、女性がわずかに安堵の色を見せた。つかつかとハイエースに歩み寄り、スライドドアを開いて中に乗り込む。待ち受けていたシオとベルを目にして一瞬動きを止めた女性だったが、マイクに無言で促されてシートに座った。シオは手を伸ばすと、スライドドアを閉めた。
マイクが、車を方向転換させると、道路に戻す。
「マイクだ。あんたの『お友達』を連れ出しに来た」
運転を続けながら、マイクが言う。
「サルナイよ。案内するわ。……で、このロボットは、なに?」
そう名乗った女性が、シオとベルに訝し気な視線を向ける。
「俺の部下だ。気にするな」
マイクが、素っ気ない口調で言う。
「シオなのであります! よろしくなのです!」
「ベルですぅ~。よろしくお願いしますぅ~」
モンゴル語に切り替えた二体は、改めてサルナイに挨拶した。
サルナイの案内で、ハイエースはナライフの市街地へと乗り入れた。壊れかけた板塀に両側を挟まれた未舗装路を辿り、市街地の南西に向かう。
最終的にハイエースがたどり着いたのは、社会主義時代に建てられたことが歴然としている古いアパート群が立ち並んでいる地区であった。五階建ての無機質な鉄筋コンクリートの建物で、クリーム色の外壁はペンキがはげ落ちて地の色であるグレイと二色迷彩状態になっている。
いかにも貧乏臭い住まいではあるが、車が何台か駐車してあるし、ゴミの山もない。ゲルや掘っ立て小屋同然の家に住んでいる人々に比べれば、かなり富裕な人々が住んでいるのだろう。
「これを着るんだ。子供に見える」
マイクが、助手席に置いたバッグからダウンジャケットと毛糸の帽子を取り出した。シオとベルは車内でごそごそとそれらを着込んだ。
社会主義時代の健全なる同志労働者が住むアパートに、エレベーターなどという堕落した資本主義者が好む無駄設備はもちろんない。一同はサルナイを先頭に、狭い階段を上った。壁は下半分が緑色、上半分がクリーム色に塗られていたが、どちらも退色がひどく、さらに正体不明の染みに無数に覆われていた。天井にも、雨漏りによると思われるアメーバ状の染みがあちこちに見られた。
三階のとある部屋の扉……金属製のごついもので、こちらは趣味の悪い暗いピンク色に塗られている……を、サルナイが叩く。すぐに、扉が細目に開いた。サルナイの顔を確認したのか、それが大きく開かれる。
一同は、脇に避けてくれた小柄な女性に促されるように、室内に入った。中は、外の見た目よりははるかに快適そうだった。床には複雑な文様のラグが敷かれ、液晶テレビなどの家電製品も一通り揃っている。隅の方にある箪笥は、いかにもモンゴル風にオレンジを基調に複雑な文様が描かれている。
マイクがさっそく、室内を調べ始める。窓の位置と外の見え方、キッチンや寝室の様子。さらには厚さを調べているのか、壁や床をとんとんと叩き始める。
納得したのか、マイクがサルナイに向き直った。
「それで、ミスター・ワンはどこだね?」
「わたしよ」
先ほど玄関扉を開けてくれた小柄な女性が、進み出た。
「お、お、お姉さんが、ワン・ズーハオなのでありますか?」
シオは驚きのあまり吃りながら訊いた。
「ズーハオとは、男性の名前ではありませんかぁ~?」
ベルも、首を傾げる。
「ワン・ズーハオは、ハンドルネームよ。本当の名前は、ズーメン。姓は、勘弁して」
女性……ズーメンが言う。背はサルナイよりも頭半分以上低く、せいぜい百五十二センチくらいだろう。長い黒髪に縁どられた丸顔はなかなか可愛らしいが、分厚いレンズを嵌めた黒縁の眼鏡がいささか邪魔をしている。
「女だったのか。中国側は、そのことを知っているのか?」
マイクが訊く。
「そこがばれたせいで、逃げ出すはめになったのよ。迂闊だったわね」
ズーメンが、顔をしかめて首を振る。
「まあいい。明日か明後日に、ロシア人がナライフに来る。俺が接触し、ここへ連れてくる。そいつが、越境の手配をしてくれる。それまで、俺とこのロボットたちが、あんたたちを護衛することになる。中国側の動きは、掴んでいるか?」
「いいえ。でも、怪しげな中国人が多数この街に入っているのは、噂になってるわ」
サルナイが、答えた。
「ここに潜んでいることはばれていないけど、ナライフ入りしたことと、いまだ街を出ていないことは知られているわ。下手に動けない状況よ」
ズーメンが引き取って、説明する。
「よし。悪いが、少し休ませてもらおう」
マイクが言って、ラグの上に置かれた腰掛に掛けた。
「ツァイ(乳茶)を淹れるわ」
サルナイが、キッチンの方へと向かう。
「おっと! 忘れるところでありました!」
シオは抱えていた防寒着を広げた。冷凍エビのパックを、ズーメンに差し出す。
「つまらないものですが!」
途端に、ズーメンの顔色が変わった。後ずさりで、シオの差し出した冷凍エビから遠ざかろうとする。
「どうしたのですかぁ~」
ベルが、心配そうに声を掛ける。
「やめて。甲殻類アレルギーなのよ。エビもカニもだめ。ブイヤベースですら、ひどい目に遭うのよ」
「それはお気の毒に!」
シオは慌てて冷凍エビを防寒着の中に戻した。
第四話をお届けします。




