第二十一話
「掴まっていて下さいよ!」
ボールド警部補に言われ、助手席に座るマッコールは急いでダッシュボードの縁を掴んだ。
ボールド警部補が運転し、MI5のマッコールと、CIAに所属するGR‐60三人娘が乗るアウディQ7は、コンロン警部らが乗るフォード・フィエスタの後を追うようにして、テロリストの乗るフォルクスワーゲン・キャディを追跡していたが、その差は一向に縮まっていなかった。
スカーレットは、内蔵のアンチマテリアルライフルでキャディを後方から狙撃するチャンスを狙っていたが、A835は海岸沿いの道路ゆえにこの辺りではカーブが多く、先行するキャディを射界に捉えることが出来ずにいた。
そこへアイデアを出したのが、地元民でもあるボールド警部補であった。アラプールの市街地は、奥行き十五キロメートルにも及ぶ細長いブルーム湾……ちなみに、湾口は千二百メートルほどしかない……の東岸に、肩のように突き出た部分にある。埠頭もそこにあり、テロリストが用意した船も当然そこにいるはずだ。
ゆえにキャディが埠頭に向かうためには、アラプールの海岸通りを走らねばならない。こちらが東側の海岸線に出れば、向こうが南側に開けた海岸通りを走っている処を射界に捉えられるはずだ……というプランである。
問題は、この辺りのA835が海岸沿いを走っているとはいえ、左手の視界がまったく開けていないことであった。海沿いには樹木が多く、また人家もあるので、道端にアウディを停めて射撃、というわけにはいかない。
ボールド警部補が若干減速し、左に急ハンドルを切る。ゲストハウス……イギリスの場合、この言葉は安ホテルを意味する……の看板を掠めるようにして、アウディが細い道へと乗り入れた。緩い坂を下り、正面に見える民家目指して突き進んでゆく。
ぎゃんぎゃんと吠え立てる黒毛のシープドッグの抗議を無視し、ボールド警部補が民家の左側を迂回するようにして、海岸に面している裏庭に強引に乗り入れる。花壇二つを踏み潰し、隣家との境界の木柵を壊し、さらに置かれていたベンチを跳ね飛ばして、アウディは荒い石が多く含まれている砂浜の手前で急停止した。すぐにスカーレットが飛び降り、ボンネットの上に腕を伸ばして射撃姿勢を取る。
視界は見事に開けていた。海岸通りまでの距離は、七百メートル前後か。何隻か小さなヨットやランチが海上に停泊していたが、さほどの障害にはならない。
ボールド警部補が警察IDを見せて、驚いて家から出てきた人たちを宥めている声を聴きながら、スカーレットは白いキャディを探した。
目標はすぐに見つかった。予想通り、海岸通りを左方に向けて疾走している。だが、海沿いの歩道にはかなりの数の歩行者が確認できた。これでは、射撃できない。
「埠頭を狙え! 警察無線によれば、正面に見えているモーターヨットが連中の船だ! 出港できなくしてしまえ!」
マッコールが、アドバイスする。
海に突き出ているひし形の埠頭には、何台かのトラックと小さな緑色のプレハブ倉庫群があった。その手前に、曲線を多用したデザインの優美なモーターヨットが停泊している。
スカーレットは視覚をパッシブ赤外線モードに切り替え、モーターヨットのエンジンルームの位置を確認した。出港に備えアイドリング中なので、中央にある操舵室を含むキャビンの下方から、顕著な赤外線放射が認められる。
視覚を通常モードに戻したスカーレットは、三発を連射した。『ブルー・ライノ』の二百五十ミリリットル缶に偽装した弾倉を外し、素早く新しいものをはめ込む。『缶型弾倉』には、中心軸の周りに三発の12.7×99ミリ弾が込められており、これがリボルバーの要領で回転して装弾、発射される仕組みだ。本来ならば、細身の二百五十ミリリットル缶の高さは百三十三ミリで、全長百三十八ミリの12.7×99は収まらないので、スカーレットの持つ缶型弾倉は正規品よりも若干背の高い特別製である。
再び三発を連射したスカーレットは、視覚をパッシブ赤外線モードに切り替え、与えた損害を見積もった。一部で赤外放射が増大しているのは、エンジンオイルか燃料の軽油に引火したためだろう。
「六発すべて命中。航行不可にしたと推測」
念のため、新しい弾倉をはめ込みながら、スカーレットはそう報告した。
「やられた!」
ジャックは、慌ててブレーキを踏み込んだ。
フォルクスワーゲン・キャディは、埠頭のど真ん中あたりで停止した。左手には、プレハブの倉庫が立ち並んでいる。
脱出用モーターヨットまで、あと五十ヤードもない位置である。だが、その逃走手段が絶たれたことは、明白であった。撃たれて出火したらしく、二筋の煙が立ち上り始めている。
「他のボートを奪って逃げよう」
そう言って、アーサーがキャディを降り掛ける。
「だめだ」
ジャックは、左手のプレハブ倉庫群の陰から出ないように注意しながら、キャディをUターンさせた。
「船を撃った奴は、東側の海辺にいる。マズルフラッシュを見た。銃声と射程からして、アンチマテリアルライフルだろう。埠頭は完全に射界に入っているから、どの船で逃げても、確実に狙撃される」
「じゃ、どうするんだ?」
「国道に戻ろう。この先にも、漁港がある。そこで船を奪い、逃げるしかない」
埠頭から道路へ戻りながら、ジャックは告げた。
「容疑者の車はキー・ストリートへ入った。追跡を続行する!」
疾走するフォード・フィエスタの後部座席から、巡査部長が無線で報告を入れる。
コンロン警部らが乗るフィエスタは、海岸通りを外れて北へ向かうキー・ストリートへと乗り入れようとした。だが、その直前に銃撃を喰らう。モーターヨットを見捨てて逃げ出そうとしたテロリスト二名が、猛スピードで突っ込んできたフィエスタを見て自分たちを捕まえに来たと判断し、先制攻撃を掛けたのである。
フィエスタの左前輪が撃ち抜かれ、運転していた巡査が一瞬コントロールを失いそうになる。フィエスタはショア・ストリートのコンビニに突っ込みそうになったが、なんとか態勢を立て直しつつ蛇行し、シーフードレストランに激突する寸前で急停止した。
コンロン警部らは急いで拳銃を抜くと、テロリスト二名に立ち向かった。逃げ惑う観光客や地元住民をかき分けて、埠頭に向けて走る。
「キー・ストリートでアラプールの街中を抜ければ、いずれA835に戻りますわね。そちらへ逃げる公算が大ですわ」
メモリー内の地図を参照しながら、スカディが言う。
デニスが運転し、AHOの子たちが乗るレンジローバーは、GR‐60三人娘らが乗るアウディを追い越して、A835を驀進していた。少し後ろには、メアリーが運転し、ソニアとヴィットルが乗るモンデオが付いてきている。
「しばらくは一本道だな。なんとかして追いつかないと」
亞唯が、前方を透かし見ながら言う。
A835は、アラプール市街地の東を抜けるように伸びていた。小さな橋を渡り、西向きに方向を変える。
「お、見えた」
亞唯が、身を乗り出す。
「四百メートル先だ」
「間違いあらへんか?」
雛菊が、訊く。亞唯が、くすくすと笑った。
「間違いないよ。馬が後部ドアから首突き出している車なんて、そうそう走っているわけがない」
「この距離では撃って停めるのも難しいのであります!」
シオはそう意見した。
「そうね。やはりここもスカーレットの出番かしら」
スカディが言って、無線でジョーを呼び出し始めた。
「ちゃんと追ってるよ! でも、そちらの三百メートルは後ろだね! 急いで追ってるけど、当分追いつけそうにないよ!」
アウディQ7の車内で、ジョーがスカディからの無線に答えた。
「この先、しばらく曲がりくねった道が続きますから、このお嬢さんでも狙撃は難しいでしょうね」
ちらりとスカーレットに視線を走らせながら、ボールド警部補が言う。
「待てよ。アードメア・ポイントからなら……」
「アードメア・ポイント?」
マッコールが、訊く。
「海に突き出したところにキャンプ場があるんです。A835が上り坂になっていて、視界が開けているところがあるから……半マイルくらい距離はありますが、このお嬢さんの腕前なら当てられるでしょう」
運転を続けながら、ボールド警部補が説明する。
「よし、その手で行きましょう!」
ジョーがさっそく、スカディに無線を入れ始める。
山間の道を抜けると、急に視界が開けた。
緩い坂の左側に、弓型の美しいビーチが見える。道路沿いには白壁のコテージやゲストハウスが立ち並んでいる。右手は牧場らしく、何十頭もの羊がのんびりと草を食んでいた。
「この先がアードメア・ポイントね。スカーレットの腕前を信用しましょう」
スカディが、言う。
レンジローバーは大きなカーブを曲がってアードメア・ポイントの横を通り過ぎた。キャディとの差は依然四百メートルほど。さらに走ると、道は徐々に上り勾配となった。
アウディQ7は、アードメア・ポイントのキャンプ場に突っ込んでいった。
狭い半島状の土地で、両側に海が臨めるという景勝地である。キャンピングカーがずらりと並ぶ中を、アウディは減速せずに駆け抜けた。一秒でも、時間が惜しい。
ボールド警部補が、突端に近い北側海岸付近にアウディを停める。三人娘が飛び降り、海沿いの柵に駆け寄った。例によって、ボールド警部補が警察IDを見せて、何事かと集まって来た人々に近付かないように警告する。
「見えた!」
スカーレットが、腕のアンチマテリアルライフルで狙いを付ける。海岸沿いにある養魚場の左上あたりに見えている国道上に、白い車が走っている。首を突き出しているロボット馬の姿も、たしかに認められた。樹木に遮られることもなく、しかも上り坂なので目標としては見かけ上大きく見える。
射距離は八百メートル以上。動目標に対する射撃なので、先ほどのモーターヨットへの射撃よりも数段難しい。
スカーレットは、一秒半ほどで三発を速射した。光学照準で撃ち、狙いを付け直してまた撃ち、そしてもう一回狙いを付け直して撃つ、といった行為を、素早くやってのけたのである。……ロボットならではの、早撃ちである。
三発の銃弾は、八百メートルの距離を一秒ほどで駆け抜けた。命中したのは、二発だった。一発は、ルーフの一部をえぐり取った。もう一発は、車体を突き抜けて、運転していたジャックの背中をまともにぶち抜いた。
アーサーの反応は早かった。ハンドルを奪い取り、なんとかキャディをコントロールしようとする。だが、キャディは車道を外れ、道路脇の岩に側面をこすりつけてしまう。ガラスが割れ、シャーロットが悲鳴をあげた。
アーサーの奮闘もあり、キャディは減速しつつ路肩のくぼみに前輪を突っ込ませた状態でようやく停止した。
「お嬢さん、無事ですか?」
アーサーは、同乗者の様子を窺った。ジャックは即死状態だが、シャーロットは、どうやら無傷のようだ。
「な、何があったんですの?」
蒼ざめた顔のシャーロットが、問う。
「後方から狙撃されたのではないでしょうか」
アーサーは顔を車外へ突き出して、後ろを確認した。暴走しながらカーブを曲がったし、左側に岩があるので、とりあえず今は安全だろう。
「車はもう使えませんね」
アーサーはAR‐15を取り上げた。
「お嬢さん。あなたはテンペストで逃げられるところまで逃げてください。わたしがここで、時間を稼ぎます。
シャーロットが、感謝の笑みを見せつつ無言でうなずいた。会話の内容を理解しているテンペストが、自ら路上に降り立つ。シャーロットが、それにひらりと跨った。
アーサーが稼げた時間は、三秒足らずだった。
近付くレンジローバーに向けてAR‐15を乱射したものの、亞唯の狙いすました一発を肩に受けてAR‐15を取り落とす。
「奴はメアリーに任せる。シャーロットを追うぞ」
スピットファイアMkⅡを手にしたデニスが、念のためレンジローバーのエンジンキーを抜いてから、腕を振ってAI‐10たちに指示する。
ジョーを含むAI‐10六体は、テンペストに乗って海側の岩場に逃げたシャーロットを追った。ごつごつとした岩のあいだに、萱のような草がまだらに生えているだけの荒地だったが、ロボット馬は長い脚を生かして器用に速歩で走ってゆく。
「さすがディープインパクト! 速いのであります!」
シオは苦労して追いかけながら言った。
「テンペストだよ、テンペスト」
ショーが、律義に訂正を入れる。
「あれ、オグリキャップやろ」
雛菊が言う。
「ナリタブライアンではないでしょうかぁ~」
ベルも乗っかる。
「シンボリルドルフだな」
亞唯が、言う。
「皆さんしっかりなさいな。あれは、どう見てもハイセイコーですわ」
スカディまでも、おふざけに付き合う。
「この先逃げ道は無いはずだが……」
デニスが、つぶやく。
やがて、テンペストが脚を止めた。その先には、高さ二十五メートルはありそうな崖と、海しかない。
「おおっ! 追い詰められた容疑者が崖の上に! まるで火曜サ〇ペ〇ス劇場のような!」
シオははしゃぎつつ足を速めた。
一同は、テンペストとシャーロットを半円形に取り囲むようにして追い詰めた。テンペストに頭上を飛び越される可能性を考慮し、距離は充分に置く。
「ここまでですな、ミズ・ワイズ。陳腐なセリフで申し訳ないが、無駄な抵抗はやめておくことです」
デニスが、告げる。
「しかし、あなたのようなお嬢様がなぜテロに加担したのですか?」
スカディが、訊いた。
馬上のシャーロットが、微笑んだ。
「決まってるでしょ。ヒューマノイド・ロボットが嫌いなのよ」
「嫌いだけで、WHSに参加したのかい?」
ジョーが、首を傾げる。
「嫌いというよりは……」
シャーロットの表情が、スイッチを切り替えたかのように一瞬で醜く歪んだものに変わった。
「あんたら、人間のふりなんかして、キモいのよ!」
「あちゃー。そーゆーお人やったか」
雛菊が、額に手を当てて大げさに仰け反る。
突然、テンペストがジャンプした。銃器を手にしていた全員が、思わず引き金を絞りかけたが、誰も発砲しなかった。
テンペストが飛んだ先には、なにも無かったからだ。
崖から飛び出した人馬が、宙を舞う。青空を背景に、天翔けているかのような白馬と、それに跨る金髪の少女。一瞬ではあったが、童話の挿絵のような光景が現出する。
「まさか、飛ぶのでは!」
シオは慌てつつ言った。
「馬じゃなくて、ペガサスだったのでしょうかぁ~」
ベルが、首を傾げる。
だが、テンペストには翼はなかった。重力には逆らえず、落ちてゆく。
全員が、急いで崖っぷちに駆け寄った。
ざぱーん。
崖下にあがった水柱が、崩れてゆくのが見える。
「……二十五メートルの高さを、体重八百キログラム近いロボット馬が飛び込んだにしては、水柱が低かったような気がしますわ」
スカディが、言う。
「落ち方も遅かったんじゃないか? あたしたちが覗き込んだ頃には、とっくに水柱が消えていてもおかしくないはずだ」
亞唯が指摘する。
「落下速度を落とす仕掛けがあったんだろう。逆噴射ロケットか、バリュートか、パラシュートか」
デニスが、そう言って唸る。
ほどなく、二百メートルほど離れた海面に、ぼこっと二つの頭が浮かび上がった。テンペストと、シャーロットである。
「単なるお馬さんではなくて、タツノオトシゴ(シーホース)だったのですねぇ~」
嬉しそうに、ベルが言う。
「逃がすか」
亞唯が、HK53を構え、狙撃しようとする。
「待った。いくら君でも、この距離では誤射の可能性がある。撃たないでくれ」
デニスが、亞唯を止めた。
「逃げられますわよ?」
スカディが、言う。
「仕方がない。まだ彼女は容疑者だしな。それに、諸君らは今回SISの備品扱いだというのを忘れないでくれ。ミズ・ワイズは重要人物なのだ。逃走中に死んだ場合、SISは責任を持てないのだよ」
「政治的判断だね。仕方ないよ」
ジョーが、肩をすくめた。
ウォータージェットでも内蔵しているのか、テンペストはすいすいと進み、沖へと遠ざかってゆく。
「スカディ、ジョー。警察側に顛末を報告してくれ。上手く行けば、シャーロットがどこかに上陸したところを逮捕できるだろう。みんな、よくやってくれた。特にジョー、スカーレットが居てくれたおかげで助かったぞ」
拳銃を収めたデニスが、ジョーに握手を求める。
「うちにも欲しいな。アンチマテリアルライフル内蔵型が」
小声で、亞唯がスカディに言う。
「わたくしたちが内蔵するとなると、銃身長確保のためには頭部に薬室を設けて足の裏から発射する、というお間抜けな絵面になってしまいますわね。やめておきましょう」
スカディが、ため息交じりに却下する。
第二十一話をお届けします。




