第十一話
午後一時二十三分、『レディウッドFC』と『オオサカ・プリンセシーズ』の試合が終了した直後、セルパ・ヘビー・エレクトリカルズのセルパ会長とレッドフィールド・システムズのフレデリック・ワイズ社長はスカイ・スポーツのテレビカメラを通じ、『全世界のスポーツを愛する皆さまへ』と称し、本日発生したロンドン・スタジアムにおけるテロ行為に対する声明を共同で行った。
ほぼ五分を掛けて行われた声明の内容は、テロに関する状況説明、被害に遭われた人々に対する見舞いの言葉、テロ行為に対する非難、暴力には屈しないという決意表明、大会続行に対する理解と支持の要請が主なものであった。
この声明は、一般大衆……主にテレビ視聴していたイギリス人……には好意的に受け止められた。イギリス人は比較的テロには慣れているし、テロリストに対しては強硬な姿勢を取るべきだと考えている人の割合も多い。
ちなみに、二回戦第三試合は『レディウッドFC』が二対ゼロで『オオサカ・プリンセシーズ』を下し、下馬評通り準決勝進出を決めた。
「どうも臭うなぁ~」
畑中二尉が、首を捻る。
「え、まだ臭うのかい?」
亞唯が、腕を上げて鼻……人間同様、その穴の奥に嗅覚センサーが設置されている……に近づける。
「いやいや、お前は臭わん。臭うのは、今回のテロだー。どう見ても、WHSのやり口には見えないー」
負傷者の救護活動に参加した亞唯の後始末は、なかなかに大変であった。メタンチオール……ロンドン警視庁の法科学部署が先ほど散布物質を特定した……が、染み付いてしまったのだ。衣服をすべて捨て、たっぷりとシャワーを浴び、今は新しい衣服……スタジアム内のストアで買ってきた、ウェストハムのユニフォームを模したショートパンツとTシャツ……どちらも人間の男性用サイズなので、太目で手足の短いAI‐10には丈が長すぎる……を身に付けている状況である。
ちなみに、予備のフィッシュミンツのユニフォームは持参していないので、このままでは亞唯が試合に出場することが大会規定により出来なくなるところだったが、テロ自体は突発的、偶発的な出来事であり、参加チームおよび選手に責任は一切なく、運営側の不手際と言えなくもないことから、亞唯はユニフォーム未着用状態での出場を特例で許可するという処遇が、先ほど運営によりなされていた。それどころか、テロによる負傷者の救護活動を大会参加選手のロボットがいち早く行った、という事実は、テロに屈しないで大会を続行する、という運営側の意向にも沿うものであったので、すでに運営側は大会終了後に行われる表彰において、今後のフィッシュミンツの勝敗および亞唯の成績の如何を問わず、亞唯に対し特別賞を贈ることを決定していた。
「とにかく、まだ試合までは時間がある。消極的だが、パトロールするぞー。実行犯と出くわすとまずいので、単独行動はやめだー。あたしと二曹は組んで回るー。おまいらも二組に分かれて回れー。なにか怪しい奴を見つけたら、スマホで連絡しろー」
畑中二尉が、そう指示する。スカディと亞唯だけには、レンタルのスマホが支給されている。
「では、いつも通り亞唯と雛菊で組んでちょうだい。シオ、ベル。あなたたちはわたくしと一緒に」
スカディが、すかさず指示を出す。
「お、怪しい三人組発見や」
雛菊が、指差す。
観客席裏の通路である。背格好からするとせいぜい十歳前後に見える少年三人が、こちらに背を向ける形で壁際にしゃがみ込み、熱心に何かを行っているのが見えた。爆弾か何かを仕掛けようとしているように、見えないこともない。
「まさかとは思うがなぁ」
亞唯が、首を捻りつつ近付いた。こほんとひとつ咳払い……の合成音声を発してから、声を掛ける。
「何してるんだ?」
三人の少年が、同時に振り返った。一人は、ウェストハムのレプリカユニフォーム姿。他の二人も、かなりラフな格好だ。……見るからに、ロンドンの下町生まれの下町育ちの、労働者階級の子弟、といった雰囲気を漂わせている。
「あ、あんた、日本の選手だろ」
立ち上がりながら、一人が指を亞唯に突き付ける。三人の中では、一番小柄のようだ。
「アサカの11番だ。テロの被害者の救助に駆けつけたんだろ。大型ヴィジョンで紹介されてたぜ」
もう一人……おそらくインド系の血が混じっているらしい浅黒い肌の少年が、笑顔で言う。
「いい趣味してるな」
レプリカユニフォームを着ている一人が、亞唯のウェストハムTシャツを見て、サムズアップをしてくれる。
「で、なにしてたんだ?」
亞唯が、重ねて訊く。
「これだよ」
レプリカユニフォームの少年が、白黒二色の合成皮革を差し出す。
「これは……」
受け取った亞唯が、それを両手で広げた。
黒い五角形と、白い六角形の組み合わせ。『テルスター』の名で知られる、典型的なサッカーボールの外皮である。ちなみに、本大会で使われているロボットサッカー用特注ボールも、外皮はテルスターだ。
通常のサッカーボールは、空気の入った球状ゴム製の『本体』の上に、化学繊維の裏打ち布、ポリウレタンの層、それに合成皮革の外皮を張り付けて作られている。今亞唯の手の中にあるのは、その外皮だけであった。ひと連なりにはなっているが、タイル状の切れ目の個所で所々分割されており、球形を保ってはいない。
「サッカーボールの抜け殻やな」
顔を近づけて観察しながら、雛菊が言う。
「脱皮したとでも言いたいのか?」
亞唯が、苦笑する。
「わからんで。脱皮してバスケットボールに進化したのかもしれんで」
「面白いこと言うなぁ。日本のロボットは」
小柄な少年が、笑う。
「そこに、押し込んであったんだ」
レプリカユニフォームの少年が、壁を指差す。むき出しになった鉄骨と、化粧合板のあいだに隙間があるのが見えた。
「明らかに、隠してあった。怪しいよ、これは」
「怪しい?」
亞唯が、訝し気に訊く。少年三人が、一斉にうなずいた。
「俺たち、こいつはさっきのテロに関係あると考えたんだ。テロリストは、このボールの中にあの臭いやつのボンベか何かを隠して持ち込んだんだよ」
小柄な少年が、力説する。
「昨日も今日も、サッカーボールはテロ対策で持ち込み禁止になってるんだよ。だから、犯人はその前にボールを持ちこんで、隠しておいたんだ」
インド系少年が、続けた。
「なるほど。サッカーボールなら、スタジアムに置いてあっても怪しまれないからな」
亞唯が、感心する。
「なら、なんでその犯人は、ボールの外皮をこんなとこに隠したんや? ボールの安全な置き場所があったんなら、そこに隠せるやろ?」
雛菊が、少年たちの推理の不備を衝く。少年たちが、顔を見合わせた。
「……それは……時間が無かったとか、見つかりそうになったとかだよ、きっと」
小柄な少年が、言う。
「もう少し調べる必要があるな」
亞唯が言って、ボールの抜け殻を少年たちに返した。
五分後、少年の一人……レプリカユニフォームの子……が、歓声を挙げた。
「見て! これ、きっとボールの中身だよ!」
ゴミ箱から灰色の塊を引っ張り出しながら、少年が嬉しそうに叫ぶ。
少年から塊を受け取った亞唯は、それをじっくりと観察した。硬めのスポンジ状の物質で、半球形をしている。直径は、二十センチ以上か。円形の平面には、三つの大きな穴が開いている。
亞唯は腕を真っすぐ伸ばし、両手で塊を支えた。その位置ならば、見かけ上の大きさから換算することによって、はぼ正確な大きさを光学的機能だけで測定できるのだ。
「直径二十二センチ。確かに、さっきの抜け殻の中身として大きさはぴったりだな。穴の大きさは八センチ。……やばいぞ、これは」
「どうしたんや?」
雛菊が、訊く。
「さっきテロ現場で見たメタンチオールのボンベが直径八センチくらいだった。長さも、ボールの内側にすっぽり入るサイズだ。こりゃ、本物らしい」
亞唯が、塊をインド系少年の手に押し付けた。
「雛菊、二尉に連絡だ。あたしはスカディたちを呼ぶ」
「了解や」
「なるほど。どうやら本物のようだなー。お手柄だぞ、少年!」
ボールの外皮と中身を調べた畑中二尉が、少年三人に向かいサムズアップをする。だが、少年三人の反応は薄かった。突然登場した東洋人女性に対し気圧されている様子だ。
ゴミ箱からは、もうひとつ半球形の灰色の塊が見つかっていた。二つの円形平面を合わせると、ちょうどサッカーボールの大きさとなる。外皮を元通り被せると、サッカーボールそっくりになることは実験済みだ。
「ではさっそく、ロンドン警視庁に通報を!」
シオは勢い込んで進言した。
「そうしたいところだが……ある意味まずいことになったー」
畑中二尉が、『ボール』を石野二曹に渡しつつ言う。
「雛菊から連絡があってから急いで調べたが、今このスタジアムではテルスターは使っていないそうだー。有るのは、ロボット・サッカー・ワールドカップ用の特注品だけー。そして、特注品ならそのロゴマークが付いているはずー。ところが、これには無いー。数も厳格に管理されているはずだしなー。だから、これが事前に持ち込まれた可能性は少ないのだー。大会前にロンドン警視庁がスタジアム内の徹底捜索をやっているからなー。たとえサッカーボールでも、不審物を見逃したとは思えないー」
「どこかに隠しておいた……という推理は、論理的ではありませんねぇ~」
ベルが、言う。サッカーボールを安全に隠して置ける手段があるならば、メタンチオールのボンベも安全に隠して置けたはずだ。わざわざこんな手の込んだ隠匿手段を取る必然性がない。
「サッカーボールの持ち込みは、禁止されていたー。だから、観客がボールに見せかけて持ち込んだ、ということはあり得ないー。だが、我々はこのスタジアムにテルスターのサッカーボールを持ちこんだ人物を二人知っているー。この目で見たからなー」
声のトーンを落として、畑中二尉が言った。
「確かに見ましたわね。ソニア・セルパとシャーロット・ワイズの二人ですわ」
スカディが、うなずきつつ言う。
「その二人がテロリスト? あり得んやろー」
雛菊が、突っ込み口調で言う。
「しかもWHSのメンバーだって言うつもりかい? ヒューマノイド・ロボットを製造販売している大手企業のトップの孫娘と娘だぜ?」
亞唯が、首を傾げる。
「だから即断はできんー。他にも、サッカーボールを持ちこんだ奴がいるかもしれんー。とりあえず、我々だけでは判断しようがないー。こういうときに役立つのが、コネだー。デニスを呼ぶぞー」
畑中二尉が、スマホを取り出した。
「話は判った。しばらく時間をくれないか」
畑中二尉と亞唯の説明を聞いたデニスが、指を一本立てて許しを得てから、スマホを取り出す。
少年三人には、メアリーが身分証明書を見せていた。外務省の名が入ったIDカードは少年たちにはかなりの効力をもたらしたようだ。三人とも、メアリーが説く『国家的事案に関する守秘義務』を遵守することをすぐに誓ってくれる。
「ソニアとシャーロット。この二人が手を組んでいる、という可能性は少なそうですわね」
早口で電話を掛けまくっているデニスを見ながら、スカディが言う。
「まず無いだろうなー」
畑中二尉が、同意する。
「怪しいのは、どっちやろか?」
雛菊が、気軽な調子で訊く。
「そう言えば、ソニアは厳格なカトリックのようでしたわね」
いささか暗い口調で、スカディが言う。
「そうだー。金曜日に肉を喰わず、海老烏賊蛸蟹の類を喰わず、アクセサリーも付けず、酒も飲まないー」
畑中二尉が、続ける。
「……それは、ソニアさんがキリスト教原理主義者である可能性も示唆しているのでは?」
シオは、そう指摘した。
「その通りだー。もしそうだとすればー、WHSのメンバーであってもおかしくないー」
うんざりしたように、畑中二尉が答える。
「しかし、ソニアさんはわたくしたちには優しく接してくださったはずですがぁ~」
ベルが、言う。
「あたいたちは、ヒューマノイド・ロボットの範疇に入っていないのでは?」
シオはそう言った。
「それはそれで、屈辱的だわね」
スカディが、苦笑する。
「調べがついたよ。大会前のロンドン警視庁による徹底捜索で、不審なボールを見落とした可能性はゼロに等しいとのことだ。大会用のボールも当然精査されたから、細工したボールが紛れ込んでいたことも考えられない。昨日と今日、スタジアム内へのボールの持ち込みは禁止されているが、例外が四件記録されている。どちらも、同一人物が違う日に持ち込んでいる。もちろん、ソニア・セルパとシャーロット・ワイズだ。これは、広報写真撮影を兼ねた大会宣伝の小道具としてであり、大会運営公認による持ち込みだ。このボールは、市販のテルスターと記録されている」
通話を終えたデニスが、早口で説明した。
「これは、容疑が固まってしまいましたねぇ~」
ベルが、嬉しそうに言う。
「ミスター・シップマン。昨日のこの二人がスタジアムを出る時の映像は、残っていますね?」
畑中二尉が、鋭い口調で訊く。
「なるほど、そうか。すぐに調べさせよう」
デニスが、再びスマホをいじり出す。
「どういうことでありますか?」
シオは、首を傾げた。
「ボールはここにあるでしょう。昨日も今日もこのような形で細工したボールを持ちこんだとしたら、昨日帰る時にボールを持ち帰らなかったはず、という推理が成り立ちますわ」
スカディが、丁寧に説明してくれる。
「よし。ありがとう」
通話を終えたデニスが、酸っぱいものでも飲み込んだ様な表情で、畑中二尉を見る。
「監視カメラの映像を確認させた。昨日、シャーロット・ワイズはボールを持ち帰っているが、ソニア・セルパはボールを持たずにスタジアムを出ている」
「では、これはソニア・セルパが持ち込んだ物……」
石野二曹が、手にした『ボール』を少し持ち上げながら言う。
「その可能性は高いな。メアリー、ソニアに張り付くんだ。警護目的とか称してな。穴の数からして、メタンチオールのボンベは最低でもあと二本ある。第二、第三の悪臭テロが起きる可能性は高い。ボールが二個なら、あと五本」
デニスが、説明しつつ指示を出す。
「しかし……ソニアがWHSのメンバーだったとしても……この悪臭テロに何の意味があるのでしょうか?」
英語だとあまり訛らない畑中二尉が、デニスに尋ねる。
「今のところ、皆目見当がつかないな。大会を中止させたいなら、メタンチオールではなく爆薬でも持ち込めばいい。なぜ悪臭なのか……」
デニスが、考え込む。
「はっと! これは、ひょっとするとWHSの犯行に見せかけたセルパ・ヘビー・エレクトリカルズの組織的犯罪では? 黒幕は、リカルド・セルパ会長!」
シオは、唐突にそう推理を披露した。
「動機はなんやねん」
すかさず、雛菊が突っ込む。
「……えー、株価操作?」
答えに詰まったシオは、適当な返答を捻り出した。
「大会がトラブルに見舞われたら、セルパの株価は当然下落するわね。逆張りの要領で自社株を買い増そうというのかしら?」
スカディが、笑う。
「とにかく、あたしらは次のテロに備えるぞー。ミスター・シップマン。ここの後始末とソニアの監視はお任せできますか?」
畑中二尉が、確認する。最重要容疑者は、ラテンアメリカ最大の国家、ブラジル連邦共和国有数の大企業の会長の孫娘である。日本側が下手に手出ししたら、深刻な国際問題に発展しかねない。
「任せてくれ」
デニスが、請け合った。
第十一話をお届けします。




