第一話
お待たせいたしました。Mission10『ロボットサッカーワールドカップ優勝せよ!?』開始です。
連合王国 スコットランド インヴァネス市
インヴァネスは、ハイランズ(スコットランド高地地方)の首都とも呼ばれている地方都市である。
もっとも、その人口は郊外を含めても八万人程度に過ぎない。それでも、人口密度が一平方キロメートル当たり八人という寂しさのハイランズからすれば、立派な都会と言えよう。ちなみに、この人口密度はあの広大な低人口密度地帯であるシベリアや、ほぼ無人地帯と言える北極圏を含むロシア連邦よりも低い数字である。
インヴァネス市は、北海に臨むマレー湾の奥に位置している。市街地をネス川と運河が貫流しており、それを数キロメートルほど遡ったところにある細長い湖が、『ネッシー』で有名なネス湖である。面積は五十六平方キロメートル程度……十和田湖よりも小さい……が、淡水湖としてはイギリス最大の湖となっている。
インヴァネスはスコットランド史において重要な役割を果たしてきた歴史的な都市でもある。また、周辺は荒涼ではあるが美しい自然に囲まれており、古くからイングランドやウェールズから観光や保養のため訪れる人が多かった。空路が発達してからは、ヨーロッパ各国や北米からの観光客が増え、近年ではアジア諸国からも大勢の観光客が訪れており、市外の北東に位置する空の表玄関であるインヴァネス空港は小さな地方空港ながら、利用客に関してはいまや国際空港の観を呈している。
そのインヴァネス空港に到着したロンドン・ガトウィック空港発、イージージェットのエアバスA319から降り立った男に、不審な点は微塵もなかった。地中海系らしい浅黒い肌と、ウェーブした黒褐色の髪。年齢は、四十代半ばだろうか。薄手のセーターの上に着こんだジャケットと、旅慣れていることを思わせるコンパクトな手荷物。左肩からぶら下がっている日本製のビデオカメラ。ポケットからはみ出ている観光パンフレット。……典型的な、気ままな一人旅を楽しむ外国人の中年男、といった風情である。
男は空港の外でタクシーにインヴァネス市内のホテルが集中する通りの名を告げると、車内に乗り込んだ。A69(イギリスのA記号道路は国道を示す)に入ったタクシーは、制限速度の時速六十マイル(時速九十六キロメートル)で西進し、インヴァネス市街へと向かった。市街地に入り減速したタクシーが、目的地の通りで停車する。降りた男は料金を払うと、さっそくパンフレットを取り出した。それを読むふりをしながら、タクシーが走り去ることを確認する。
パンプレットをポケットに突っ込んだ男は、いかにも観光客らしくゆったりとした足取りで歩み出した。腕時計で待ち合わせの時刻を確認し、指定された路地に入る。そこには、一台のヴォクスホール・アストラがエンジンを掛けたまま停まっていた。乗っているのは、運転手だけだ。
近付いた男は、運転席にいる男に声を掛けた。
「済まない。ローワン・ロードはここでいいのかな?」
「悪いな。俺もこの都市は詳しくないんだ。パースの生まれなんでね」
運転手が、応じる。……正しい合言葉だ。
男は助手席に乗り込んだ。運転手が、すぐにアストラを出す。
「ジャックと呼んでくれ」
運転手が、自己紹介する。
「オクトーだ」
男は自分が属する『組織』内でのコードネームを告げた。
アストラは、いったんA9に入ると、ケソック橋を渡った。右手に見えるマレー湾は、弱い日差しを浴びて鉛色に見える。A835に入ったアストラは西進し、内陸へと入ってゆく。車窓から見える遠くの山々は、いずれも氷河によって圧し潰され、あるいは削られて丸みを帯びたなだらかな形状を呈している。時折緑色の山腹から石斧の刃のように突き立っている岩は、氷河の浸食に耐え抜いた固い岩盤の残骸だ。道路の左右には、カバノキの疎林とアカマツが点在する草地が交互に現れる。それほど交通量の多く無い道を走り続けたアストラは、やがて氷河地形の特徴でもある細長い湖に面している一軒のパブの前で停まった。
ジャックに促されてアストラを降りたオクトーは、パブの看板を見上げて微笑んだ。店の名は、『レイジー・ドッグ』で、だらしない格好で眠りこけている毛むくじゃらのシープドッグのコミカルな絵が添えられている。
まだ飲むには早い時間なので、パブの中は空いていた。一目でアメリカ人と判る年配のカップルが食事しているのを除けば、オクトーがすぐに警護役だと見抜いた二人の若い男が隅のテーブルに座っているだけだ。入ってきたジャックとオクトーを見て、パブの主人らしい小太りの男が妻と思われる中年女性に身振りで『客を頼む』と指示してから、ジャックに目配せして奥の個室の扉を開けた。
促されるままに、オクトーは個室へと足を踏み入れた。六人掛けのテーブルに座っていたのは、二人だった。いかにも技術者然とした眼鏡姿の小男と、もう一人の人物……。
「ボスだ。ボス、オクトーだ。『組織』から来られた」
ジャックが、オクトーを紹介する。ボスが、オクトーに視線を当てつつわずかにうなずいた。
「座ってくれ」
ジャックが、オクトーをボスの真向かい……上席に案内する。自分は、ボスの隣に腰を下ろした。パブの主人が、五つのグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
「ボスは飲まないんでね」
言い訳するように言いながら、パブの主人がグラスをオクトーの前に滑らせる。
「早速ですが、作戦の進捗状況をうかがいたい」
一口水を飲んだオクトーは、そう切り出した。
「予定通り、八十パーセントは終わった。人員の確保、爆発物の調達、作戦拠点の確保。警備状況はいまだ流動的だが、確定次第ボスが情報をまとめてくれるはずだ」
報告を始めたジャックが、ボスに視線を送る。ボスが、無言のままうなずいた。
「ロボットは?」
オクトーは問うた。今回の作戦、本命はこちらである。
「改造プログラムはすでに組み込んであります。オーヴァーライド・コードもボスが手に入れてくれましたから、投与済みです。こちらからのコマンドで、予定通りの行動を行わせることが可能です」
眼鏡の技術者が、嬉し気に答えた。
オクトーは、さらに細かい進捗状況を訪ねた。ジャックが作戦全般について、技術者がロボットや爆発物関連の細部を説明する。ボスは無言で終始し、パブの主人も口を挟むことはなかった。
「ここが作戦本部となるのだね? 警備状況は?」
「ようやく俺の出番が来たな」
オクトーの問いかけに、パブの主人が笑顔を見せる。
「常時二名の警備要員が詰めている。経験は浅いが、腕は確かだ」
「身元も確かかね?」
「問題ない。何年も前から、『WHS』の忠実なメンバーだ」
パブの主人が請け合う。
「武器は?」
「AR15を人数分揃えている。あと、切り札もある」
自慢げに、パブの主人が『切り札』について説明する。オクトーは、満足げにうなずいた。それだけの備えがあれば、警察の急襲くらい簡単に撃退できるだろう。
「脱出手段は?」
「北へ行ったアラプールに船を確保してある。ヘブリディーズ諸島のどれかに逃げ込めば、簡単には見つからないからな」
「結構だ」
オクトーは、しばし目を閉じて報告内容を脳内で吟味した。
……成功確率は、高いと評価して差し支えないだろう。すべてが上首尾にいけば、『組織』にとっても有益な結果が得られる。
「よろしいです。我が組織も作戦決行を支持します。今後とも、全面的に支援することをお約束します」
オクトーの一言で、室内の空気が変わった。ジャックと技術者の表情が目に見えて明るくなり、パブの主人に至ってはチップをはずんでくれる常連客を迎えた時のように輝いた笑みを浮かべている。無表情を保っていたボスさえ、口元がほころんでいた。
「では失礼します。緊急用の連絡先を残しておきますので、いざという時は使ってください。不要不急の場合は、通常の方法でお願いします」
オクトーは立ち上がると、ポケットから小さな封筒を取り出した。中に入っている紙片を、テーブルに振り出す。……指紋を付けないための用心である。
ジャックも立ち上がった。パブの主人が、扉を開けてくれる。オクトーはボスに向かって目礼すると、個室を出た。他の客に怪しまれないように、ジャックと当たり障りのない会話をしながらパブを出る。
「どちらへ?」
アストラに乗り込んだジャックが、訊く。
「市内へ頼む。キングスミルズ・ホテルに予約してある」
「そこなら知ってる」
ジャックが、アストラを出してA835に乗せた。
一時間半後、オクトーを送り届けて戻ってきたジャックは、個室に入った。
すでにボスは帰り、残っているのはパブの主人と技術者……ここではアーサーと呼ばれている……だけであった。テーブルには、シングルモルトウィスキーの瓶があり、中身がだいぶ減っている。
ここに集った三人は、いずれも反ロボットを標榜する過激組織、『ウォーム・ハンズ・ソサエティ』のメンバーであった。ロボット全般を拒否し、特にヒューマノイド・ロボットを目の敵にして、テロ行為も辞さない反社会的国際組織である。
『ウォーム・ハンズ・ソサエティ』に参加する人々の動機は様々である。宗教的見地から、ロボットに反対する者。『似非人間』に対する嫌悪感から活動する者。ある種の『ネオ・ラッダイト』運動としてロボット排斥を試みる者。ロボットのみならず、AIそのものを人類に対する脅威と断じて憎悪する者。
「お疲れさん。まあ、一杯やんなよ」
パブの主人……名前はダンカン……が、グラスにシングルモルトを注ぐとテーブルに座ったジャックの前に置く。
「で、何者なんだい、あのイタリア人は?」
パブの主人……ダンカンが、訊いてくる。
「スペイン人じゃないのか?」
技術者……アーサーが、言った。
「いや、あの訛りはイタリア人だ。ここへは観光客が良く来るからな。聞けば判る」
ダンカンが、自分の耳を指差しながらそう言い張る。
「俺も詳しくは訊かされていない。だが、『ブラッド・フィスト』とは懇意の組織の幹部だそうだ」
『ブラッド・フィスト』とは、『ウォーム・ハンズ・ソサエティ』の中で、テロなどの暴力的活動を専門的に統括する中枢組織の秘匿名である。その実態は謎に包まれており、『WHS』の幹部であるジャックでさえ、詳細は知らない。
「不気味な奴でしたね」
自分のグラスを呷ったアーサーが、ぼそりと言った。
「まあそう言うな。彼のおかげで、作戦の成功はほぼ確実になるのだからな」
ジャックは自分のグラスから一口飲んだ。何の組織かは知らぬが、ロンドン警視庁やNCA(国家犯罪対策庁)内部に情報源を持っているらしく、こちらに逐一情報を流してくれる手はずになっている。ボスが集められる情報には限度があるので、これは心強い限りだ。
「不気味と言えば、ボスも不気味だよな」
お代わりを自分で注ぎながら、ダンカンが言った。
「おっと。ボスの悪口はわたしが許しませんよ」
アーサーが、すかさず口を挟む。
「あんたがボスに心酔していることは判ってる。貶すつもりはないよ。優秀な方だ。だが、不気味なことには変わりない」
むっとした表情で、ダンカンが言い返した。
「ボスがなんでこんなことに関わる気になったのか、理解できないんだよ、俺は。いいご身分だってのに……」
「反ロボットの信念があるんだろうな」
ジャックはそう言った。上流階層出身者が『改革』を求めて反社会的暴力活動に身を投じるのは、珍しいことではないのだ。
ホテルの部屋から、オクトーは国際電話を掛けて、上司に対し本作戦の承認を行ったことを報告した。
もちろん、あからさまな報告のスタイルは取らなかった。事前に打ち合わせた単語を混ぜて、家族に対しインヴァネス到着と明日の予定を楽しげに話す、という外国人観光客が当たり前に掛ける電話を装ったのだ。イギリスの固定電話はGCHQ(政府通信本部)によって傍受され、重要な会話はすべて解析されていると覚悟しておいた方がいい。WHSの名を出したりすれば、間違いなく捜査対象になるだろう。
仕事を終えたオクトーは、湯を沸かして紅茶を入れて一息ついた。本来なら冷たいビールをやりたいところだが、ここも他のイギリスのホテルと同様、客室内に冷蔵庫がついていない。ルームサービスを頼めば持って来てくれるだろうし、ホテル内にバーもあるのだが、なるべく目立ちたくないので、ここは紅茶で我慢するしかなかった。
紅茶を飲みながら、オクトーは観光パンフレットをぱらぱらとめくった。観光名目で入国しているので、怪しまれないためにはあと二日ほど時間を潰さねばならない。
……なるほど。城と砦、それに戦跡が有名なのか。
添えられている写真を眺めながら、オクトーは翌日の予定を脳内で組み立てた。せっかく来たのだから、名高いロッホ・ネスも見てみたいものだ。
観光予定を組み上げたオクトーは、二杯目の紅茶を手にテレビを点けた。画面に、サッカー中継が映る。スコティッシュ・プレミアシップ……スコットランドのトップリーグの試合だ。グラスゴーの人気チーム、セルティックと、アバディーンの対戦だった。
オクトーは、ソファに寛ぐと試合に見入った。イタリア人なので、サッカーは元々好きである。
……サッカー好きとしては、今回のWHSの作戦、どうも気に入らんな。
楽しくサッカー観戦をしているうちに、オクトーの心中にそんな考えが芽生えた。WHSがテロを計画しているのは、サッカースタジアムである。ボールを蹴るのが『誰』であれ、集まるのはサッカー好きだろう。それは、否定できない事実である。
そして、死傷するのも、そのサッカー好きたちなのだ。
オクトー自身には、ロボット嫌いの感情はまったくない。だが、彼が属する組織はロボット技術……特に軍用ロボット技術の発達を妨害することを歓迎する傾向にある。WHSに肩入れするのはそのためである。
……ここは任務と考えて割り切るしかないな。
試合は前半無得点で終了し、ピッチから赤と黒のユニフォーム姿の選手が引き揚げ始めた。オクトーはテレビを消すと立ち上がった。わだかまりを洗い流すには、紅茶では無理だ。いささか思慮に欠けるが、仕方がない。
上着を着こみ、部屋を出る。後半はバーでビールでも飲みながら見るとしよう。
第一話をお届けします。




